「ハロワ……」
「ハロワ……?」
「はろわ……」
耳慣れない言葉に、ダリアスとアシュリー、エイルールが揃って首を傾げている。
まぁ、当然だろう。ハロワは、『竜宮』にしか存在しないものなのだ。紅蓮も別の世界に赴いたことはあるけれど、ハロワという名前では存在しなかった。
「まぁ、召喚獣の管理をする組織っつーか……施設のことだよ」
「それが、ハロワというのですか?」
「ああ。正式名称は『派遣式労働獣渡守所』。頭文字をとってハロワという。その施設に行かないと、俺たちは世界を渡ることができないんだ」
「なるほど、だから『渡守』という名が……」
「そういうことだ」
実際には『世界を渡る最初の手伝いをする』というのが、ハロワの存在意義だ。
様々な平行世界線上での動きがリアルタイムで記録され、助力を欲している魔力の高い人物のところに繋がる扉を作り出す。そしてハロワを訪れた召喚獣は、自分の力に見合った場所へと赴いて契約を交わすのだ。
契約さえ交わすことができれば、以降は召喚獣と術者の間には魔力のパスが繋がるため、ハロワには行かなくても良くなる。その橋渡しを行うのが、ハロワの役目なのだ。
契約も交わしていない人物のところへ向けて、世界を渡らせる――これは、ハロワの持つ唯一無二の技術である。その技術の内容までは、さすがに紅蓮でも知らない。
「誰かの願いを様々な世界で聞き届けて、それを一覧にしてやってきた召喚獣に見せる。そして召喚獣がその内容を見て、魔力量だとか危険性だとかを判断して自分で仕事を選ぶ。だからタイミングだよ」
「そのときでなければ、仕事としてやってこないということか」
「その通り。ダリアスが危機に陥り、召喚獣を呼ぶことができるだけの魔力を持っている――そんな状態でも、召喚獣は応えない場合もあるってことだ。ハロワの受付は合計十個。その時点で、お前の願いが十一番目だった場合は誰も来ないってことになる」
「……随分と、こう……言い方は悪いが、合理的というか……事務的というか」
「昔はそんなこともなかったらしいけどな。昔は個々の召喚獣が勝手に別の世界に行って、そこで勝手に契約を結んで、ってやってきたのを効率的な体制にしたらしい。その辺は、さすがに俺も産まれてないから知らねぇ」
「いや、大体分かった。ありがとう」
ダリアスがふんふんと頷いているが、本当に分かってくれたのだろうか。
まぁ理解していたところでしていなかったところで、特に紅蓮のやるべきことは変わらない。
「ただ……ひとつだけ、その辺の順番をすっ飛ばせる方法もある。それが、アシュリーのやったことだ」
「えっ……? わ、わたくしが、何を……?」
「ああ、知らずに使ってたのか。さっき言ったが、俺たち召喚獣を呼ぶための方法は、『強く願う』ことだ。強ければ強いほど、リストの上の方に入るから目に入りやすくなる」
「わたくしは、確かに強く願いましたが……」
まぁな、と紅蓮は頷く。
確かにあのときのアシュリーは、窮地にあった。命の危険が目の前にまで迫っているほど、絶望的な状況だった。
だが――。
「お前と同じ時刻に、同じような状況になっている人間が、数え切れないほどに大量にある平行世界に何人いると思う?」
「いえ、それは……分かりませんが……」
「このリストを上に持ってくるための方法が、召喚のための魔法陣なんだよ」
「――っ!」
紅蓮の言葉に、アシュリーが目を見開く。
アシュリーは、確かに見たのだ。自分の足元で、光る魔力の渦を。そして、魔力によってそこに描かれていた魔法陣を。
あの魔法陣があったからこそ、紅蓮はここに来たのだ。
「た、確かに、アリファーン王国の神話で、化生を呼び出すというものがあった気が……」
「その名残だったんだろうな。そして、お前の『強い願い』と『魔法陣』の二つが重なった。その結果、俺が来たんだよ」
「あの部屋が、そんな……」
「まぁ、神話に書かれるような古い時代ってことだな。さすがに、そのときの召喚獣が誰かまでは分からねぇ」
驚きに溢れているアシュリーに、紅蓮は微笑む。
事実、召喚のための魔法陣は起動していた。そして魔法陣が起動しているということは、その人物は召喚獣を扱ったことがある、もしくはその末裔――そうハロワは考える。
つまり、初見で召喚獣を扱うというわけではないため、多少は安心なのだ。ゆえに、リストのやや上の方に入るのである。
経験者優遇。それがハロワの方針なのだ。
「ちなみに、俺たちは自分で自分のことを召喚獣と呼んでいるが、それは本来、お前たちの側での言い方なんだよ」
「そ、それはどういう……」
「言葉通りさ。『召』し『喚』ぶ『獣』。お前たちが招いて呼ぶのが俺たちだ。だから本来、『竜宮』では召喚獣とは呼ばない。向こうでは、労働獣なんだよ」
「……それは、あまり言葉の響きが良くないですね」
アシュリーのそんな言葉に、紅蓮は鷹揚に頷いた。
実際、『竜宮』の若者からそんな言葉は何度も挙がっている。せめて派遣獣とか、戦闘獣とか、そういう名前にしてはくれないものか、と。
ただ、一度決まってしまったものを変えるというのはなかなか難しく、その要請も難航しているらしい。
だから紅蓮たちは、自分のことを『召喚獣』と呼ぶのだ。
「さて、余談だったな。そろそろ出発するか」
「は、はい!」
まだ、夜の砂漠は暗い。
月明かりもほとんどないこの景色は、確かに空恐ろしいものを感じる。だけれど、逃げるには追っ手の目を眩ますことができるだろう。
日が昇る前に、もっと先に進んでおかねば――。
「しかし、グレン殿。本当に良いのか?」
「ああ、問題ねぇよ。それより、お前たちがちゃんと体調を整えてくれ」
「すまない……」
東の空が白んできたところで、ダリアスとイブラヒムは砂の一部に穴を掘った。
それは恐らく、砂漠で一日を過ごすための先人の知恵なのだろう。やや高い砂丘の横の部分に、上手く斜めの横穴を東向きに作ったような様子だ。そして砂によって埋もれないように、その砂は『水石』から湧き出る水によって固めてある。
砂漠の過酷な昼間を、どうにか過ごすための仮の住居のようなものだ。
「しかし、こっち向きだと日光差し込むんじゃないか?」
「ああ、差し込んでくるのは朝だけだ。暑くなってくるのは、昼前くらいからだから、そのときには日光を回避できるように、東向きに作っている」
「へぇ」
「本来は、私かイブラヒムのどちらかが起きているつもりだったのだが……」
「ああ、それは気にするな。俺は眠る必要もないんだよ」
にやっ、とダリアスに向けて笑みを浮かべる。
人間に必要な食事、排泄、睡眠、いずれも紅蓮には存在しないものである。
むしろ紅蓮にしてみれば、人間というのは随分と不便なものだ。
「それではグレンさま、日中、よろしくお願いします」
「ああ、アシュリー。ゆっくり休んでくれ」
「陽が沈んでも起きてこなかったら、叩き起こしてくれて構いませんので」
「了解」
アシュリーの軽口に同じく軽く返して、紅蓮は座り込んだ。
別段座る必要もないのだが、気分というやつだ。四つ掘られた穴――左からアシュリー、エイルール、ダリアス、イブラヒムの穴である。
程なくして、アシュリーの穴から「すー……」と寝息が聞こえてきた。こんな状況下で、よくすぐに眠れるものだ。
「はぁ……」
話し相手がいなくなったところで、紅蓮は思い出す。自分の境遇を。
かつて『徒町』に産まれ、召喚獣としての教育を受け、相応に強くなってからハロワに行き、別の世界で戦った。それを繰り返してきた。
そして戦いを続け、強くなったと自分でも感じ、それをハロワの職員にも言われて、紅蓮は『徒町』から『御庭』に行くことになった。先アシュリーたちに話した、宮廷務めのような名誉ある役割である。
だから本来、紅蓮は『徒町』にいる存在ではない。ハロワで仕事を探して、魔力を回収する下級戦士ではなかったのだ。
ならば何故、紅蓮が今こうして召喚獣として別の世界にいるのか。
それは、紅蓮が。
『御庭』を、追われたからだ。
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