LEFT OVERS

木野裕喜
木野裕喜

第6話 刻まれる大罪

公開日時: 2020年9月5日(土) 20:10
更新日時: 2020年9月28日(月) 13:09
文字数:5,918

 体験学習チュートリアルの終了条件は、こっちが15人死ぬこと。あと8人だが、それはもう叶わない。

 条件を満たせなくなった今、俺は選択に迫られていた。


 一発限りの魔法の杖を、ホブゴブリンに使うかどうか。


 さすがに敵大将がやられれば、手下のゴブリンたちにも動揺が生まれるはずだ。

 そのチャンスを逃さず、生き残っているクラスメイトたちを決起させて反撃に出られれば、この劣勢を打開できる……かもしれない。成功率は低いと思うが、可能性はゼロじゃない。


 だけど、それができたとして、このフザケた体験学習チュートリアルが終わるだろうか。

 敵を殲滅した後で、「追加入りまーす」と、悪意なく女神が言い出さないとは限らない。

 それに、ホブゴブリンに魔法の杖を使うってことは、捕まっている久慈林先生も……。


「不動くん、私のことは、いい……から!」


 肺を圧迫されているせいか、久慈林先生が呼吸を乱しながら辛そうに言った。

 私のことはいいから逃げなさい。

 私のことはいいから撃ちなさい。

 こんな状況でも、彼女は俺たち生徒のことばかりを案じている。

 本当に撃ってしまっていいのか。どうするのが正解なんだ……。


「桐春、デカブツがこっちに来るぞ!」


 聖士郎の声にハッとした俺は、魔法の杖に落としていた視線を敵に戻した。

 久慈林先生を腰の位置に抱えたまま、ドシ、ドシ、と地鳴りを響かせながらホブゴブリンが近づいてくる。獲物を殺すか嬲るかしか頭にない汚らわしい目は、次のターゲットを、睦琴を補足していやがる。

 それをわかっているからか、睦琴が俺と聖士郎の前に出た。


「ボクが囮になる! お前たちは逃げろ!」


 主人公然とした行動に、一瞬胸熱な気持ちになったけど、俺はすかさず睦琴の襟首を掴んで後ろに引き戻した。「キャッ」なんて、滅多に聞けない声が出た。


「な、何をする!?」

「睦琴さんや、その選択肢だけはないから」

「オレも、それは嫌だな。カッコわりぃ」


 男女差別をする気はないし、場合によっては、仲間に見せ場を譲るのもやぶさかではない。

 でも、この状況は違うだろ。この先に、名誉の戦死なんてありはしない。待っているのは、人としての尊厳を徹底的に踏みにじる凌辱行為だ。

 させてたまるかよ。そんなことを許すくらいなら――


「……今から……あのでかいのを焼き殺す。その隙に、三人で逃げるぞ」

「ま、待て。それでは久慈林教諭が……――ッ」


 そこで睦琴が言葉を詰まらせた。

 ホブゴブリンに一撃必殺されるか、手下のゴブリンたちに切り刻まれるか。

 どちらの死に方がマシかと俺が考えたのと同じだ。

 魔法の杖で焼死するのと、ゴブリンに死ぬまで苗床にされ続けるのと、どちらがマシか。

 前者の方がマシだと睦琴は思ったんだろう。それ以上は何も言わなかった。


 退路を探りながら、俺は左手に握る魔法の杖に意識を集中した。掌がわずかに熱を帯びる。ほんの少し力を込めるだけで〝撃てる〟という確信がある。トリガーに指をかけた状態で銃を握っているみたいだ。

 最後に、もう一度久慈林先生を見た。

 ……撃つしか……ないんだ。


「――桐春、危ないッ!!」


 久慈林先生に気をやった刹那、聖士郎が、ドンッ、と俺を突き飛ばした。

 それは、予想だにしない攻撃だった。

 睦琴を捕まえるためには、もう一本の手もフリーにしなきゃならない。そう考えたからか、ホブゴブリンはボーリングの玉でも放るかのように、アンダースローで超重武器を投げつけてきやがった。聖士郎のおかげで左肩を少し引っかけただけで済んだけど、それでも上下左右の位置感覚がわからなくなるほど錐揉みし、頭を打ちつけながら地面を転がされてしまう。


「ぐっ、がっ……ッ……ぅ」


 ……なんて馬鹿力だ……。

 ただの手投げが大砲に匹敵する。俺を弾いた後、机で作っていたバリケードも粉砕された。

 左手を地面について立ち上がろうとして――――失敗した。


 なんだ?

