「結局、犯人は身近な人間だったということだねえ」
烏丸が白谷に逮捕されてから1日。取り調べは烏丸が新宿警察署に拘留されてからすぐ始まったらしいが、彼は逮捕を見届けてすぐ帰っていたので、烏丸が取り調べで何を話したのか、なぜあそこまで狂気に侵食されたのかは分からなかった。
「それで、なぜ5件目の殺人事件の犯人が6年前の殺人事件の犯人て分かったんだい?」
大津はコーヒーを飲んでから彼に目を向ける。例年であれば、秋の暑くもなく、寒くもない独特の過ごしやすさを満喫できる警視庁の屋上であるが、今年は例年より暑く感じた。
「まあ、カルテを見て、6年前の殺人事件の直後に臓器移植をしたとの記録を見つけて。もしかしたらと思ったんですが、やっぱりでしたね」
「犯人そのものではなく、その臓器を移植された第3者っていうのは?」
「純粋に犯人が捕まらなかったことですね。まあそれもありますけどカルテ見る前はそんな考えは露ほどもなかったので」
「そして、裏口があったことと患者が昏睡状態に見せかけられていたことで納得がいったと」
「そういうことです」
缶コーヒーはもう空になってしまったが、大津は無意識に口をつけてしまった。
「でも、本当に殺人犯の臓器を移植された人間が殺人を犯す、なんてことがあるとはな」
「あり得ない話ではないです。実際アメリカとかでは臓器移植を受けた人間の音楽の好みがドナーの音楽の好みに変わったりとか、車の趣味がドナーと一緒になったという話が存在します。信じられない話ではありますが、多分何度か実際に殺してはいるでしょうね。でないと仲介業者が紹介するはずないですから」
「仲介業者って、まさか」
「ええ、鏡恭弥です」
「どこから介入してきたかはわかりませんけど5件目の事件には必ず噛んでいるはずです」
場の空気が張り詰める。
「見事にしてやられました。正直この事件はイレギュラーなことが起きていなければ解決は難しかった」
彼は遠い明後日の方向を見やる。そして、ふと大津に目を向けた。
「そいえば。烏丸はなんて?」
「ああ、奴さん、1,2,3,4件目の事件は明朗快活に話してくれたよ。折り紙の金メダルを親に見せる子どものようにね。でも、5件目の殺人事件にだけは口を閉ざしえしまってねえ」
大津は取調室での烏丸を思い出していた。親が厳しくて自由に遊べずストレスをためた幼少期の身の上話から始まり、切り裂きジャックとの出会い、1~4件目までの事件についてははっきりと話したものの、5件目の話になると急に口を閉ざして、下を向いてしまった。その顔は一気に蒼白になり、体も震えていたのを覚えている。
「もう衝動を抑えきれなかったんでしょうね。まあ一生をかけて後悔するでしょう。自身の愛していた人を殺してしまったこと」
「衝動ねえ」
「俗にいう殺人は癖になる、というやつですね。本来の意味は一度人を殺した者は自身に降りかかる問題を殺しで解決するということなんですけど、烏丸に限っては本当の意味で癖になってしまったんでしょう。欲望というのは人間性さえ失わせる怖いものですから」
彼は苦笑いをして大津の缶コーヒーを見やる。大津はコーヒーの空き缶を持ったままこのあとの人生を過ごす気なのではないかという突拍子もない考えが彼の頭に浮かぶ。
「捨てないんですか」
「あ、捨てる捨てる」
大津はベンチから腰を上げ、伸びをしてゴミ箱の方に向かう。事件の後処理もようやく折り返し地点だ。
「しかし、犯人も人間だねえ」
「人間……ですか?」
大津がしみじみと呟いたが、彼にはその意味が分からなかった。相手は日本の警察組織全体を一時的とはいえ、手のひらの上で弄んだ規格外の男だ。もしナイフの柄の指紋が前科を持った人間のものではなかったら、もし5件目の殺人事件が根底から違うものだったら。それこそ逮捕は不可能となり、殺人を続けていれば、きっと鏡恭弥と並ぶ脅威になり得ていただろう。それに一時的とはいえ鏡恭弥は烏丸に協力していたのだ。もし烏丸にとっても予想外のことが立て続けに起こっていなければ、さらに危険なことになっていたかもしれない。
それを人間とはどういう意味だろうか? 人の皮を被った狂ったロボットなら話は分かるが。
「いや、なんて言うか。幼いころはストレスを発散できず、イライラがたまった子どものまま大人になって、自由を謳歌して好きなことをした結果、大切なものを失ってしまう。警察組織全体を欺きかけたとはいえやっぱり根底は誰よりも人間らしい」
