かつて、紅蓮には一人の親友がいた。
紅蓮と生まれた時を共にし、しかし紅蓮よりも遥かに強かった男。そして、その強さゆえに彼は異世界での修行を早く終えて、紅蓮よりも先に『御庭』に招かれた。
そして、その日から『徒町』の紅蓮と『御庭』の彼は出会うことが全くなくなり、いつか自分が『御庭』に招かれたときは一番に会おうと、そう考えていた。
その名は、荻風連次郎。
かつての『九印御庭番長』が一人、『藤龍印』である。
「おれはな、もっと上に上がりたいんだよ」
「もっと上って、お前何言ってんだ」
ある日のこと。
荻風は『藤龍印』、紅蓮は『朱炎印』として共に『九印御庭番長』として、部下を率いる存在になっていた。
何せ、『御庭番』はその数が凡そ五千――それが九つの部隊に分けて管理されている状態だ。荻風にも紅蓮にも、その肩に背負う部下の数は数百である。紅蓮はそんな部下たちの規範になろうと必死に藻掻いていた頃だ。
だというのに荻風は、その厳つい顔立ちでまっすぐに前を見据え、鋭い藤色の瞳で夢を語った。
「少なくとも、『九印御庭番長』の総代までは上がりたい」
「ババア蹴落とすつもりか?」
「おれがもっと強くなって、おれより強い奴が誰もいなくなれば、おれが最強になるだろ? そうすりゃ、おれが『九印御庭番長』の総代になれるはずだ」
「そんな簡単なもんじゃねぇぞ……?」
そんな荻風の、限りなく脳筋な意見に紅蓮は溜息を吐いた。
実際の総代の仕事とやらは知らないけれど、それは強さだけで賄えるものではあるまい。戦略や戦術などに精通している必要があるのではなかろうか。
確かに荻風は強い。紅蓮も修行を積み、同格の『九印御庭番長』として切磋琢磨しているが、現状では荻風の方が一枚上手だと言っていいだろう。
だが荻風の率いる第八隊『藤蔓』は、荻風が先頭を走って敵を殲滅し、討ち漏らしを部下が仕留めるという部隊だ。戦略など全く考えておらず、陣形すらない部隊なのである。そのため実質、指揮官である荻風以外には脆弱だという噂だ。
何度か、紅蓮もその苦言を荻風に伝えたのだが。
そのたびに返ってくる言葉が、「おれが率いてんだ。おれに命を預けてくれてんだ。だから、おれは誰も死なせねぇ」とのことだった。
「んで、出世してお前、どうするつもりなんだよ」
「『竜宮』を変えるんだよ。おれは、この国が嫌いだ」
「なんでだ」
「強ぇ奴も、弱ぇ奴も、全員が平等じゃねぇか。だから、おれはこの国が嫌いなんだ」
「いいことじゃねぇか」
紅蓮たちの住む世界――『竜宮』は、国民の誰もが平等。
全員が修行を行い、全員が国のために尽くす。見知らぬ誰かが稼いだ魔力で、紅蓮たちは育まれた。それゆえに、紅蓮たちは自分が稼いだ魔力で、見知らぬ誰かを育てるのだ。
そこに、強さによっての違いなどない。
「いいや」
だが、荻風は目を閉じて首を振った。
「一生懸命な奴もどうでもいいって思ってる奴も、真面目な奴も不真面目な奴も、清廉な奴も悪辣な奴も、みんな平等だ。いい奴だけが割を食ってる。おれはそう思う」
「おいおい……」
「だから、おれが変えてやるんだ。一生懸命頑張る奴には、より多い魔力を与える。真面目に強くなる奴は、より多い魔力を与える。でも、手を抜く奴に魔力はやらない。それでこそ、平等じゃないか」
「……」
紅蓮はそこで、肩をすくめた。
既に完成している『竜宮』のシステムを、その国民性を変えることは、そう簡単にはいかないだろう。荻風の理想は、完全に夢物語だ。
だけれど、確かにそれが成立するならば、それ以上の平等はない。
「なぁ、紅蓮」
「ああ」
「おれがこの国を変える。だからおまえは、おれを手伝ってくれ」
「はっ――」
夢物語。
そう紅蓮は断じた。だけれど、この男はその理想を信じている。
自分が出世して、その夢を叶えることができると、本気で信じているのだ。
ゆえに、言わない。
