LEFT OVERS

木野裕喜
木野裕喜

第12話 有埜聖士郎①

公開日時: 2020年9月7日(月) 21:10
更新日時: 2020年9月8日(火) 11:11
文字数:4,393

 有埜ありの聖士郎せいしろう

 道ですれ違えば、百人の女子が百人とも振り返り、翌日には、そのうちの何人かが告白してきそうなくらい、ヴィジュアルに恵まれた美少年だ。物憂げな眼差しがミステリアスな印象を醸し出し、中学の頃なんかは、聖士郎を主人公にした専用のネット小説サイトが存在するほど高い人気を誇っていた。


 持って生まれた武器だけで人生勝ち組に思える聖士郎のことを、さらに詳細に語るのなら、俺たちが中学で出会うよりずっと昔、あいつの出生以前にまで遡らなければならない。

 それは面白エピソードとして花を咲かせられるようなものではなく、どの角度から見ても、どう好意的に解釈しようとしても、悲話以外のナニモノでもない。



 聖士郎は、父親と祖父母の四人で暮らしていた。

 家にお邪魔したことがあるが、聖士郎を心から愛している素晴らしい家族だった。

 だけど聖士郎には、他にも兄、または姉が三人いた。

 いや、「いた」というのは正しくない。


 いたはず


 こう表現した方が正確だろう。

 産まれてくることが……できなかったのだ。

 これを語るには、まだ出てきていない聖士郎の母親について話す必要がある。


 聖士郎の母親は、それはそれは美しい女性だった。

 美女なのに愛嬌があり、同性ですら魅了してしまう妖艶さを兼ね備えていた。結婚するまでファッションモデルの仕事をしていたらしく、俺は若い頃の彼女をネット上で見たことがあるだけだが、どことなく聖士郎の面影があり、血の繋がりを感じた。