大津は階段に向かって歩き出した。彼もそれに続く。
「誰よりも動物的で、自由だ」
「……それ、白谷刑事には言わないで下さいよ」
「言わないよ。あ、この後祝勝会かなんかしようかなと思ってるんだけど……」
「しろ……」
彼は白谷刑事は大丈夫なのかと言おうとしたが、その切っ先を制するように大津は「透の提案だぞ」と伝える。
「本人は参加できないらしいけどやってくれってさ。多分ここのところ全員大変だっただろうから遠慮せず、って」
彼はそれを聞いて少し安心するように息を吐いた。
「……まあ行けたら行きます」
「それ絶対来ないやつだよな」
「少し、明るいな」
「カーテンを閉めましょうか? 鏡さん」
全部ガラス張りの部屋だと否が応でも都市の明かりは入ってくる。今日はその光量がいつもより多いように感じた。
鏡恭弥は本から顔を上げ、外の都市景観を眺める。この分だと今夜は眠りにくくなりそうだ。
「いや、下の部屋に行くよ。流石に化粧を落として寝ないとね」
そう言って下の部屋に行こうとする鏡を傍付きの男が「あ、そうだ」と呼び止めた。
「どうかしたの?」
「烏丸宗吾が捕まったらしいですよ」
烏丸宗吾とは、新宿、中野において5件の殺人を行った男の名だ。その犯行の様子は切り裂きジャックと酷似しており、この殺人鬼からなんらかのインスピレーションを受けたと思われる。鏡はこの切り裂きジャックの贋作に緊急時の身代わりとして殺人犯を用意し、そして警察の警備の配置も教えていた。それだけのことをするほど、鏡は烏丸を評価していた。
だが、
「誰だっけそれ?」
どうやら鏡の記憶からはすっかり消えていたらしい。よって傍付きの男はもう一度烏丸宗吾について説明せねばならなかった。
そして半分ほど説明してようやく「あ~」と思い出したように声を上げた。その声があまりに素っ頓狂なものだったから傍付きの男は少し笑いそうになった。
「いや、あれはダメだな」
鏡は傍付きの男に目線を移して苦笑いした後、外の都市景観に目を向けた。
「だめ?」
「ああ。5件目の殺人事件で確か宗吾は自身の奥さんを殺しただろう? それも今までよりかなり力を入れて。それじゃあだめなんだ」
都市景観を見る鏡の表情に呆れが混じる。少し機嫌が悪くなってきたらしい。
「なぜです?」
「僕はね、犯罪っていうのは自分の大切な何かを守るためにするものだと思っているんだよ」一拍ほど間を開けて、言葉をつづけた。
「想い人や名声、富、なんでもいい。とにかく大切な何かを守るための行為の究極が犯罪だよ。それが大切なものを壊すために行われた時点で、それを行った者は記憶しておく価値がない。僕にとってはね。まあ、人間らしいと評価するドアホがいるかもしれないけど」
そこまで語ると鏡は急に表情を明るくして、「あ、そういえばさ」と傍付きの男に詰め寄る。
「2つ聞きたいことがある。一つはその烏丸を逮捕したのは誰なのか、もう一つは野田テクノロジーから報告は来たのか、答えてくれるかい?」
その様子はまるで今日の晩御飯を聞く子供のようだったが、相手が鏡だと少しゾッとする何かがある。
「えーと逮捕したのは、白谷透という刑事です。確か殺された5件目の被害者の弟だとか」
「素晴らしい!」
鏡はぱちぱちと手を鳴らす。
「なんと美しい愛の形だろうね」
「それで野田テクノロジーの方は、AI[アイリーン]の開発責任者が沖縄の工場に視察に行った際に予定通り、事故に見せかけて殺しました。それで予定通りこっちの人間が次期開発責任者に選ばれたそうですよ。鏡さんの計画は今のところ順調です」
「脳波や思考パターンを読ませるまで、開発にどれだけ時間がかかる?」
「ざっとあと2か月ほどらしいですよ」
「……そうか」
感慨深そうに報告を聞くと、鏡は空を眺めた。半月と三日月の間の大きさの月が浮かんでいる。この形の月の名前を前に聞いたことがあった気がしたがもう忘れてしまった。それを聞いたのはもう何年前だろうか。
「これでもう、君みたいな犠牲者が出ない世界が作れる。あと、あともう少しで」
「鏡さん……」
「さ、こっちも休むとしようか。何かお酒でも見繕ってくれるかな」
さっきまでは寝たい気分だったが話を聞いて気が変わった。今はとことん酔いたい気分だ。
「はい。あ、一つ疑問があるんですけど、なぜ新宿の警備企画図が描けたんですか?」
この問いに鏡は笑みを浮かべて答えた。
「簡単だよ。妙にきょろきょろしてたり、ずっと同じとこにとどまっている者を探すだけさ。ぶらりと散歩に出て、後は地図に起こせばいい。バードウォッチングより簡単だ」
