「第1話 絶望への序章」のラストより少し前のお話。
召喚される生徒たちの日常をお送りします。
「さて桐春、今朝もHRまでの限られた時間を使って、ボクと有意義に語らおう」
「お題は?」
「メインヒロインの定義について」
隣の席で目を爛々と――と言っても、その片方は、真っ黒なぱっつん前髪で隠れているが、とにかく楽しげに目を細めているクラスメイト、由々敷睦琴が題目を告げた。
「興味深いテーマだけど、そういうのって、女子から振るようなネタか?」
「別に性的要因を押し出すつもりはないさ。もちろんセックスアピールもヒロインには重要な要素だと思うけれどね。そのあたり、有埜ならどう思う?」
俺を間に挟んだ奥の席で、机を抱きしめるように突っ伏している、気だるげなイケメン――いや、美少年か。そっちの方がしっくりくる――に睦琴が意見を求めた。
「オレ、そういうのわかんね」
「聖士郎に訊いても無駄だぞ。こいつ、萌えとか理解できない、にわかヲタクだから」
「にわかって言うな。……1限始まるまで寝る」
有埜聖士郎。
怠惰な振る舞いすら絵になるこいつのファンは多い。今も教室にいる女子らが色めき立ち、寝顔を盗撮しようと、聖士郎に向けてスマホを構えている姿がある。俺が撮影の範囲に入るとゴミを見るような目と舌打ちが飛んでくるので、軽く仰け反ってスペースを空けておく。
夢の中へと旅立った聖士郎は放っておき、お題に戻る。
「睦琴は、性的要因の他に、ヒロインには重視すべきものがあると考えているわけか?」
その質問に対し、「いかにも」と、十六歳の女子高生らしからぬ頷きが返ってくる。
「一概にメインヒロインと言っても、キャラクターの性格、容姿、背景、果ては生物としての種族まで作品によって千差万別だ。にもかかわらず、他に女性キャラが何人いようと、大抵は破綻することもなく、一度メインヒロインと見なされたキャラは、その座を当たり前のように確立して物語は進む」
これに対し、俺はすかさず異議を申し立てた。
「『魔法少女アシッド☆レモン』を例に挙げるなら、メインヒロインの芦戸檸檬(小五)より、ツンデレ属性のサブヒロイン、橘来夢(中二)の方が俺は好みだ。小学生設定の芦戸檸檬ではロリすぎる。未成熟故の輝きを加味したとしても、そこに女性らしい色気が備わらない限り、俺の食指が動くとは思わないことだ。触手が蠢くのは大歓迎だけどな」
「上手いこと言った、みたいな顔をしているところすまないが、個人の嗜好は問題視しない。桐春も、メインヒロインが芦戸檸檬だということにまで異を唱えるつもりはないんだろう?」
それは、まあ……と曖昧に頷く。
「何故そのような現象が起こると思う?」
「作者が、メインヒロインにしたいと思うキャラを贔屓しているからだろ?」
「もちろん、全ては作者の掌の上だ。では何をもって贔屓とするか。そこに焦点を当てたい」
「作画とか?」
「どの作品を思い浮かべてくれてもいいが、メインヒロインとサブヒロインに、一目でそれとわかる差があるかな? ああ、誰がメインヒロインなのかあやふやで、攻略キャラが複数いるエロゲーは対象外で考えてくれ」
「ちょい待て。俺がエロゲーをやっている前提で話すな。というか、なんでエロゲーなんだ。せめてギャルゲーだろ。俺は高一だぞ。年齢制限のあるゲームをやれるかよ」
「ボクは不動桐春という人物が、ギャルゲーで満足する男だとは思っていないからね」
「一瞬、褒められたのかと思って喜んだわ」
「ともあれ、エロゲーを対象外とするなら、ギャルゲーだって対象外では? ギャルゲーは、エロゲーからエロを抜いただけの下位互換でしかないのだから」
「ギャルゲーもメインヒロインがあやふやだって点には同意するが、ギャルゲーがエロゲーの下位互換ってのは聞き捨てならないな。お前ともあろう者が、勉強不足なんじゃないか?」
「その心は?」