 彼女の性格については、良く言えば一途。悪く言えば夢見がち。

 誰よりも自分を一番に愛してくれる、運命の男性を学生時代から求めていたそうだ。


 そんな彼女が最初の子どもを身ごもったのは、まだ二十歳はたちにもなっていない頃だった。

 相手は年上の大学生で、聖士郎の父親とは別の男性だ。

 男性も、まだまだ遊びたい盛りの大学生。彼女が妊娠したとわかると、喜びよりも不安を、幸福よりも不運を感じてしまった。父親になる覚悟など、まるでなかったのである。


 だけど、彼女が注目していたのはそこじゃない。

 自分に向けられる愛に変化があるか。わずかでも陰りを見せていないか。

 その一点だけを、彼女は観察していた。


 結果として、相手の男性は、彼女に対してよそよそしくなってしまった。

 自分への愛を疑った彼女は、その男性に相談することなく、迷わず腹の中の命を捨てた。


 悲嘆する暇などないとばかりに、彼女は次の相手を探した。

 類まれな美貌を持つ彼女は、すぐに特定の相手を見つけ、翌年には再び子を宿す。

 しかし、同じように男性の愛を疑うことになり、またしても躊躇なく中絶した。

 失敗から学ばないのかと、彼女を知る者は誰もが思ったそうだ。


 だが、それは違った。

 彼女は男の愛が本物か試すためだけに、あえて危険日を偽り、避妊していなかったのだと、後になって彼女の日記から明らかになっている。

 妊娠すれば、相手の愛を確かめられる。

 そう考えた彼女は、人として最悪な手段を学んでいたのだ。


 そうして三度目の懐妊。相手は、また別の男性だ。

 結末は変わらず。3人の子どもは、名前はおろか、性別すら判明することなく抹消された。


 転機が訪れたのは、四度目の妊娠だった。もちろん、また別の男性との間にできた子だ。

 相手の男性は、彼女の妊娠を大いに喜んだ。

 真実の愛を手に入れたと思った彼女は男性と結婚し、ついに命を産み落とした。

 それが聖士郎だ。


 父親になった男性は、赤ん坊の聖士郎を溺愛した。もちろん、妻のことも以前と変わらずに愛していたし、円満な家庭を築いていけると確信していた。

 誤算だったのは、妻の異常性だ。


 彼女は産まれたばかりの、自身が腹を痛めて産んだ聖士郎にすら嫉妬した。

 夫の愛が息子に移った。いや、その愛が等しく母子に向けられていたのだとしても、最愛でないと感じた瞬間、彼女はなんの未練もなく、夫と聖士郎を捨てた。

 新たな真実の愛を探して旅立ったのだろう。彼女が今どこで何をしているのか。別の場所で最愛を見つけることができたのか。その後のことはわからない。


 残された妻の日記を見た聖士郎の父親は、息子を思うと捜す気になれなかったそうだ。

 聖士郎は、真相を教えられずに育てられた。

 知るべきではない。知らない方が幸せだと、周囲の大人たちは考えたからだ。


 だけど、母親のことを何も知らない幼い聖士郎は、そうは考えなかった。

 父や祖父母が頑なに何か隠しているのを感じ取り、母親の不在を寂しく思うこともあった。

 小学三年生の時だ。母親の痕跡を探した聖士郎は、父の書斎で例の日記を見つけてしまう。


 そうして、知ってしまった。

 母親は確かにいる。でも、求めていた温もりはそこに存在しない。

 自分は捨てられたのだ。

 それどころか、自分が生かされたのは、たまたま父親が子を欲してくれたから。

 でなければ、自分も前の三人の兄や姉のように、あっさりと堕ろされていた。

 その事実は、母親に対してトラウマを抱くには充分すぎた。




 数年が経ち、中学に上がる。

 母親のせいで軽く女性不信に陥ってしまった聖士郎ではあるが、本人の感情をガン無視して見目麗しい美少年へと成長し、それはもう女子にモテまくった。


 入学式で初めて見たあいつは、卒業式みたいに……いや、ゾンビに群がられる生者みたいに女子生徒に囲まれ、制服のボタンを一つ残らずむしり取られていた。あれは正直、羨ましさを超えて悲惨だった。

 それでも妬む男子はいるし、外見だけで寄ってくる女子も後を絶たない。中学一年にして、聖士郎が人間関係を煩わしいと感じて独りを選んでしまうのも無理はないだろう。


 俺はというと、同じクラスにはなったけれど、当時は既に二次元世界にハマっていたので、聖士郎のことも「漫画のキャラみたいな奴だな」くらいにしか思っていなかった。


 そんなある日のこと。席替えで、聖士郎のすぐ前の席になった。

 加えて、睦琴が別クラスだったこともあり、ヲタトークができずに退屈していたんだろう。このままだと登校拒否になるんじゃないかってくらい、俺以上に学校生活をつまらなさそうにしていた聖士郎に、鞄に入っていた一般受けする少年漫画を、プリントを後ろに配るみたいに何気なく差し出し、「読むか?」と言って声をかけた。