バードウォッチング、と聞くと簡単に聞こえるが、実際はかなりの人がいる中で刑事達を見抜くのはかなり難しい。それこそ、注意深い観察を一瞬のうちに済ませなければならないのだ。
「なるほど、さすがですね」
そう称える男を見ながら鏡は思考を巡らせていた。その目には少し赤い、狂気的な明かりが灯っている。
「僕たちの組織は、大体嘘ときれいごとでできているじゃないか。これが理解できない分だと、交代をしなければならないかな」
2人は夜に溶けていく。しかし、鏡だけは闇に溶け切らないような白さがあった。それこそが鏡が鏡たる所以である。
烏丸宗吾の逮捕から約2週間後。
白谷は、5件目の殺人事件の現場となった、自分が元々住んでいた部屋に足を運んでいた。もうすでに家具は運び出されており、ここまで広かったのかと少し驚く。
外にはまだ多くの量の献花が添えられており、少しこの花たちの後先に困った。これは持って帰っていいものなのだろうか? それとも現場に添えられているから意味がある花なのであり、その意味を奪わぬためにそのままにしておいた方がいいのではないか? という考えを巡らせていた。
そのまま考えあぐねていると、元々テーブルのあったスペースに目が行った。まだテーブルの脚の跡が床にくっきりと残っている。
透はそこにまだ姉が座っているような気がしてならなかった。テーブルを挟んで向こう側に座って、子供を見るような優しい瞳で自分を見つめてくる姉。
今度は自分の部屋に目が行った。よく自分の買った漫画を姉が勝手に読んで喧嘩になったものだ。
キッチンに目が行った。仕事で家に帰るのが遅くなるのが常だった両親の代わりに、まだ中学生ながらも必死にカレーの入った鍋をかき回して、そして当時はよく泣いているような少年だった自分を元気づけてくれた。
両親の仏壇があった場所に目が行った。透と怜理は高校生の頃に両親を事故で亡くし、ずっと近所に越してきた叔父夫婦に世話をしてもらっていた。両親の葬儀で延々と泣き続ける透の肩をポンと叩き、涙をこらえた表情で「大丈夫。きっと大丈夫だから」と励ましてくれた。
トイレにもお風呂にもソファーにも襖にも、目が行った。今も、今でも無意識に姉の姿を探している。
姉は自分をずっと支えてくれた。両親の帰りが遅くなった時も、両親と永遠に会えなくなった日も、自分が警察官になると決めた日も、ずっと。
でも、姉が自分の何倍も苦しんでいたことは知っている。姉の部屋から、自分にばれないように、声を押し殺した泣き声を何度も、何度も何度も聞いた。
それでも何もできない自分が憎かった。もう少し姉に寄り添えなかった自分が恥ずかしかった。だから、透は警察官を志したのだ。この国の人の安全を守ることはすなわち姉を守ることと同義だったから。
……結局自分は何もできなかった。まさかこんなに近くに脅威が隠れていただなんて気づきもしなかった。もう自分は姉に何をしてやることはできない。幸せな表情にさせることもできない。
途端に、今ここで自分を呪い殺してしまいたくなる。なんであの時、身近にいた脅威に気づかなかったのか。なんであの時、姉の部屋に入って話も聞いてやれなかったのか。なんであの時泣き続けることしかできなかったのだろうか。
自分が、とてつもなく憎かった。無力で何もできなかった自分を今ここで殺してしまいたい。負の感情は、悔恨と悲しみと共にどんどん湧き上がってくる。ぶくぶくと沸騰して心の壁を越えようとせりあがってくる。
「……でもそれじゃあ駄目なんだ」
それでも白谷透は、前を向く。どんなに絶望や悲しみが大きくとも、何度も転んででもいつかは、必ず。
自分はまだ警察官であり、一人の人間なのだ。今ここでどんなに後悔しても何も生み出さない。過去とは決別すると烏丸宗吾と相対した時に決めたではないか。
自分はまだ姉以上に強くはない。多分何度も思い出しては、後悔してしまうだろう。どんなに心に決めていても必ず。でも、それでも自分は強くならないといけないのだ。自分の両手に、両足に、頭脳に、心に、多くの人の人生がかかっている。また、歩き出さないといけない。
『大丈夫。きっと大丈夫だから』
「ああ。もう少し頑張ってみるよ。姉ちゃん」
外に出ると、献花が一本増えていた。
珍しい、青色の菊だった。
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