猪娘の躍動人生

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1月(1)人生の汚点

公開日時: 2021年9月9日(木) 21:22
文字数:3,838

 正月休みが明けて通常勤務になった日、美幸は玄関を出るなりガッツポーズをしつつ、力強く叫んだ。


「うふふふふ……。完・全・復・活!!」

「朝から玄関先で変な雄叫びを上げないで。行くわよ?」

「あ、待ってよ!」

 呆れた様に声をかけて横をすり抜けて行った美野の後を、美幸が慌てて追いかける。そして最寄駅に向かってゆっくりと歩き出しながら、美野は隣を歩く妹に目をやりつつ、しみじみと述べた。


「だけどなんとか年末までに、ギプスが取れて良かったわね。すぐに年末年始休に入って、その間家の中でじっくりリハビリできたし」

「本当。右足だけ細くなっててびっくりよ。当分は走ったり、激しい運動は禁止だしね」

「通勤にも気をつけてよ? 今日から車での送迎を断ってあるんだし」

 心配そうに釘を刺してきた姉に、美幸は反論できなかった。


「本当にこの間、係長に凄い迷惑をかけてたわ」

「クリスマスの時も……。美子姉さん達が和やかにクリスマスパーティーをしている隣の部屋で、お父さんと美幸と城崎さんで、さながらお通夜状態だったのよね?」

 後から聞いた内容を美野が思い返していると、美幸が思わず文句を口にした。


「うもぅ~っ! 美野姉さんったら、高須さんと食事してくるって言って、待てど暮らせど帰って来ないし! 絶対半分はそれのとばっちりだったわよ?」

「それに関しては、ちょっと責任を感じているわ」

 本気で申し訳なく思っているらしい美野の台詞に、美幸は早々に怒りを引っ込めた。


「それは良いんだけどね。そもそもお父さんとお義兄さんは滅多に早く帰って来ないのに、係長が夕飯を食べに来ていた間、どちらかは必ず家に居るんだもの。どう考えてもおかしくない? 師走だって言うのに」

 その訴えを聞いた美野は、幾分困った様に曖昧に笑った。


「それは……、やっぱり美幸は末っ子だから、心配って事なんじゃないの? 愛されてるわよね」

「そんな暑苦しい愛は嫌……」

 心底うんざりとした表情になった美幸に失笑しつつ、美野は妹を宥めて駅へと向かった。


 その日、城崎と仕事帰りに食事を共にする約束をしていた美幸は、予定通り連れ立って社屋ビルを出て、地下鉄で三駅移動した焼肉屋に移動した。

 当初靴を脱いで上がるタイプの店だった為、座敷で正座だと今の足では正直きついかもと懸念した美幸だったが、案内された席がテーブルの下が掘り下げてあるタイプであり、安心して座る事ができた。


「それで、係長」

 取り敢えずの注文を済ませてから声をかけると、鋭く城崎から突っ込みが入る。


「仕事は終わったんだし、どうせだから名前で呼んで貰えないか?」

「ええと……、城崎さん? 奢って下さると言う話でしたが、改めて快気祝いをして頂かなくても良いですよ?」

「勿論、ギプスが取れたのを祝う名目もあるんだが、この間色々と蓄積していた精神的疲労を解消する面でも、飲むのに付き合ってくれたらありがたいな」

 苦笑しながらそんな事を言われた為、美幸は手にしていたメニューを閉じ、神妙に頭を下げた。


「喜んで、お付き合いさせて頂きます」

「あ、ただ治りが悪くなるかもしれないから、美幸はあまり酒は飲まないで、しっかり食べる事」

 そんな事を真顔で念押ししてきた為、美幸は思わず笑ってしまった。


「治り具合に飲酒って関係あるんですか? でも美味しそうなのが目白押しなので、今日は食べるのに専念しますね」

「そうしてくれ。俺だけ飲ませて貰うのは、心苦しいが」

「いえ、せっかく来たんですから、私に気にしないで飲んで下さい。でも、今日は車じゃ無いんですか?」

「以前の電車通勤に戻ったからな。車だと道の混み具合が読めない事があるし」

「そうですよね」

 そう納得して頷いてから、思わずこの間の事を思い返した。


(本当にお義兄さんに言われて、課長代理と浩一課長と相談した結果とは言え、車を買わせてひと月送迎させるなんて、なんて無茶を……)

