コンコン。
幸福な朝を迎え服を着ていると、扉を叩く音がした。
「入れ。」
訪問者が誰かわかっているようで、気にする風もなく、タチは腰に剣をさしながら、客人を部屋に招き入れる。
「失礼します。お二人の時間、邪魔したくはないのですが…情勢が動きました。」
扉を開け表れたのは風の化身、ナビだった。
室内でも風に吹かれているように揺れる、長くたゆやかな髪。
おだやかな物腰。
しっとりとした雰囲気は、まるでここの女将さんのようだけど、露出の少ない服から見える肌や顔が緑色なのが人間ではないことを示している。
「ダッドか?」
「はい。また現れました。今度は同時に二か所。」
ナビのゆるく開いた左手には、薄緑の風の小鳥が一羽。彼女に知らせを伝えた使いの者だろう。
「えっと。大変な時なのにごめんなさい。お騒がせしちゃって、その…私のことは…。」
「話はタチさんから聞きました。ここまでの道のりも昨夜ズーミさんに…神よ、ご無沙汰しております。」
両手を前に重ね、深々と頭をさげるナビ。
右腕の色だけが体と比べて薄い。
「そんな、やめてよ。今の私は神様と呼べる形をしてないし…それに自分勝手なことばかりしていて…。」
「あなたの気まぐれは、今に始まったことではありません。」
膝をつき、目線の高さを合わせてしゃべるナビ。
言葉をうまくみつけられない私に、優しい笑顔で答えてくれる。
「全て善し。あるがままに。あなたの数少ない言葉です。それが最近になって「なぜ?」と疑問を抱いていましたが…まさか、地上に降りられていたとは。」
「信じられないかもだけど…。」
「いえいえ。むしろ合点がいきました。近頃の動きはイトラ様の指揮によるものだったと。」
「ごめんなさい…。私が勝手をしたばかりに。」
「あなたは役割を放棄した」イトラが私に言った言葉だ。
そんなつもりはなかった…そうかどうかも、今の狭い主観の私にはわからないが、そう責められても仕方ない行動だ。
「ナビ。ナナを責めたら私が許さんぞ。神だろうと好きに生きるべきだ。」
「めっそうもありません。私は嬉しいのですよ。こうして再びお会いできた、しかも対話のできる形で…。」
ナビが私の両手をとり、優しく包む。
ひんやりとした肌触りだが、その向こうには暖かな心が感じ取れた。
「…私って、どんな感じだったの?」
私はずっと私だけど、他の人々と同じように、経過によって記憶が薄れる。
それは私が今、人としての形をしているのが原因だ。
強烈な出来事や経験は憶えているが、例えば最初に人に転生して、何を食べたかとか、どこを根城にしたかは忘れてしまった。
神だった頃の話となると、さらに困難で、吸収できる情報量も、観える範囲も器が違う。
人が、どれだけ時が経とうと、自分を人だと疑わぬのと同じよう。
私も私が神だと知っている。
だけど、それぐらいのもので、あの時どう感じていたかとか、どう思っていたかなど思い出せようもない。
そもそもの器が違うのだから。
今の器で知れたとしても、溢れるか壊れるだけだろう。
人の私では。
「全てを見ているのに、全てに興味が無いようで…私達が何を提言しても、許されました。優しさなのか無関心ゆえなのか…それは私達には推し量れませんでしたが。」
「…つまらなそうな人だね。」
それだけ聞くと、味気なく、無頓着な存在に思える。一応世界の一番最初。始まりの始まりから存在したはずなのに。
そんな不愛想な奴が、こんなごっちゃごっちゃな世界。
美味しいものや、美味しいものや、こんな強烈なタチみたいな存在を生みだせた大本なのだろうか?
「退屈はなさっていたかもしれません…。地水火風、四大化身の私共はもちろん。光と影。イトラ様とヤウ様ですら意思の疎通ができていたとはとても思えませんでしたから…。」
「イトラとヤウ…正直顔も覚えてなかったんだよね。あなた達の中にある「源」その力をこうして目にすると、確かに感じるの…私の分け与えた存在なんだなって。」
私が「居た」のがたぶん137憶年まえぐらい。
40億年まえぐらいにイトラを呼び、ヤウもできた。
地水火風の化身が生まれたのが、35億年前ぐらい…。
もうそれは実際の記憶というより、物語として覚えている。
絵本読んだ、書物で勉強したに近い覚え方…。もっと正確にいうと、夢で見たできごとを、繰り返し反芻して形にした感じ。
その形じゃないと、今の私では溢れてしまうのだろう。
「無理もありません。私達がこのような人型をしているのはつい最近、ほんの20万年ほど前からです。」
「えっ。そうだったの?」
「はい。人々が神を意識し、信仰を持ち出した頃…。そして神が人に興味を持ち出した時。私達もこのような形になったのです。あなたに近づくために…テラロックとペタロック。初代水の化身は寄せませんでしたけれど。」
「私に…近づくために…。」
不思議な。不思議な感覚だ。目の前にいる、私なんかより遥かにしっかりしてそうなこの女性。風の化身ナビが。
なんなら今敵対している、あのすっごく強いイトラも。私に近寄るために、私が興味を持った人の形に模ったと言われた。
「あなたも…どうぜん今のような形ではありませんでした。」
「私も…。」
私。私はず~っと私だけど。地上に降りてからの600年間で、13度…いや14度形を変えている。
でもそれは全部人としての姿かたち。137億年前は…神だった頃の私はどんな形をしてたのだろう?
