この世界に、残り続けるような物語を、君と。

カクヨムジャンル別週間ランキング最高59位 繊細な言葉で描かれる男女の青春恋愛劇
繊月ハクサイ
繊月ハクサイ

第三話

公開日時: 2022年11月18日(金) 23:06
文字数:5,269

 少し冷たい風が吹く、よく晴れた秋の日、僕はぼーっと目の前の山を眺めていた。


 まだ緑色のみかんの木々が植えられている山と向かいあっているのは、小屋のような寂れた駅舎。

 駅から少し離れた海岸には港町と灯台がそびえ立っている。


 この凛丘駅のプラットホームから望める瀬戸内海は、ネットにも載るような絶景だ。ずいぶんと昔に何度か、わざわざ電車を使って家族三人ででかけたことがある。

 その時に見た海の眺めが、未だに忘れられない。


 辺りに人は一人もおらず、僕は自転車と一緒に、海風でゆれる紅い葉をまとった、桜の樹の下に立っていた。


 自転車で丘を下り、二十分かけて駅に着いたはいいものの、まあるい時計が指す時刻は十二時三十分、竹内さんとの集合時間をとっくにすぎている。


 一応、竹内さんに電話をかけたものの繋がらなかったのだ。


 竹内さんのことは心配だが、僕はなにか急用ができたのかもしれないと考え、連絡が来るまで待つことにした。


 喉が乾いていたのもあり、駅舎の中に入った。

 改札の外はちょっとした休憩スペースになっていて、自動販売機と足の部分が茶色く錆びついたベンチが、ひっそりと佇んでいる。改札の外にも人がいないこの駅は無人駅だ。


 壁には随分と寂しい時刻表が貼られており、次の電車が来るまで四十五分もあるようだ。


 メモ帳と財布の入ったポケットから財布を取り出し、自販機に二百円を投入する。


 ガコッ チャリン、チャリン、チャリン


 静かな駅に音が生まれる。


 献血の広告の貼られたベンチに腰かけ、自販機で買った水を飲むと、寒さで乾いた全身がさらに冷えていくのを感じる。


 あったかい飲み物にすればよかったな……。

 と、心のなかで小さく後悔した。


 ちびちびと水を飲みつつ、哀愁ただよう駅舎の中からボーッと外を眺め、あと十五分したらもう一回電話しよう。


 そう決意したとき、駅の出入口からひょこっと顔を出した紅い葉桜の間から、ふらふらと僕の待ち人が歩いてきているのが見える。


 僕はベンチから立ち上がり駅の出入り口のそばまで駆け寄った。


「ごめーん……、お待たせしました〜」


 明るい茶色のツーインワンケーブルニットに、青のジーンズ。長い髪を腰までまっすぐ下ろしている。


 茶色のケーブルニットが秋らしさを演出し、青のジーンズとの色合いが、落ち着いた雰囲気を感じさせる。


 服装なんて気にしない僕から見てもオシャレだと思わせる服装なのに、それらを台無しにするほど、竹内さんは疲れ切っていた。


「そんなに、疲れ切ってどうしたの?」


 途中、走ったのか肩で息をする竹内さんは、僕の問いかけを無視し、その瞳は僕の右手に掴まれたペットボトルを捉えている。


「陽翔くん、お水もらっていいかな?」

「いいけど…って、もうペットボトル掴んじゃってるけど」

「ありがとっ」


 竹内さんは僕からペットボトルをひったくるとゴクゴクと喉を鳴らしながら、水を飲みはじめた。


 一口ってこんなにも長いものだっただろうか……。

 別にまた新しいものを買えば問題ないのだが。


 というか、これは間接キスなんじゃないのか?と、思春期の僕の心が小さくざわつく。

 高校生が間接キスなんかに動揺していることに我ながら恥ずかしく思う。


 なんて、ごちゃごちゃ考えている間に、竹内さんはペットボトルの中身を全て飲み干してしまったらしい。

 

「ありがとね。おかげで助かったよ、危うく死んじゃうところだった」

「何かあったの?」

「いやぁ、自転車で行くつもりだったんだけど、タイヤに穴が空いちゃってて……」

「それで遅くなったんだ」

「そうなの、ほんとごめんね」


 肩をすくめながら両手を合わせ、申し訳なさそうに微笑む竹内さん。


 まあ、無理もないだろう。

 僕が住む町は、町の中の山と丘で二つに別れている。

 最寄り駅があるのは海に近い方で、高校とは真反対の位置なため、丘の向こう側に住んでいる竹内さんが歩いてくると、相当時間がかかるだろう。

 

「それで、今日はどこにいくの?こんな田舎を通ってる電車なんて一時間に一本ぐらいだけど」

「ふっふっふー、陽翔くん、さては駅前集合だからって電車に乗ると思ったんでしょ?」


 竹内さんの言う通り、てっきり電車に乗るかと思いICカードを持ってきたのだが、違うのだろうか。

 僕は素直に頷きながら、思案した。


「それが違うんだなー、今日はこの町を取材and私に案内してもらいます!」


 竹内さんは元気な声でずいぶんとおかしなことを言った。


「案内って……この町に案内できるような場所なんてないよ」

「まあまあそう言わずにさ、自分の住んでるところを知らないと、知らない場所を描いたりする小説なんて書けないよ」

「それはそうかもしれないけど、ほんとにこの町には何もないんだよ」

「私引っ越して来たばっかりだし、この平和な町のことを知らないとねっ」


 何もないから平和なんだけどな……と思いつつも、僕はなにか案内できる場所がないかと考える。


 あるものと言えば寂れた港町に、神社、学校、小さな公園、おばあさんが個人で営む喫茶店、灯台、そして病院くらいのものだ。スーパーはここら辺じゃ隣町にしかない。


 僕が思案している最中にすっかり元気を取り戻した彼女の声が頭に響く。


「ほら、早く案内してっ、私あそこ行ってみたいっ!」


 そう言った竹内さんが指をさす方向に目を向けると、目線の先には、彩りと活気を失った港町と崖の上にそびえ立つ真っ白な灯台。


 所々茶色くなった漁船が並ぶ海に沿って、古い家々が建ち並んでいる。


 駅からすぐそこの港は昔は栄えていたらしいが、時が経つとともに人々が都会に離れていったそうだ。


 そんな、今は誰も住んでいない港町に行ったことなんてないが、あのノスタルジックな雰囲気と寂れた町というのは小説の舞台として使えそうだ。


「了解、あそこ、今じゃ誰も住んでないけどね」

「あんなにおっきい町なのに誰も住んでないんだね」


 竹内さんは感心したようにそう言って、道もわからないくせに僕の前をずんずんと歩き出した。

 僕はカゴ付きの自転車を引きながら竹内さんの後を追った。


 海沿いから少し離れた道をしばらく歩いていると周りの景色が紅葉しかけの木々から瓦屋根の住宅街へと移り変わっていった。


 錆びた自販機に、つたの絡まった看板、剥がれ落ちたなにかのポスター、哀愁ただようその光景に、活気づいていた頃のこの町の人々の営みが目に浮かぶ。


 僕や竹内さんが住んでいる町なんかより、ここには物が溢れている。


「なんだかここだけ、色んなものから置いてけぼりにされちゃったみたいだね」


 静かな町と、ゆっくりとテンポをとる自転車の音に呼応するように、竹内さんはポツリとこぼした。

 竹内さんは柔らかくほほえみ、目に映るものすべてを懐かしむように、哀れむように見つめている。


 竹内さんのそんな表情を、僕は知らない。


 それもそうだ、僕は竹内さんのことをまだなにも知らないのだから。

 でも僕は、そんな表情を浮かべる竹内さんのことを、もっと知りたいと思った。


  入り乱れ、山のふもとまで広がった町を歩いていると、不意に、竹内さんが僕の服の裾を掴んで、立ち止まった。


 突然のことだった。僕は振り返って、竹内さんを見た。

 竹内さんは驚きと興奮の混ざったような表情をして、僕を見つめてくる。


「どうしたの?」


 問いかけると、竹内さんは驚きの表情を隠すことなく、ゆっくりと口を開いた。


「猫ちゃんが……あそこに、猫ちゃんがいる……!」


 声を抑えつつも、興奮を隠せない様子でいる。彼女の視線の先には、錆びついた真っ赤なポストの上に大きくごろんと寝転ぶ三毛猫がいた。


 野良猫のことを猫ちゃんと呼ぶのか、と少し驚いていると、いつのまにか服の裾から手が離され、竹内さんはビューンと猫のように目の前を駆け出していった。


 僕も早足で竹内さんのあとを追うように向かう。


 駆け寄る僕らを迎えてくれたのは普通の猫よりも一回りも大きな三毛猫。

 少し暖かいこの時間は、日の光が当たった毛先が綺麗に透き通り、太陽の匂いがする。


 日向ぼっこの最中のようで僕らが近づいても、閉じた目をうっすらと目を開いては、また気持ちよさそうに目を閉じた。


「……可愛いぃ〜、よし、決めた! 君の名前は三毛猫のミケだ!」

 

 突然、ネーミングセンスのかけらもないような名前をつけられた三毛猫は、その名前に反対するかのようにミャーミャーとなき始めた。


 そんな姿を見ているだけでも心がとろけていく気がする。それくらいに、このミケは可愛いのだ。


「ミケェ、可愛いなぁ〜、陽翔くんもそう思うよねっ?」


 振り返った竹内さんは、右頬にだけえくぼを作り、百点満点の笑みを浮かべた。


 思わず、ドキリとしてしまう。


 身体の芯から熱を帯び始め、胸の鼓動が少し高まっているのを自分でも感じる。

 自分でもよくわからないこの気持ちは、僕の心のどこかに引っかかった。

 