それは『平等』という名の、独裁であると。
一生懸命頑張る奴。真面目に強くなる奴。どうでもいいと思っている奴。不真面目に手を抜く奴。それを判断するのは、一体誰なのだ、と。
その魔力を管理し、功績や態度に応じて分配するのは――独裁者だ。
「当然だろ、親友」
「ああ――」
荻風は、真っ直ぐな眼差しで『御庭』――朝堂院を見て。
その、凄まじすぎる野望を、告げた。
「おれは、『黄龍』になるぞ」
それは。
この国――『竜宮』を統べる、王の名前。
「……ん」
痛む体と共に、目を開く。
どうやら、眠っていたらしい。
紅蓮が睡眠を必要としないのは、『竜宮』の外だけだ。本体ではなく、霊体のような形で世界を渡っている場合は、睡眠も食事も必要としないのが召喚獣の良い点である。
だが、本来の体で『竜宮』の中にいる場合、全ての召喚獣が睡眠を必要とする。まぁ、眠っている間も契約者との魔力パスは繋がっているため、眠っていても召喚に応じることは可能なのだ。そして召喚に応じて霊体だけで世界を渡る場合、肉体は眠っているという扱いになるのである。
しかし、随分と久しぶりの夢を見たものだ。
親友――荻風連次郎とあの会話をした日を、紅蓮は今でも覚えている。
彼の子供のような理想を聞き、心の奥で否定をしながらも、紅蓮はその力になると約束した。
それが、独裁者になる道であったとしても。
彼ならば――荻風連次郎ならば、きっと良い世界にしてくれる、と。
「はー……んで、ここどこだ……? ああ、独房か」
一度入れられたことのある場所だと、ようやく思い出す。
鉄格子によって外界と隔てられたそこは、三方が壁で埋まっている小さな部屋だ。その内部は、壁に固定された小さな寝台が一つだけ。しかも寝台といっても、木で出来た箱の上に布が一枚被せられているだけの極めてシンプルなものだ。
かび臭い空気に辟易しながらも、紅蓮は小さく嘆息する。
かつて、紅蓮はこの独房に入れられた。
その理由は、ただ一つ――親友、荻風連次郎を殺害したという無実の罪だ。
紅蓮の目の前で、首から上が失われていた荻風。
それを最初に発見したのは紅蓮であり、首から上がなくとも、その死体が荻風のものであると間違いなく分かった。分かってしまった。
その――首から上が『焼けた』屍が。
思い出すだけで、苛立ちに眉根が寄る。
「……ったく、相変わらず、厳重な牢だな」
ご丁寧に、魔力を封じる金属で作られた格子。
この内部にいる限り、紅蓮は決して魔力を使うことができない。魔力で壁を壊そうとしても無駄で、魔力で格子を砕こうとしても無駄なのだ。そして魔力を使うことを禁じられている時点で、『纏身』を行うことも無理ということだ。
つまり、外から鍵を開いてくれない限り、決して出ることができない独房。
それが、『御庭』の中に存在する地下監獄である。
「しかし……どうして、『黄龍』が俺を殺すことを命じた? 意味が分かんねぇ。俺が荻風を殺すはずねぇだろ……」
「そうですよねぇ」
「当然だ。あいつは俺の親友で……」
独りごちた言葉に対しての返答。
その声に、あまりにも聞き馴染みがあったせいで、思わずその反応が遅れてしまったが。
「まつりっ!?」
思い切り振り返った、その鉄格子の向こう。
そこにいたのは、薄茶色の髪に鶯色の瞳。紅蓮よりも遥かに背が低く、その幼い顔立ちの見た目はどこまでも童女。当然ながら、女という性別であるくせに出るところは全く出ていない。
紅蓮の、最も信頼していた部下。
「助けにきましたよ、紅蓮さま」
ちゃらんっ、と指で鍵を回して、微笑みを浮かべているその女こそ。
かつて紅蓮の率いていた『九印御庭番』第六隊『燎原』――その副官、杠まつり。
杠まつり
※5/13 荻風連次郎の部隊を、第二隊→第八隊に改訂
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