 肩がじんじんと熱く、しびれたみたいに腕が動かない。

 骨折が頭を過ったが、そうではなかった。それどころではなかった。


「マジ、かよ……」


 無くなっていた

 肩の付け根から先が、丸ごと全部。

 制服の長袖に通した左腕が、魔法の杖を握ったまま、離れた所にぽつんと落ちている。

 無いと自覚した途端、16年間生きてきた中で最大級の激痛がこみ上げてきた。地肌に直で焼きゴテを押し当てられているんじゃないかってくらい鮮烈な痛みで目の前がチカチカする。


「ぐ、ぎぐ、が、ああぁ……」


 泣き叫びたいのを堪え、俺は聖士郎の姿を探した。

 掠っただけで、この有り様だ。じゃあ、俺を庇った聖士郎は……。


「あ……」


 聖士郎は、瓦礫の山に埋もれていた。

 机の残骸に引っかかっている手はだらりと下を向き、ぴくりとも動かない。


「聖……士郎……」


 聖士郎の所へ這い進もうとした矢先、ヌッ、と頭上に大きな影が差した。雷雲が立ち込め、遮蔽物が何も無い平野に、たった独りで立たされたみたいな緊張感。それを百倍濃くしたかのようなプレッシャー。

 振り返らずとも、真後ろにいるとわかる。

 確かめなくても、踏み潰されるとわかる。


「く……そが……」


 魔法の杖は、千切れた左手が握っていて手元にはない。

 右手に持っていた鉈も、さっきの衝撃で放してしまい、どこかへ飛んでいった。

 頭を打ったせいか、大怪我を負ったせいか、はたまた涙を浮かべているせいか。

 敵がすぐそこにいるってのに、視界が霞んできやがった。


 くそ……くそッ。

 これで終わりなのか。ほんの30分前まで穏やかな日常だったのに、こんなにも呆気なく。

 なあ、女神様……。俺たちが、こんな目に遭わされなきゃならないようなことをしたかよ。

 何が幸運だ。自分となんの関係もない通り魔に刺されるとか、そういうレベルの不幸だろ。

 本当に、本ッ当にツイてない。俺と聖士郎は……もう……ダメだ。


「……っ……そが」


 自身の不幸を呪った後、深呼吸と溜息を一度に行った。

 そして、俺は自分の命を――――諦めた。

 切り替えろ。こうなったら、やれることは一つしかない。


「……かって……いや」


 上手く声を作らない唇を、ガリッ、と噛んで震えを黙らせる。

 腹をくくれ。絶望と、漏れそうになる嗚咽を飲み下せ。

 一秒でも長く。

 親友を、睦琴を逃がすために、後ろのデカブツを足止めする。

 どれだけ惨い死に方をしたっていい。即死さえしなけりゃ抗ってみせる。腹を踏み抜かれ、上半身と下半身を分断されても、四肢を全部潰されても、噛みついてでも時間を稼ぐ。


「かかってこいや、このガチムチ筋肉ダルマがッ!!」


 ホブゴブリンの注意を一身に集めるため、腹這いから、ごろりと仰向けに姿勢を変えた。

 予想どおり、奴は片足を持ち上げ、今まさに俺を踏み潰さんとするところだった。


「――なッ!?」


 だけど、予想外なことが同時に起こっていた。

 ホブゴブリンのスタンプから守ろうと、睦琴が俺に覆い被さってきた。

 甘い香りのする細い黒髪が、ふわりと頬を撫でる。もう長いこと親友をやっているけれど、こんなにも睦琴と顔を近づけたのは初めてだ。


「……お、お前、何してんだ!?」

「体を張って、ボクを逃がそうとしてくれたことは察した。それなのに……本当にすまない」

「すまないって、おま、バカ!!」

「まったくだな。自分でも、もう少し賢い方だと思っていたんだけれど、つい……ね」


 呆れとも、諦めともつかない疲れた表情で睦琴は言い、照れ笑いをしてみせた。

