一般住民――『御庭』のことを知らない者たちは、こぞってこう言う。
『御庭』は楽園であり、魔力に溢れた場所である。そこで王と王を守る『御庭番』が暮らしている。しかし強くならなければ『御庭』には呼ばれない。だから皆、楽園である『御庭』に行くために強くなろう、と。
そして強くなり、『御庭』に召された者は戻ってこない。
だから皆、言うのだ。『御庭』は楽園であるから、誰も帰ってこないのだ――と。
「……」
紅蓮は、小さく溜息を吐いた。
そんな『徒町』の住民たちの言葉は、大外れである。実際、紅蓮もそうなのだろうと考えて、『御庭』で天国のような暮らしをするために、必死に戦った。必死に強くなった。そして、紅蓮は『御庭』に召された。
しかし、そこで待っていたのは地獄だったのだ。
唯一、『徒町』の住民たちが正解している点がある。
それは、『御庭』が魔力に溢れた場所だということだ。そしてそんな『御庭』に満ち溢れた魔力は、『御庭』と『徒町』を遮る壁によって『徒町』にまで運ばれない。恐らく壁の近くに行った誰かが、「この向こうにすっげぇ魔力ある!」とでも言ったのだろう。
だが、その魔力こそが。
『御庭』を、地獄にしている根本である。
この世界を含めて、全ての世界は『虚界』と呼ばれる空間にある。
その『虚界』こそが、最も魔力の濃い場所だ。そしてその『虚界』から魔力を遮り、存在しているのが数多の世界である。
だが、この『虚界』は現在も成長を続けており、その魔力によって様々な世界を飲み込んでいるのだ。魔力に満ちた世界は、そのまま魔力の渦の中に溶け込んでしまい、『虚界』の一部となる――つまるところ、世界は消滅する。
世界の内部魔力、『虚界』の外部魔力、その二つが近付けば『虚界』の魔力が入り込んでくることを抑えることができず、そのまま『虚界』に呑まれることになるのだ。
それを『竜宮』に起こることを防いでいる存在が、『御庭番』である。
「ふー……」
紅蓮はなんとなく、大の字になって寝転がった。
睡眠は必要ないが、休息は必要な紅蓮である。四六時中戦いを続けていれば、こうして寝転がって休むことも多くあった。まぁ、今は別に疲れていないが。
広がる青空は、雲一つない。そして、じりじりと日光が照りつけている。遥か遠くが揺蕩って見えるくらいだ。
ただ一人で、陽が沈むまで待ち続けるというのは、随分と長いものである。
「……」
紅蓮は、『御庭』を追われた。
それは、紅蓮にとって全く身に覚えのない罪がゆえに。紅蓮は何度も無実を訴えたが、出てくる状況証拠の数々に、『御庭』のただ一柱の王――『黄龍』は判断した。
八十神紅蓮を処すべし、と。
結局紅蓮はそのまま投獄され、処刑となるはずだった。しかし調査の結果、確たる証拠品までは出てこなかった。勿論、紅蓮の身には全く覚えなどないため、証拠品などあるはずがない。
そして、結果。
紅蓮は、『御庭』より追放。
生涯を『徒町』で過ごし、魔力を集めることに専心せよ。
そう、沙汰が下った。
長年『御庭』で務めてきた立場も失い、紅蓮は身一つで『御庭』を追われた。
「はー……元気にしてっかなぁ、まつり」
かつての同僚の姿を思い出し、紅蓮は笑みを浮かべる。
立場も地位も失ったが、紅蓮はまだ生きている。生きているということは、この無実の罪を払拭することもできるということだ。
いつになるかは分からないが、その日が訪れてくれることを支えにする。
そして再び『御庭』に戻ったとき、彼女はきっとまたいつものように迎えてくれるだろう。「紅蓮さま、だらしないですよ!」と怒られたことが、何度あっただろう。
「ま、今はアシュリーの召喚獣だ。召喚獣として、できる限りのことはやろうかね」