「最初から公式でエロを用意されているキャラよりも、全年齢向け作品のキャラが、イラストサイトやら同人誌やらでニャンニャンするのを見る方が、圧倒的に興奮するだろうが」
力強く言い放つと、睦琴は雷に打たれたかのように、隠れていない片目を見開いた。
「なるほど、目から鱗が落ちた思いだ。さすがは桐春」
「わかってくれたか」
「しかし、その手のサイトや同人誌もエロゲーと同じく、結局は年齢制限があるのでは?」
「そういう見解もあるってだけの話だ。俺は法に触れていない」
「ということにしておいてほしい?」
「しておいてほしい」
「脱線してしまったな。話を戻そう。各ヒロインで、作画に明確な差異があるか否か」
問われ、改めて思考を巡らせる。芦戸檸檬と橘来夢の作画は言うに及ばず。他にも、適当に頭の中で漫画とアニメを漁って、十秒ほど比較に勤しむが、答えは全て同じだった。
「そうでもないな」
「だろう?」
「だったら、出番の多さで贔屓しているとか?」
「出番か。うん、メインヒロインの出番は多い。これはまぎれもない事実だ」
睦琴が、お手上げとばかりに肩をすくめた。
「メインヒロインの条件、イコール出番の多さ。これが結論か?」
「いや。ボクは、あえて違うと言いたい。例えば、昨年2クールで放映された『怪盗キャットオブナインテイル』――あれはクール系美少女がメインヒロインだった。しかし、思い出してほしい。あのアニメには、メインヒロインよりもはるかに主人公に近いポジションに居座った女性キャラがいたはずだ」
「…………。いたな。主人公の幼馴染か」
「そう。家が隣同士で二階のベランダ伝いに互いの部屋へ行き来が可能。しかも、人当たりが良く家事も万能。誰かが困っていたら見過ごせないお節介焼き。加えて、この幼馴染の正体もまた怪盗の一人だったという濃い設定まである。セリフ量だけを見るなら、メインヒロインの十倍は喋っていた。にもかかわらず――」
「メインヒロインは、クール系美少女の方だと、誰一人として疑わない」
俺は食い気味に睦琴の言葉を継いだ。
「然り。どうしてだと思う?」
「…………。もったいぶらずに教えてくれ。お前なりに結論を出しているんだろう?」
教えを乞うように言うと、睦琴は口を弓形にして微笑んだ。
「ボクの考えるメインヒロインの条件、それはいたってシンプル。その作品中に、名前込みで最初に登場した女性キャラかどうかなのだと思う」
「最初に登場したキャラかどうか? それだけか?」
「そこにセリフがあったかどうかは関係ない。ワンカットで十分。刷り込みのようなものだ。読者や視聴者には、最初に出てきた女性キャラを、メインヒロインだと思い込む習性がある」
…………言われてみれば、あの漫画も、あのアニメも、あのラノベも。
絶対的な法則とまでは言わずとも、かなりの高確率で睦琴の理に当てはまる。
「その顔は、同意を得られたと見ていいかな?」
「ああ、盲点だった。お前の意見に賛同する。勉強になったよ」
また一つ、この世の真理に近づいてしまった。
「となると、こう考えることもできる。もしも、桐春を主人公とした物語が、今この瞬間から開幕したとしたら、そのメインヒロインの第一候補は、ボクということになるわけだよ」
「ないわ。俺、お前のこと、良い意味で女子だと思ってねーし」
ぱたぱたと煙を払うように手を振り、ノーシンキングで否定した。
ヲタクを隠さない俺の交友関係は、極めて狭い。いじめられたりとかはしないけど、陰口を叩かれることは日常茶飯事。そもそも、積極的に関わろうとしてくる奴がいない。
そんな中でいて、小学校から付き合いのある睦琴と、中学で仲良くなった聖士郎は例外だ。
特に睦琴。女子なのに、親友と言えるくらいに気が合う。気が合いすぎて、異性だと忘れることも少なくはない。俺にとって睦琴という女子は、男女仲がどうのといった気持ちが微塵も介在しない、生涯の友的存在なのだ。
