焔罪のイフリート

筧千里
筧千里

砂漠の道中

公開日時: 2020年9月1日(火) 07:00
文字数:3,021

 どのくらいの時間、歩いただろうか。

 中天に輝いていた月は傾き、星が瞬いている。そして夜の砂漠というのは、月明かり以外に何の光もないためひどく暗く感じた。一歩足を進めるごとに足が砂にとられる感覚は、恐らくそれだけで体力を削られていくものだろう。

 実際、歩くアシュリー、エイルールの表情には、僅かに疲れが見える。だがそれでも、彼女らの歩みは止まらない。王族であるというのに、気丈なものだ――そう感じるほどに。


「ふぅ……そろそろ、少し休憩としましょうか」


「ええ。まだ道中は長いです。少しだけ、座って休みましょう」


「……は」


 アシュリーの提案に、ダリアスが頷く。

 そして短くイブラヒムが返事をして、その鋭い眼差しで周囲を確認した。今のところ、追っ手の姿はみられないらしく、小さく頷く。

 ふぅ、と小さく嘆息して、アシュリーが腰掛ける。それに伴って、エイルールもまた腰を下ろした。


「ダリアスも、どうか座って休んでください」


「姫様、ありがとうございます」


「エイルールも」


「ええ……」


 アシュリーの言葉に従い、ダリアスがその場で腰を下ろす。そしてエイルールも同じく、座っている状態で両手を出した。まるで、両手で椀を作るかのように。

 一体どういうことだろうか――紅蓮がそう思いながら、エイルールを見ていると。


「――」


 エイルールの魔力に反応すると共に、その左手に装着してある指輪――その宝石が、きらりと光った。

 それと共に、宝石から生み出される水。それが、エイルールの掌の上――その手で作った椀の中に満ちてゆく。

 思わず驚きに目を見開くが、それは紅蓮だけだった。他の面々は、それが当然のことであるかのように見ている。

 これが、水石――。


「ぷはぁっ……生き返りますね」


「そうですね。わたくしも飲みましょう」


 アシュリーも同じく手の上で、その左手に嵌めた指輪――そこに魔力を通す。そしてアシュリーの掌の上に、同じように水が満たされた。

 それを、こくり、こくりと飲むアシュリー。

 こんなにも簡単に、水を生み出すことができるとは。それも水の量は、小さな宝石から生み出されているとは思えないほどの量である。

 同じくダリアスも手元の装備を外し、掌の上に水を満たせてゆく。恐らく、こんな風に水石を用いて水を出すことが、一般的になっているのだろう。


「イブラヒム、あなたも座って休んでください」


「……僕は、結構です」


「えっ」


「……まだ、別段、喉が渇いているわけでもありません、ので」


 しかし唯一、イブラヒムだけがそう丁重に辞退した。

 そして三人が座っている場所に近付くことなく、立ったままで周囲の警戒を続けている。あまり、人との関わりを持ちたくない性格なのだろうか。

 アシュリーもやや混乱していたが、ダリアスが「イブラヒムは、ああいう奴なので」と宥めていた。


「それより、グレン殿」


「うん?」


「グレン殿は、喉は渇かないか? 水石を持っていないのならば、貸すが」


「ああ、問題ない。俺は魔力さえあれば生きていけるんだ」


「先も言っていたが、水も必要ないのか……」


 紅蓮の答えに、ダリアスが顎に手をやって考える。

 まぁ、召喚獣の生態などいくら考えても答えは出ないだろうけれど。実際に紅蓮も、自分の生態なんて質問されても分からない。


「グレン殿の世界というのは、どのような世界なんだ?」


「ん……どういうことだ?」


「先程、リューグーと言っていたが……その世界はこの世界のように、王や州侯、騎士や兵士、商人や農民などがいる世界なのだろうか?」


「あー……」


 ダリアスの言葉に、僅かに考えてしまう。

 紅蓮の世界――『竜宮』は、特殊な世界だ。何せ、その世界に存在するのは召喚獣だけなのだから。人間の姿こそ模しているものの、人間はただの一人も存在しない。

 ゆえに紅蓮は、少しだけ肩をすくめて言った。


「俺たちの世界は、少しばかり特殊でな」


「特殊?」


「ああ。『竜宮』に存在するのは、たった一人の王と戦士だけだ」


「えっ……」


「『竜宮』に生まれた者は全て、王に従う戦士だ。そもそも『竜宮』ってのは魔力の薄い世界でありながら、存在する戦士には魔力が必要っていう矛盾した世界なんだよ。だから、『竜宮』の戦士は魔力を集める。その魔力を、全員で分け合う。そうやって生きている」


