アリファーン王国アスティーン州イズラード市。
ようやく辿り着いたここが、最初に言っていた目的地だ。最初から言っていた、『信頼できる州侯』の居場所である。とりあえず言われるままにやってきたけれど。
今のところ、見えるのは高い壁だけだ。
そもそも砂漠地帯に存在している都市というのは、壁で囲われている。そうでなければ風でいくらでも砂が飛んでくるのだから、仕方ないだろう。
そして、そんな都市を囲む壁――その一部にある門の前には、二人の衛兵が立っていた。
「務め、ご苦労」
「はっ!」
まず、そんな二人の衛兵の前に、ダリアスが向かう。そして衛兵の二人が、敬礼をした。
衛兵には分かる将軍の証的なものを、ダリアスが身につけているのだろうか。
「王都よりやってきた。まずは中に入れて欲しい」
「は。少々お待ちください」
衛兵の一人が、門の横についたレバーを回し始める。
それと共に、ぎぎぎっと音を立てて、馬車も通れそうな巨大な扉がゆっくりと開く。それが人一人通れる程度に開いたところで、衛兵が再びダリアスに向けて敬礼をした。
「将軍閣下」
「ああ」
「その……ご同行者ですが」
「ああ。アシュリー姫殿下と、その従者であるエイルール、近衛騎士団に所属するイブラヒム、それと……」
ダリアスが、紅蓮を見る。
そして僅かに悩んで、それから続けた。
「道中で雇った、護衛のグレン殿だ」
「しかし、あのような服装は初めて見ましたが……一体、どこで」
「それを知る必要はない。だが、決して怪しい者ではない、我々の味方だ。この近衛騎士団長ダリアス・バルカの名に誓おう」
「……しょ、承知いたしました。では、どうぞお通りください」
まぁ、怪しむわな――そう、紅蓮は苦笑した。
明らかに文化の違う服装をした奴が一緒にいれば、怪しむのも当然である。それに加えて、片袖のない着物という明らかに砂漠向きでない格好なのだから。
そもそも、顔立ちすら全く人種が違うわけであるし。
「では姫様、どうぞ」
「ええ、ありがとうダリアス」
ダリアスの開いてくれた扉から、壁の中に入る。
最後まで衛兵たちは紅蓮のことを怪しい目で見ていたが、そんな視線には慣れたものだ。そもそも『御庭』を追われ、『徒町』に戻ってきた紅蓮に対して浴びせられた視線は、もっと強かった。
一体何をすれば、『御庭』を追われるのだ――と。
「へぇ……」
壁の中――町を見て、紅蓮は何気なく呟く。
恐らく、数少ないオアシスを中心にして作られた町なのだろう。門から一直線に見える場所に、椰子の木とオアシスが見える。
そこから通りがあり、住居が並んでいる町だ。もっとも、通りは人影がなく閑散としている。もっとも、砂漠の特色か数頭の駱駝が家に繋げられているのが見えた。
そして最後にイブラヒムが扉を越えた時点で、ぎぎぎっと音を立てて再び扉が閉まった。
「割と広い町に思えるが、あまり人がいないのか?」
「この時間は、ほとんどの住民は家にいます。昼間は暑くて、ほとんど仕事もできませんから」
「あー、なるほど」
閑散としているのは、このじりじり照りつけてくる陽の光のせいか。
紅蓮は特に暑さなど感じないが、人間には過ごしにくい陽気なのだろう。実際、日が昇ってからここに到着するまで、割と時間がかかったし。
そのせいで、アシュリーもエイルールも汗だくだ。
「州侯の屋敷は、向こうになります」
「ええ、ありがとうダリアス」
「いえ。イブラヒム、特に何もないと思うが、一応警戒しておいてくれ」
「……はい、団長」
ダリアスの案内で、通りをまっすぐに向かう。
恐らく『州侯』というのが、以前から話に出ていたアスティーン州の責任者のようなものなのだろう。貴族のようなもの、と紅蓮は受け止めている。
そして暫く歩き、オアシスの近くまでやってきたところで、大きな屋敷があった。
砂岩レンガで作られた、青い屋根の屋敷である。そういえばこの町、妙に青い壁とか屋根とか多いな――と、無駄にそんなことが気になった。
ダリアスががんがん、とドアノッカーを叩く。
「はい」