 竹内さんは不思議そうな顔を浮かべて、少しの間固まっていた僕の顔を覗き込んできた。


「どうしたの?」


 竹内さんは少しの間固まっていた僕の顔を覗き込んできた。

 さっきまで笑顔を咲かせていた顔が、すぐ目の前で僕を見つめていることにひどく緊張する。


「……ああっ、猫、可愛いよねっ」


 一瞬の間を開け、僕は取り繕うように言った。

 竹内さんはなおも不思議そうな顔をしている。


「陽翔くん、なんで照れてるの?」


 やたらと勘のいい竹内さんは、ふふっと笑いながら尋ねてきた。


「照れてなんかないよ……」

「いーやっ、なんでかは知らないけど照れてるね」


 言い返しても無駄なことは理解しているので、僕はなにも言わなかった。

 竹内さんは無視する僕を笑顔で一瞥すると、ミケに向き直り、また手をワキワキとさせた。


「……それにしても、なんでこの子逃げないんだろ」

「人馴れしてるんじゃないかな」


 言いながらゆっくりとあごの下に手を伸ばし撫で始めるとすぐにぐるぐると眠たくなるような音を出し始めた。

 

 手をワキワキとさせるだけだった竹内さんも恐る恐るミケの頭からお尻までをスーッと撫で始めた。


「……どういうこと?」

「野良猫なのにこんなにふくよかなのは、多分だけど誰かが時々餌を与えに来てるからだと思うんだ。だから人になれてるんじゃないかってこと」


 赤いポストの上に大きく寝転び、真っ白なお腹を見せつけてくる、愛くるしいこの生き物は、羨ましくなるほどに幸せそうだ。


「なるほど〜さっすが、頭いいね」

「そりゃどうも、ただの推測だけどね」


 そうして二人でミケを愛でながら、猫の魅力を語ったり、動画を見せられたりしていると、ミケがあくびをかきながらむくりと体を起こし、地面に向かってぴょんと飛び降りた。


 その小さな背中は家と家の間を華麗にすり抜けていった。


「あっ……あちゃー行っちゃったかー」


 竹内さんは少しだけ残念そうな顔をして、そう言った。


「お触りしすぎちゃったかな」


 困ったように二カッと笑った竹内さんは反省反省と言いながら、町の中を歩き始めた。


 その後、町の中を少し歩いて港に向かったのだが、思っていたよりも吹き付ける海風が冷たく、寒さ対策をこれといって行っていない僕らは、山の向こう側の喫茶店へお昼ごはんを食べに行くことにした。


「よかった、この自転車後ろに乗れそうだね、よし、じゃあ二人乗りだぁ! 行くぞぉ!」

「ちょ、ちょっと待ってよっ、坂道も登ったりするのに二人乗りは危ないよ」


 自転車のサドルをパンパンと叩きながら、一人で出発してしまいそうな竹内さんを僕は止めた。

 二人乗りなんてしたことはないし、万が一にも竹内さんに怪我をさせてしまうと竹内さんの両親に申し訳ない。


「いいじゃん、いいじゃん! 私の死ぬまでにやりたいことのひとつなのっ。だって高校生男女が自転車二人乗りだなんてすごい青春してるって思わない!?」

「そう……かなぁ?」

「そうだよ! 確かに危険だし、警察官さんに見つかったら降りなさいって言われちゃうと思うけど、それでも二人乗りをする価値はあるの!」


 すごい熱量で自転車二人乗りを推してくる竹内さんに根負けし、僕はしぶしぶ、二人乗りで喫茶店へ向かうことに賛同した。


「どうやって座る? 途中でゆるい坂道があるから、けつ上げにまたいでハブステップに足をのせた方が安全だと思うんだけど……」


 僕はサドルにまたがりながら言った。


 またいで座られると単純に距離が近くなってしまうが、安全性を考えるとそのほうが良いだろう。


「横向きで座るよ」

「そっか。でも危ないから肩か腰にはつかまっといてね」

「うん……」


 しばらく逡巡したのち竹内さんは恐る恐るといった様子で僕の肩にちょこんと手をおいた。


「どうしたの?」

「……陽翔くんのくせにボディタッチをあんまり気にしないことに驚いてるのと、初めてでなんだか緊張してる」


 あはは、と照れたように笑う彼女に、僕はずいぶんと女性耐性が低いと見積もられているようだ。


「君に怪我をさせるわけにはいかないから、そこはちゃんと割り切って考えるよ」

「やさしいんだね」

「……みんなこうするよ」


 きゅっと掴まれた肩にかかる力は、思っていたよりも強くて、痛い。


 ほんのちょっとだけ照れたことを隠して、僕はゆっくりと、まったりと、自転車を漕ぎ始めた。



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