どのくらいの時間、歩いただろうか。
中天に輝いていた月は傾き、星が瞬いている。そして夜の砂漠というのは、月明かり以外に何の光もないためひどく暗く感じた。一歩足を進めるごとに足が砂にとられる感覚は、恐らくそれだけで体力を削られていくものだろう。
実際、歩くアシュリー、エイルールの表情には、僅かに疲れが見える。だがそれでも、彼女らの歩みは止まらない。王族であるというのに、気丈なものだ――そう感じるほどに。
「ふぅ……そろそろ、少し休憩としましょうか」
「ええ。まだ道中は長いです。少しだけ、座って休みましょう」
「……は」
アシュリーの提案に、ダリアスが頷く。
そして短くイブラヒムが返事をして、その鋭い眼差しで周囲を確認した。今のところ、追っ手の姿はみられないらしく、小さく頷く。
ふぅ、と小さく嘆息して、アシュリーが腰掛ける。それに伴って、エイルールもまた腰を下ろした。
「ダリアスも、どうか座って休んでください」
「姫様、ありがとうございます」
「エイルールも」
「ええ……」
アシュリーの言葉に従い、ダリアスがその場で腰を下ろす。そしてエイルールも同じく、座っている状態で両手を出した。まるで、両手で椀を作るかのように。
一体どういうことだろうか――紅蓮がそう思いながら、エイルールを見ていると。
「――」
エイルールの魔力に反応すると共に、その左手に装着してある指輪――その宝石が、きらりと光った。
それと共に、宝石から生み出される水。それが、エイルールの掌の上――その手で作った椀の中に満ちてゆく。
思わず驚きに目を見開くが、それは紅蓮だけだった。他の面々は、それが当然のことであるかのように見ている。
これが、水石――。
「ぷはぁっ……生き返りますね」
「そうですね。わたくしも飲みましょう」
アシュリーも同じく手の上で、その左手に嵌めた指輪――そこに魔力を通す。そしてアシュリーの掌の上に、同じように水が満たされた。
それを、こくり、こくりと飲むアシュリー。
こんなにも簡単に、水を生み出すことができるとは。それも水の量は、小さな宝石から生み出されているとは思えないほどの量である。
同じくダリアスも手元の装備を外し、掌の上に水を満たせてゆく。恐らく、こんな風に水石を用いて水を出すことが、一般的になっているのだろう。
「イブラヒム、あなたも座って休んでください」
「……僕は、結構です」
「えっ」
「……まだ、別段、喉が渇いているわけでもありません、ので」
しかし唯一、イブラヒムだけがそう丁重に辞退した。
そして三人が座っている場所に近付くことなく、立ったままで周囲の警戒を続けている。あまり、人との関わりを持ちたくない性格なのだろうか。
アシュリーもやや混乱していたが、ダリアスが「イブラヒムは、ああいう奴なので」と宥めていた。
「それより、グレン殿」
「うん?」
「グレン殿は、喉は渇かないか? 水石を持っていないのならば、貸すが」
「ああ、問題ない。俺は魔力さえあれば生きていけるんだ」
「先も言っていたが、水も必要ないのか……」
紅蓮の答えに、ダリアスが顎に手をやって考える。
まぁ、召喚獣の生態などいくら考えても答えは出ないだろうけれど。実際に紅蓮も、自分の生態なんて質問されても分からない。
「グレン殿の世界というのは、どのような世界なんだ?」
「ん……どういうことだ?」
「先程、リューグーと言っていたが……その世界はこの世界のように、王や州侯、騎士や兵士、商人や農民などがいる世界なのだろうか?」
「あー……」
ダリアスの言葉に、僅かに考えてしまう。
紅蓮の世界――『竜宮』は、特殊な世界だ。何せ、その世界に存在するのは召喚獣だけなのだから。人間の姿こそ模しているものの、人間はただの一人も存在しない。
ゆえに紅蓮は、少しだけ肩をすくめて言った。
