ゆびきりさん

骨董好きの青年に訪れた恐怖の一夜
真野てん
真野てん

第2話 分解

公開日時: 2020年10月21日(水) 13:29
更新日時: 2020年10月21日(水) 17:14
文字数:2,301

 最寄り駅から徒歩十分。

 今年で築三十年になる木造二階建ての安アパートの一室こそが、島村一彦にとってささやかながらも無二の城である。


 歩くたびにキシキシと鳴く床や、顔も知らぬ隣人の生活音が筒抜けになる薄い壁も、住んでみればさほど気にならなかった。彼にとってはただ寝る場所と、二間ある内の和室を占領している骨董の数々さえあればそれで満足なのである。


 島村は今日また新しく手に入れた戦利品を、猫足をした文机の上にチョンと飾ってみた。転がらないようにと、仏具のお鈴に敷く座布団まで用意する。その溺愛っぷりは買ってきた初日ということもあってか、他人からすれば不気味なほどだ。


 ぼんぼりの灯りに照らされて光る不思議な模様。

 見れば見るほどに妖しさを増す。


 ひとしきり目の保養を楽しんだ島村は、ひとまず夕食を済ませることにした。大学を卒業し社会に出て早二年。趣味につぎ込む費用を捻出するためには自炊が基本である。ましてや恋人までできてしまっては、楽とは言えコンビニ弁当などもってのほかだった。


 まあどれもこれもうれしい悲鳴ではあるのだが。

 といってもそこはそれ、独身男の料理である。食えれば何でもいいをスローガンに、焦げた玉子焼きをインスタントの味噌汁で流し込み、同僚の帰省土産である明太子でご飯を二杯平らげた。


 そして、いよいよ謎の木管との再会である。興奮に打ち震える両手でそれをすくい上げると、表面に施された寄木風の紋様を指でなぞった。木管はわずかにカチャカチャという音を立てる。やはりこれは組み木の立体パズルの要領で分解できる類のものらしい。正しい手順でピースを組み直していけば、いずれ中に入っているだろう『お宝』との対面できるはずだ。


 しかし通常の細工箱とは違い、縦横斜めの平面的な移動に加え、円筒形であるこの木管には回転方向のピース移動も考えられる。難易度もおそらく数倍はあろう。

 ダメで元々。

 島村は軽い気持ちで木管をいじり始めた。


「お?」


 パズルを解き始めて数分。木管の一部が紋様にそってスライドするのを発見する。

 さらにその移動をきっかけとして、次々とナンバーパズルの要領で紋様が変化していく。十手、二十手、三十手。恐ろしいほどに入り組んだ構造は、簡単に分解されるのをよしとしない。


 島村も当然やっきになる。気がつけば時刻はすでに深夜を回っていた。

 明日も仕事である。悔しいがそろそろ寝なくてはいけない。島村は最後に、これでもかという思いを込めて手に力を入れる。


 するとどうやったのか。

 木管はまるで最初からそうであったかのごとく、バラバラになった。もはやそれがどう組まれていたのかさえも不明なほど、数十種類のピースへと分解してしまったのだ。

 あまりに突然のことに、島村はしばらく放心してしまった。


 そして、ふと我に返り。

 中に入っていただろう『お宝』を探し始めた。我ながら最後の一押しには力が入っていた。もしかすると箪笥の裏にでも飛んでいってしまったのではないかと島村が焦燥に駆られていると、足元に長方形の小さな箱が落ちているのを見つけた。


 拾い上げたそれはよくある木製の箸入れのようだった。ふたの部分がスライドして開くアレである。大きさからいっても木管の中にあったのはこれに違いない。そう見当をつけた島村の胸には、かつてないくらいの感動が込み上げていた。


 中身は宝石だろうか、それとも隠れキリシタンの十字架だろうか。もしかするともっと凄い発見があるかもしれない。

 島村ははやる気持ちを押しとどめて、ゆっくりと小箱のふたをスライドさせていった。


 すぅーっと開いていく木製のふた。

 ろうそくの炎が揺れるぼんぼりの灯りは、途絶え途絶えに小箱の中を照らしていく。


 最初は長い勾玉かと思った。光り輝く上下に並んだふたつの勾玉が、互いに身を寄せ合って小さな箱に収まっているのかと。次に、それには節が付いているのが見えた。枯れ木のようなしっかりとした節目だ。ぼんぼりの灯りに照らされて、ほんのりと色付いているようにも感じられた。


 そして最後に光り輝いているのが爪だと分かった。中にあったのは人の指。


「ひぃぃっ」


 島村は驚きのあまり、それを畳の上に落としてしまう。しかし、腐ることもなくどす黒く変色した二本の指は、しっかりとお互いに絡みついたままゴロンと畳に転がる。


 島村はその場から逃れようと居間のほうへ必死に這い寄るが、金縛りにあったかのように身体の自由が利かない。叫びたくとも声が出ず。普段なら聞こえるはずの隣室からの騒音も聞こえない。二年間慣れ親しんだはずの我が城が、まるで異界だった。


 言い知れぬ恐怖と緊張の中で、島村は意識が遠のいていくのを感じた。しかし、いまの状況では逆に救いであるとも言える。この窮地から脱し、何事もなかったかのように朝を迎えるためのシークエンス。頼む、このまま――。

 島村は忍び寄る恐怖に身をゆだねた。だが彼の願いは儚く消える。


 コンコン


 誰かが部屋の戸を叩いている。気のせいかとも思ったが、やはりもう一度コンコンという戸板を叩く音はした。不思議なことにその音を聞いた瞬間、島村の金縛りは解けていた。念のため、あーあーと声も出してみたがちゃんと出る。意を決して背後にある和室をねめつけた。だがぼんぼりの灯りは消えており、中の様子を窺い知ることはできない。


 コンコン


 何度目かの戸を叩く音。時刻は深夜二時。人が尋ねてくるような時間帯ではない。


「だ、誰ですか」


 精一杯しぼり出した声は、情けないくらいに震えていた。すると深夜の招かれざる客は「夜分にすみません」と、か細く答えた。その声色は紛れもなく女性である。これはいよいよどうしたことかと島村は動揺する。

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