「そんなことを言いつつも、頭の上には四角い枠でナレーションが出ているんじゃないか?」
「ナレーション? どんな?」
『俺の名前は不動桐春。どこにでもいる普通の高校一年生だ』
『趣味はアニメ鑑賞。夕方のアニメに間に合わなくなるから部活はやっていない』
『こっちの美少女は由々敷睦琴。小学校からの仲で、高校でも奇跡的に同じクラスになった。しかも、隣りの席だ。思わず運命を感じてしまった』
『俺たちは、いわゆるヲタク仲間というやつだけど、ここだけの話、この片目隠れボクっ娘に俺は片想い中だったりする。同じ高校に入ったのも、この美少女を追いかけてのことだ』
『しかし、今の関係が壊れてしまうのを恐れ、もう一歩を踏み込んでいけない』
『何せ彼女は才色兼備が人の形をしているといっても過言ではない。すらりとした体型ながら出るところは出て、くびれているところはくびれている、モデルのような美少女なのだ』
『自分のように冴えないヲタクと彼女みたいな美少女では、全く釣り合いが取れない』
『夜な夜な彼女を偲び、妄想の中で一人ハッスルするしかできないヘタレ、それが俺だ』
「――みたいな?」
「捏造すんな。あと、自分で美少女言いすぎだ」
「確かにボクは可愛い系ではないけれど、プロポーションには、そこそこ自信があるよ」
ことさらに腰の細さを強調し、睦琴が艶めかしく身を捩った。
片目隠れ&ヲタクな女子。これだけを聞けば、地味で暗い印象を想像されるかもしれない。睦琴自身、面倒事――特に色恋の絡んだあれやこれやを避けるため、進んでそう思われようとしている節があるが、可愛い系でなくとも、美人であることは片目ほども隠せていない。
「スタイルがいいのは認めるけど、そこじゃねーんだよ」
「桐春は、三次元女子に興味がないのか?」
「超あります。ただ、もし二次元女子が現実に出てきたとしたら、三次元女子なんて足元にも及ばないと、心の底から思っているだけだ」
「ヲタクの鑑だね」
「そのヲタクと真っ向から語り合える変人は、世界広しと言えども、お前くらいだぜ」
「さすがに過大評価だよ」
イェーイ、とハイタッチ。特に意味はない。
「ともあれ、今の話を通してボクが言いたかったのは、桐春の人生は桐春のもので、主人公は桐春自身なのだから、悔いのないよう、それでいて誇り高く生きてほしいということだ」
そんな高尚な話をしてくれてたの? ごめんね、毛ほども気づかなかった。
本気か冗談かわからない人生アドバイスを適当に流していると、ウェストミンスターの鐘の音が鳴った。そして一秒の差もなく、担任の久慈林賽子先生がHRのため教室に入ってくる。
睦琴が会話を切り上げ、椅子を黒板に向けて座り直した。
聖士郎は……まだ起こさなくていいか。1限目が始まるまで寝るって言ってたしな。
俺も真面目にHRを聞く気はなく、本日も豊かな久慈林先生のお胸をウキウキウォッチングしながら、睦琴が最後に言った台詞を何気なく思い返した。
――誇り高く生きてほしい。
んん~~~~~。悪いけど、ご期待に沿えそうにないわ。
漫画や小説みたいに、異世界の騎士にでも転生して、崇高な使命やらを負ったら違う未来があるのかもしれないけど。この平和な国で平凡な暮らししかしていない俺が、クラーク博士の名言に感化されて大志を抱くことなんて、あり得ないと断言できる。
というか、周りにそんな奴いる? いないでしょ。いたとしても、せいぜい「将来なりたいものは――」程度のものだ。それはそれで立派だと思うけど、そこに誇りとかは関係ない。
とにかく、俺の知り合いにはいない。珍しさだけで言うなら、ボクっ娘や、女に全く興味を示さない男子高校生と比べて、どっちがレアか甲乙つけがたいところではあるが。
やっぱ、物を言うのは環境だろうさ。
俺もね、モンスターとかいる異世界に行ったら、さすがに本気出すと思うよ?