「おい。昔話などどうでもいいのだ。今は私のナナで、私の女だ。それが全てだ。」
ナビから奪い返すように、タチが私を抱きさらう。
今の私のサイズだと、タチの体にすっぽり収まる。
「…また弾けたりしないだろうな?約束したばかりだぞ。」
「うん。今度こそ、タチのそばにずっと居るもん。タチのナナでいる。」
そうだ。なにがどうであれ、今の私に大切なのは、この温もりと思い。
そのためだけに、ここまで来たのだ。
「本当に…愛しているのですね。」
抱き合う私達を見つめていたナビが、ゆっくりと立ち上がる。
「ごめんね。情けなく映るだろうけど、今の私の正直な姿なの。」
「あやまることなどない、私の女だぞ?ちゃんと誇れ。」
タチが私の鼻をツンとつつく。
神よりも、化身よりも、自信と確信に満ちて生きる人間が。
「そうですね「すべて善し」です。私はそんなあなたをお慕い申し上げておりました。その変わりようには…少し焼けちゃいますけど。」
「…ありがとう。」
風の化身ナビ。彼女の育て護ったこの大陸が、タチやタチのご先祖様。おいしい山羊ミルクの食べ物などを育んだ。
なんだろう、うまく言葉にできないが、ナビのこの懐の深さが、私を支え助けてくれてたのかもしれない。
何時からか、何処からか…。
バキバキバキ!!!
感慨に浸り始めたその時、階下から激しい破裂音がした。
「お主ら!ちちくりあっとるのじゃろう!引き止めきれんぞ!!はよ来い!!」
張り上げられた声はズーミちゃんのもの、先ほどの破裂音はユニちゃんの歯ぎしりだろう。
ナビへの想いにいっぱいになっていた私に、タチがちょっかい…胸を触ったのを感じ取られたか…。
久しぶりだなこの感じ。そういう感じで主張されるこの感じ。
なににせよ、昨夜タチの部屋に連れ込まれたから、みんなをだいぶ待たせていたようだ。
「それでは、続きのお話は食事でもしながら…。」
「ナナは私の隣に座れよ?…いや、今の大きさなら膝の上でも…。」
私達はみんなと合流するため、階段の方へと足を運ぶ。
「上は嫌だからね。絶対食事の邪魔されるし…所でナビ。昨日から疑問だったんだけど、なんでそんな恰好なの?」
そうそう、気になっていたのだ。ナビのエプロン姿。
昨晩もそうだったけど、まるで給仕係のようなそのいでたち。
実際、各テーブルにお酒運んだりしてたし。
「これですか?お仕事用として支給されたので身に着けていますが…。お洋服に汚れがつかないので便利ですよ?」
「やっぱり働いてるの!?なんで?」
「私が暴れて食器を破壊したからだ。あと机と椅子を少々な。」
「なんで!?」
答えになっているようで、答えになっていないタチの返事に私は言葉を繰り返す。
「タチさんは大変おモテになるのですが、その時は虫の居所が悪かったご様子で…。」
「女が寄って来る私に、嫉妬したオヤジ共がからんできてな。昔なら遊んでやったが…。今はナナが好きでたまらない…。欲情はちゃんと放出せずに溜めたのだ。そうしたらムカツキもだいぶん溜まってな。」
グッと親指を立てて、ウィンクするタチ。
「しつこく絡まれ、暴力でお返事をなさった。というわけです。」
「事情は理解したけど、それでなんでナビが下働きに…。お金ならあるでしょ?」
「知らん。こいつが体で払いたいといったのだ。だから好きにさせている。」
話を聞く限り、一切ナビに非は無い出来事だが、暴れた張本人の方が悪びれてすらいない。
「な…なんで?」
「なんとなくです。タチさんから神…ナナさんの話を聞き、私も人の様に振舞ってみたいと…。それとタチさんのタメに何かしたいと思ったんです。」
「…変わってるね。」
「仕えるのが好きなのです。誰かの役にたったり、お礼を言われるのが。」
「礼など言った覚えはないぞ?…ところで膝の上はどうしてもダメか?」
助力をもらった方が、どこまでも連れない返事。あとでちょっと叱っておこうかな。
神としてじゃなく、人として。
「甲斐がない相手に奉仕しちゃったね…。」
「いえいえ。神を射止めたお方ですよ?楽しい経験です。連れない所も可愛らしいし。」
「そっか…ナビがいいなら良いけど…。」
「はい。全て善しです。」
バキバキバキ!
もう聞きなれ始めた怒りの音が近づいて来た。
「早くするのじゃ!!わらわ噛みつかれとる!!!」
「まって~!今行く~!」
ズーミちゃんを噛んでこの音って、それもう貫通してるよね?
そんな恐ろしい想像を掻き立てられながら、私達は階段を下りて行った。
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