「ほう……共産主義ということか」


 ダリアスが大仰に頷く。

 事実、その通りだ。『竜宮』に金銭の概念はないし、戦士が集めた魔力は『竜宮』に住む者全てに平等に分け与えられる。そして、戦士が集めた魔力によって生きてきた子供が、次代の戦士になって魔力を集める――そんな循環により成り立っている。

 紅蓮も同じく、幼少の頃から一人前の戦士になるために修行に励んだのだ。


「そうだな……こう説明すると分かりやすいか?」


 紅蓮は砂の上に、大きな丸を描いた。

 そしてその丸の中心に、一本の線を記す。


「この大きな円が『竜宮』。そして、南北に分かれている北側が『御庭おにわ』、南側が『徒町かちまち』と呼ばれている」


「オニワと、カチマチ……ふむ」


「基本的に、こうして他の世界に派遣される召喚獣ってのは、『徒町』の方に住んでいる連中だな。俺もそうだが」


「では、オニワの方におられる方は、また別に役割があるのですか?」


話に入ってきたアシュリーから、そう質問をされた。

いつの間にか、興味深いとばかりにエイルールも近くで聞いている。


「ああ、そうだ。『徒町』で過ごし、こうして様々な世界で戦いを重ねて、修行を積んだ者――そういう、一流の戦士だけが『御庭』に入れる」


「宮廷務めみたいなものですか」


「まぁ、そんなものだな。一流の戦士だけが『御庭』に入り、『御庭』を統括する軍――『御庭番』になることができる。まぁ、騎士団みたいなものだ」


「なるほど。それは確かに、栄誉ある役割だな」


ダリアスが頷く。

そして紅蓮もまた、そんなダリアスの言葉に対して鷹揚に頷いた。


「だから『徒町』の連中は、『御庭』に行くために必死になって戦う。より強く、より賢く、より必要とされる存在になって、『御庭番』になる」


「傭兵が、戦果を挙げて騎士団に入るようなものか」


「そういうことだ。俺たちにとって、それは何よりの名誉となる」


「では、騎士団長のような者も存在するのか?」


ダリアスの、そんな問いかけ。

紅蓮は僅かに赤い目を細めて、そして苦笑した。


「ああ。『御庭番』の数は多い。九つの部隊に分かれ、それぞれ統括する存在がいる。ダリアス、お前は近衛騎士団長で、他にも騎士団長は存在するんだろう?」


「そうだ。他にも南方騎士団長、北方騎士団長、東方騎士団長、西方騎士団長、水軍騎士団長がいる」


「まぁ、それと似たようなもんだ。俺たちはそれを、『九印御庭番長くいんおにわばんちょう』と呼んでいる」


『九印御庭番長』。

それこそが、『竜宮』における最強の戦士たる九体の獣。

そして、全ての召喚獣の憧れとなる存在だ。


「ふむ……」


「ま、この『九印御庭番長』については、説明したところで仕方ねぇよ。基本的に、異世界からの召喚に従うのは『徒町』に住んでいる連中だけだからな。まぁ、こんなところだが……理解できたか?」


「ああ……ありがとう、グレン殿。私も望めば、召喚獣が来てくれるのだろうか」


「お前に相応の願いがあって、相当の魔力があって、タイミングさえ合えば来てくれるんじゃないか? 知らんが」


「タイミング……それは、一体?」


「ああ、俺たちはな」


にや、と紅蓮は笑みを浮かべて。

彼らには全く分からないだろう、言葉を伝えた。


「ハロワから来るんだよ」

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