LEFT OVERS

木野裕喜
木野裕喜

第48話 オークション

公開日時: 2021年1月6日(水) 09:55
更新日時: 2022年3月4日(金) 03:15
文字数:16,533

すみません、お待たせいたしました。

オークションは一気に更新してしまいたかったので、書き貯めるのに時間がかかりました。

この1話で普段の4話分くらいの長さがありますが、適当に区切りながら読んでいただけますと幸いです。

 競売オークション会場。

 参加料10金貨(※3人まで入場可)を支払って入場した迎賓館の大ホールは、右を見ても左を見ても、紳士淑女しかいない煌びやか空間だった。

 でっぷりと腹の肥えた中年でさえスーツを着こなしている一方で、俺はと言うと、馬子にも衣装にすらなっておらず、着せられている感が丸出し。フレンチバイキングの中に、一品だけ餃子が混じっているかのように場違いだ。


「旦那様、背中が丸くなっているぞ。もっと胸を張れ」

「この空気、落ち着かないわー。目もチカチカするし」

「きょろきょろしない。田舎者だとバレるぞ」

「睦琴は堂々としたもんだよな」

「まるで童話に出てくるお姫様のようだとでも言うつもりか?」

「言わねーし。というか、黒ドレスはお姫様のイメージじゃないだろ」

「おっと、うっかりだ。ボクはお姫様ではなく、誰かさんのお嫁様だった」

「それ、気が早くないスか……」

「夫婦で気が早いとなると、その手前は恋人ということになるが?」

「こ、恋人……」


 嫁の方が男女の関係としては深いはずなのに、恋人の方が恥ずかしいと感じてしまうのは、普段から「●●●は俺の嫁」といったことを言い慣れているからだろうか。


「親友から、いきなり恋人ってのも」

「いきなりではないよ。ボクとしては、長い片想いの末に、ようやくという感じだしね」

「そ、そうなんスか」


 何を言ってもカウンターがくる。

 恋愛は、惚れた方が負けって話じゃなかった?

 どういうこと? 惚れられた方が、完全にマウント取られてんだけど。


「……睦琴は、いいのか?」

「いいのか、とは?」

「俺の、その……五股について」

「それに関しては、あまり気に病まないでほしい。思うところがないと言えば嘘になるけど、提案したのはボクたちなんだから。降って湧いたハーレムを素直に喜べばいい」

「そういうわけにもいかないだろ。男として」

「その責任感は立派だと思う。でも、本当に縛るつもりはないんだ。重荷にはなりたくない」

「重荷だとか、そんなこと微塵も思ってねーよ」


 くそ女神による体験学習チュートリアルの後、ゴミスキルを引くのを覚悟の上で、俺のために残ってくれた睦琴たちには感謝こそすれ、重荷だなんて思うはずがない。


「重ねて言わせてもらうなら、平等に愛せというつもりもないし、してほしくない。旦那様の寵愛を受ける努力は、各々の判断で行うべきだと思う。ボクはボクで、虎視眈々と第一夫人の座を狙いたいからね」

「寵愛とか、我ながら何様って感じだな……」

「自分の甲斐性に自信がないのか」

「あるわけねーだろ。こちとら、女子と付き合ったこともないチェリーだぞ」


 ふむ。と一拍を思考にあてた睦琴が、とんでもないことを口走った。


「であれば、一度経験してみるのはどうだろうか。ボクでよければ付き合おうか?」

「ハ、ハアアッ!? おま、何を、そんなこと簡単に言うんじゃねーよ!」

「他の皆には内緒にしておくぞ?」

「そそそそういう問題じゃねーし!」

「童貞なんて、後生大事に取っておくものでもないと思うが?」

「ど、童貞はそうかもだけど、処……は大事にするもんだろ!」

「?」


 どうしてそこで首を傾げる!?


「お前だって経験ないのに、なんでそんな冷静なんだ!?」

「ボク? え? あっ、ち、違うッ! ボクとじゃない! 宝くじの販売委託ができる店舗を見繕っていた時に、プロの女性がいる専門店があるのを知っていたから、後で案内しようかと言ったんだ! 夫の愛情と性欲を分けて考えられる良妻をアピールしようと思って!」

「ま・ぎ・ら・わ・しぃぃぃい!!」


 自分のしていた発言の危うさを遅れて自覚したらしく、睦琴は剥き出しの肩まで赤くした。

 加えて、身を捩る仕草が色っぽく見え、かつてないほど睦琴を女性として意識してしまう。


「旦那様は、その……想像……してしまったのか?」

「な、何を?」

「ボクと、その……そういう……」


 想像?

 ばっちりしちゃったさ。おかげで目を合わせられない。


「睦琴、これは極めてデリケートな問題だ。いったん保留にしたい」

「そ、そうだな。そうしよう」

「たくもう、変な汗出ちまった。気を取り直して、ここへ来た目的のおさらいでもするか」

「異議なし」

「えと、俺たちが欲しいのは【大災杖キュベウテス】【九尾の指輪】【天馬の指輪】の三つだ。杖の競売開始額は1,000金貨。指輪は二つとも100金貨からだな」

「コルネット商会のツテで、競売関係に詳しい商人に、例年の傾向や参加者などを基に予想をしてもらったところ、杖は20倍。指輪はそれぞれ10倍近い額まで値が釣り上がるだろうという見立てだ」


