「ぐ……んぅ……」
殴られた頭がズキズキと痛む。
が、痛いのは生きている証拠。どうやら、トドメを刺すのは思いとどまってくれたらしい。
どれくらい気を失っていたんだろうか。
目を開けて緩慢に上体を起こし、周囲の様子をぐるりと確認した。
白い世界なのはそのままだけど、ずいぶんと人数が減っている。もう10人もいない。
正確には、俺以外に5人だけ。俺をフクロにしてくれた奥田や神足の姿もない。
気を失っている間に、さっさと異世界に移動したんだろうか。顔を合わせてもロクなことにならないだろうから、置いてけぼりを食らったとしても、その点は少し安心した。
それはそれとしてだ。
そんなことよりも、直近で気になっていることがある。
「お前ら、何してんの?」
女子が2人、俺に向かって並んで土下座していた。
いや、ほんと何事? クラスメイトの女子を土下座させて悦ぶ趣味とかないんスけど。
一人は、俺が身を挺して戦犯の汚名から庇った相手――川尻恋姫。
小学生でも通る見た目の川尻にそんなことをされてしまうと、自分が鬼畜外道にでもなった気がして冷や汗すら浮かんでくるので本気でやめてくださいお願いします。
そしてもう一人は誰かと思えば、いったいどんな心境の変化があったのか、俺を鉄パイプで撲殺しようとした張本人――鬼ヶ島戦だった。
名前にまで気性の荒さが表れていそうな強イメージだけど、あれだ。風が『そよぐ』とか、この漢字を使うらしい。それを知っていれば、まあ……可愛い名前だと思わなくもない。
「きりはるくん、ごめんなさい! ごめんなさい! わたしのせいで、ごめんなさい!」
川尻が地面に額を擦りつけたまま、しきりに謝罪の言葉を口にした。
わたしのせいで。
「ゴブリンのレリーフに触れたのは、やっぱり川尻だったのか」
「ごめんなさい……。あんなことになるなんて、本当に……思わなくて……言い出せなくて」
「気にすんなって。あれは誰も予想できないわ。それにゴブリンが最悪だったかって言うと、俺はそうは思わない。他にもっとヤバいのだって、絶対いたはずだし」
「でも、わたしの代わりに、きりはるくんが悪者に……」
「ただのついでだよ。俺が勝手にやっただけだ」
気に病まないよう軽い調子で言ったつもりだけど、地面に両手をついたまま持ち上げられた顔は、今にも泣き出しそうに見えた。
「川尻の方はわかるとして、鬼ヶ島は、なんで土下座してんだ?」
こっちは申し訳なさに潰されそうってことはないが、バツが悪そうに頬を掻いた。
「や、あんね、たかし状況やばたんピーナッツだったからまぢイモったわけ。そんでピッカンきたんでとりまポコパンかます振りしてソクサリ狙ったわけだけど、ちゃけばいきすぎだったかもーって。割とガチめのめんごな感じ?」
「日本語で頼む」
「萎えぽよー。フツーに日本語だしー」
普通ってなんだろう。ギャル語はヲタ語に通じるものがあると思っていたが、青森の津軽弁並みに難解だった。特に前半。どこからピーナッツが出てきたんだよ。
「だからー。不動が恋姫のこと庇ってくれてんのはすぐにわかったんだけど、あのままだと、まぢに殺されかねないかもだったじゃん? そうなる前に、アタシがそれっぽく見えるようにボコれば、みんなのおこメーター下げられるかもって思ったわけ。実際テンサゲ成功したけど頭ガチコンしたのは悪かったし、とりまごめんなさいしとくのは、なしよりのありかなって」
まだところどころ日本語が崩れているものの、さっきに比べれば充分聞き取れる。
「頭は痛いけど、鉄パイプで殴られたのに、痛いで済んでるのはそのおかげか」
「こう見えてアタシ、小学生の頃に半年くらい剣道習ってたし」
それを自信にして事に及んだと言うのなら、もう二度とやらないでいただきたい。