『御庭』に思いを馳せながら、しかし現状の紅蓮はアシュリーの召喚獣だ。
この大陸を、アリファーン王国の旗で埋め尽くす――それが、アシュリーの望みだ。それだけ長く戦いが続けば、紅蓮の出番も多くあるだろう。
今でこそアシュリーが危機にあるために戻ることはできないが、アシュリーの状況が安定すれば、本来の召喚獣の役目になってくれる。望みに応え、召喚されてまた戻る――そんな日々になるはずだ。
くくっ、とそこで紅蓮の口から笑みが漏れた。
「お前はツイてるよ、アシュリー」
それは、紅蓮が初めてアシュリーの前に召喚されたときに、言ったこと。
この言葉は、決して嘘ではない。絶対的な窮地で助けを求め、忘れ去られていた魔法陣が起動して、紅蓮はアシュリーを見つけた。
そんな彼女が引いたカードは、最強のジョーカーだ。
「何せ、本来なら『九印御庭番長』は召喚できねぇんだぜ」
元『九印御庭番長』が一柱、八十神紅蓮。
その称号を持つ者は、広い『竜宮』の中でも一握り。九体の召喚獣にしか贈られない、最強の証なのだ。
「ふぁぁ……すまなかった、グレン殿」
「ああ、ゆっくり休めたか?」
日が西に沈んできた頃合いで、ダリアスがまず穴から出てきた。
眠そうに目を擦りつつ、しかし軽く周囲を警戒しているのは騎士としての癖だろうか。
そして、そんなダリアスと挨拶を交わすと共に、イブラヒムも穴から出てきた。
「……見張り、どうも」
「ああ、構わんよイブラヒム……本当に寝たのか?」
「……ええ」
目の下に深く刻まれた隈を考えると、眠ったようには思えないのだが。
しかし本人が寝たと言っているのなら、そうなのだろう。
そして続いて、アシュリーとエイルール――それぞれ眠そうにしながら、穴から這い出てくる。
「よく眠らせてもらいました、グレンさま。ダリアス、もう起きていたのですか。イブラヒムも早いですね」
「いえ、先程出てきたばかりですよ。イブラヒムも」
「……ええ」
アシュリーの言葉に、ダリアスは爽やかな笑みを浮かべて答える。そしてイブラヒムの方は、アシュリーと目を合わせずに頷いた。
エイルールは「まだ眠り足りないですぅ……」と言っていたが、ひとまずこれで全員集合だ。
今からまた、夜通し歩く。
「しかし、姫様がよくあんな穴蔵の中で寝られるな」
「ええ、野営は慣れていますから」
「は? 一国の姫が野営なんかやってんのか?」
「あ、はい。教義で、年に一度は大神殿を巡礼しなければならないんです。この巡礼の際には、己に苦を課すために乗り物などは禁じられておりますから、王都から歩いて大神殿まで向かわなければなりません」
「はー……」
アシュリーの言葉に、紅蓮は感心とも呼べる溜息を吐く。
一国の姫様なら、毎日のように快適な部屋にいて、贅沢な食事でも楽しんでいるものだと勝手に思っていた。宗教というのは紅蓮にはよく分からないが、随分と厳しい教義があったものである。
まぁ、だから砂漠を歩くのに躊躇もなく、穴で眠ることにも抵抗がなかったのか。
「それで、目的地まではあとどのくらいだ?」
「そうですね……あと二晩歩けば、到着すると思います」
「よっしゃ。それじゃ、向かうとするか」
「はい」
先導するダリアスの背中に、アシュリーとエイルールが従う。その後ろに配置しているのが紅蓮で、最後尾にイブラヒムだ。
今はただ、歩いてひたすら逃げるだけのお仕事だが。
今後、戦争になったら。
そのときには元『九印』の一柱として、最強のイフリートとして。
暴れさせてもらうことにしよう。
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