「ほお、絵か」
「はい、絵です」
「この絵について何か知りません?」
「……知らん」
ぶっきらぼうな顧問と相談した結果、準備室で見つかった絵は、美術室で保管してもらうことにした。そのほうが絵の本来の持ち主のためにもいいだろうという理由のためだった。
その美術室からの帰り道、帆波がどうにも釈然としない顔でついてきているのに五十嵐が気付いた。
「どうした? なんか小骨が詰まった顔して」
「いや、だって私たちこんなことする必要あるのかなーって。誰がどうして絵をあそこに置いたのかなんて正直どうでもいいし……」
「……」
五十嵐はどうやら返答に詰まったようだ。帆波の意見にも同意の余地はあるだろう。なぜ、自分たちがこんなことをやっているのか、という部分では特に。
だが、今ここで調査を進められなくなるのはまずい。なので、五十嵐の代わりに彼がこの質問に答えることになった。
「じゃあ、帆波。避難訓練で火の手が上がりましたーてなる部屋はどこだ?」
「え、理科室、給食室、それから……あ、家庭科室」
「そう。いずれもガスの元栓がある部屋だ。今回は絵っていう安全なものだったからよかったもののこれが爆弾とかならどうする? 今頃手遅れなことになっているかもしれない。おまけに学校祭で地域の人がいつも以上に入ってきている。もしかしたら、そういう思考の持ち主だって中にはいるかもしれないんだ。だから誰が準備室に入ったかは突き止められぬにしても、どうやって準備室に入り、そしてどうやって絵を置いたかは突き止めておく必要があるわけだ。今後のためにもね」
そして「俺たちが一番家庭科室を使っているんだから俺たちがいろいろ調べた方が分かりやすいだろう」と付け足した。
無論、こんな理由はでっち上げである。本当は彼自身の好奇心のためと絵を置いた者の意図を知るのが彼にとっての目的だ。
「まあ、絵を置くことができたとすれば、文化祭準備開始日の放課後……つまり俺たちが帰った後から文化祭当日の匠が来るまでの時間だよな」
「具体的な時間は分かるか?」
「えと。文化祭準備開始時間が5日前で、その日帰ったのが……えーとえーと17時くらいだったから、そっからおとといの匠が理科室に入ってくるまでだから、大体16時ぐらい?」
「それぐらいかな」
絵を美術室に預け、家庭科室へと舞い戻っていた家庭部一行は席に着き、絵が一体いつ置かれたものなのかを推理し合っていた。
いま、五十嵐が言った通りなら、絵を置いていった人物にとっては時間は十分にあることになる。
「とりあえず、なにか家庭科室で些細な異変は無かったか? 例えば何か無くなったとか」
それを聞いた帆波がばっと顔を上げた。さっきから船を漕いでいたのだが、話は聞いていたらしい。そして「無くなった物と言えば、文化祭前日に小麦粉無くなって結構探したじゃない。あーそうね嘉村クンはクラスの方に行っていなかったよねえ? あんたの代わりに通りがかりの用務員の人に手伝ってもらってんだから」と嫌味たらしい口調で彼に向かって話す。口調はいつも通りだったが、目が笑っていない。
「いやホントにすいませんでした。……結局どこに?」
「教壇の下よ。今考えたらなんであんなところにあったんだろ」
「……ほお」
教壇の下にあったということ、つまり間違ってもそこに置き忘れはしないだろうという場所にあったことから誰かが隠したという可能性が露骨に高くなる。絵を置いた犯人は小麦粉を隠した犯人と同一人物であるということはほぼ確実に近いと言えるかもしれない。
だとしたら、犯人はなぜわざわざ小麦粉を隠したのだろうか? 彼はとりあえずその方面から推理を進めることにした。この場合、How done it? を考えるよりWhy done it? の方向から鍵を作って扉を開けた方が効率がいい。彼の脳細胞が徐々に推理に向けて稼働していくのが感覚で分かる。
しかし、やはりどうにもすっきりとした推理ができない。やはり、コートが無いとこの先はどうにもならないようだ。
うんうんと唸っている彼をしり目に話し合いは進んでいく。
「おかしいと言えばなんで小麦粉探している時に家庭科準備室に入ったら目がおかしくなったんだろ」
「まだ言ってるの? どーせ太陽太陽」
「そーなのかなあ」
「もしかしたら電気変えたばっかりだったからじゃねーの? ほら用務員さんがこの前変えてくれたじゃん。準備前日とかで。ちょうどタイムリーだしそれだろ」と五十嵐があまりのクッキーをぼりぼり食べながらそう言った。
