「どうぞ、粗茶ですが」
「ありがとうございます」
「今、昼食を作ってますので、少々お待ち下さいね?」
「お構いなく」
そんな社交辞令が一通り済んでから、居間のソファーで向かい側に座った涼子が、単刀直入に切り出してきた。
「あの、それで優治の職場の方がどうしてこちらに? まさかとは思いますが、弟が職場で何かやらかした訳では」
「いえいえいえ、滅相もありません!」
「デート中に『確かこの辺りに、高須が住んでる筈だな』とか言ってたら、偶然お義兄さんと遭遇してお誘いを受けた次第です。なあ? 美幸?」
「は、はい。そうですね、義行さん」
二人が即座にその懸念を否定すると、涼子が怪訝な表情になる。
「お二人とも『よしゆき』さん? 後輩の女の子の名前が藤宮さんで、係長さんのお名前が城崎さんと聞いていましたが……」
「すみません確かに、名字はそれで間違いないですが、二人とも名前の読みが『よしゆき』なんです」
「あら、そうなんですか。凄い偶然ですね」
(改めて言ったり聞いたりすると、説明が面倒くさいかも……。と言うか自分自身に呼び掛けているみたいで、変な感じ)
得心してにこにこと頷いた涼子の前で、美幸は密かに考え込んだ。すると涼子はすぐに真顔になって再度口を開く。
「その……、失礼な事をお聞きしても宜しいですか?」
「はい、なんでしょう?」
「企画推進部二課は、他の部署から白眼視されている所なんでしょうか?」
「…………」
「どうしてその様な事を?」
思わず美幸が黙り込んだ横で、城崎が仔細を尋ねる。すると涼子は恐縮気味に事情を説明した。
「それが……、優治の就職先を柏木産業と取引のある知り合いに話した時、『企画推進部ニ課は傍若無人な課長さん以下、問題を起こした社員の巣窟で何かと悪い噂が多いから、優治君がこき使われて使い捨てにされないだろうか』と心配されまして」
「……はぁ」
「なるほど」
「それで『こちらは母子家庭の上、保護観察下にある人達を雇ってるから、そういう環境を何とも思わないだろうと思われて押し込められたんじゃ』とかも言われて、『余所様に後ろ指を差される様な真似はして来なかったけど、私のせいで優治が職場で肩身の狭い思いをしているかも』と母が相当気に病んでいるんです」
「……ごもっともです」
「母親としては当然ですよね」
「優治に聞いても『別に問題ないし、優秀な人達ばかりだ』としか言わないし。本当の所、どうなんでしょうか?」
真顔での涼子の問いかけに、美幸は思わず遠い目をしてしまった。
(お姉さん、それ本人達に向かって聞くのはどうかと思います。でも顔が真剣だし、本気で心配してるんだろうなぁ……。そう考えると、うちは一家揃って豪胆かも。お父さんもお義兄さんも、『面白い噂がある所だな』『希望部署に入れて良かったね』で終わりだったし)
そんな事をしみじみと考えていると、やはりと言おうか何と言おうか、城崎がすかさずフォローに入った。
「皆さんが懸念される内容は、私にも十分理解できます。構成メンバーがメンバーですので、うちが社内で白眼視されている事も否定しません」
「そうですか……」
「ですが、それは妬みも多分に入っておりまして。柏木課長が課長就任以来、新規契約数、売上高とも、社内で常にトップクラスを維持していますが、出る杭は打たれるとの言葉の如く、不祥事を起こした社員が第一線で働く事、更にそれで立派な業績を叩き出している事、加えて責任者が女性だと言う事で、常に悪意のある噂の的になっております」
「ご苦労お察しします」
「高須君が配属になった経過ですが、私が思うにお家の事情等ではなく、そういう環境で育った彼だからこそ、物事の本質をきちんと見極める力を持っている上、二課で有能な人間に囲まれても十分やっていけると人事部が判断し、満を持して配置してくれたのだと思っています。現に高須君は良くやってくれていますし」
「まあ、ありがとうございます」
(係長……、舌、滑らかですね。でもお家の事情で押し込められたって話が、真相じゃないかしら……)
改めて城崎の饒舌ぶりに感心しつつ、美幸は余計な事は言わずに沈黙を保った。その横で城崎と涼子の友好的な会話が続く。