「州侯はご在宅か」
「は、はっ……しょ、将軍閣下!?」
「通してもらう。火急の用件だ」
「は、はっ!」
出てきた使用人にそう言って、扉を開くダリアス。
そして扉を開いたまま、手でアシュリーに入るように示した。アシュリーもそれに頷き、エイルールを伴って屋敷の中に入っていく。紅蓮もそれに倣って、一緒に屋敷の中へと入った。
イブラヒムだけは入らずに、扉が閉められる。恐らく、外での待機を命じられているのだろう。
「旦那様! 旦那様ぁ!」
「まさか!?」
そんな屋敷の奥から、慌てて出てきた人物。
細面の、彫りの深い顔立ちをした壮年の男である。短く刈り揃えた黒髪に、同じく黒い瞳。やや浅黒い肌は、この砂漠の町を統括しているからだろうか。
そんな男が、嬉しそうに両手を広げて近付いてきた。
「ご無事でしたか! アシュリーさま!」
「アサド州侯、ご無沙汰しております」
「王都のことは、早駱駝で聞きました! 姫様がご無事で何よりでございます!」
「ええ……」
男――アサドと呼ばれた、恐らく州侯だろう人物の言葉に、アシュリーが顔を伏せる。
既に王都が陥落していることは、この男も知っているのか。
「陛下は……」
「父は、亡くなりました。わたくしの前で、槍で胸を貫かれ……」
「……そう、でしたか。ご心中、お察しします。まずは、こちらへどうぞ。飲み物など用意させますゆえ」
沈痛な面持ちを浮かべながら、こちらに背を向けて案内してくれる州侯。
そして玄関先から程近い部屋に入り、そこに並べられたソファにアシュリーが座った。
対面するように座る州侯と、そんなアシュリーの後ろに控えるエイルール、ダリアス。
これは倣っておくべきか――そう思いながら、紅蓮も同じく後ろに控えた。
ぱんぱん、と州侯が手を叩いて使用人を呼び、飲み物の準備をさせている。
その間に、紅蓮は隣のダリアスを肘で突いた。
「む……グレン殿、どうした?」
「いや、あの人がお前らの言っていた州侯って奴か?」
「ああ、アスティーン州侯のアサド・ブラハ・カーマルディン殿だ」
「ありがとよ」
ちらりとアサド州侯が、紅蓮を見る。恐らく、このように異文化の服を着ている者が一緒に入っていることを疑問に思っているのだろう。
一体、何者だ――そんな、猜疑的な眼差し。
だが、それを言葉には出さない。
「まずは、姫様がご無事であったこと、心より喜ばしく思います。早馬の話では、既に宮廷には火が放たれ、市街も制圧されたとか……」
「ええ……わたくしは、どうにか抜け道で、逃げることができました。こちらの、グレンさまがわたくしを守ってくださったからです」
「グレン殿……そちらの、ええと……変わった格好のお方ですかな?」
「ええ、そうです。グレンさま、ご紹介します。アサド・ブラハ・カーマルディン殿……先日申し上げた、信頼できる州侯です」
「八十神紅蓮だ」
アサド州侯に向けて、そう名乗る。
別段、謙りはしない。紅蓮が謙るべき相手は、『竜宮』の王である『黄龍』のみである。アシュリーに対してさえ敬語を使わないのは、そもそもの主人が異なるからだ。
アシュリーは召喚者で、紅蓮は召喚獣。そこに上下も主従もない。
「ふむ……しかし、姫様……少し、お伝えせねばならないことがございます」
「えっ……」
「昨日、王都より使者がやって来ました。勿論……帝国側の、です」
「なんと……!」
アサド州侯の言葉に、アシュリーが目を見開く。
徒歩でやってきたアシュリーたちと違い、何かの乗り物でやってきたのだろう。それこそ、駱駝とか。
そして、恐らくその内容は決まっている。
「帝国は王都を攻め滅ぼした軍勢の半分……二万の兵を、そのまま南下させたということです」
「――っ!」
「降伏するなら命までは取らない。ただし降伏しないのならば、武力制圧を行う――そう、申しました」
最初から、帝国の目的は。
王都ではなく、このアスティーン州――。
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