反抗期に入り、恐らく親にくそばばあとか言っているであろう東雲や五十嵐だが、ちゃんと親以外にはさんを付ける辺り、反抗する相手を見間違えるようなデコ助ではないらしい。彼は親にクソばばあとか言ったらどう料理されるか分かった物ではない上に母親には彼を叔母の呪縛から解放してくれたという恩があるため、反抗期は自分には来ないのではないのかとなんとなく思い始めた。
「鍵を管理している人ならだれでも入れるし、おまけに長机を出した時には確実に絵が無いわけだろ。だとしたら長机が出された文化祭前日しかない。だとしたらいつでも入れる人、例えば鍵を管理している人とかじゃないかなあ」
「鍵を管理している人、ていうのは私も分かる。それから顧問も頻繁に来るようになってたし、一番怪しいよな」
帰り道でも犯人は誰かという話が続き、怪しいのは顧問の教師と鍵を管理している副校長、そして美術教師ということになった。なぜ美術教師が追加されたのかというと絵の保管状況が良かったため、そのような知識を持っているのは美術に関係する人、ということらしい。
「と、ここまでが顛末なんだけど」
「話が長い。4行でまとめろ」
ようやく事の顛末を語り終えた彼は、小鳥遊が出したコーヒーを一気に飲み一息つく。飲んだ瞬間、彼が少し顔をしかめたのを小鳥遊は目の端で見たが、無視することにし、グラスに水を注いで彼に出した。
「まあとりあえずこの人の記録ていうか家族関係とか調べてほしんだけどさ」
彼はそう言って、学校のパンフレットを出す。そこには学校関係者全員の名前と顔が出されている。どうやら年に一度保護者向けに配っているものらしかった。彼はその中の一人の写真を指でこんこんと叩いていた。
「住所も分かる。チャリで来てるようだったから尾行すれば一発だった」
「いやじゃあお前が調べろよ。曲がりなりにも探偵て呼ばれてるんだろうが。探偵ていうのはそういうの専門だろう」
「専門家というのは、専門家に電話するべき時を知っている人間のことです。まあそれは置いておいて、離婚歴と桜ノ宮家族との関係について洗い出してくれればそれでいい。……どうした?」
小鳥遊はコップを拭く動作を止めて、険しい顔を作っていた。まさしく情報屋としての小鳥遊がそこにはいた。そんなに頼まれるのが嫌だったのかと彼は一瞬思うが、その可能性は、小鳥遊の次の質問で彼の頭の中の机の上から即座に横のごみ箱に捨てられた。
「いやその桜ノ宮ていうのはお前の学校にいるんだよな?」
「うん」
「なら違うのか……? いやでもまだ鍵の情報が裏にまで届いていない以上なんとも……」
「どうした独り言が多いぞ?」
「あーいや。お子ちゃまは知らなくていい大人の話だ」
「ふん。舐めちゃってさあ」
彼は顔をそらし少し怒ったような顔をする。小鳥遊は彼のそうした演技しているような顔を見るのが好きではなかった。何物でもない誰かが年相応の少年の仮面をつけて機械的に動いているようにしか見えなかったからだ。今の感情を表すなら、不気味の谷、という言葉に少し近いかもしれない。
「あーまあいいや。とりあえず住所を教えてくれればこっちで調べておくよ」
「よろしく頼む」
そう言って彼はさっさとコートを着て出ていこうとしたが、小鳥遊は何となくまだ彼と話してみたという気持ちになった。時刻は17時。まだまだ混み始める時間ではなかった。
「あーちょっと待て」
「ん?」
「お前、その絵の真相がわかっているのかよ?」
彼は少しキョトンとした表情を作りながら、席に座る。ふわりと彼のコートから薔薇の香りがすると共に椅子を引く音が客の少ない店の中に、不協和音のようにこだました。小鳥遊にとってもこの薔薇の匂いは懐かしいものだった。
「ああ。まあ状況から整理すれば簡単だった。多分外から俯瞰的に状況を見れれば誰でも犯人は分かる。いやもしかしたら犯人がそうなるようにしたのかもしれない。ただ絵の中の少女に関しては状況は複雑になると推察したね、俺は。まあそれはこれの結果待ちだけど」
彼は紙を指さした。暗になるべく早く結果を伝えろということだ。人を道具みたいに扱うなあと小鳥遊は心の中で苦笑した。
「そうか。ところで首尾はどうだ?」
首尾というのは彼が追い求めている犯罪者、鏡恭弥のことだ。
「……まちまちだ。なぜか人格投影もできなかった。ずっと真っ白ていうかなんていうかそんな感じで」
「……そうか」
落ち込んでいるのかなと、小鳥遊は彼を見るが、その中性的な顔は無表情を保っている。ということは何かしらの収穫もあったということだ。
「ああでもある程度わかってきたこともある」
小鳥遊の予想通りに、彼はそれを話し始めた。
「鏡は人、この場合犯罪者に正解を与えることによって、意のままに動かしているのかもしれない」
「正解? ああ。なるほど。宗教みたいなもんか」