 つまり、大災杖キュベウテスが20,000金貨。指輪は二つで2,000金貨か。

 で、肝心の資金はというと。


「先日締め切った宝くじは、最終的に何口売れたんだっけ?」

「約900,000口だな」

「売れたなー」


 1口が銀貨1枚での販売だったので、900,000銀貨=90,000金貨。

 俺たちの取り分が三割だから、30,000金貨を得たことになる。

 無理矢理日本円に換算するなら、3億円ってところだ。


「ボクとしても、嬉しい誤算だ。大変好評だったので、毎年行うことが既に決定している」

「金銭感覚がマヒしそうだ」


 30,000金貨あれば、イレギュラーが起こらない限り三品とも競り落とせそうだが……。

 実を言うと、競売に充てられる資金は、この半分、15,000金貨ほどしかない。

 というのも、本格的にマイホームの建設に着手したからだ。

 ローンなし。現金一括払い。

 都市の中央から離れれば離れるほど土地は安くなるけれど、全員の要望を満たすとなると、どうしたって10,000金貨を超える見積もりになってしまった。


 ぶっちゃけ、今回の競売に積極的なのは俺だけで、他の女子たちは、そこまで興味を示していない。

 競売品を手に入れた後の説明をしても、考えられる効果を信じられないのか、マイホームの魅力には遠く及ばないと考えているからなのか、苦笑いをされる。もしくは「ふーん、まあ、適当にがんばれば?」と素っ気なく言われただけだ。

 なので、資金の扱いに関して強く出ることはできない。


「旦那様、眉間に皺が寄っているぞ。15,000金貨では、やはり不満か?」

「そんなことないぞ。俺だって、賃貸じゃなくて、マイホームが欲しいし」


 誤解のないように言っておくが、決して、風呂付きマイホームを建てたら、女子一同による水着洗体プレイを約束されているからではない。

 つーか、この資金繰りは、宝くじを思いつき、短期間で軌道に乗せた睦琴の手柄であって、俺は何もしていない。そのため、約束がお流れになる可能性は多分にあるわけで。

 ……流れるのかな。……流されるだろうな。……洗体だけに。


「旦那様?」

「ああいや、なんでもない。杖と指輪二つ。競りはどっちが先なんだっけか?」

「カタログ順のはずだ。大災杖キュベウテスからだな」

「そうか、安心した」

「杖を格安で落札できたとしても、指輪分の金貨が残るだろうか」

「なんとかするさ。杖も指輪二つも、必ず手に入れる」

「なんとかって、どうやって?」

「最悪、かなり汚い手段を使うことになる」


 想像するだけで気が滅入る、吐き気を催すような……な。


「汚い手段か。いったい何をする気なのやら」

「とりあえず、競売が始まる前に接触してみようと思う」

「接触? もしかして、ザクリッチから来ている競売参加者にか?」


 さすが睦琴さん。勘がよろしくていらっしゃる。


「悪知恵のはたらく旦那様のことだ。この流れで、悪いことを考えているなら思い止まれと説得するつもりではないんだろう?」

「そのつもりだったら、ここの支配人か、巫女姫さんあたりに相談するさ」

「相談しない。いや、できないようなことをするつもりか?」

「軽く――じゃないな。ガチめに脅してみようかなって」

「てへぺろと舌を出して言う台詞じゃないだろう。それが汚い手段か?」

「え、違うけど? 悪い奴を脅すだけなんだから、別に汚くないだろ。いや、引かないで?」

「深淵なる思考の持ち主であらせられる旦那様がなさろうとしていることに、とやかく口を出したりはしないが、前科者になるようなことしないでしないでくれよ」


 皮肉たっぷりだな。


「大丈夫だって。ま、なんにせよ、まず相手が本当に悪人なのか、確認するところからだな。どうせ睦琴は、ザクリッチの参加者の名前もおさえてあるんだろ?」

「マルシェ・サンクゼール。ザクリッチの軍に量産武器を卸している商会の会長だ」

「武器商人か。限りなく黒だな」

「その判断基準はいかがなものか」

「冗談だよ。そいつの顔までは知らないよな?」

「残念ながら。毎年競売に来ているそうだから、ここのスタッフは知っているだろう」


 そうと決まれば、善は急げだ。

 善かどうかは、怪しいところだけど。



 大事なのは、自分は全部知っているぞという顔をすること。

 そしたらあとは適当にカマをかけ、それが的を射ていることを祈るのみ。

 ハズレていたら、ごめんなさいをして逃げる。

 これだけを念頭に置き、ミッション開始。睦琴には少し離れていてもらう。


「会長! サンクゼール会長、大変です!」


 台詞に「!」を付けているが、耳打ちによる小声で俺は接触を図った。

 身長160センチくらいの小太りハゲ頭。とにかく目つきが悪く、黒スーツを着ていると、その筋の者にしか見えず、あんたは人前に出て接客せず、クレーマーの相手だけしていた方がいいですよと商会で言われていそうな風体。それがサンクゼール会長だった。

 すかさず、ボディーガードらしき男が間に割って入った。こちらは気合の入った角刈りで、向こうの世界にいたら、「銃弾ですか? 9ミリ口径くらいなら筋肉で止めてみせますよ」とでも言わんばかりのレスラー体型だ。


「誰だぁ、お前ぇ」


 ドスの効いた声でサンクゼールが尋ねてきた。

 当然、正直に名乗ることはせず、とにかく急いでいるアピールをする。


「自分はトーニチ配下の者です。伝令として遣わされました」

「トーニチぃ?」


 サンクゼールが、確認するようにボディーガードを見上げた。


「うろ覚えですが、ネージュ大隊に、そんな名前の中隊長がいたかもしれません」

「ああ、そうです。その中隊長でお間違えありません」

「そうかぁ。てぇことは、お前さんも兵士かぁ。見えねぇなぁ」

「よく言われます。だからこそ、こうして走らされたわけですが」

「なるほどなぁ」


 はい、ドーン。

《ザクリッチで多い家名ベスト3》

1位 チュペット

2位 トーニチ

3位 パナップ

 もちろん、睦琴のデータベースから引き出しました。

 一人くらい、関係者にいると思ったんだよね。それが兵士の中にいたのはラッキーだった。

 なんせ、今のやり取りで重大な事実が判明した。


 本国から遠く離れたこの地に、大隊から緊急な伝令があっても、それをあり得ることとして処理された。

 すなわち、少なくとも大隊規模(※この世界では1000人以上)の存在が近くに来ているということ。

 来ているにもかかわらず、それがエッセル王国に伝わっていない。

 近くまで来て潜んでいるのは、何か良からぬことを企んでいる証拠だ。

 そもそも大罪魔物の討伐遠征に戦力を集中させているはずなのに、大隊以上の余力を残している時点で裏切り行為だしな。


「なにぶん、急を要することでしたので、自分には詳しいことを聞かされていないのですが、決行を予定より早めなくてはいけなくなったので、一度本隊に合流してほしいそうです」

「はぁ、どういうことだぁ? 競売品はどうするんだよぉ」


 競売ではなく、競売

 それをどうこうする、なんらかの行動を起こす予定ありと。


「その点について、予定の変更はないそうですが」

「ならいいけどよぉ」

「いえ、会長、待ってください。こいつが本当に伝令だと信じてしまっていいんですか?」


 お。護衛さん、筋肉に極振りしてそうな見た目なのに、意外と慎重派?


「こいつの身体つきは、どう見たって兵士とは思えない」

「新米なもんで」

「この妙な太々しさ、誰かの下についている奴の態度じゃない」

「そういう性格なんで」

「会長、まずいですよ。もし、こいつがエッセルの回し者だとしたら、既に……」


 護衛の男が俺を睨み、周囲を警戒し始めた。

 続きを口に出さないのは賢明だと思うけど、そこまで言ったら同じことだろ。

 俺はこれ見よがしに肩を竦めてみせた。


「誤解ですって。考えてもみてください。自分が本当にエッセルの人間だとしたら、わざわざ話しかけて警戒を誘うような真似をすると思いますか? 護衛のあなたなんて、めちゃくちゃ強そうだし、捕まえるつもりなら、気づかれる前に後ろから不意打ちでもかましますよ」

「……それは、そうだが」


 相手を騙すなら、嘘の中に、ほんの少しだけ真実を混ぜるのがポイント。

 この場合の真実ってのは、エッセルの回し者ではないってところだな。


「頭の上でごちゃごちゃ言ってんじゃねぇよぉ。急ぎなら今すぐ移動した方がいいのかぁ?」

「はい、建物の前に馬車をつけてあります」

「チッ、本当に急だなぁ。言っとくが、競売品に傷でもつけたら許さねぇぞぉ」

「ウス、言っておきます」


 下手をすれば、競売品が傷つくかもしれない過激な行動を起こすつもりと。

 もう真っ黒だな。

 俺が先導し、サンクゼールを挟んで護衛の男が後ろをついてくる。


「それにしても、サンクゼール会長は、どうして競売に参加を?」


 黒なのは確定だけど、決定的な言質を取っておきたい。

 何か目当ての品があり、それを競り落とすために来たと言うのなら、互いに勘違いしながら奇跡的に会話が噛み合っていたという可能性も、ほんのわずかに残っている。


 ――が、やっぱりそんなことはなかった。


「どのみち俺の物になる競売品を、そうとは知らず、必死に高値を付ける連中は滑稽だろぉ? それを腹抱えて見物するのが楽しみだったんだがよぉ、とんだ無駄足だぜぇ」


 うん、こいつクズだわ。

 よかったー。無理矢理命令されているとかだと、罪悪感があるからな。


「他に、ご一緒に来られている方はいらっしゃらないんです?」

「宿泊している宿に、世話係を二人置いているくらいだなぁ」

「思ったより少ないんですね。それで作戦に支障はないんですか?」

「はぁ? 何を言ってやがんだぁ? 俺の仕事は、今回の遠征費用の三割を負担することと、今日の日没前にやってくる先遣隊を都市内に入れる手引きだけだろうがよぉ。これ以上、何をやらせるってんだぁ?」

「あ、そうでしたそうでした。失礼しました。その報酬として、都市を占領した後、競売品を自由にしていいってことになっているんでしたね。競売品で、元は取れるんです?」

「十分すぎるほど釣りがくらぁ。【タルピエーダの情熱】一つでもボロ儲けよぉ」


 確か、首飾りタイプの筋トレ道具だっけ?


「先遣隊を都市の中に引き入れて、何をするつもりなんです?」

「決まってんだろぉ。要所要所に配置して、ドカンとやるんだよぉ」

「ふんふん、その混乱に乗じて大量の魔物をけしかけるつもりなんですね。でも、どうやって魔物たちを制御しているんでしょう。そういうスキル持ちでもいるんでしょうか」

「さてなぁ。だがまぁ、おそらく、ウチのもんが拾ったっていう――」

「会長、やっぱりこいつ、変です!!」


 迎賓館の外に出たところで、我慢ならなくなったのか、護衛の男が声を荒らげた。

 サンクゼールを背に隠し、俺を射るように指差す。


「さっきから根掘り葉掘りと。先遣隊の役割すら知らない人間を伝令に寄越すはずがない!」


 護衛さん、察しがいいじゃん。

 ここまで来れば、目的は達成されたも同然だ。

 俺は演技をやめ、べぇ、と舌を出した。


「……お前ぇ、何もんだぁ?」


 即答はせず、俺は空を見上げた。

 雲一つない、いい天気だ。雷なんて落ちそうもない。

 何者かと問われ、神の代行者と答えても、たぶん通じるだろう。

 でも、代行者にどれほどの強制力があるのかはわからないし、証明のしようもない。

 なので端的に、こう答えておこう。


「勇者、かな」

「ゆ、勇者だぁ? てぇことは、お前……センヤ・ウスイか!?」


 ヒクッ、と顔が引きつりそうになったが、俺はなんとか表情を崩さずに堪えた。

 笛吹も有名になったもんだな。せっかくなので、利用させてもらおう。


「いかにも、俺がセンヤ・ウスイだ」


 もし面倒なことになったら、あいつに全部丸投げして雲隠れする。そうしよう。


「ど、どういうことだぁ? 勇者は今、大罪魔物の遠征に行ってるはずだろうがぁ」

「会長、信じないでください! 勇者を騙っているだけです!」


 二人でああだこうだ言っている隙に、俺はスーツの上着を脱ぎ、そしてズボンを下ろした。


「な、何をしていやがるんだぁ?」

「お構いなく」


 でも野外露出の趣味はないんで、さっさと用件は済ませたいところだ。


「外へおびき出したのに、他の騎士が出てこない! つまり、単独です! こいつさえここで消せば!」


 ズカズカと護衛の男が近づいてきた。

 即断即決。相手の力量を測れていないことを除けば、悪くない判断だ。

 消すとは穏やかじゃないが、おかげでこっちも遠慮せずに済む。


 んじゃ、まずは勇者の証明をしようか。

 お忘れかもしれないが、【神の雷】のペナルティーを受けたのは、聖士郎だけじゃない。

 くそ女神の顔と悪行を思い出し、この世界に降り立って初めての悪態をつく。


ドブスガ



 ――ズガァァアンッ!!



 快晴の空から雷(大)が俺目がけて降り落ちた。



 …………。


 …………。


「………………………………。――っぷは!」

「旦那様、大丈夫か!? 生きているか!?」


 目を開けると、俺は睦琴に支えられて立っていた。

 うひぇー、意識がトんでた。

 痛いと感じる暇もなかった。

 覚えているのは、ただただ、全身に凄まじい衝撃が走ったような気がしたというだけ。

 これはヤバいな。一歩間違えれば普通に即死する。二度とやりたくない。


「……問題なしだ。ナイス回復」


 足元には、ぷすぷすとスーツから煙を立てている護衛の大男が転がっている。

 俺に触れる前に雷を落としたから、こちらも死んではいない。

 やることをやったら回復してやろう。レベルは一個下がるけどな。


 俺は努めて余裕を装いながら、脱ぎ捨てたスーツを着直した。

 シャツに焦げ跡がついてしまっているが、それを理由に再入場を拒否されはしないだろう。


「さてさて。これで俺が勇者だってこと。逃げようとしても無駄だってこと。逆らったらこの男みたいになるってこと。わかってもらえたかな?」


 サンクゼールは腰を抜かして二の句を継げなくなっているが、どうにか一度だけ首を縦に振った。


「よし。お互いの立場を確認できたところで、お楽しみの脅は――交渉といこうか」



 競売会場に戻った俺たちは、順次品物が競り落とされていくのを、映画館のように段差のある座席から眺めていた。睦琴と二人でサンクゼールを挟み、逃げられないようにしている。

 ちなみに、護衛の男は手足を縛って路地裏に隠しておいた。後で回収する。


「本当に、大丈夫なんですかぁ?」

「心配いらない。これは俺が独断で動いているだけだ。エッセル王国が、サンクゼール商会を怪しんでいるって話は出ていない」

「…………なるほどぉ」

「おっと、変なことは考えるなよ。やろうと思えば、お前は一瞬で黒焦げだ」


 俺も一緒に焦げるけど。


「あとな、ザクリッチの企みは全部潰す。お前が手にするはずだった報酬は、一切入らない」

「そ、それだと大損で、ウチの商会が潰れちまいますよぉ」

「事情を知っているお前は、エッセルに警告を発しに駆け付けた、善良な商人ってことにしておいてやる。ザクリッチにとっては裏切り者だけど、エッセルにとっては救世主だ。悪いようにはされないだろ。そこからどう商売に繋げるかは好きにしろ」

「くっ、センヤ・ウスイ……本物の鬼畜ですわぁ」

「ふっ、どうとでも言うがいい。俺は痛くも痒くもない」


 マジで♡

 とはいえ、サンクゼール商会にとっても、案外悪い話じゃないと思う。

 要は、勝ち馬に乗った後、振り落とされないようにするってことだ。


「それで、これから何をやらせるつもりなんでしょうかぁ?」

「簡単な要求だ。どうしても欲しい競売品がある。金を出せ」


 睦琴が、ぽつりと「カツアゲ」と言ったが、聞こえなかったことにする。


「ち、ちなみに、何を狙っていらっしゃるんでぇ?」

「【大災杖キュベウテス】【九尾の指輪】【天馬の指輪】の三つだ」

「ええっ、無理ですよぉ。そんな金、ありません」

「しぼり出せ」

「そうではなく、商会の金を使うには、いろいろと手続きが必要になってくるんでさぁ。でもそれだと既に始まっている競売には間に合わない。今使える金と言ったら、自分の個人口座に入っている分だけなんですよぉ」


 そうなのか。それはちょっと誤算だ。


「個人口座に入ってる金はいくらだ? 嘘ついたら焦がす」

「い、10,000金貨がやっとでさぁ!」


 10,000金貨に、こちらの手持ちの15,000金貨を足して、25,000金貨か。

 うーーーーーーん、際どい。

 いけるかなー。

【大災杖キュベウテス】を諦めたら、指輪二つは確実に手に入るだろうけど。

 うーーーーーーん。


 うんうんと唸っているうちに、【大災杖キュベウテス】の番が回ってきた。

 遠目からではよくわからないけど、偶然にも銃の形をしている現物が舞台の中央に運ばれ、進行役の男が競売品の紹介を始めた。

参加者には、それぞれ異なる数字の書かれたプラカードが渡されている。それを掲げながら金額を叫ぶ仕組みだ。俺は〝16〟の数字がついたプラカードを持っている。


 そして、競りが始まる。

 まずは予定どおり、1,000金貨からスタート。

 俺はすかさずプラカードを持ち上げ、「10,000!!」と叫んだ。

 会場が沸く。

 初手から高額を提示することで、何がなんでも手に入れるというアピールだ。

 これで周りが委縮してくれたら――と淡い期待をするが、そうは問屋が卸さない。

 20,0000金貨まで釣り上がると予想された品だけあって、すぐに「12、000」の声があがった。


「14000!」

「16000!」

「18000!」


 あっという間に高騰していく。


「20,000!!」


 ここで終わってくれと祈りながら、俺は金額を更新した。

 2万台になったことで、再び会場が沸いた。

 決まるか?

 決まれ。決まれ。決まってくれ。


「21,000!」


 くあーーーーー!!

 ついに予想額を上回り、俺はプラカードをへし折りそうになった。

 だが、まだ粘れる。


「22,000!」


 身を切る思いで叫ぶと、数秒の沈黙が流れた。

 進行役の男が、現在の最高額を連呼しながら『ありませんか?』と執拗に確認をする。


「22,500!」


 どちくしょう。

 500刻みで喰らいついてきやがった。

 だけど、それは相手も、これ以上はキツい。出したくないと言っているようなものだ。

 だからこそ攻める。


「24,000!!」


 これが本当に限界だ。

 睦琴は静かに目を瞑り、成り行きに身を任せている。

 逆にサンクゼールの方が熱を上げ、拳を握って固唾を呑んでいる。

 またしても、会場に息の詰まるような沈黙が流れた。

 もう一声ありませんか、と余計な確認をする進行役に殺意を覚えそうだ。


 ややあって、最後に競ってきた参加者が、胸の位置に持っていたプラカードを膝に置いた。

 それを見て、進行役の男が【大災杖キュベウテス】の競りを締め切りを宣言する。


『おめでとうございまーす! 24,000金貨にて、【大災杖キュベウテス】は〝16番〟のお客様が落札されました!』



「しんっど……」


 運動したわけでもないのに、やたらと体力を持っていかれた。

 なんとか【大災杖キュベウテス】を競り落とせたけど、残金は1,000金貨。

 次なる標的は【九尾の指輪】だが、競売開始額が100金貨のこの品は、予想だと1,000金貨まで上がると言われている。それは続く【天馬の指輪】も同じだ。

 二つとも競り落とそうとするなら、少なくとも2,000金貨が必要になる。


 と、普通ならそう思うじゃない?


「睦琴、今から俺たちは、アツアツのカップルという設定でいく」

「了解した」

「ごめん。言っておいてなんだけど、先に説明させて? 腕に抱き着くのはちょっと待って? あの、当たってる。当たっていますよ?」

「当てているんだが?」

「勘弁してください」


 たじろぐ俺の反応に満足したのか、睦琴がいったん離れてくれた。

 ドキドキとうるさい心臓を落ち着けてから、ここからの方針を話す。


「【九尾の指輪】【天馬の指輪】、これらはそれぞれ1,000金貨相当の品だが、はめ込まれた宝石が違うだけで、デザインはほとんど同じなことからペアリング的な意味があると思う」

「ああ、確かにそれはありますねぇ」


 俺の意見に、サンクゼールが同意した。


「この二つの指輪の出品者は同じ人物で、なんでも両親が結婚指輪としてつけていたそうなんですが、その両親が他界したのを機に売りに出したそうですよぉ」

「いや、そんな大事な物なら売るなよ」

「金が必要だったんでしょうねぇ。その気持ち、痛いほどわかりますよぉ。私も商会をしょって立つ身ですから、とにかく職員を食わせなきゃならない。そのせいで、今回みたいにやりたくない仕事を受けて手を汚さなくてはならないこともあるわけでぇ」

「今さら情に訴えかけるとか無理だぞ。【大災杖キュベウテス】は落札したんだし、お前の口座にある金は全部吐き出してもらうから」

「『どのみち俺の物になる競売品を、そうとは知らず、必死に高値を付ける連中は滑稽だろぉ? それを腹抱えて見物するのが楽しみだったんだがよぉ、とんだ無駄足だぜぇ』――だったな。一言一句覚えている」


 一度聞いたことは決して忘れない。睦琴さん、パないわ。

 サンクゼールが、観念したように項垂れた。


「つーわけで、指輪は二つ揃って所持していないと価値が半減すると俺は考える」

「つまり、先に競りが行われる【九尾の指輪】が勝負だと?」

「そのとおり。【九尾の指輪】さえ競り落とせば、その次の【天馬の指輪】に、【九尾の指輪】以上の金を出そうとする奴はいないはずだ」

「アツアツカップルの振りは、他の参加者への牽制か」

「ご明察」


 あそこの二人、この指輪を愛の証にするつもりなのか?

 やれやれ、そういうことなら彼らの恋路を邪魔するわけにはいかないな。

 今回の入札はやめておくか。持ってけドロボー。お幸せに。

 という感じの空気になることを期待する。


「なるほど。これが旦那様の言う、汚い手段か」

「いや、違うけど?」

「…………」


 じとっとした睦琴の視線をかわしながら、【九尾の指輪】が出てくるのを待つ。

 願わくは【九尾の指輪】を900金貨以内で競り落とし、続く【天馬の指輪】を競売開始額である100金貨に即時入札。そのまま落札となりますように。

 最悪の手を使わなくて済むことを祈りながら、ついに【九尾の指輪】の登場を迎えた。


「出てきたぞ! あの指輪を絶対に手に入れ、お前に捧げよう! そして生涯の愛を誓う!」

「その想い、謹んで受けよう! そして、次に出てくる【天馬の指輪】はあなたに!」


 進行役の男が【九尾の指輪】について紹介し始めるや否や、俺は参加者全員に聞かせるつもりで声を張り上げた。睦琴も寸劇に付き合ってくれている。

 が、ここでアクシデントが発生する。


「見ろ、モニカ! あの美しい輝きを! あの指輪は君にこそ相応しい!」

「嬉しいわ、イルローザ! この後の【天馬の指輪】も手に入れたら、結婚しましょう!」


 なん……だと。

 まさかの対抗馬が出現。


『なんとなんと、【九尾の指輪】と【天馬の指輪】、この二つをもって永遠の愛を誓おうとする男女が同時に二組現れました! しかし、指輪は無情にも一点モノ! はたして、愛の女神はどちらの男女に微笑むのか――!?』


 進行役が、このシチュエーションを面白おかしく拾い上げたことで、他の参加者が入札を控えようとする空気を作ってくれた。それ自体はラッキーだけど、問題は、あのカップルがどれほどの資金を有しているかだ。


「オイ、サンクゼール。あの男女は資金も潤沢にある大商人だったりするのか?」

「ああ、いえ、存じ上げませんねぇ。初参加ではないでしょうかぁ」


 商人の世界は広いようで狭い。

 情報が命とも言えるわけだから、有力者のプロフィールなりは、必ず共有される。

 サンクゼールが顔を知らないということは、つまりはそういうことだ。


『まずは、100金貨からまいりましょう!』


 競売スタート。

 まず、相手の男が〝28〟のプラカードを掲げて「100!」と叫んだ。

 続いて俺が「200!」と返す。


「300!」

「400!」

「500!」

「600!」


 まさに一騎打ち。

 会場には、ひゅーひゅーとはやし立てる空気が生まれ、二組のバトルを見守っている。


「700!」


 ここで俺が「800」を提示すると、相手は「900」と返してくるだろう。

 900は俺が【九尾の指輪】に出せる最高額なので、譲るわけにはいかない。


「900!!」


 ここへ来て俺の出した200アップに、ギャラリーがどよめいた。

 100刻みで競ってきたことから、相手の資金は多くないと考えられる。

 これで決まってくれる可能性はある。

 しかし、そんな淡い期待はもろくも崩れ去ってしまう。


「きゅ……950!」


 …………くそ。

 50刻みで競ってくるとは。


 俺は離れた席にいる敵の姿を見つめた。

 本当に、この指輪が欲しいんだろう。二人が寄り添うように手を取り合っていることから、彼らの愛が本物であることがわかる。対して、こちらは指輪を手に入れたとしても、その後は鬼ヶ島と川尻に――別の人間に渡すつもりでいる。そもそもの執念が違う……か。

 まいった。降参だ。

 俺はそっと、プラカードを下ろして首を横に振った。


『おめでとうございまーっす! 950金貨で、【九尾の指輪】は〝28番〟のお客様の手に渡ることとなりました! 皆様、盛大な拍手と、温かい祝福を彼らに――!!』


 パチパチパチ!! と割れんばかりの拍手が落札した男女に贈られる。

 次の【天馬の指輪】は消化試合のようなものだ。

 あのカップルの幸せを邪魔してまで入札してくる客はいないだろう。


『さて、お次の【天馬の指輪】ですが、決まりですからね、100金貨から――』



1,000



 ただ一人、俺を除いて。

 会場が、しん、と水を打ったように静まり返った。

【九尾の指輪】を落札したばかりの男女が俺を見て、ぱくぱくと、エサを求める金魚みたいになっている。ちゃんとルールに則って入札しただけですが、何か?


『え、ええと……1,000金貨での入札が出てしまいましたが……』


 進行役の男もうろたえている。えー、何ー? 俺が悪者みたいな空気やめてー?

 モニカと呼ばれた女性が泣き崩れた。

〝28〟のプラカードは上がらない。

 1,000金貨以上の資金が無いのだから、上げられるわけがない。

 たっぷり3分くらい待たされ、入札が締め切られる。

 俺はブーイングの嵐の中、【天馬の指輪】を落札した。



 目的の三品の競売が終わったので、俺は落札した品を検めるため、大ホールを出て別室へと足を運んだ。中の様子を見せたくないので、睦琴だけ中に入れ、サンクゼールは逃げられないよう扉の外に縄で繋いで待機させる。

 別室にいたスタッフも、先程の競りを見ていたのか、複雑な表情だ。


「旦那様、あれでよかったのか?」

「よくはないな。おかげで、最悪の状況だ」

「ということは、あれが汚い手段か? 汚いというか、単に外道な気がするが」


 酷い言われようだ。

 先に【大災杖キュベウテス】を検品し、所有権を得るための手続きを行っていく。この時に支払いも済ませた。サンクゼールの口座からは、きっかり10,000金貨を徴収した。

 こいつにはまだ、先遣隊がうんたらの件についても詳細を訊く予定だ。

 続けて【天馬の指輪】の品定めを――というところで、【九尾の指輪】を落札したカップルも別室にやってきた。女は意気消沈し、男は俺を見るや、ぎりぎりと歯を噛み締めて敵意を露わにした。女を支えていなければ、殴りかかってきそうな剣幕だ。


「どういうつもりですか?」


 怒り心頭ではあっても、物言いは紳士だ。

 俺はきょとんとし、無垢な少年の瞳を作って「何がでしょうか?」と問い返す。


「あなたはルールを犯したわけではない。それはわかっています。わかってはいますが!」

「まあまあ、とりあえず落ち着いて。俺の話を聞いてください」


 近づけば噛みつかれそうな形相だ。

 しかし、そんな険しい表情が、次の俺の言葉で困惑へと一変する。


「勢いで落札してしまいましたが、俺は【天馬の指輪】の所有権を放棄するつもりでいます。そして放棄するだけでなく、あなた方に譲渡します。お代はいりません」

「………………は?」


 まあ、そういう反応になるよな。

 この部屋にいる全員の目が点になっている。


「言葉にするのも無粋かと思いますが、あえて言うなら、そう、あなたたちの本物の愛に心を打たれた、ということになるでしょうか。お二人の幸せに影を差すようなことをして、申し訳ありませんでした。譲渡はせめてもの償いだと考えてください」

「し、信じられるものか!」

「嘘だと思うなら【天馬の指輪】の手続きを、あなたの手で完了してしまってください。あとは所有権が誰にあるのか、そこに名前を記入すればいいだけですから」


 サインを受理された後は、商業組合に届けて登録証を発行してもらう。これに最短で一日。

 それが終われば、正式な所有者として認められる。

 男が俺を訝しみながら凝視した後、スタッフに確認の視線を投げた。

 嘘ではないことを伝えるため、スタッフが、こくこくと何度も頷く。


「いや、しかし。1,000金貨も出されたんです。何か、見返りを求められるのでは?」

「見返りだなんて」


 遠慮のしすぎはかえって疑念を抱かせる。

 押すべきところと、引くべきところを見誤ってはいけない。ここは軽く押すべきだ。


「そうですね。しいて一つお願いすることがあるとしたら、【九尾の指輪】と【天馬の指輪】、二つ揃った状態で、一度でいいから手に取らせていただけないでしょうか。俺たちも、この指輪を結婚の証にしようと思っていたわけですから」

「それくらいなら……。でも、そんなことで諦めきれるのですか?」

「ええ。この指輪にかける想いの差を知ってしまいましたから。俺たちには、あなたたちほど強い想い入れがなかった。それを考えると、やっぱり一番相応しい持ち主の手に渡った方が、指輪も幸せだと思ったんです」

「16番さん……」


 直前までの殺伐とした空気は霧散し、優しく、穏やかな雰囲気に包まれていった。


「どうぞ。好きなだけご覧になってください」

「お言葉に甘えます」


 男がスタッフに促し、【九尾の指輪】の隣に【天馬の指輪】も並べられた。

 俺は二つともを摘まみ上げ、指にはめるのではなく、頭上にかざしてみた。

 宝石が天井の照明を反射し、黄金色と紺碧色の輝きが、視界の中で美しく踊っている。

 そんな中、そっと睦琴が近づき、耳元で囁いてきた。


「旦那様よ、結局、何がしたいんだ?」

「まだわからないか?」

「……皆目見当がつかない」


 睦琴にしては、察しが悪いな。

 俺の目的は、既に果たされたも同然だ。【九尾の指輪】と【天馬の指輪】の現物を、こうして手に取れる状況を作れたことで、あとは仕上げを残すのみとなっている。


「本当に綺麗ですね」

「そうでしょう。実は、私は幼少の頃に一度、その二つの指輪を直接見る機会がありまして、子どもながら、宝石の輝きに心を奪われてしまったんです。遠い将来、自分が結婚する時は、この指輪に見劣りしないものを愛する女性に贈ろうと決めていました。だけどまさか、憧れた指輪そのものを手に入れられるとは思ってもいませんでしたよ」

「なるほどー。それが競売に出品されることを知って居ても経っても居られなくなり、参加を決めたということですか」

「ええ、そうなんです」

「おっと、両手が滑ったー」

「え?」


 天井に掲げながら喋っていたせいで、手から零れ落ちた指輪が二つとも、そのまま俺の口の中へ――。

 ごくん、と喉が鳴る。

 訪れる、刹那の静寂。


「……ちょ……ちょおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」

「きゃあああああああああああああああああああああっ!!」


 男が絶叫し、恋人の女が悲鳴を上げた。


「いや、すみません。わざとじゃないんです。これは不幸な事故で――」

「吐き出せオラアアアアアッ!!」

「――ごふぉっ!!」


 体重の乗った、いいボディーブローだ。

 鳩尾に重い一発を喰らった俺は、今しがた飲み込んだ指輪をオゲゲゲと吐き出した。

 男がポケットから取り出したハンカチで、吐しゃ物まみれになった指輪を掴み取る。


「このゲロ野郎! そうやって油断させて、最初からくすねるつもりだったんだろう!」


 俺はゲロを吐き、男は毒を吐いた。

 咳込む俺の胸倉を掴み上げ、背中を突き飛ばし、部屋の中から追い出そうとする。


「出ていけ! 二度と顔を見せるな!」


 激おこな男と、またしても泣き出した相方の女に向けて、俺は心からの言葉を贈る。


「お二人さん、末永くお幸せに」

「やかましいわッ!!」


 感謝の言葉は返ってこなかった。



「あの作戦は、ちょっとどうかと思う。失敗して当然だ」


 別室を追い出された後、男性用トイレに移動してガラガラとうがいをしていると、入り口で呆れを果てた様子の睦琴が言った。


「失敗?」

「失敗だろう? 現に、指輪は一つも手に入っていない」

「待て待て。睦琴、お前まさか、俺が食べ物に唾をつけて、自分の物だと主張する小学生みたいな行為を作戦だと言っていたと思っているのか?」

「違うのか?」

「そんなわけないだろ」


 カシカシと頭を掻き、俺はスーツの上着から、一本の枝を取り出した。


「これ、何かわかるよな?」

【トレントの枝】だろう?」


 トレントとは、木の形をした魔物のことだ。この枝は、その一部ということになる。

 普通、魔物は核と繋がっていない部分を切り離したら、黒い靄のようになって消失する。

 例えば、ゴブリンの腕を切り落としたとしたら、本体はまだ生き残っていても、切った腕の方だけが、跡形もなく消えてなくなるのだ。

 だけど、植物タイプのトレントは違う。

 上手いこと節の部分で切断した場合、消えずにそのまま残るのだ。

 が、節間の部分をぽっきり折ってしまうと、ゴブリンの腕と同じように消えてしまう。

 それを利用して、手品の道具に使われたりしているそうだ。

 ちなみに、一本10銅貨。


「一般的には大した使い道がないけど、俺たちにとっては違う」


 睦琴のスキル【経験値消去】は、現在のレベルを維持している分の経験値を、ジャスト消去することでレベルを下げる。すなわち、どんなにわずかな経験値であっても、再び獲得した時点でレベルは上がるということだ。おわかりいただけるだろうか。


 話を戻す。

【トレントの枝】は、一部ではあっても、魔素で構築された、れっきとした魔物だ。

 これをぽっきりやれば、超少量だが経験値が入る。イコール、レベルが上がる。

 つまり、【トレントの枝】を常備しておけば、睦琴のスキルが使い放題って寸法なのだ。

 こんな便利アイテムが、金貨一枚で100本も買えてしまう。


「それと今の状況に、どんな関係が?」

「えー。睦琴さん、まだわからない? えー」

「くっ、腹立たしいな」

「よーく思い出せよ。初めて睦琴のスキルを検証した時、俺は腹いっぱいで吐きそうだった。でも睦琴のスキルを使ったことで、レベルは4から3に下がったが、同時に満腹感が消えた。レベル4に上がる直前の状態の俺になったからだ」

「それは覚えているが」

「これってさ、逆も言えるよな」

「逆?」

「さっき、うっかり指輪を飲み込んだ後」

「うっかりではないだろう」

「わざと飲み込んだ直後、俺はこっそり【トレントの枝】を折った」


 サンクゼールの前で一度睦琴にスキルを使ってもらっていたので、この行為で俺のレベルは元に戻った。


「睦琴、俺にもう一度スキルを使ってくれ」

「……そういうことかッ」


 男子用トイレであることも忘れて、中に入ってきた睦琴が俺に手を伸ばした。

 すかさずスキルを発動。レベルが下がると同時に、俺の状態が時間を遡る。

 あの男に殴られる前の状態に――。


「よし。んじゃ、やりますか……」


 俺はげんなりしながら、おもむろに自分の口の中へと手を突っ込んだ。

 こみ上げてくる嘔吐感。


「オ、オゲゲゲェ……」


 洗面台に、びしゃびしゃと内容物が吐き出される。

 その中に、コロンコロン、と硬い物が二つ混じっていた。


「ゲホッ、エホッ……うえぇ~ぃ……」


 時間を戻したことで胃の中の物が消えるのなら。

 逆に、胃の中にあったものが出現したっておかしくはないだろう。

 吐き出した【九尾の指輪】と【天馬の指輪】のコピーを、さっと水で洗い、摘まんで睦琴に見せつけた。


「どうよ、作戦成功だ」

「……なるほど。汚い手段というのは、卑怯という意味ではなく、衛生的に汚いという意味だったのか」

「一応、鬼ヶ島と川尻には、ちゃんと競売で競り落としたってことにしとこうぜ」

「それがいいだろうな。あと、今はあんまり近づかないでくれ」

「こんだけ身体張ったの、酷くね?」


 雷に打たれて死にかけ。

 ブーイングの嵐を一身に浴び。

 さらに殴られ、ゲロを二回吐いたんですよ?


 まあ、何はともあれ、


【大災杖キュベウテス】

【九尾の指輪】

【天馬の指輪】


 ――以上三品。ゲットだぜー♪


次回、カラー挿絵がつくかもー!

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