お母さんに続いて、おばあちゃんも家に帰って来た。
今日の仕事を終えて帰ってきた私の祖母は開口一番、反対の意を表明した。
「あたしゃ、許さないよ」
「おばあちゃん……」
「カイの奴から聞いたよ。男を連れ込む気なんだろ?」
弟はどこに行ったのかと思っていたが、どうやらおばあちゃんのところに行っていたらしい。
カイは二人とも賛成するだろうと言っていたが、珍しく予想を外した。
私もおばあちゃんは賛成すると思っていたから、かなり驚いている。
だって、目の前の人は、普段の優しいおばあちゃんとは全然別人なのだから。
「そうなの。実はもうお金も払っちゃってて……」
「お前は金持ちだからね。そりゃ男も買えるぐらい偉くなっただろうさ。
あたしと娘も、切れた縁をお前に買われたダメな親共さ……」
「ごめんね、おばあちゃん。また無理をお願いして」
「いいさ……それで、その男は?」
「えっと、帝国よりずっと遠くから来てて……」
「違うさ、いくつかって聞いてるよ」
「えっと……25、くらい?」
「……」
私が歳を曖昧に答えると、おばあちゃんは深い溜め息をついた。
明らかに呆れている様子だった。
「世の中には若作りな人間なんていくらでもいる。同い年に見えないのなら、もしかしたらそいつは30かもしれないぞ? お前は20で、娘は40だ。そいつはお前の母親に手を出さないと言えるのかい?」
確かに母は未亡人だ。私と同じ20歳で私を産んで、9歳上だった父親が死んだのが七年前、母が33歳の時だ。
もう七年も経っている。今は生気が抜けているが甚六のような溌剌な男が傍にいれば、愛を求める可能性は……あるかもしれない。
それに、甚六も女関係にとてもだらしなさそうで……そちらも擁護することは出来そうにない。
「もしあたしの娘に手は出さない、ちゃんとした奴だったとしても、また歳の差があるじゃないか。入り婿の奴は確かに短命だったが、それでも娘と九つは離れてた。お前が連れてくる男が長生きしたとしても、年上ならお前より先に死ぬ可能性は高い」
「あたしはお前を心配してるんだよ。お前は自分が産む子供にも、同じ目に遭わせるつもりなのかい?」
「……」
おばあちゃんは深く切り込んでくる。
確かに子供が産まれて先に未亡人になるようなことが起これば、それこそ同じ悲劇の繰り返しになる。
おばあちゃんは私に、年上とは結婚するなと言ってるんだ。
そこにはきっとおばあちゃんも、独り身で長生きを続けているからこそ、私を、心配するわけで……?
私は途中でおかしいことに気付く。
いつの間にか、私が甚六と結婚して子供を産むことになっている!?
「ちょっと待って、おばあちゃん、違うの」
「年上を好きになるのは、やっぱり血筋なのかねぇ。
どうせ一目で見て、衝動買いしちまったんだろう?」
「違います!! 衝動買いなんて……」
「衝動買いなんてしてませんっ!!」
後には引けなくて、嘘を言ってしまった。
こうなれば意地でも通さなければならない。
「違うの、おばあちゃん。買ったのは奴隷なの。その、結婚相手じゃないんです。歳は……分からないけど、それは魔法で聞き出せるし、お母さんと間違いが起きないようにしっかり命令すれば大丈夫なんです」
「奴隷を住まわせるつもりだったのかい? ハッ! なら余計に反対だよ。
家族ごっこに人形を加えたって、それでどうなるってんだい!!」
おばあちゃんは暴言を吐き捨て、出ていこうとする。
っ……今引き下がってはダメだ! 私はすぐに追いついて、祖母の手を掴んだ。
「待って、おばあちゃんっ!!」
「……」
そこで二人の間に沈黙が流れ……。
そこに折り悪く、カイが家に戻って来た。
タイミング悪く鉢合わせたカイは、祖母と無言で語り合っている……。
「こんな話、娘や孫に聞かせる話じゃなかったね。ユー、ついておいで」
祖母はそれだけ言い、カイの横を通り過ぎて歩き出した。私もついていくしか無かった。
どこまで行くのか最初は分からなかったが、祖母の迷いのない足取りと道で、途中からどこへ向かうかは分かった。
私達家族には思い出深い場所だった。
パン屋の側を抜けて、野菜屋、薬屋、雑貨屋と順番に商店街が並んで、この家の隙間からなら王宮の時計台が見えたりして……やがて住宅街に入る。
私とおばあちゃんは、旧家まで歩いて来ていた。
ここは父親も居て家族5人で暮らしていた懐かしい我が家だが、今はもう別の家族が暮らしているため、中の様子を窺うことは出来ない。
祖母はここで立ち止まると、ぽつりと話した。
「ユー、お前、覚悟はあるのかい?」
「覚悟……?」
私は聞き返したが、それきり祖母の返事は無かった。覚悟……?