 そしてビールと烏龍茶で乾杯してから、早速網で肉を焼き始めた美幸だったが、舌鼓を打ちつつ何枚か食べたところで、ふと思い出した事を口にした。


「そういえば、この間ちょっと気になっていた事があるんですが」

「何だ?」

「城崎さんって、課長代理とは大学時代の先輩後輩の関係って言ってましたけど、それだけじゃ無いですよね? 絶対服従っぽいですし」

「……先輩後輩ってだけの間柄だが」

 何気なく話題に出しただけなのに、不自然に目を逸らされながら返された為、美幸は疑念を深めた。


「どうして目を逸らすんですか」

「…………」

「それで、年末年始の休み中に色々考えてみたんですが、何か弱味を握られていませんか?」

「…………」

「例えば……、入院中に課長代理が『見舞い』と言って持って来た、写真らしき物とか……」

「…………」

 考えながら美幸が口にした内容を聞いた城崎は、血の気の引いた顔になって俯いた。さすがにそこまでの反応は予想していなかった美幸が、慌ててフォローする。


「あ、あのっ! 本当に何かは見てないですからね!? 見ても軽々しく口外するつもりはありませんし!」

 焦って美幸が弁解しても、城崎はそのまま暫く無言を保ったが、美幸がどうしようかと困惑し始めたところでぼそりと告げてきた。


「……暗黒道場の終了儀式」

「はい?」

 何か聞き間違ったかた困惑した美幸だったが、辛うじて記憶の中から同じ言葉を引っ張り出した。


「ええと、確か……。蜂谷の性格矯正の騒ぎの時に、チラッと言っていたあれの事ですか?」

 それに無言で頷いてから、城崎は重い口を開いた。


「ルール無用のバトルロイヤル。会場内に最後まで残ってしまった人間が、罰ゲームを受ける事になっていて……」

「……負けたんですね」

 不自然に言葉を途切れさせた城崎の表情と口調から、その結果を容易に推察した美幸が確認を入れると、城崎は再び無言で頷いてから説明を続けた。


「技量とか体力だけだったら何とかなったと思うが、皆、揃いも揃ってあんなえげつない心理戦をしかけてきて……。一番良識派だと思っていた柏木先輩に真っ先にしてやられて、暫く人間不信に陥ったな。後から、本当に申し訳なさそうに謝られたが」

(柏木先輩って……、浩一課長の事よね? 城崎さんの大学時代に、一体何があったの?)

 話の内容に唖然としながらも、美幸は話の先を促してみた。


「それで……、因みに罰ゲームと言うのは……」

 恐る恐る問いかけてみた美幸の耳に、ここで予想外の単語が飛び込んでくる。


「女装」

「へ?」

「更にその恰好のまま、ある先輩の催眠術の実験台」

「は?」

「その挙句、そのまま夜の繁華街に繰り出して、往来のど真ん中で派手に歌って踊って、絡んできた酔っ払いオヤジを三人ほど路上で押し倒して、ズボンを戦利品として問答無用で脱がせて、それを頭に被って先輩達と相撲を取っていたところで、駆けつけた警官に逮捕されかけて逃亡した」

「……まさかそれらの一部始終を撮られて、現物が課長代理の手元に残っていると?」

 表情を消して淡々と説明した城崎が、無言でこくりと頷いた。その顔を凝視してみると両眼にうっすらと涙が浮かんでおり、そんな打ちひしがれている城崎を見て、美幸の口元がひくりと緩んだ。


(うわ、何それ? 面白そう、もの凄く見てみたい! でもここでそんな事笑って口にしようものなら、絶対係長が傷付く……、と言うか、下手したら再起不能。笑っちゃ駄目よ、美幸堪えて!)

 必死で自分自身に言い聞かせ、できるだけ真面目な顔を取り繕った美幸は、声が震えない様に細心の注意を払いながら、相変わらず項垂れている城崎に声をかけた。


「あ、あの……、係長、じゃなくて、城崎さん。あまり気に病まない方が良いですよ? 確かに表に出たら拙い物だとは思いますけど、城崎さんには女装癖なんか無いし、人一倍常識的な人なのは分かってますから」

 すると城崎は、ゆっくりと顔を上向かせながら尋ねた。


「……そう思ってくれるか?」

「勿論ですよ。ほら、気分を直して食べて飲んで下さい。食事は美味しく食べなきゃ駄目です!」

「ああ、そうだな……」

「あ、おねーさん! 生中のおかわり持って来て!」

 まだ周囲に重苦しい空気を纏っている城崎の気分を盛り上げるべく、美幸は意識的に明るい口調を心がけ、にこやかにビールを勧めた。彼はそれを、言葉少なに飲み進める。


(そんな涙目になりながら、ぐいぐい飲まなくても。大丈夫かしら?)

 気晴らしにと勧めつつも、通常よりも早いペースで飲んでいく城崎を美幸は心配していたが、案の定、美幸が満腹になる頃には、彼は相当酔いが回った状態になってしまった。


「無理しないで、今日はすぐ休んで下さい。でも本当に送って行かなくて大丈夫ですか?」

 足取りも怪しい状態の城崎の為に、美幸は店の前の道路にタクシーを呼び、手を貸して乗せながら確認を入れたが、城崎は苦笑いしながら言葉を返した。


「そんな事をさせたら、先輩からの嫌味だけでは済まなくなるからな。こっちこそ、送っていけなくてすまない」

「私は全然飲んでないから大丈夫です。心配しないで下さい。じゃあ運転手さん、お願いします」

 そうして城崎を乗せたタクシーを見送ってから、美幸は深い溜め息を吐いた。


(あれはよっぽど、精神的にきてたわね)

 そんな風に心底申し訳無く思いつつ、先程聞いた話の内容を思い出した美幸は、無意識に悪態を吐いた。


「だけど本当に、課長代理ってろくでもないわね。課長の美点が、あの男と結婚した事実だけで、全部帳消しになりそうよ」

 そんな事をぶつぶつと呟きながら、美幸は無事自宅に帰り着いた。


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