 踏みつけは……こない。睦琴に気づいたホブゴブリンが、再び足を下ろした。


「さっさと逃げろ! でないと、死んだ方がマシな目に遭わされるんだぞ!?」

「それはともかくとして、どうだろう。今のボクは、とてもヒロインらしいと思わないか?」

「んなこと言ってる場合じゃ――」


 わざと軽口を叩いた睦琴の身体が、ひょいと浮かび上がった。

 頭から氷水を浴び、半身を奪われたような喪失感が、蛇のように心臓に絡みつく。


「や、はは……捕まってしまった」


 睦琴の細い腰を、ベルトというより、帯に近い太さの指が一周している。

 クレーンゲームで景品を吊り上げるみたいに、睦琴が俺から離れていった。

 左手に久慈林先生。右手に睦琴。両手に花のつもりか。イヤらしい笑みを浮かべ、右へ左へ動く視線は、どちらから手をつけるか吟味していやがる。上等な獲物に夢中で、もう俺のことなんて気にも留めていない。


「あなた、いい加減に……由々敷ゆゆしきさんを解放しなさい!」

「この雑な扱い、女性に対するマナーがなっていないね」


 久慈林先生が身を捩って足をバタつかせるが、拘束はビクともしない。一方の睦琴は両腕の自由がきくため、何度も拳槌けんついを打ちつけている。しかし、これも意に介さない。それどころか獲物の活きの良さを嬉しそうに眺めている。

 ややあって、抵抗の激しい睦琴に、奴の興味が固定されてしまった。


「……息が臭いな。ちゃんと歯は磨いているのか?」


 気を強く保つためか、睦琴は挑発とも取れる言葉を使った。

 もしくは、一思いに殺せ。そういう意味を持たせた発言なのかもしれない。

 だけど、それは逆効果だ。相手がどのくらいこっちの言葉を理解しているのか知らないが、そんな気丈な態度さえ、嗜虐心をくすぐる材料になっているとしか思えない。


 ニチャ、と音がしそうなほど下卑た表情を作ったホブゴブリンが、今しがた指摘された歯を見せつけるように覗かせた。人間とはまるで違う、ギザギザに並んだ歯牙が恐怖を助長する。

 次の瞬間、肝が……凍りついた。


 あろうことか。

 ホブゴブリンは、ガパァ、と大口を開け、そのまま睦琴の喉元に食らいついた。

 ビクッ、と睦琴が身体を強張らせる。


「む、睦琴……ッ!!」


 皮膚が、肉が、ぶちぶちと縦に引き裂かれて――――


 …………いや……違う。

 はらはらと散る黒い布きれ。噛み千切られたのは、睦琴のブレザーと肌着だけだ。

 俺の腹の上に、睦琴の胸元についていた赤いリボンがぱさりと落ちてきた。


 もう一度見上げる。

 睦琴は無事だ。傷一つ負っていない。ただ……夏服はもちろん、水着であっても見ることはできない、抜けるように白い肌が露わになっていた。


 俺は睦琴のことを、男も女もない、生涯の友だと思っている。

 それなのに、こんな時に不謹慎でしかないのに。


 ――綺麗だ。


 と、そんな風に……思ってしまった。

 睦琴が俺の視線に気づいて、みるみる顔を紅潮させていった。恥ずかしそうに、自身を抱きしめるようにして胸を隠してしまう。あいつの、あんな仕草と表情を見たのもまた初めてだ。


「見……るな……」


 白い裸身にも朱色が差した。

 望んでいた反応を得られたからか、ホブゴブリンが満足げにゲハハと嘲弄した。そうして、この程度の辱めは序の口だとでも言いたげに、舌なめずりをしてみせる。


 動け……動けよ、俺の足。

 脳震盪のうしんとうが治まってきたかと思えば、今度は大量出血で頭がくらくらしてきやがった。膝にもきているせいで、足に力が入らない。俺はホブゴブリンの巨木みたいな太股ふとももに、残った片腕でしがみつきながら立ち上がった。