「そうそう。お前も分かると思うけど、最善の行動の結果が最善になるとは限らない。だからこの世には数学みたいな都合のいい、完璧な正解は無いんだ。だけど人は時にそれは探してさまよい歩く。鏡はその人が求めているであろう正解を与え、その正解にたどり着くための一番の方法として犯罪という行動を起こさせているんだと思う」
「でもそんなに都合よく正解が見つけられるのか? お前が言ったように人によってまちまちだろ」
「鏡は多分、空っぽなんだ」彼はそう言ってグラスに注がれた水を一口飲む。とっくに飲み終わっている、小鳥遊の淹れた実験的コーヒーの感想を伝え忘れていることに気が付いたが、それは後ででいいだろうと思いなおした。
「空っぽ?」
「うん。鏡の心をこの透明なグラスと思えばいい。そして中に入る液体を人間の精神そのものだとしよう。グラスにはどんな色の液体だって注ぎ込めるし、透明だと外から観察することだってできる。簡単に言ってしまえば鏡は、人と出会ってその人の事を考えた時完璧にその人そのものになれるんだよ。だからその人が何に悩み苦しんでいるのかがばっちりとわかる。精度100パーの人格投影だ」
人格投影とは、優れた客観性や強い共感力、そして高い分析・観察能力をもつことで、自分の中にもう一つ、別の人格を意図的に作り出すことをいう。ある程度性格や行動が予想できる相手に対して非常に有効となるが、どうしても自我が入ってくるためその精度はやはりまちまちで、よくて的中率7割弱である。おまけに作った人格に自分の人格が侵食されることもあるため、彼にとってはできるだけ取りたくない手段となっている。
「なんかすげえな」
「ああ。認めたくはないけどね。もはや神みたいなものなのかもしれないな、鏡は。人間とはかけ離れた、それこそ天地の外に住み無限の宇宙と天地を自分の庭のように見ているのかもしれない」
少し話が分からなくなってきた小鳥遊はとりあえず彼をおちょくることにすると同時に彼のこの先を憂う気持ちとなった。彼が相手にしようとしているのは、神も同然の強大な敵であるということに。
「人の心を宇宙に例えるとか、中二病なんじゃないの?」
「いや。もっとすごい人いるぞ。師匠なんだけど」
「おお。あの人か」
「師匠はこの世にある唯一の地獄は人の心だと言った。そして、その人の心によって起こされる様々な地獄の具現、犯罪を無に帰することが私の職業だと。でも、俺はこれにはあまり納得がいっていないんだ」
「ほお」
彼は次の句を継ごうとしたが、どういうわけか言葉に出そうとした瞬間、バチッと脳の奥と喉元に電流が走るような、とにかく形容し難い感覚が襲ってきた。
「だって犯罪ていうのは人が自分の大切な何かを守るために起こす行動の究極だからね」
「でもなんかあの人がこんなこと言うイメージないけどなあ。いつもニコニコしてたし……どうした? 匠?」
「いや、べつに、なんでも、ない」
まるで小骨が喉に詰まったような、重要な何かが頭の中をぐるぐる駆け巡っているような感じがする。だがそれは頭の中でも言語化されることも映像化されることもなく、ただの感覚として揺蕩うばかりであった。
「てかさっきから思ってたけど、お前なんでそんな鏡を理解してるんだよ」
「……なんでだろ。分からない」
今頃になって、さっき鏡について話している時にはなかった、鏡に近づいた感覚を彼はパソコンのラグのように今味わっている。ただそれもすぐに終わり、鏡恭弥という人間の実態は彼の中では蜃気楼のように揺らいだものとなった。
近くにいるようで遠くにいる感覚。
ただ一つ、はっきりと認知できたことがある。それは脳に電流が走った感覚を味わったあのタイミング。そのタイミングで彼は一瞬だがはっきりと、もう聞くことのできない懐かしい声を聞いたのだ。
『貴方と……は』
この遠い記憶の深淵からの声は、いつどこで誰に、どのように言われたのか、それがなぜかそこだけ鋏で無作為に切り離されたチャプターのように、思い出すことができなかった。
「まあ。とりあえず頼む」
「分かった」
彼はドアを開けながら右手を上げて、外に出ていった。……と思うと、またドアを開けて、「あ、コーヒー苦すぎ」とコーヒーの感想を伝えてきた。
そういえば聞き忘れていたなと、小鳥遊は感想すぐ知りたがる自分らしくないと、頭の片隅で苦笑したのだった。
(作者より)
まさかこの1話を書くのに3か月という時間を要するとは思いませんでした(笑)
次の更新は多分来年の、いろいろ決着がついてからになると思います。気長に待っていただけると幸いですm(__)m
読み終わったら、ポイントを付けましょう!