LEFT OVERS

木野裕喜
木野裕喜

第5話 ゴブリンの習性

公開日時: 2020年9月5日(土) 18:10
更新日時: 2020年9月28日(月) 13:00
文字数:4,542

「――ゲヒョッ!?」


 椅子を盾にしている聖士郎と競り合っていたゴブリンの脳天に、背後から思い切り鉈を振り下ろした。ゴキッ、と石を叩いたかのような衝撃が肩にまで伝わる。

 想像以上に硬い頭蓋骨の手応えに身震いするも、一撃で頭を半分にカチ割ってやった。

 鉈を引き抜く時、グチュ、とぬかるみに足跡をつけたような音がし、思わず胃液が込み上げそうになる。歯を食いしばって嘔吐を堪え、頭を開いたゴブリンを見下ろした。


「え?」


 奥田が頭蓋を踏み砕いた時とは違い、痙攣すら許さず絶命させた手応えはあった。

 念のため首を切っておこうと考えたところで、ゴブリンの身体が発泡スチロールを燃やした時に出る黒煙みたいに変わり、槍と腰蓑だけを残して溶けるように消えた。


 これが魔物の死か。

 死体すら残らないってのは、生き物としては侘しいものがあるが、こっちが手を下すことを考えれば、この仕様はむしろありがたい。

 仕留めたゴブリンが持っていた槍を手早く拾い、聖士郎に渡した。

 二人にも膝を曲げて頭の位置を低くさせ、矢の飛来を警戒する。


「お前ら、無事か?」

「オレは大丈夫だ」

「ボクもだ。今のところは、だけどね」


 俺の鉈は、さっきの一撃だけで刃が欠けてしまっている。頭を狙ったのは失敗だったか。

 まあいい。斬れなくても、最悪、鈍器として使う。

 俺は昼か夜かもわからない空に向かって、「オイ」と呼びかけた。


「あと何人だ?」

『九人ですよー。というかですね、わたしは神様なんですよ? 敬語を使ってくれませんか』

「知ったことか」


 あと九人。また一人減っているけど、まだそんなに……。

 ああ、反吐へどが出そうだ。

 俺は、クラスメイトが早く死んでくれることを願っている。

 気持ち悪い。虫酸むしずが走る。最低最悪の犯罪者にでもなった気分だ。


 睦琴と聖士郎が眉をひそめている。やっぱり、女神との会話は聞こえていないようだ。

 となると、二人はまだ、体験学習チュートリアルの終了条件に気づいていないかもしれない。


 言うか。言うまいか。

 俺はすぐさま〝言わない〟を選択した。こんな胸糞悪い気分を味わうのは俺だけでいい。

 少なくとも、体験学習チュートリアルが終わるまでは明かさない。


「俺に考えがある。必ず助かるから、お前たちは、とにかく自分の身を守れ」


 自信ありげに魔法の杖を掲げ、さも策があるように見せかけた。

 聖士郎は疑うことなく頷き、槍を腰の高さに構えてゴブリンたちを見据えた。

 睦琴は訝しみながらも反論を飲み込み、散乱した机を寄せ集めてバリケードを作り始めた。


 これでいい。

 他よりも、ほんの少し攻略が厄介だ。奴らは後回しにしよう。そう思わせるだけで十分。


 周囲はまさに、阿鼻叫喚の地獄絵図だ。

 汚れ一つない白にゴブリンの濁った緑が混ざり、血の赤が加わっていく。

 そこかしこに、スプラッター映画のパッケージに使われそうな光景が広がっている。

 ゴブリンに仲間意識なんてないのか、連中だって二匹やられているのに、仲間の死に関心を示さず、夢中で蹂躙を楽しんでいる。

 慣れと呼べるようなものじゃないけど、少し前まで、蝋で固められたみたいに声を発せずに硬直していた奴らが、今になって悲鳴という形で生を主張し始めた。


 そんなか細い命の灯がまた、いたずらに消されようとしている。

 あいつだ。

 囲い込みは手下に任せ、陳列されたスーパーのパック肉をじっくりと品定めするかのように悠々とフィールドを闊歩していたホブゴブリンが、次なる獲物を定めた。


「止まりなさい! これ以上、生徒たちを傷つけることは許しません!」


 久慈林先生が両腕を左右に伸ばし、毅然とした態度でホブゴブリンを拒絶している。

 そんな彼女の背に隠れているのは、神足こうたり聡一そういち遠山とおやま摩耶まや。教室だろうが、通学路だろうが、場所を弁えることなく空気を読まずにイチャつく、学年一のリア充カップルだ。

