「お前がイトラか。」
タチは裸のまま、壁に掛けた剣をとる。
今までに感じたことのないほどの、敵意を発して。
「神殺し…その名の通り、彼女に悲しみを与え、時の流れをそいでくれる要素となれば良かったものを…。」
「今の私の呼び名をしらんようだな?ナナを愛する女。タチだ。」
「イトラ…私に怒ってるの?もどったら…ゆるしてくれる?一体なにがおこってるの?」
今にも斬りかかりそうなタチの腰をそっと押さえ、私は一歩前に出る。
光の化身イトラ。その姿は眩い光に包まれていてよく見えない。
「もどる?世界の中に立ち入ったあなたが、今更「絶対者」になれるとお思いで?」
「今は受肉して人の形をしているけど、私は神だもの…。」
「思い上がるのはおやめなさい、時の化身。」
イトラが侮蔑の色を含んだ声で、私を化身と呼んだ。
「イトラは知っているでしょう!私は神よ!」
「えぇ、かつては。しかし今は違う。もうこの世界は完璧ではない。万物は流転しない、少しづつ衰え、熱をうしない、やがて停止する。絶対者を失ったが故に…。」
「今の私にわかる言葉で教えて欲しいの!イトラは私に何を望んでいるの?」
「そうですね。世界がこれ以上 醜く、肥え太る前に諦めていただければ幸いかと。」
「諦める…?」
イトラの瞳は私を見ていない。視線はこちらに向けていても、イトラの意識は私を通り抜けている。
「人間が…神に気づいたりしなければよかったのだ…。あなたが常世に興味を持つこともなかった。」
「…パンテオンに向かえば、私は元に戻れる。人の信仰心で繋がり、受肉したあの場所に行けば。」
聖地パンテオン。私が地上に舞い降りる際、道しるべとなった場所。
人々が神を想い、願い、集ったあの場所は、私が現世で錨を下せた、約束の地。
「もう新たな神への想いは私に集い、あなたへの信仰心は薄れている。それでも、確かに形だけは戻れるでしょうね。絶大な力をもつ、化身として。」
「神に…戻れるはずよ…。」
それを私は「わかっていた」だからこ、こうして地上に降りたのだ。
「既に世界の理は変わってしまった。「神のいる世界」から「神のいた世界」へと。絶対の存在も、無限の時の流れもすでに失われているのです。あなたの理屈は通らない。そして、神を失なった世界は、つじつま合わせのために、増え続けている。今も。」
「…」
イトラが何を言っているのか、今の私ではちゃんと理解できない。
それでも、私が地上に降りたことで、色々乱してしまったということはわかる。
「世界創生は奇跡なのです。神がいたからなせたこと。しかし今世界に神はいない。…そうですね、今のあなたにわかるように言うと、世界は分母を増やすことで、奇跡のような出来事。世界が産み出されたことを成立させようとしている…。と言ったところでしょうか?」
「それは…なにが問題なの?」
「世界が完ぺきではなく、終わりが来るということです。奇跡も無限も叶える力がない、神が消えたことにより…。元からそうならよかった…しかし神は「居た」のです。そのせいで辻褄が合わなくなっている。誰も理外の存在を信られなくなり、誰にもそなわる魂の輝きすら信じていない。」
「…私になにかできることはあるの?」
「世界に組み込まれたあなたの役割は「時」言いかえると「期限」です。あなたが力を失えば世界は止まる。私が整えているうちにできる限り早く終わらせてほしい。この美しっかった世界がこれ以上醜く肥え太る前に。」
イトラの願い。それは、神が居なくなった世界が早く終わること。
奇跡を起こし世界を作り出した私が、期限切れを起こし、全てが終わること。
「私が「時」…この世界の制限時間…?」
「はい。有限になったこの世界の限界です。できるだけ痛み、擦れ、早く終わらせて頂きたい。」
「勝手な事を言うな。私は今楽しんでる最中だ。」
だまって聞いていたタチがイトラに文句をぶつけた。
「人の視座では見えぬものだ。理解されようと思ってはいない。」
その言葉は、タチに向けてだけではなく、私も含まれているのだろう。