「現に、高須君を『是非うちに欲しい』と言ってきている部署が幾つかあります。彼を手放すのは正直痛いのですが、ご家族に心配をかけたままなのは心苦しいですし、彼が希望するなら他の部署への異動を検討する事は可能ですが」
「いえいえ、係長さんにそこまで言って頂けるなんて光栄です。優治も仕事を頑張っているのが良く分かりましたし、できればこのまま企画推進部ニ課で働かせてやって下さい」
「そうですか。こちらこそ宜しくお願いします」
それからは美幸も交えて職場での高須の様子などを話題にして盛り上がり、二十分程経過してソファーに座っていた三人に声がかけられた。
「涼子、飯が出来たぞ。よそうのを手伝ってくれ」
「分かったわ」
「お待たせしました。優治の母の高須友子と申します。いつも息子がお世話になっております」
「いえ、こちらこそ高須君には日々頑張って貰っていますので」
「私も色々とお世話になっています」
「そうですか。さあ、どうぞ。つまらない物ですが、召し上がって下さい」
それから五人でダイニングテーブルを囲みつつ、和気あいあいと昼食を食べ始めたが、涼子が予め美幸達から聞いた話を掻い摘んで説明しながら、母親の懸念を笑い飛ばした。
「もう~、お母さんったら心配し過ぎ。だから言ったでしょう? 噂なんてあてにならないって。本人に失礼な事を聞いて、冷や汗ものだったのよ?」
「本当に申し訳ありませんでした」
ひたすら恐縮する友子を、城崎は苦笑いで宥める。
「いえ、お姉さんにも言いましたが、社内で二課への風当たりがきついのは本当の事ですから」
「食事ができるのを待ってる間色々聞いたんだけど、藤宮さんの携帯に入ってるツーショット写真を見たら、課長さんって凄い美人よ~! 加えて東成大現役合格の才女で社長令嬢なんて、そりゃあ凡人からは妬まれるって!」
「え? 頭良い人だとは聞いたけど、優治の奴そんな美人だなんて、一言も言って無かったけど」
「それは高須君が、人を外見で判断する様な事をしないからですよ。それだけでも優秀な資質を持っていると思います」
「ありがとうございます」
淳の反応に城崎がすかさず褒め言葉を割り込ませると、友子は嬉しそうな顔になって礼を述べた。それに美幸も安堵していると、涼子が美幸についても言及してくる。
「それに係長さんも東成大出身で、この藤宮さんはあの旭日食品の社長令嬢なんですって! そういう人がゴロゴロいる職場が、そんなに変な訳無いじゃない」
「うわ……、係長さんも優秀なんですね。すみません、最初に色々失礼な事を言ってしまったみたいで」
「いえ、構いませんよ?」
恐縮して頭を下げた淳に城崎は苦笑いで返したが、友子は本気で驚いた様に目を丸くした。
「まあ、原材料輸入から食品加工まで手がける、あの食品業界大手の? そんな有名企業のお嬢さんまで入っているなんて、優治ったらそんな事一言も言わないし」
「家の稼業の事は自分の仕事には関係ありませんし、高須さんだってそう思ってるから、私の家の事もあれこれ言わなかったのだと思いますよ?」
「そうかもしれませんね」
(あ……、何かお母さんが凄く安心した感じ。これまで職場で家の事を意識した事無かったけど、お母さんが納得してくれたなら社長令嬢なんて肩書きを持ってて良かったわ)
すっかり嬉しくなって美幸が中断していた食事を再開すると、何故か友子が期待に満ち溢れた表情で美幸に声をかけてきた。
「ところで……、藤宮さん?」
「はい、何ですか?」
「その……、藤宮さんは優治とお付き合いされているんでしょうか?」
「はい?」
いきなり言われた内容に美幸と城崎がピシッと固まったが、途端に焦った声が割り込んだ。
「お義母さん! 藤宮さんが付き合ってるのは、この城崎さんだから!」
「今もデート中なのよ? すみません、母が変な事を言いまして」
「そうなの? まあ、申し訳ありませんでした」
(う……、何だか妙に罪悪感。さっきから思ってだけど、高須さんのお母さんって、未亡人で社長さんにしては線が細い感じなのよね。家と職場では性格が変わるタイプなのかな?)