「あー、それと、アタシは死んでないかんね。笛吹が逃げた時に、恋姫の手引っ張って一緒にトンズラこいたから。逃げたことについては、悪いとか思ってないし」
「ああ、別に思わなくていい。誰だって、自分と大事な人間を優先するし、そうするべきだ」
「だよね。はげどー」
「なんにせよ、そういうことなら謝罪もいらない。むしろ、礼を言うのは俺の方だ」
「お互い様っしょ。恋姫を守ってくれて、まぢMK」
「MK?」
「まぢ感謝って意味」
「それだと、まぢが重複してるだろ」
「細かいこと気にすんなし。恋姫もちゃんと謝ったんだから、もう下向くのやめな」
鬼ヶ島の言葉に俺も頷きで同意を示す。
俺と鬼ヶ島の顔を何度か往復させた後、川尻は自分の頬をむにむにと揉んだり引っ張ったりして、硬くなっていた表情を解した。そうして大きく頷き、俺としっかり目を合わせた。
「きりはるくんありがとう。このお礼は必ずするわ。わたしにできることがあればなんでもするから、遠慮なく言ってね!」
「あんまり気に病むなよ」
だから、冗談でも思春期の男子に「なんでもする」なんて言っちゃダメだ。
もちろん、俺は紳士なので、見た目幼女の川尻相手に変な命令をするつもりなんてないが、これが漫画やアニメだったら、今のをネタに薄い本が量産されてしまうところだぞ。
俺の思考を敏感に察していると思しき親友の視線を感じたので、咳払いを一つ。
「んんっ。睦琴、俺が気絶していた間の状況を教えてもらえるか?」
「すまないが、説明を求めるのは、先にこちらがさせてもらおう」
「そうだぞ。ちゃんと説明しろ。由々敷の言ってたことは本当なのか?」
「不動くん、そうなの?」
川尻と鬼ヶ島以外で、この場に残っていたのは、睦琴と聖士郎、そして久慈林先生だった。
三者三様。睦琴は呆れ、聖士郎は怒り、久慈林先生は悲しそうにしている。
「なんの話だ?」
「ボクの推測を皆に話した。桐春、これだけは確認しておくぞ」
睦琴の声にほんの少し、不機嫌さが混じっている気がした。
「先ほどの体験学習だが、終了の条件は、ゴブリンを倒すことではなかったんだな?」
ギクリとした。睦琴は自分の考えを確信しているのか、俺に真意を求めているというより、ただ認めるのを待っているようにも見える。
「……どうして、そう思う?」
「一つ、女子たちを捕まえていたゴブリンだが、ボクの目算では11匹だった。奥田と桐春が1匹ずつ倒してはいるが、それでも半数には足りていない」
「数えてたのか」
「二つ、1発しかない魔法を雑魚ゴブリンに使うより、ボクと久慈林教諭を捕えていた大物を倒しておいた方が、確実に敵戦力を削げたはずだ。あの1匹を残しておく限り、訪れる悲惨な未来は同じだろうからね。それを桐春が想像できなかったとは思えない」
「単に、お前に魔法をぶっ放すのを躊躇っただけだよ」
「嘘だな。桐春にはわかっていたはずだ。味方に魔法で焼かれ、苦痛から解放されることと、ゴブリンの慰み者になり、絶望しながら生き永らえること。ボクがどちらをマシと考えるか」
その言い方は、ちょっとずるい。
折を見て睦琴たちにだけは話すつもりでいたけど、こんなに早く……いや、たぶん睦琴は、俺が真相を隠そうと考えた、その瞬間から気づいていたのかもしれない。
「三つ」
「まだあるのか?」
ここで睦琴が見せた表情は、呆れ、怒り、悲しみ、そのどれとも違った。
「……桐春は、意外と顔に出る」
「そうかな。自分じゃ、ポーカーフェイスは得意な方だと思ってるんだけど」
「なら、付き合いが長いせいだろう。何か隠しているのはすぐにわかった」
「さすがは親友だな」
「そうだ。だから、あまり一人で背負い込まないでくれ。気を遣ってくれたのは嬉しいけど、親友としては、少し複雑だ……」