 そんな神足が、俺に向かって声を荒らげた。


「不動、お前が持ってる杖、あいつに使え! あいつが一番ヤバい! 早く!」


 その訴えを俺は黙殺し、心中で非情にカウントした。

 あと六人、と。


 担任とクラスメイトの窮地に気づいた聖士郎が、助けなくていいのかと、声に焦燥を交えて言ってくるが、これにも耳を閉ざした。

 ホブゴブリンに、痛みを感じる間もなく一撃で殺されるのと、数匹のゴブリンに群がられ、ザクザクと刻み殺されるのとじゃ、どっちがマシだろうか。

 最悪の二択だけど、それなら俺は前者を選ぶ。

 だから、この杖は使わない。ここは、見捨てるのが最善だと自分に言い聞かせる。


 でも……神足と遠山はともかく、俺的に、久慈林先生の命の優先度は高い方だった。

 担当教科は英語。

 まだ24四歳で、教師としては一年目の新人だが、俺たちの担任は、良い先生だと思う。

 赴任したばかりなのに、いきなり担任を持たされ、相当な責任とプレッシャーを感じているはずだ。一挙手一投足から、しっかりしなきゃという、自身への強迫めいた声が聞こえてくる気がしていた。


 だけど、それは全部生徒のためだ。

 普段は、生徒になめられまいとして無理に目尻を吊り上げているけど、掃除当番がサボらずちゃんと掃除しているのを見かけた時、授業がわかりやすいと言われた時、生徒から親しみを込めて賽子先生と呼ばれた時、あの人は、すごく嬉しそうな顔をする。

 俺は久慈林先生が、せめて苦痛なく殺されることを祈った。


「来てる! 来てるって、オイ、不動! なんで黙ってるんだよ! オイイッ!!」

「使わないなら、こっちに渡してよ! フザケないで、ねえッ! ねえってば!!」


  奥田にそうしたように、俺は神足と遠山にも「すまん……」と小さく謝罪した。

 ホブゴブリンが久慈林先生の頭上で、超重武器を大上段に振りかぶった。

 ふと、電柱の高い位置に付いている、バケツみたいな変圧器を想像した。あれが頭に落ちてきたら絶対死ぬよな、なんて思いながら、いつも見上げるのだ。

 あと一秒後に、それが現実のものとなる。

 久慈林先生が、きつく目を閉じた。俺もトラウマ確約の瞬間を見まいと目を背ける。


 その直後、落雷を思わせる轟音と、足が浮き上がりそうになるほどの振動が伝わってきた。

 ……死んだ。死んだ。絶対に死んだ。

 肺が震え、息を吸っているのか吐いているのかもわからない。

 そんな状態で、俺は目蓋をそろりと持ち上げていった。


「……ぐっ」


 原型を、とどめていなかった。

 10階建てマンションの屋上から飛び降り自殺したって、ああはならないだろう。人間一個がつづら折りになって潰され、内容物が、でかい水風船を落として破裂させたみたいな赤い花を咲かせている。