たぶんね。いや、でも、うーん、どうだろう……。
想像できん。異世界に行きたいなんて思ったこと、一度もないからな。
確かに、異世界という言葉の響きには胸の高鳴るものがある。ジャンルとしては大好きだ。俺だって男だし、凄い力を手に入れて、異世界ヒャッハーには多少なりとも憧れる。
だけど、実際に異世界召喚されたいかというと、話は別だ。
何故かって? 俺はこの世界を愛しているからだ。
少なくとも、俺が暮らしている日本では戦争がない。親は普通に働いているので衣食住にも困らない。何より、スマホにパソコン、インターネットという、素晴らしい発明がある。
たった2人だけど、気の合う友達だっている。
そんな恵まれた環境でぬくぬくと生きていながら、なんの不満があろうか。
スリルとアドベンチャーなんてものは、命の危険もなく、安全を確保した上で、無責任に、ほどほどの覗き見体験で済ませるからこそ、娯楽足りえるのだ。
旅行気分で二泊三日なら行ってもいいかな、くらいには思うが、異世界で暮らしたいなんて思ったことは、マジでただの一度もない。異世界召喚? お断りだね。
誰にともなく鼻を鳴らし、誰に憚ることもない特大の欠伸をした。
口をむにゃむにゃと動かし、欠伸のせいで浮かんだ涙を手の甲でこしこしと拭う。
そして、次に目を開けると――
「………………………………え?」
広がっていたのは、見慣れた教室の風景ではなかった。
パチパチと目を瞬かせ、何度も目蓋を擦るが。
右を見ても、左を見ても。
下を見ても、上を見ても。
真っ白。作成したばかりの新規文書みたいに白一色。
「なん、だ、これ……」
欠伸一回の間に、教室の景色が一変していた。
黒板も無い。掃除用具が入ったロッカーも無い。窓もカーテンも、壁や天井すら無い。
距離感を狂わせるほどに、白しかない空間。
グラスや食器を倒すことなく、テーブルクロスだけ一瞬で引き抜いたみたいに、机と椅子、そして、教室にいた人間だけがそのままだ。
学校主催のゲリライベントが頭を過ったが、即座にそれを否定する。担任の久慈林先生も、俺たち生徒と同じように唖然とし、視線を右往左往させている。
何が起きたのかわからない。肌に触れる空気、温度と湿度と匂いが、屋外へ出たみたいに、空調の効いていた教室のそれとは別物だ。
明らかに異常事態。こういう時、現代の若者が取る行動は決まっている。
ネットで地震速報を調べるように、外部との連絡を求めて、とりあえずスマホを取り出す。俺もその例に漏れず、定位置である胸ポケットに手を伸ばすが――
「あ、れ?」
空だった。ズボンのポケットも探してみるが、滅多に使わないハンカチしか入っていない。他の奴らも、身体をあちこちまさぐったり、机の下を覗き込んだりしているけれど、スマホを手にできている者はいない。黒板やロッカーと同じように消えてしまった。
そして異常な出来事は続く。
そいつは空から降りてきた。
一七〇センチ近い背丈を超えそうな金色の長髪を揺らし、天女を思わせる純白の衣を身体に巻きつけた女がゆっくりと下降してくる。俺たちの視線を一身に集めた女は、そのまま教壇の上に着地した。遅れて金髪が重力にとらわれたかのように、真っ直ぐに下を向く。
胸元の露出が大きい恰好は扇情的で、息を呑むほどの美人だ。
だけど、俗っぽい感情が全く湧いてこない。どうにも、同じ人間を見ている気がしない。
『はじめまして。わたしは創造主の女神テラと申します』
頭が可哀想に思える発言を平然と口走った女の微笑は、優しさに満ちている。
それなのに、気味が悪くて仕方がなかった。
あの目。あれは人間に向けていいものじゃない。昆虫をカゴの中に入れて眺めているような眼差しとでも言うか、とにかく圧倒的な高みから見下ろされている不快感しかない。
『突然なのですが、今から皆さんには異世界の魔物と戦っていただきます』
それは耳元で囁かれたかのように。
……いや、むしろこめかみにアンプを繋いで、直接脳に語りかけられたと錯覚するほどに通りの良い美声だった。
にもかかわらず。
俺にはがらがらと、日常が崩れていくノイズにしか聞こえなかった。
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