なんだろう。それはすごく抽象的で、曖昧なモノに思えた。
答えはいくつもありそうだけど、でも、ここで間違えちゃいけない気がした。
私はゆっくりと考える……。
(子供を産んで母親になる覚悟?)
いや、違う。祖母は奴隷を買うと言ったら怒って出ていったんだ。そうじゃない。
(じゃあ奴隷を……管理する覚悟?)
甚六がお母さんと間違いを起こさないようにするには、それこそ沢山の命令で雁字搦めするしかないだろう。
そうすると……祖母の言う通り、今の歪んだ家族に価値のない人形を増やすだけになる。
これは考え方自体が間違っている気がする。
矛盾するようだが……奴隷には自由でいてもらわなければならない。
だとすると、私は奴隷の人権を尊重しようとしている訳だ。だとしたら……
(家族を増やすことの覚悟を聞いている?)
そうかもしれない。おばあちゃんは最初から、お母さんと私のことを心配していた。
そうだ、初めから私が結婚相手を家に連れてくると思っていたのだ。
だけどこれは、真実じゃない。私は甚六と結婚するつもりなんか……ない。
ないと思う……。
その先にある想像を振り払って、もう一度、未来の構築にかかる。
甚六はかなりの自信家だった。年齢を重ねて、しっとりとした空気を醸し出してしまっているお母さんに迫る魔の手を防ぐには、奴隷でいてもらう必要がある。けど、命令は出せない。縛らなければ、どうなる?
(じゃあ、もしかして、間違いが起きてしまっても受け入れる覚悟……?)
もし二人の仲が進展しても、私としてはお母さんが再婚すること自体は賛成かもしれない。
だけど、おばあちゃんにとってはかなりデリケートな問題なのだ。
つまり、もしそうなってしまっても、それに責任を持てということなのだ。
私はたどり着いた自分の結論を、信じる。
「おばあちゃん、大丈夫だよ。ロキは……悪い人じゃない。ちゃんと幸せにしてくれる人だと思う。奴隷の魔法で言うことを聞かせることも、しないようにするよ。私が信じてあげなきゃ、始まらないですよね……」
「……そうかい。お前の好きにしな」
おばあちゃんはそれだけ言うと、そっぽを向いてしまった。
どうやら……受け入れてくれたとみて、いいのかもしれなかった。
話が終わってその余韻に佇んでいると、どこからともなく声が飛んでくる。
「お姉ちゃん、おばあちゃんは許してくれそう?」
「あ、うん……なんとか受け入れてくれたみたい。今はふくれっ面になっちゃってるけど」
カイが魔法で連絡してきた。今度はやけにタイミングが良い。
「あと30分でお役所閉まっちゃうよ。戻ってこれそうなの?」
私はそれを聞いて跳ね起きる。王宮の時計台を見たら、2時半を回っている。
今日は休暇を取ったが、明日からは仕事なのだ。
ここからなら、家まで走って鞄を取って、役所まで行けば20分ぐらいだ。
私は今日中に片付けることを決意する。
「すぐ戻ります!
おばあちゃん、私、届け出を出してくるから!」
私は弟と祖母に同時に返事をして、走り出した。
来た道を返して、息を切らさないように、自宅まで戻ってくる。
「お姉ちゃん、カバン!」
「ありがと、行ってくる!」
カイが外で待っていてくれたようだ。相変わらず有能な弟で本当に困る。
私は自分の鞄をひったくると、そのまま駆け足で役所へと走り出した。
あと10分で今日の営業時間を終えようとしていた役所に飛び込むと、窓口の前には誰も並んでない光景が見えた。
ツイてる。私はすぐに係りの人間の応対を求めた。
「すいません、まだ大丈夫ですよねっ! 受け付けてくださいっ!」
「ああ、はいはい……ご用件は?」
私は鞄から、一枚しか入ってない書類を取り出して窓口に叩き付ける!
ダンッ!
「お願いします……!」
「お、婚姻届ですね。フェリシア様のおかげで最近はたくさん来てるんですよ、では預かりますね……」
「えっ……」
頭が真っ白になった。
今こいつは何と言ったんだろう? 何だって?
「【夫】ロキ=トップライト様、【妻】ユー=トップライト様ですね、確かにお預かり、」
ダンッ!!
私はもう一度手を叩き付けて、書類を目が飛び出すほど凝視するッ……!
そこには、私の字で二人の名前が書いていて、ご丁寧に印まで押されている。
あれを書いたのはついさっきだ。鞄に入れて、帰って来たお母さんと話して、怒ったおばあちゃんと一緒に家を出た、僅かな時間しか目を離していない。その間、家に居たのはお母さんと弟の二人しかいないはずだ……!
「やっ」
「やられたぁああああああああああああああああ!!!!!!!
ああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
その日、終わり間際のお役所には、頭を抱え、天を仰ぎながら絶叫する女の姿があったのでした……。
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