召喚獣とは、誰かの望みや求めに応じて世界を超えてやってくる存在である。
しかし、その召喚獣とはどこにいるのか。どこからやってくるのか。それを答えることができる者は存在しないだろう。彼らはどこからかやってきて、どこかへ帰っていく。その代償として魔力を得て。
その問いに答えよう。
彼らは、『竜宮』からやってくる。
「やれやれ……」
八十神紅蓮は、絶望的な状況にそう呟いた。
赤い男である。
深紅の髪に真紅の瞳、腰に差した刀は朱色の柄と鍔、鞘まで臙脂色という赤を基調としたな男だった。唯一その身に纏っているもので赤くないのは、片袖のない漆黒の着流しだろうか。もっとも、その腰帯は緋色と徹底されているが。
その整った顔立ちも、鋭い眼差しも、その体に纏う炎のような赤に打ち消されてしまうかのような、そんな姿だ。
視界の端に見える、震えて蹲っている少女。金髪碧眼に白い肌、青いドレスを纏った少女である。ドレスは細かい刺繍や装飾がなされた高価そうな代物で、恐らく高い地位にいる少女なのだろうと目星はついた。彼女が、恐らく召喚士だろう。
その隣に座っているのは褐色の肌をした赤毛の、メイド服の女である。恐らく、召喚士に仕えている人物だろう。
そして、ここに描かれている魔法陣は、召喚士が魔力を通して世界を繋ぐ扉を作るためのものだ。詳しいその内容は紅蓮には分からないが、以前に召喚されたときにもこんな魔法陣があったと思う。
しかし問題はここが暗い小部屋で、扉は今にも蹴り開けられそうな様子であり、逃げ道が明らかに全くないということだ。
今もなお、がんがんと木で出来た扉が蹴られており、下側には僅かに穴が空いて外の光が入ってきている。
絶望的な状況、と言って差し支えないだろう。
「あ、あな、あなたは、一体!? どこからここに!?」
「あー……そこから説明しなきゃいけないのか?」
「ど、ど、どうやってここに!? 姫様っ! お逃げくださいっ!」
「いや……まぁ、どう説明したらいいもんかね」
しかし問題は。
その少女が信じられないとばかりに目を見開き、隣にいるメイドが声を荒らげ、不審な相手といった様子で紅蓮のことを見ているという点である。
確かに、全く見たこともない相手が目の前に現れたら、こういう反応になるのかもしれない。
「一つ、信じてほしいことがある」
「な、何をっ……!」
「俺はお前らの敵じゃない。味方だ。お前らを殺そうというつもりは全くない」
「ほ、本当、ですか……?」
「姫様っ!?」
「ああ」
ようやく、絞り出したかのような少女の言葉に、強く頷く。
事実、紅蓮にそのつもりは全くない。これはあくまで、紅蓮の仕事なのだ。
召喚獣の仕事――それは、契約した相手の望みや求めに応じて、自分の力を振るうこと。
そんな紅蓮の言葉に少しばかり安心したのか、少女が上目遣いで紅蓮を見る。
「状況から察するに、お前は敵に追われていて、ここに逃げ込んでいるんだろう?」
「姫様にそのような口をっ……!」
「黙れ。俺はそこの女と話している。なぁ……この部屋には逃げ場もないし、扉は今にも壊されそうな状態。そして、扉の向こうの敵はお前を殺したくてたまらない。それでいいか?」
「……」
紅蓮の問いに、小さく頷く少女。お付きのメイドは憤慨したような顔をしていたが、完全に無視である。
まぁ、大体見た通りの状況だと考えていいだろう。つまり、やるべきことは簡単だ。
この少女の安全を守り、そして敵を殲滅する。紅蓮の仕事は、それだけだ。
「あなたは、わたくしを、助けてくださるのですか……?」
「お前が望むのならば、助けるとも。ただし、契約を結んだ場合だ」
「貴様っ……! 姫様にそのような……!」
「エイルール、少し、お黙りなさい」
「うっ……」
激昂してそう少女の前に出るメイド――エイルールと呼ばれた女が、止められる。
そして少女は、真剣な眼差しで紅蓮を見て。
「契約を結べば……あなたは、わたくしの力に、なってくれるのですか?」
「ああ、その通りだ」
「では……その契約とやらは、どうすればいいのですか?」
「名を教えてくれ。俺は八十神紅蓮。紅蓮でいい」
「わたくしは、アシュリー・エル=レイ・アリファーンです」
「オーケー、アシュリー。これで契約は完了だ」
右手を差し出し、アシュリーの白く細い手と握手を交わす。その様子にも、メイド――エイルールはどこか納得しかねるといった表情を浮かべていた。