もうすでに「絶対者」ではなくなった、ただの「時の化身」の私に。
「どのみち、遠くない未来に世界は止まる。あなたの地上での力は、信仰が元だ。だが、それもだいぶ失われた。」
「もしかして…今回の私が能力も、才能もないのって…イトラが新たな信仰を集めているから…?」
考えてみると、私は転生を繰り返すたびに、しょぼくなっている気がする。
最初の方は、英雄、魔法使い、歌姫とか呼ばれるような、能力持ち。
最近は、調合士、猛獣使い、果ては何にも無し。
なにせ、元々が神始まりだ。多少力が失われていっても当然と思ってたし、人間として楽しみたかったので気にも留めてなかった。
「それもあります。あなたには早く止まって欲しい。それに誰かが神の代理を務めなければなりません。しかし…そもそも人が神を信じなくなっている。魂の存在すらも。」
「私が…人に転生したから…。」
「主観に断絶がなく、自己を保ち、肉体のみを移り替わることは、転生と呼ばない。」
確かに。言われてみればそうだけど、なにせ私は元神。人…というより生命とちょっとちがっても仕方がない。
「そもそも、あなたに魂などない。」
えっ?
「全ての生命にそなわりながら、世の中に存在する限り、決して触れえぬ領域をさす。」
「で…でも私は、ずっと私だもの。神だった頃はちゃんと思い出せないけど、何度転生したって私だったもん。」
「それが可笑しいのだ。現世での連続性を持ち、あなたのように継続的な主観を持ち続けることは、ただの我だ。」
それは…そうなんだけど。
「魂とはもっと上位にあるモノだ。…世界に組み込まれた今のあなたには知りようもないだろうが。」
元の私にはわかっていたんだろうか?魂とか、世界とか、全部見えて、全部わかってたんだろうか?
それって、いったいどういう気分で、どういう気持ちなんだろうか?
「ナナ…?」
タチが心配そうな声を私にかけてくれる。
人類だれもが私を想ってくれなくなっても、タチが私を想ってくれるなら、それでいい。
今の、私はそう感じる。
「今のあなたは人ですらない。魂を持たぬのだから。ただの「時」ただの「流れ」だ。」
「ナナ!!」
なんだろう。肉体を超えて、意識が膨らんでいるきがする。
感覚が、体を全身覆うぐらい。
「あれ…?」
両手をみると。ポコポコと泡が立っている。
手の平から浮かぶ泡は、小さく薄くはじけて消える。
「あなたを想う信仰心も薄れ。それでも型どれているのは、神としての力の名残りのみ…。」
「あれ…?あれ?」
私と私の周囲の結合がゆるくなる。
世界に馴染めていない。
「ナナ!しっかりしろ!」
「タチ…?私ここにいるよね…?」
「いるとも!」
タチが私をぎゅっと抱きしめる。
何度も味わってきて、何度でも味わいたい感覚。
でも、肉体を超えて、膨らみ霧散する私の意識はジンジンとするだけで、しっくりこない。
「やだ…消えたくない…!」
体が。溶けていくのを感じた。
タチの方に向き直り、自らもタチにしがみつく。
ちゃんとしっかり、寄り添えるように。
「!」
タチの腰にしがみついた私の両腕は、変わらずポコポコと泡立っている。
だが、強く交わったタチの肉体部分まで、波打ち始めた。
「馬鹿者!しっかりしがみつけ!!」
恐怖で握りを弱めた私を、タチが怒鳴りつける。
「でも…!タチまで…!」
言いながら、見上げたタチの顔がどんどん遠のいた。
足元が、地面にズプズプ沈んでいってる。
「ナナ!ちゃんとにぎれ!」
さっきまで抱き合っていたはずの私達二人の位置は。
湖に溺れる人と、助けようとする人のように落差ができていた。
「タチ…ごめん…。」
怖い。怖い。
中から中から溢れる恐怖と、広がり続ける意識に、溶ける肉体。
どうにもできない変化に、差し出されたタチの手。
「助けて!」と握り返したいけど、それはできない。
タチまで消えてしまうのが、もっと怖いから。
「はなさんぞ…!ちゃんとにぎりかえせ!!ナナ!!」
「…ありがとう。大好き。」
体が。胸元まで、地面に沈む。
肉体の感覚は全身あるが、このままどこまでも落ちていくのだろうか?
