焔罪のイフリート

筧千里
筧千里

プロローグ

公開日時: 2020年9月1日(火) 07:00
文字数:1,151

 ああ、わたくしは死ぬ。


 がんがんと叩かれる扉。その扉の向こうから聞こえる、怒号と断末魔の叫び。

 鋼の打ち合う音と、激しい足音。閂をかけた揺れる扉は、その向こうにいる何者かが蹴り開けようとしている証だろう。


「ひ、姫、さま……」


「う、うっ……」


 暗い小部屋。換気のための窓すら設けられていないそこで、蹲り震える。

 体は小刻みに揺れ、歯の根は鳴り続けた。命を奪おうとしている誰かが、扉の向こうで叫ぶ声に恐怖しながら。絶望に、目の前が黒く歪んだような、そんな感覚と共に。

 ああ、どうしてこんなことになったのか。

 何事もない毎日が、今日も続くものだとばかり思っていたのに。


――アシュリー、お前だけでも、逃げろ。


 父が、最後に告げた言葉。

 その後、振り返ることなく逃げた。逃げながら、後ろから悲鳴が聞こえるのが分かった。

 そして、ようやく到着したのが地下の小部屋だった。さらに奥にある、王族が逃げるための逃げ道――そこには、既に敵が回り込んでいた。

 荷物の一つもない小部屋で、ただ目の前で揺れ動く扉を見ながら、恐怖することしかできない。

 死にたくない――そんな想いに、心が支配される。

 がんっ、と激しい音と共に、扉の一部が砕けた。

 欠けた扉の向こう――そこから漏れる光と共に、敵兵の影が見える。もう間もなく、この中に入ってくるだろう。


「……」


 それと共に、その心に怒りが満ちた。

 どうしてこんな風に、殺されるかもしれない恐怖に蹲っているだけなのか。突然日常を奪われ、逃げ惑い、ただ殺されるのを待つしかできないのか。

 だったら。

 せめて、最初に襲いかかってくる一人だけでも、殺してやる――。

 そう、己の手に魔力を込めた瞬間に。


「えっ……」


「こ、これはっ……!」


 小部屋の地下に、魔力の光が浮かび上がった。

 そこに描かれていたのは、魔法陣。複雑な紋様のそれが、魔力を帯びた光と共に力を放っているのが分かった。

 そして、その光が次第に大きくなり、奔流となって視界を埋め尽くす。

 瞼を灼くような輝きに、思わず目を閉じる。まるで波のように襲いかかってくる光に、視界が真っ白に染まる。

 閉じた瞼の裏からでも分かる、眩い光――それが収まるのを感じて、ゆっくりと目を開く。


「なるほど」


 次の瞬間――聞いたこともない声で、そう呟くのが聞こえた。

 そこにいたのは、見たこともない漆黒の服を着た男。


「お前はツイてるよ。土壇場で、これだけの窮地で、お前は俺を引いた」


 煌めくような赤。

 輝くような朱。

 燃え盛るような炎。

 まるで幻想のように、それを纏っている姿。


 男は、燃えるような赤い瞳でこちらを見て。

 そして、にやりと口角を歪め。


「お前の心の焔は、まだ燃えているか?」


 闇を照らす篝火のような。

 焔を纏った男が、そう問いかけた言葉に。


 絶望の夜が白む――そう感じたのは、恐らく間違いではなかっただろう。

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