召喚の契約とは、つまるところ自己紹介と握手だ。
名前という唯一無二の存在を明かし、その体の一部を繋ぐことで、相手との繋がりを得るのが契約だ。今後、アシュリーが望み求めたとき、紅蓮は世界を超えてここへやってくることができる。
それが、召喚士と召喚獣の古から続く契約のやり方であるのだ。
「あの、グレン、さん……?」
「ああ」
「あなたは、一体、どこから来たのですか?」
「俺は、『竜宮』から来た召喚獣だよ」
端的に、アシュリーに対して紅蓮はそう答える。
もっとも、そんな答えに対しても、アシュリーはよく分からないと首を傾げていた。
『竜宮』。
そこは、居場所を失った者が集まり、一つの国家を形成した世界である。
信仰を失った、かつて神と崇められていた者。
畏れを失った、かつて妖と恐れられていた者。
怪奇を失った、かつて霊と怯えられていた者。
それらは力を失い、世界の外に存在する魔力の嵐に飲まれかけていた。そんな彼らは、飲み込もうとした強い魔力に抗い、世界を渡った。そして存在する場所を求めて集い、序列を作り法を敷き国家を成した。
紅蓮は、そんな『竜宮』という巨大国家に属する一人である。
もっとも、それを説明したところでアシュリーは理解できないだろう。
「リューグー……? 一体、どういう……?」
「まぁ、こんな場所で一から説明しても仕方ない。ま、便利な世界から来る便利な奴だと思えばいいさ」
「そ、そうなのですか……?」
「それより、まずは安全を確保しなけりゃならねぇな。いつまでもこんな小部屋にいるわけにもいかない」
紅蓮はそう言って、顎で扉の向こうを示す。
がん、がん、と今でも誰かに蹴られているのだろう扉。次第に扉の形は歪んで、今にも閂が外れそうな様子だ。
扉の向こうから、「ここだぁっ!」「話し声がしたぞっ!」と男たちの荒らげた声すら聞こえてくる。
扉の壊れる音が響くたびに、アシュリーの肩が震えるのが分かった。
「ここで、確認だ」
「は、はい……?」
「俺は今から、アシュリー……お前の味方だ。だからお前の敵は、俺が殺す。だが、誰がお前の敵で誰がお前の味方なのか、俺には分からん」
「……」
紅蓮は首を振り、そう告げる。
恐らくアシュリーは、割と高い地位にいる人間なのだと思う。そして現状は、国が襲われていて滅亡寸前の状態であるのだと、そう睨んでいる。
だけれど、紅蓮には分からない。どんな鎧を纏っている者が味方であり、どんな姿の者が敵であるのか。
「だから、だ。これから戦う以上、俺はアシュリーに近付く奴を全てぶっ殺す。戦いの場であれば、それは当然のことだ。その結果、お前が殺したくない誰かを、俺が殺してしまう可能性もある。その場合、俺を恨むな」
「で、ですが……」
「誰を殺していい、誰を殺しちゃいけない、そんな選択ができるほどの状況とは思えない。お前が指示をするって言うかもしれないが、乱戦の中でお前が敵を見るってのは、お前の死期を早めることになるだろう。それに、そんな選択ができるほど俺は器用じゃない。そもそも、俺たちの役割は呼び出されて一撃入れたら消えるもんだ」
「……え?」
アシュリーの顔は疑問符に溢れていたが、紅蓮は気にせず肩をすくめる。
実際に召喚獣の仕事というのは、一撃入れて消え去るものだ。呼び出しに応じて、目の前の敵を殲滅する。それだけである。
こんな風に、安全を確保するまで長くいるというのは、今まで紅蓮にも経験がないものだ。
「ったく、あのアマ……『既にヤバい状況っすねー』とか簡単そうに言ってやがったけど、マジでヤバい状況じゃねぇか。赤詐欺だ、あんな奴は」
「あ、あなたは先程から、一体何を……!」
「ああ、こっちの話だ。気にすんな。それよりさっきの話だ。アシュリー、いいな?」
「うっ……」
紅蓮は剣を抜き、木の扉を見据え。
そして、その閂が勢いと共に外れた瞬間。
「開いたぞっ!」
「行けぇっ!」
扉の向こうにいたならず者たちの姿が見えてから、一瞬。
紅蓮は、その腰に差した朱色の柄と鍔、臙脂色の鞘に収められていた一振りを。
抜き放つと共に、その先頭にいた男の首が落ちた。
八十神紅蓮
アシュリー・エル=レイ・アリファーン
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