――寂しい。睦琴の表情にあえて感情をあてはめるとするなら、それが一番近い。
睦琴にそんな顔をさせてしまったことが、奥田のパンチなんかよりもずっとこたえた。
「……悪かった」
自分の独りよがりでしかなかったことを、睦琴と、聖士郎にも謝った。
「奥田たちには?」
「ここにいる者以外には話していない。ボク的には、桐春が罪の意識を感じる必要などないと思うし、全て明かして、早々に異世界へ行ってしまった薄情な連中にも土下座させてやりたいところではあるが、そんなことをしたら、せっかく桐春が体を張った意味がなくなるからな」
ホント、こいつは……。察し良すぎて軽くビビるわ。
「この美少女、ついにヒロインとしての頭角を現し始めたな、と思った顔をしているね」
「どんな顔だよ。思ってねーし」
「おかしい。悪漢に囚われるという、ヒロインのお約束を経ても足りないというのか」
「お前って、妙にヒロインにこだわるよな。実は、そういう願望があったりするのか?」
「ボクだって年頃の女子だよ? 人並みの乙女脳くらい持ち合わせているさ」
「てっきり、そういうのは好きじゃないというか、むしろ避けているもんだと思ってた」
「場合によりけりだよ。相手によるというか」
「はは、そりゃそうか」
「…………」
「なんでジト目?」
意外だとは思ったけど、ちゃんと同意してやっているのに。
「桐春、質問だ。ラノベの定番とも言える、鈍感系主人公について、どう思う?」
「またいきなりだな。今はそんな話をしている場合じゃないだろ」
「別に議論に花を咲かせるつもりはない。桐春の考えだけ簡潔に聞かせてほしい」
なんなんだ。脈絡がないのに、やけに強引じゃないか。睦琴らしくもない。
まあ、こいつが意味のない質問をするとは思えないし、とりあえず答えておくか。
「鈍感系主人公ってのは、あれだろ? 女子から好意を向けられているくせに全然気づかず、いつの間にやらハーレムまで作っちゃう、くそみたいな主人公のことだよな? 俺は嫌いだ。見ていてイライラするし、死ねばいいと思う。他にも、女子が告白っぽい発言をしているのに『え、何か言ったか?』とかほざく難聴系主人公も同じく嫌いだ」
とはいえ、主人公が鈍感じゃなかったら、すぐにカップルが成立して物語が終わってしまうという問題が出てくる。漫画や小説を手掛けている多くの作者がこのジレンマを抱え、自身の描く主人公をくびり殺したい気持ちを抑えながら創作しているのだ(※個人の見解です)。
あと、どうでもいいけど、鈍感系主人公の反対は、敏感系主人公でいいんだろうか。それは何か意味が違ってくるような気もする。今度、落ち着いたら議題に上げてみよう。
などと考えていると、俺の回答が参考にならなかったのか、睦琴が重苦しい溜息をついた。
「これは、まだしばらくは親友継続だね……」
「え、何か言ったか?」
「ジャスティスウェーイ!!」
「――ッッ!! 痛ッでぇえええ!!」
尻に強烈な衝撃が走った。鬼ヶ島によるケツバットならぬ、ケツ鉄パイプだ。
「今のはレッドカードっしょ。不動、まぢ女の敵じゃん」
「女の敵? だから、それは演技だって――」
「もう一発イっとく?」
笑顔だけど本気の目だった。
いい奴だと思ったのに、こんな理不尽な暴力を振るう奴だったとは。
口答えの一つもしようものなら即座に尻鉄パイプが飛んできそうだったので、この目に余る狼藉を、他の人間に窘めてもらおうとする……が、何故だろう。良識人であるはずの川尻や、聖職者の久慈林先生までもが、睦琴と同じく冷ややかな眼差しを俺に向けていた。
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