「俺たちの世界は、少しばかり特殊でな」
「特殊?」
「ああ。『竜宮』に存在するのは、たった一人の王と戦士だけだ」
「えっ……」
「『竜宮』に生まれた者は全て、王に従う戦士だ。そもそも『竜宮』ってのは魔力の薄い世界でありながら、存在する戦士には魔力が必要っていう矛盾した世界なんだよ。だから、『竜宮』の戦士は魔力を集める。その魔力を、全員で分け合う。そうやって生きている」
「ほう……共産主義ということか」
ダリアスが大仰に頷く。
事実、その通りだ。『竜宮』に金銭の概念はないし、戦士が集めた魔力は『竜宮』に住む者全てに平等に分け与えられる。そして、戦士が集めた魔力によって生きてきた子供が、次代の戦士になって魔力を集める――そんな循環により成り立っている。
紅蓮も同じく、幼少の頃から一人前の戦士になるために修行に励んだのだ。
「そうだな……こう説明すると分かりやすいか?」
紅蓮は砂の上に、大きな丸を描いた。
そしてその丸の中心に、一本の線を記す。
「この大きな円が『竜宮』。そして、南北に分かれている北側が『御庭』、南側が『徒町』と呼ばれている」
「オニワと、カチマチ……ふむ」
「基本的に、こうして他の世界に派遣される召喚獣ってのは、『徒町』の方に住んでいる連中だな。俺もそうだが」
「では、オニワの方におられる方は、また別に役割があるのですか?」
話に入ってきたアシュリーから、そう質問をされた。
いつの間にか、興味深いとばかりにエイルールも近くで聞いている。
「ああ、そうだ。『徒町』で過ごし、こうして様々な世界で戦いを重ねて、修行を積んだ者――そういう、一流の戦士だけが『御庭』に入れる」
「宮廷務めみたいなものですか」
「まぁ、そんなものだな。一流の戦士だけが『御庭』に入り、『御庭』を統括する軍――『御庭番』になることができる。まぁ、騎士団みたいなものだ」
「なるほど。それは確かに、栄誉ある役割だな」
ダリアスが頷く。
そして紅蓮もまた、そんなダリアスの言葉に対して鷹揚に頷いた。
「だから『徒町』の連中は、『御庭』に行くために必死になって戦う。より強く、より賢く、より必要とされる存在になって、『御庭番』になる」
「傭兵が、戦果を挙げて騎士団に入るようなものか」
「そういうことだ。俺たちにとって、それは何よりの名誉となる」
「では、騎士団長のような者も存在するのか?」
ダリアスの、そんな問いかけ。
紅蓮は僅かに赤い目を細めて、そして苦笑した。
「ああ。『御庭番』の数は多い。九つの部隊に分かれ、それぞれ統括する存在がいる。ダリアス、お前は近衛騎士団長で、他にも騎士団長は存在するんだろう?」
「そうだ。他にも南方騎士団長、北方騎士団長、東方騎士団長、西方騎士団長、水軍騎士団長がいる」
「まぁ、それと似たようなもんだ。俺たちはそれを、『九印御庭番長』と呼んでいる」
『九印御庭番長』。
それこそが、『竜宮』における最強の戦士たる九体の獣。
そして、全ての召喚獣の憧れとなる存在だ。
「ふむ……」
「ま、この『九印御庭番長』については、説明したところで仕方ねぇよ。基本的に、異世界からの召喚に従うのは『徒町』に住んでいる連中だけだからな。まぁ、こんなところだが……理解できたか?」
「ああ……ありがとう、グレン殿。私も望めば、召喚獣が来てくれるのだろうか」
「お前に相応の願いがあって、相当の魔力があって、タイミングさえ合えば来てくれるんじゃないか? 知らんが」
「タイミング……それは、一体?」
「ああ、俺たちはな」
にや、と紅蓮は笑みを浮かべて。
彼らには全く分からないだろう、言葉を伝えた。
「ハロワから来るんだよ」
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