 だが、久慈林先生は、まだ生きていた。

 指先から表情に至るまでが、凍りついたように固まっているけれど。

 潰されたのは、久慈林先生じゃない。その後ろにいた神足だ。

 嫌な予感がする。


「…………オイ、女神」

『あなたねー。ほんと、さっきから無礼ですよ。様をつけてください』

「これまでに殺されたのって、もしかして全員男子か?」

『ああもう。えーと、はい、そうですね。全員男の子です』


 嫌な予感が、確信に変わった。


「や、やめ、やだ、きゃああ――――!!」


 半身を彼氏の返り血で真っ赤にした遠山を、ホブゴブリンが鷲掴みにした。

 そして、殺すでもなく、ぽい、と後方に投げてしまう。

 それを手下のゴブリンが受け止め、羽交い絞めにして拘束した。


 体験学習チュートリアルの相手にゴブリンが選ばれた時、女神は「なかなか良い選択だ」と言った。

 特に意識していなかったけど、その意味がわかった。

 異世界を題材にした昨今の小説を読み漁っている俺が思うに、手っ取り早く環境の過酷さを演出する手法として用いられるシチュエーションは、二つあると考える。

 その二つともを、ゴブリンという魔物は満たしている。

 一つは、クラスメイトなど、近しい者が残酷に殺されること。

 そして、もう一つが――


「やだやだ、離して、やあああ――――ッ!!」


 遠山を捕まえているゴブリンが、ゲシャシャと高笑いしながら、味見するかのように遠山の頬をべろりと舐めた。明らかに、男子への対応とは異なる。

 捕まえるだけで、殺そうとはしない。


 女は殺さない


 当然、騎士道精神によるものなんかじゃない。他に目的があるからだ。

 それを想像したのか、睦琴がぶるると肩を震わせた。ゴブリンどもに感じている嫌悪感は、男である俺の比じゃないだろう。


 身を挺して守ろうとした生徒をすぐ傍で潰され、放心していた久慈林先生を、遠山と同じくホブゴブリンが馬鹿みたいにでかい手で捕えた。両腕ごと鷲掴みにされ、久慈林先生は一切の抵抗を封じられてしまう。気に入った獲物を確保しておくつもりなのか、今度は投げ捨てず、久慈林先生の顔に鼻先を近づけ、すんすんと香りを楽しんでいる。


 まずい。まずいまずい。予定が狂った。

 遠山がいる一画には、10匹近いゴブリンが密集している。

 よく見ると、そいつらは見張りなのか、捕えた女子を取り囲み、逃げられないように武器を突きつけていた。既に7、8人は捕まっている。


 連中は女を殺さない。となると、男だけで死亡カウントを稼がなくてはいけなくなる。

 ウチのクラスは男女が半々。男15人、女15人。今はここに久慈林先生が加わる。

 前迫、田所、金平、そして細切れにされた誰か。この四人が死んだ時点で、あと11人だと女神は言った。つまり、15人死ねば終わる。男が全員死ねば終わる計算だ。

 俺と聖士郎も死ねば……だけど。


 しかし、そんな考えすらも狂わせるイレギュラーが発生した。

 捕まえた女子が多くなれば、それだけ見張りにも数を割かなくてはいけなくなる。

 そうなると、全体に対する包囲が薄くなるのは当然だ。

 その隙を突いた奴らがいた。


「こっちだ! ここから抜けられるぞ!」


 エスケープを扇動しているのは、爽やかさを擬人化したような男子、笛吹うすい千夜せんやだった。

 成績上の下。一年生にしてサッカー部のレギュラー入り。さらには、どこぞの芸能事務所に所属しているという。小説に出てくるイケメンに、それっぽい設定を適当につけてみました、みたいな捻りのない陽キャラだ。それでも女子人気は、聖士郎に次いで高い。


 普段からクラスのムードメーカーなだけあり、そんな笛吹の合図で動き出す奴は多かった。

 ホブゴブリンから遠く、弓手と対角になる一点。椅子を振り回し、投げつけ、がむしゃらに喚き散らしながら、数に物を言わせて突破を狙う。


 それは功を奏した。

 止められないとわかるや、ゴブリンの方から道を譲っていた。

 ちゃんと数える余裕はなかったけど、おそらく男女含めて10人は抜けた。

 体験学習チュートリアルのために作られたこの世界が、具体的にどのくらいのサイズなのかは知らないが、もし、ゴブリンから逃げ切れるだけの広さを備えているのだとしたら。


「……行くな」


 待ってくれ。男は逃げるな。戻ってこい。

 男らしく戦えと言っているんじゃない。

 男が殺されなければ、あそこで捕まっている女子たちは、久慈林先生は、睦琴はどうなる。


 女神は言った。

 この体験学習チュートリアルに時間制限はなく、半数になるまで、何があっても中断しないと。

 それはつまり、延々とゴブリンに嬲られ、犯され続ける終わりのない地獄を意味している。


 この状況すら織り込み済みなのか、女神は何も言ってこない。


 本当に……。


 どうしようもなく……。


 女神も、異世界も、くそすぎる。


 奥歯が欠けそうなほど噛み締めた口の中に、血の味がした。



読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート