LEFT OVERS

木野裕喜
木野裕喜

第7話 毒を食らわば

公開日時: 2020年9月6日(日) 12:10
更新日時: 2020年11月2日(月) 07:07
文字数:6,381

 ――――ッ。

 ――――ッ。


 ……周りが……騒がしい。……誰か……泣いてる?


「――ぐっ!?」


 うつぶせに倒れていた俺は、目を開けるより先に胸倉を掴まれ、力任せに引き起こされた。

 閉じた目蓋の裏にまで透ける明るさに慣れてくると、ここがまだ、漫画だったら背景作画の手抜きを疑われるレベルの白い世界なのだと気づく。

 まず視界に飛び込んできたのは、鬼の形相をした奥田の顔だった。


「テメェ、不動……。よくもやりやがったな、このキモヲタ野郎がッ!!」


 無理矢理持ち上げられた上半身を、今度は叩きつけるようにして投げ落とされる。反射的に左腕で頭を庇うが、背中をしたたかに打ちつけ、一瞬呼吸ができなくなってしまった。


 ………………。


 ……え?


「腕が……ある」


 千切れたはずの左腕が、ちゃんとついている。指も動く。制服だって破れていない。

 ざっくり足を鉈で切られていた奥田も元気いっぱい、二本の足で立ち上がっている。

 俺の左腕や奥田だけじゃない。

 眼球から脳を矢で射抜かれた前迫も。

 頭部をレフト前ヒットされた田所も。

 頸椎をポッキリへし折られた金平も。

 ぺしゃんこの肉の塊にされた神足も。

 そして、生死不明だった聖士郎も、焼き殺したはずの女子たちも、五体満足で動いている。


「…………そういう仕様かよ」


 まるで、悪い夢でも見ていたかのように、全てが元通りになっている。

 だけど、これは俺一人の夢なんかじゃない。主に女子同士で、互いの無事を確かめるように抱き合い、さめざめと泣いている。奥田がブチ切れているのも、その証拠だ。


 この展開を予想しなかったわけじゃない。体験学習チュートリアルの終了条件に気づいたあたりで、女神に確認しようともした。本番さながらの戦場を想定してもらわないと意味がない、なんて言ってはぐらかされたが。

 

 体験学習チュートリアルは、あくまでも体験学習チュートリアル

 異世界転送の準備は30人分。それ以上の人数は困ると女神は言っていた。最初から人数を半分にするつもりなら、そもそも困ったりはしないはずだ。人数合わせのために、急遽考えたルールなのかもしれないけど、それにしたって半数を死なせるのはやりすぎだ。


 死んだ人間が生き返る。その可能性を頭の片隅に置いていた。

 とはいえ、女神にそこまでの力があるなんて確証はなかったし、そうならない可能性だって当然あった。俺はあの時、確かに自分の命を諦めたし、クラスメイトたちが生き返る可能性に賭けて魔法の杖を使ったわけでもない。


「許さねえ! 殺してやる!」


 奥田は怒り心頭の剣幕で、俺の横っ面を拳で殴った。立ち上がろうとしていた俺は、またも地面に身を投げ出してしまう。遠慮のないパンチだったけど、ホブゴブリンの馬鹿げた怪力を味わった後だと、プラスチックのおもちゃで叩かれた程度にしか感じない。


「……結局、奥田はあの後、死んだのか?」

「死んでたまるかよ! 俺は一部始終を見てたんだ! こいつは……不動は、ゴブリンどもを殺すために、捕まった女たちを囮にしやがった! クラスメイトごと焼きやがったんだ!」


 奥田は俺の悪行が全員に伝わるよう、声を張り上げた。

 だけど、誤解がある。

 俺はゴブリンを殺すために、女子たちを囮になんてしていない。

 女子たちを殺すために魔法を撃ったら、ついでに何匹かゴブリンが死んだだけだ。


 …………。

 事実の方が酷いな。


「どうした!? 言い訳もできねえのか!?」


 クラスメイトを殺さないと、体験学習チュートリアルが終わらなかったと説明するか?

 説明してどうなる。

 危機的状況だったわけだし、罪には問われないのかもしれない。でも、どんな状況であれ、他人を殺そうと考え、実際に殺してしまうような人間に対して、大変だったなと労い、以前と同じように接することができるだろうか。俺なら無理だ。


 だったら、ゴブリンを倒す際に、巻き添えで殺してしまったとしておいた方が幾分マシ。

 それに、クラスメイトの死を望んでしまった事実と罪悪感が、言い訳しようという気持ちをこそぎ取っていった。


「ああするしかなかった」

「仕方がなかったとでも言うつもりかよ! テメエの血は何色だ!?」

「リアルにその台詞を聞くとは思わなかったな。一部始終を見ていたんだろ? だったら俺の腕が千切れて赤い血が出たのも見たはずだ」

「屁理屈をぬかしてんじゃねェ!」


 奥田が尻もちをついている俺の顔に、今度は蹴りを入れた。さすがに顔面キックは痛い。

 ぱた、ぱた、と鼻血が落ちた。地面も真っ白だから、血の赤がよく映える。


 睦琴と聖士郎、そして久慈林先生が駆け寄ろうとしているのが見えた。

 俺は三人に掌を突き出し、声に出さず「来るな」と睨みを利かせた。俺を庇ったりすれば、そっちにまで飛び火しかねない。


「そうだ、絶対に許すな! こいつは自分のことしか考えていない!」


 奥田に賛同し、俺に指を突きつけてきたのは、リア充カップルの片割れ、神足こうたりだ。


「一人だけ強力な武器を持っていたくせに、俺は見殺しにされたんだ! しかもその武器で、敵に捕まった摩耶を……ッ! こいつは悪魔だ! 人間じゃない!」


 そこからはもう、俺への罵詈雑言ばりぞうごんが加速度的に広がっていった。こんな異常事態で少数派に回ってしまうことへの不安からだろう。まるで、石を投げないことが異端であるかのように、俺が直接何かしたわけでもない連中まで、声を大にする奥田たちに同調していく。


 矛先が自分に向かないようにしているのか、捕まった女子たちを見捨てて逃げていたはずの笛吹うすいは「魔法の杖をもっと有効的に使っていれば、全員を逃がすことだってできただろうに。身一つで戦った僕でさえ、10人は逃がすことができたんだから」と戦線離脱を正当化しつつ、俺をこき下ろすことで自分の株を上げようとしている。


 もう好きにしてくれ。

 俺が自己弁護に走り、「お前らだって――」と言い出したら、それこそ収取がつかなくなる。

 憎しみヘイトが俺一人に集まることで結束できているなら、まだ悪役ヒールを演じる甲斐もある。

 その代わり、異世界で魔物とドンパチやるのも、お前らに任せるからな。


「俺のことはいい……。でも、摩耶を傷つけたことだけは絶対に許さない!」

「お前は、前から気に入らなかったんだ! ヲタクのくせに態度がでかくてよォ!」


 神足は、彼女のために怒る俺カッコイイを実践しているだけだが、奥田の一蹴り一蹴りには殺意がこもっている。

 うずくまって袋叩きと罵倒に耐えていると、聖士郎と久慈林先生が、我慢の限界とばかりに「お前ら――」「あなたたち――」と怒鳴りそうになったのが見え、俺は焦った。

 しかし、これは睦琴が止めてくれた。理由を知らずとも、何か事情があるってことを察してくれている。拳を握り固め、二人以上に辛そうにしているけども。


 神足は、ひとしきり俺を痛めつけたら満足したのか、彼女である遠山のケアに戻っていった。

 奥田は、それからも罵りと蹴りを休めなかった。


「ムカつく! ムカつくぜ! 何もかもが、ムカついてしょうがねェ!」


 そうだな。俺もムカついてるよ。

 元々、異世界に夢見たりなんかしていなかったけど、くそ女神様……さすがにこの仕打ちはないんじゃねーか。憎まれ口を叩いたのが、そんなにイラついたのかよ。

 そろそろイイ感じに肉が柔らかくなってきたんじゃないですかね。なんて、虚勢を張るのもしんどくなってきた頃、ようやく奥田が攻撃を止めた。それは気が晴れたというより、息切れしたから仕方なく、といった感じではあるが。


「あと、これもはっきりさせとかなきゃいけねェ」


 まだまだ腹の虫が収まらないらしく、依然として表情は険しい。そんな奥田が、俺に野次を飛ばしていた奴らに視線を一巡させ、咎めるように言った。


「ゴブリンを選びやがったのは誰だ?」


 その一言で、場の空気がピシリと張りつめた。

 体験学習チュートリアルでゴブリンが出てきたのは、誰かがゴブリンのレリーフに触れたからだ。

 レリーフはすぐに消えてしまったので、誰が触れたのかは明らかになっていない。


「なんの相談もなくよォ。そのせいで俺は死にかけたし、実際に殺された奴もたくさんいる。これ、完全に戦犯だろうが。黙ってないで出てこいや! 土下座して全員に謝罪しろ!」


 アホか……。

 昨日掃除当番をサボった人、正直に手を上げなさい。とはワケが違う。

 散々俺を痛めつけた直後だぞ。同じ目に遭わされるかもしれないのに、誰が名乗り出るか。


 隣近所で互いの顔を見合わせ、ざわめき出す。

 俺じゃない。私じゃない。そう言っているうちは、まだよかった。

 次第に、お前じゃないのか? あいつが怪しいんじゃないのか? そんな声が出てきたかと思えば、あっという間に疑心暗鬼を越え、罪のなすりつけへと発展していった。

 俺一人をスケープゴートにしてできた結束なんて、綿菓子ほどの強度もなかった。

 勝手にやっていればいい。これ以上は、俺の領分じゃない。


 そう考え、奥田に背を向ける形でごろりと寝返りを打った。

 そしたら、運がいいのか悪いのか。たぶん悪いんだろうな。……偶然見つけてしまった。


 ――川尻かわじり恋姫こひめ

 クラス一、いや、学校一小柄で愛嬌のある、元気のいいチワワみたいな女子だ。

 こんな状況だってのもあるだろうが、見ているだけで、つられて頬が緩みそうになる普段の明るさが見る影もない。顔を青くして俯き、本物のチワワみたいにぷるぷると震えている。


 そんなんじゃ、お前がやったって丸わかりだぞ。

 俺は打撲で赤紫色になっているであろう腕を、所在なさげにさすった。


 川尻……川尻か……。

 周りが俺をボロくそに責め立てていても、あいつはそこに加わっていなかったように思う。

 川尻は裏表のない性格で、誰に対しても壁を作らない。ヲタクにもだ。

 睦琴と『アニメのDVD化に際して解禁されるTKBが売り上げにもたらす効果』について議論していた時、アイドルグループの話をしていると思って話に入ってきたことがあった。

 TKBの意味を取り違えているようだったから、懇切丁寧に説明してやると、顔を赤くして「学校でエッチなのはダメよ!」なんてプリプリ微笑ましく怒りながらも手作りのクッキーをお裾分けしてくれた。


「あれは美味かったな……」


 ああ、そういや、礼は言ったけど、何もお返しをしていなかった。

 だから、恩を着せるつもりなんてない。

 これはついでだ。俺が今さら罪を一つ重ねたところで大差ない。

 一人ずつ尋問してでも犯人を見つけようとしている奥田の背に向けて、俺はこれ見よがしに溜息をついてやった。


「あーあ、ゴブリンは、景気づけにちょうどいいと思ったのになぁ」

「……ああ?」


 こめかみに青筋を立てた奥田が、縁日のヨーヨーより簡単に釣られてくれた。


「オイ、今なんつった?」

「ゴブリンって言ったら、RPGだと大抵は雑魚敵じゃん。お前だって、そう言ってただろ? 異世界に行く前の慣らしには最適だと考えて選んだんだよ

「選んだ? テメエが……」


 信じられないものを見る目つきをしている奥田の後ろで、川尻がそれ以上に驚いている。

 だから、そういうリアクションをしちゃうとバレバレなんだってば。

 やむを得ず、俺はさらに注意を引きつけるつもりで舌を回した。


「まあ、スライムなんかもありかと思ったけど、モノによってはゴブリンと同じくエロ展開になったりするし、意外と強敵だったりするんだよな。物理攻撃が一切通じないだとか、酸性の粘液で生きたままドロドロに溶かされるだとか。はは、普通に殺されるよりヤバくね?」


 普通に殺されるってのも変な言い回しだな。

 この数十分で、俺の中の普通がどんどん塗り替えられていく気がする。


「他にはドラゴンのレリーフもあったっけ。さすがに、これは選ぶ余地がなかったな。頭からボリボリ食われるなんて絶対ごめんだし。それに火属性耐性が高かったりすると、下手すりゃ魔法の杖だって効かなかったかも」