全身が消えてなくなるまで。
また、生まれ変われるだろうか?
ちゃんとタチの所にもどってこれるだろうか?
怖い。ただただ怖い。
こんな恐怖にまみれた死は初めてだ。
「歯をくいしばれ!ナナ!!」
握り返すことをしない、私の腕を離したタチが低く拳を構える。
「私はみとめんぞ!!」
ドゴ!!!
「かっ…!はっ!?」
胸のど真ん中に、タチの拳がめり込んだ。
激しい衝撃と痛みが体を駆け巡る。
「だめだナナ!勝手にいくな!!!」
叫んだタチがもう一撃拳をくりだす。
渾身の。えぐり上げるような軌道で。
バキリ。と体の内部で骨が弾ける音がして、沈んだ体が浮き上がる。
「ぐっ…!かはっ…!」
殴られた衝撃で、口から空気が抜け、同時に熱い血も喉奥から吐き出された。
(いたい…いたい…!!)
激しく鈍い痛みに、体がズキズキする。
でも、体が地上にはじき出された。
殴られた反動というより。与えられた痛みで肉体が締まり、意識が縮こまったせいで。
世界と私の境目がはっきりしたのだ。
「どうだ…感じるか!私を!!」
また一撃。私の腹部にタチが拳を振るう。
お腹を突き抜けた振動に胃袋が捻じ曲がる。
「ハァ…ハァ…。…感じる。タチを…。」
痛みの余り、うずくまったまま立ち上がれない私は、小さく震える声で言葉をだす。
肉を感じる。骨を。内臓を。
痛みを感じる私自身を…。
「言葉にするな…!」
また一撃。こんどは私の頬を打つ。
鼻から血が飛び。奥歯がカチャリと弾ける音がした。
(…感じる。タチの怒りを…恐怖を…。)
ここまで来ても私は、私の事しか考えていなかったんだ…。
タチだって、私を失うことをこんなにも怖がってくれているのに…。
私は、タチが消えるとこを怖がって…自分の恐怖だけを恐れて…握り返さなかった…。
顔を殴られた衝撃で、混乱する頭。
脳みそと、体がぐにゃぐにゃになるが、霧散していた症状は収まる。
タチの強い我のおかげで。
「…タチ…。もっと。」
よれよれの声で。タチを求める。
痛みで体は悲鳴をあげているが、恐怖はない。
だって、タチがくれた想いだから…。
「良い顔だ…。」
「すき…。大好きなの…。」
タチの足元に、ずるずると芋虫みたいに這い寄る。
もっと感じていたい。タチのくれる痛みなら…。
「私もだ。愛している。」
タチが、私の両脇に腕を通し抱きしめる。
今度は始めと違う。
ボロボロの体に痛みが稲妻みたいに走り回るけど、体が泡になることはない。
「…愛してる。」
ごぽごぽ口から血が溢れる。
でも口角が上がってしまう。
タチと出会えてよかった。
例え何もかもが間違っていても、よかったと感じられるから。
「人に慰められるとは…。嘆かわしくはありますが、効果的な手段がみつかりました。彼女を奪えば良いわけですね。」
イトラの言葉は私の耳に届かなかったけど、輝く光は嫌でも目に入った。
目の前が白く染まり。
次に真っ赤に弾けた。
「あ…あぁあああああ!!!」
タチの首が宙に舞い、地面に転がり落ちる。
私の体はその光景と共に消えてなくなった。
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