 聖士郎も、男友達ができるのはやぶさかではないようで、「じゃあ」と言って受け取った。

 意気投合とまでは言えなかったかもしれないけど、オススメの漫画を持ってきては、読後に一言だけ感想をもらう。そんな他愛もないやり取りをする仲になった。


 その後、睦琴のことも紹介した。最初こそ警戒していた聖士郎も、睦琴の人となりを知ってからは肩の力を抜き、三人で行動することが多くなった。

 できれば聖士郎にもヲタク世界の造詣を深めてほしかったが、女子に辟易する日々を送ってきた弊害か、どうにも女性キャラクターに魅力を感じることができないようだった。

 隙あらば萌えを追求した名作を混ぜていたというのに、「一番好きな漫画は?」と尋ねても、「ワン●ース」と答えが返ってくるくらい、ついぞ一般人の域を出なかった。


 ただ、萌えは理解できずとも、聖士郎にとって、俺たちとの関係には些細な恩恵があった。

 俺と睦琴が、周囲の視線を憚ることなく、日頃からヲタ全開の会話を繰り広げているため、よほど豪気な女子でもない限り、近寄ってこなくなったのだ。

 聖士郎は、結果的に俺たちを利用しているみたいで申し訳ないと言っていたけど、こっちはとっくに聖士郎を友達だと思っていたので、「気にすんな」と笑い飛ばしていた。




 中学二年の秋頃だ。

 遊佐ゆさ美里みさとという、別クラスの女子が俺たちに接触してきた。


 当時、遊佐は中学で一番可愛いと言われており、話しかけるにも整理券が発行されるなど、本人の高いコミュ力もあって、まるでアイドルのようにもてはやされていた。

 同学年の男子は全員遊佐のことが好きなんじゃないかと噂されるほどで、事実それくらいの評価があってもおかしくないくらい美少女ではあったけれど、俺は二次元に嫁が複数いたし、三次元でも隠れ美人の睦琴で目が肥えていたのか、特にどうとも思わなかった。


 とはいえ、住む世界が違うというか、ヲタクとは無縁の人種に見えたので、どうせ聖士郎が目当てだろうと、当初俺は非歓迎ムードで塩対応だった。

 しかし、遊佐は他の聖士郎好き好き有象無象のような素振りを見せなかった。

 面接ってわけじゃないが、例によって「一番好きな漫画は?」と質問を投げてみたところ、「けもの●レンズ」と「ゆる●ャン△」というタイトルが出たので、なるほど、こっち側だと信用することにしたのだ。遊佐も、あまり大きな声では言えない(俺は言うけど)趣味を語り合える仲間が欲しかったんだろうと納得し、新たなヲタ仲間を温かく歓迎した。


 美男美女の中に混じっていると、なんていうか、醜いアヒルの子感がすごかった。

 それでも男女二人ずつ四人グループには違いない。フィクションの世界にしか存在しないと思っていた青春学園ラブコメが始まってしまうのではないかと、ちょっと期待してしまった。




 二年の三学期も終わりに差し掛かった、ある日のこと。

 いつまで経っても、自分に対する心の壁を消してくれないと感じたのか、遊佐が聖士郎に、「有埜くんって、女の子が苦手なの?」とさりげなく尋ねた。


 実際、聖士郎から遊佐に話しかけているのを見たことがない。あまり女子らしくない言動の睦琴に対してすら、俺と比べると、薄い壁が一枚あるように思う。

 聖士郎が二人を嫌っているわけじゃないとしても、完全には気を許していないのも事実。


 無理強いはしない。理由を話したくなければ話さなくていい。俺と睦琴はそう言った。

 遊佐だけは、友達に悩みがあるなら知っておきたいと言った。

 聖士郎は面倒臭がり屋ではあるけど、律儀な奴だ。理由を明かさずに壁を作るのは、仲間に対して不誠実だと考えたんだろう。「話す……」と、か細い声で言った。


 女子から飢えたハイエナみたいな目に晒されているせいだろうと勝手に想像していたけど、全然違った。重い、本当に重い口調で語られた生い立ちは、想像以上に酷いものだった。

 俺と睦琴は、辛い記憶を話させてしまったことを申し訳ないと思うばかりで、どんな言葉をかけてやればいいかわからなかった。ここでも遊佐だけが聖士郎に気を使わせまいとしてか、「話してくれてありがとう」と笑顔で礼を言っていた。


 さすが、学校の人気者は違う。今の話を聞いて、微笑んでやれる余裕は俺にはなかった。

 でも、何かしてやりたい。友達の力になりたい。

 聖士郎の抱えるトラウマの大きさと重さは、当事者でもない俺には計り知れない。

 解消してやろうなんて、おこがましいし、できるはずもない。


 だけど、支えるだけなら。

 俺たちとの関係が、聖士郎にとっての心の支えになれないだろうか。

 柄にもなく、そんなセンチなことを俺は願った。


 願っていた……。


 あんなことが、起こるまでは。



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