「……ゲーム脳やめろや……」

「キレんなよ。俺の選択は最善だったと思うぜ。ゴブリンなら頭を潰せばちゃんと殺せるし、戦いようによっちゃ、もっと善戦できたはずだ。でかいのが一匹いたのは予定外だったけど」

「その予定外で、どれだけ被害が出たと思っていやがる!!」

「結果的には全員無事だ。よく見ろ。今怪我してるのなんて、お前にボコられた俺だけだぞ」

「精神的にとか、あるだろうが!」


 あるだろうな。あるだろうよ。

 あの体験学習チュートリアルで、全員にもれなくトラウマを植えつけられた。

 特に俺は、気がおかしくなりそうなくらい痛い目に遭ったし、文字どおり、死ぬ一歩手前の恐怖を味わった。そして、クラスメイトを殺す大罪まで背負わされた。

 痛みなら誰よりもわかっている。わかっているのに、俺は皆の傷口をさらに抉っていく。


「お前の言う精神的被害ってな、あれか? 偉そうに仕切ってたくせに、雑魚ゴブリン一匹にしてやられて、わんわん泣いちゃったことか? 気にすんなって。それも全部なかったことにしていいからよ」


 クラスメイト殺しの罪を少しでも償えればと思って、好き勝手殴る蹴るさせてやったけど、そんなことをしても、こいつらは、またすぐに別の標的を探して不満をぶつけ出す。

 ゴブリンみたいな凶悪な魔物がいる世界に送られるってのに、こんな簡単に仲間割れをしているようじゃ、どのみち生き残れない。気は進まないけど、ちょっとばかし路線変更だ。


 俺への不満は晴らさせちゃいけない。

 くそみたいな理由で生まれた団結でも、無いよりはマシ。

 ゴミみたいな結束を切らせないために、俺は徹底的に悪者で居続けてやる。


「こ、ろす……。ブッ殺してやる!!」


 奥田が、これまで以上の殺意が乗った大振りのパンチを放とうとしている。素人のパンチで死ぬことはなくとも、あれを真正面から受ければ鼻骨くらいは砕けるだろう。


「殺す殺すって、うるせえんだよ。俺が終わらせてやったんだろうが!」

「なっ――――がはッ!?」


 反撃されるなんて考えていなかったのか、俺は繰り出された拳を払ってかわし、さっきまで受けていたダメージの何割かを、奥田の鳩尾みぞおちに返してやった。

 チクッ、と胸に針が刺さったような感覚。殴った手を通して、同じように心が痛む。

 なんて善人にありがちなことにはならなかった。思ったよりスッキリした。


「なんで俺が責められなきゃならねーんだ。逆に感謝するとこだろ。女子たちもだ。いつまでピーピー泣いていやがる。連中、お楽しみは後に取っとく主義でよかったじゃねえか」


 俺に向けられていた女子たちの視線、その質が明らかに変わった。奥田の恫喝なんかより、背中から容赦なく刺されそうな無言の殺気の方がよっぽど怖い。

 最低な発言だと知りながら、ダメ押しに、もう一言。


「まーでも? もしゴブリンに犯られちゃってたとしても、ちゃんと元に戻ったんじゃね? ナニがとは言わないけど。それならノーカンってことでもよかったよな? となると、あれ? これやっぱ、俺って何も悪くな――」


 言い終わる前に、ゴッ、と後頭部を硬い衝撃が襲った。

 激しく脳を揺さぶられ、眼球がひっくり返りそうになる。

 ふらつきながら2、3歩前に進み、殴られた頭を押さえて振り返ると、派手なピンクの髪をサイドポニーテールにした女子が、破壊された机の脚を竹刀代わりにして俺を睨んでいた。


「こいつまぢFK(※フザケんな)アリエンティー(※ありえない)。ガチで激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームイントゥザデッド(※殺したいほど大激怒)だし」


 …………なんて?

 このシリアスな状況下でギャルの登場は、どう見てもミスチョイスだろう。

 などと、何目線かわからないことを考えつつ、同時に、今度こそ本当に死ぬかもしれないと思った。竹刀代わりと言ったけど、その殺傷力は、竹刀の比じゃない鉄パイプだ。


「こんな女の敵、処刑オブ処刑からの死刑で決まりっしょ。まぢご臨終」


 高々と掲げられた鉄パイプが、断頭台の刃に見える。

 女の敵か……。不名誉極まりないな。

 そんな悠長なことを考えている間に鉄パイプが振り下ろされ、俺の意識はそこで途切れた。





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