「二人を……放しやがれ……」


 テメエなんぞに、その二人はもったいないんだよ。

 俺は顎が外れそうなくらい大口を開け、がぶり、と緑色のモモ肉に歯を突き立てた。


「桐春、お前だけでも逃げろ!」

「不動くん、もうやめなさい!」


 これだけヤバい状況だと、なりふり構わず助けてって叫ぶのが普通だろうに。ここへ来てもまだ他人の心配ができるとか。二人とも、マジで尊敬するわ。

 俺だって死にたくはない。逃げられるものなら、今すぐここから逃げ出したいさ。

 でも生憎と、この怪我では逃げきれない。どころか、もう一歩も動けそうにない。

 だから――。


「ゲググル……」


 これからお楽しみってとこで邪魔され、ホブゴブリンが苛立たしげに低く唸った。欲張って両手が塞がっているせいで、こんな風にまとわりつかれたら攻撃のしようがないんだろう。


「どうした……。振り解けるもんなら振り解いてみやがれ。早くしねえと、このままテメエの汚い股間に噛みついて玉無しにしてやんぞ、この脳味噌チ●ポ野郎!!」


 罵倒が通じたのか、これ以上のお預けを嫌がったのか。伏せ字が入りそうな煽りに激高したホブゴブリンが、コアラみたいにしがみつく俺を靴飛ばしの要領で蹴り上げようとした。


 それを待っていた。

 上空に放り出されたら終わりだ。振り抜かれる寸前、タイミングを合わせて離脱した俺は、地面を水切りする石みたいに勢いよく滑っていった。睦琴と久慈林先生の、悲鳴のような声が一瞬にして遠退いていく。


「……ッ! ~~~~ッッ!!」


 ずりずりと傷口を地面にこすりつけてしまい、許容できる痛みを超えて頭が真っ白になる。

 気を失うな。あと10秒でいい。持ちこたえろッ。


 狙いどおり。転がっていた自分の左腕がストッパーの役目を果たし、滑走が終わった。

 その左手は、今もしっかりと魔法の杖を握っている。


 早くも体温が抜けていきつつある指をのろのろと解いていき、魔法の杖を右手で掴み取る。さっきまで手にしていたのと同じ杖のはずなのに、やたらと重く感じる。

 全身が寒くてだるい。焦点も定まらなくなってきた。

 身体に鞭を打ち、魔法の杖を支えにしながら、残った力を振り絞って立ち上がる。


「……すまん……」


 睦琴と久慈林先生に背を向け、俺はここへ来て何度目かわからない謝罪をした。

 謝罪なんて意味はない。今から行うことに、言い訳なんてできない。

 俺はもう何人も見殺しにしたし、早く殺されてほしいとまで願った。

 そんな俺が、どの面を下げて、どの口で弁明なんてできるだろうか。

 これからすることは、仕方ないでは済まされない。


 魔法の杖の効果と、体験学習チュートリアルの終了条件を知った時、真っ先にこれを考えた。

 でも、実行しようとは思わなかった。嘘じゃない。最後の手段にすらしたくなかった。

 クラスメイトたちが無残に殺され、犯されようとも、自分と友達ダチが無事なら見て見ぬ振りをしていた方が罪悪感は小さい。そう考えたから。


 だけど、それはできなくなった。

 聖士郎は生死不明。俺は重傷。睦琴は捕まってしまった。

 俺の判断ミスだ……。


 敵大将を倒すために、久慈林先生を巻き添えにしようなんて考えは間違っていた。

 久慈林先生一人が死んだところで、この惨劇は終わらない。


「すまん」


 俺はもう一度、雑魚ゴブリンに捕えられている、その他大勢の女子たちに向けて謝罪した。

 恨んでくれていい。

 だからどうか、今だけは、痛みに、俺に殺されることに気づかないまま死んでくれ。


 杖の先についた宝石を目標に向け、大炎をイメージする。

 それだけで魔法は発動した。

 放たれた劫火は凄まじく、濁流のように人を、ゴブリンを飲み込んでいく。


 呻き声一つ上がることはなかった。

 燃え盛る炎に赤く照らされていた視界が徐々に暗転していく。

 意識が闇に落ちていく中で、くそ女神が体験学習チュートリアルの終了を告げたのを聞いた。



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