娘夫婦の狼狽しながらの説明に、友子は途端に項垂れながら頭を下げた。そして思わず考え込んだ横で、城崎が素朴な疑問を呈する。
「差し支えなければ……、どうして高須君と美幸が付き合っていると思われたか、教えて頂けませんか?」
すると友子は、言いにくそうに話し出した。
「それは……、入社以来優治がする職場の話では、滅多に女性の話が出て来なかったんですが、この三ヶ月位『一緒に食事をしてきた』とか『映画を見て来た』って言う話の中に、藤宮さんって方の名前がチラホラ出てきてまして。去年入った後輩の方の名前だったので、てっきりお付き合いしているかと……」
尻つぼみにそんな事を言ってから肩を落としてしまった友子に、その場の空気が何となく重くなる。
(あぁ……、何かもの凄くがっかりしてる。そうだよね。家の事が原因で手酷い失恋した後、女の人と浮いた話の一つも無かったら、親として心配するよね?)
すっかり友子に同情してしまった美幸は、居住まいを正して断言した。
「あの、それは恐らく、私の姉の事なんです。すぐ上の姉が今年の一月から柏木産業の法務部に勤務していますので」
美幸がそう言った途端、高須家の三人は一気に顔つきを明るくした。
「え? そうなんですか?」
「本当に?」
「藤宮さんも可愛いけど、お姉さんも美人かな?」
「淳! あんた相当失礼よ!? 見ず知らずの人について尋ねるのに、まず容姿の事って失礼でしょうが!」
「いって! すみません、純粋な好奇心で」
妻に容赦なく頭を叩かれた淳が、自分に向かって律儀に頭を下げて来た為、美幸は力強く頷いた。
「はい、文句無く美人です。高須さんより一つ年上のバツイチですけど」
「…………」
今度は高須家の三人がピシッと固まり、城崎が本気で頭を抱える。
「藤宮、お前な……」
「隠してたっていずれバレるじゃないですか。この際ドーンと現実をぶつけて、皆さんの反応を窺います」
「……もう俺は知らん」
そんな小声でのやり取りを見て、友子が恐る恐る声をかけた。
「あの、藤宮さん、何か?」
そこで美幸は三人に向かって真剣な顔で口を開いた。
「実は今日ここに来たのは、高須さんに内緒で皆さんの意見を聞く為なんです」
「私達の意見?」
「はい。高須さんの結婚相手として、年上のバツイチ女は認められませんか?」
「あの、そう言われても、色々事情はおありでしょうし……」
「それは今から私が説明します。それを聞いた上で判断して下さい」
「はぁ…」
どこまでも真顔の美幸に気迫負けした様に三人は押し黙り、美幸は美野の前夫との離婚騒動や、前年高須と知り合う事になった事件の経過を洗いざらい語った。そして今現在の状況の説明で締め括る。
「……そんな訳で、その騒動の謝罪に来た時に課長に仲介をして頂いて、うちの法務部に再就職してから高須さんとお付き合いする様になったらしいのですが、お互いに色々引け目が有って、周囲にそのことを漏らしていないらし」
「何ですか、その屑野郎はっ!!」
「え?」
いきなりテーブルを叩きつつ激昂した淳に、美幸は思わず口を閉ざした。
「藤宮さん、そいつのヤサを教えて下さい! 今すぐボコって二度と妙な真似できない様にしてやろうじゃねぇか!」
「甘いわ、淳! そんなゴミ、恥ずかしい写真を撮り捲ってネットに流出させて社会的に抹殺した後、重しをくくりつけて東京湾に沈めて、実際にこの世から存在を葬り去る位しなさいよ!」
「あの、お義兄さんもお姉さんも、少し冷静に……」
更に、冷や汗を流す美幸の前で義憤に駆られている娘夫婦とは異なり、友子はポケットからハンカチを取り出してシクシクと泣き始めてしまう。
「……ふぅぅっ、なんて酷い……、その美野さんがお気の毒……、うぅっ……」
そして(これをどうする気だ?)と城崎から呆れ気味の視線を向けられてしまった美幸は、何とか友子達を宥めようとした。
「あの……、お母さん。本人はもう気にしてませんから。ただ過去にそういうトラブルもあった姉なので元々消極的だった性格に拍車がかかった上、高須さんと付き合ってても色々言われるのが嫌で自分から口にする事は無くて。そういう面倒な人間が息子さんの交際相手って言うのはどうなのかな、と……」
そこで美幸がいったん言葉を区切ると、友子は何とか涙を押さえて顔を上げ、真正面から美幸の顔を見据えながら口を開いた。
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