王国歴428年 水形の月17つ
Yousel=toplight
Immigration officer
チェスナット王国 入国審査室
始業ベルが鳴り響き、朝からの仕事が始まろうとしていた。
今日は当番日で、他の受付嬢は昼過ぎに帰ってしまうが、私はお昼を回っても帰ることは出来ない。
門を閉める夕方まで、一人で残り勤務だ。
今日も大変な日になるだろうとこの時は考えていたが、それは仕事がただ忙しい程度という意味合いでしか考えていなかった。
しかしその甘い考えは、これからやってくる人物によって破壊されることとなり。
ユーセル=トップライトの手にしていた平穏な日々は、今日で終わりを告げることになる。
私の窓口に一人の女が訪ねてくる。
「ユー=トップライト様」
「はい。あれ、この前の人ですよね?」
一度見たことがある女性だ。私は記憶の中を辿る。
確か、甚六の所在を尋ねに来た人だった気がする。
あの時は探知魔法を使ったから印象に残っていた。前は普通の市民の服装をしていた気がするが、今は給仕をする女中の格好をしていて、それも品が良く、普段から着慣れているような立ち居振る舞いを彼女から感じた。
「私は宮中で王家に仕えているディア、と申します。
ここには、以前訊いた踊り子の件で話をしに来ました」
「はあ……彼が何をやらかしたんですか……」
国仕えのメイドが来るなんてただ事ではない。
だから私は甚六がやっぱり何か事件を起こしたのだろうと辟易した。
溜め息をつき、難色を示すことでそれを伝える。
「今、お時間は大丈夫でしょうか?」
「あの……仕事も始まったばかりなので……」
「仕事ですか……? そうですね、少し待っていて下さい……」
メイドは私の態度に意も返さず立ち去って行くと、そのまま入国審査部の控え室まで一直線に歩いていく。
何やら嫌な予感がする……。
業務を再開しようにも、待てと言われてしまっては居心地が悪く、ただ時間が過ぎる。
だんだん待っていても仕方がないので、そろそろ放っておいて仕事を始めてやろうかと迷っていると、やがて彼女は部屋から出て、こちらに戻って来た。
「おめでとうございます、ユー=トップライトさん。あなたの今日と明日の仕事は、お休みになりました」
「えぇ……?」
「あちらでバーンヤードさんという方とお話を付けて参りました。あなたはこれから、今日明日は自由の身です」
このメイドは突然何を言っているのだろう? 私は理解出来なかった。
入国審査部のバーンヤード部長は私生活に隙の無い男で、この国の数少ない、私のお願い攻撃が通用しない恐ろしい人物なのだ。
この前の7つの日も役所に行くから休む、というお願いすら、そう簡単に受理してくれなかったのに……
「休暇はお嫌いでしたか?」
「……部長にいったいどんな手を使ったと言うんですか……!」
「? あなたに休暇を取らせるよう、普通にお願いしただけですけど?」
納得がいかない。確かに目の前の女は顔立ちもそれなりに良いけど、私と比べるとそう差は無いように思える。
私と同じ、可愛げのある幼な顔タイプだ。
いや待て……。
違うのは……胸だ。大きい。コルセットで身体を締め上げているにせよ、これは単純に大きいと言わざるを得なかった。私は寄せて上げても到底叶わない事実に涙を飲んだ。
(部長にこんな弱点があったなんて……私の調査ミスでした……)
私がガックリと項垂れていると、それを私が納得したものだと受け取ったのか、メイドは少ししてから話を切り出してきた。
「さて……あなたに暇が与えられたのは、ここでのんびりと話をする時間を作ってあげた訳ではないのです。
彼は今どこですか? 早く呼び出してください」
甚六のことだ。しかし何故ここまで回りくどいやり方をするのか知る必要がある。
「呼び出せと言われましても……もう10日も見ていないのですが」
「いいえ、彼はここに居ます。奴隷登録をなされたでしょう?
あなたが呼び出せば、彼はここに居ることと同義です」
(うっ……)
どうやら、甚六を奴隷にしたことはバレてしまっているようだ。
しらばっくれるのを続けていたが、私はもう観念することにした。
「わかりました……確かに呼び出せばあの人は私の下に来ます。でもどうしてロキを?
少なくとも彼に愛を伝えるためじゃないですよね……?」
「はい。でも用があるのは私ではなく、姫様なのです。今日、姫様はここには来られませんから」
「姫様……?」
突然出てくる不穏な言葉。姫様。ひめさまが何だって……?
「では、改めて用向きを伝えますね。明日の18つの日に、トップライト家をチェスナット王国第三王女、フェリシア様がご訪問なされます。ユー=トップライト様におかれましては、奴隷の踊り子を呼び出して、一緒に御自宅で待機していて下さい。そこで姫様より内密のお話があるので……これらのことは一切、他言無用でお願いします」
「ここでお話出来るような内容では無いので……
明日、改めて姫様とそちらに伺います。……よろしいですか?」
「わかり、ました……」
大変なことになった。ただそう思った。
私は気のない言葉でしか返事をすることが出来ない……。
「では、これで失礼致します……」
ディアと名乗ったメイドは最後にそう言い、去っていった。
いったいどうしたらいいのだろう?
第三王女が私の下を訪ねてくる理由も分からないし、甚六が話し合いに必要な理由もさっぱり分からなかった。
奴隷を安価で買い叩いたことを咎めるぐらいでは王女様が乗り出してくる理由としては弱すぎるし、そもそも甚六は帝国へ向かうに山道に居るはずで……フェリシア様は、海岸沿いから馬車で帰国してきたと聞いている。
姫様は甚六からどこかで葉っぱを掛けられたうえに、私が主人であることを聞いた……?
いや、さっきのメイドは奴隷登録書を調べてここに来ていたのだから、それは無い。
どうやらいくら考えても答えが出ないようだった。
私は取り敢えず職務も考えるのも放棄して、助けを乞うように控え室へと向かった。
「バーンヤード部長……」
「ユー、お前やるじゃねえか。あのメイド、第三王女の結婚式の祭典で、重要な役を任せたいって言ってたな?
お前は顔立ちは良いからな。もう俺の手の届かないところまで出世しそうだなぁ!」
(あれ……? そんな話になってるんですか……)
どういうことだろう。それぐらいの理由ならばあの場でメイドと打ち合わせすれば済むはずで、式典のスタッフに抜擢する程度で姫様が直々に私を指名して家に来る必要なんかない。
だが、内密の話があると言っていた。
ということは……部長が言っているのはただの表向きの理由なのかもしれない。
「ええ、そうみたいなんです。私のこと、そういう風に見てたんですね?
部長のこと、ちょっと見直しました!」
「何だよそれ。俺は褒めてるんだからなー?」
「分かってますよ。部長は色香に惑わされるような人じゃないって」
「……確かにおっぱいはデカかったな?」
「も~!」
そこで笑い合う。あのメイドが巨乳を利用して部長を籠絡した訳じゃないことが分かっただけで気分が上向くのだから、私もつくづく現金な女だと思う。
「私は審査室のほうを片付けたら帰りますね。後のことは部長にお願いします」
「ああ、わかった。当番は俺がやっておこう」
「助かります」
私達はそこで会話を終えた。部長もここから栄転者が出るのであれば審査部も鼻が高く、評価はうなぎ登りになると思っているのだろう。だけどきっと、これはそういう話じゃない。
幻を見て浮かれているバーンヤード部長を少しだけ憐れみながら、私は控え室を後にした……。
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