「うーん……」
敵兵の殲滅を終えて、紅蓮は首を傾げた。
それは当然ながら、現状の紅蓮の役割についてだ。紅蓮は召喚獣であり、アシュリーは召喚者。その契約は本来、永続的でないものだ。必要な仕事さえこなせば、『竜宮』に自然と戻ることになっている。
だから本来、紅蓮は既に『竜宮』へ戻っているはずなのだ。だというのに、紅蓮にはその感覚が全くない。
「ま、気にしてても仕方ねぇか……」
仕事を終え、『竜宮』に戻る――その管理を行っているのは、ハロワだ。
ハロワが仕事を終えた、と判断すれば紅蓮は『竜宮』に戻る。それは今までだって、何度もやってきたことである。
つまり、まだハロワは紅蓮が仕事を終えた、と判断していないのだろう。
ひとまず、当座の安全は確保したつもりであるが――。
砂を踏みしめて、暗い町の中へと入る。
このあたりでは恐らく、アシュリーの言っていた火石とやらを照明に使っているのだろう。様々な住宅の入り口で、小さな火が灯っている。それはまるで、祭りに並ぶ雪洞のように見えた。
紅蓮は既に、右腕を人間のそれに戻している。
だが紅蓮が炎を生み出すために必要なのは、魔力だ。紅蓮が顕現するにあたっても、纏身するにあたっても、必ずアシュリーから供給される魔力が必要になる。
そして先程、紅蓮は右腕だけだが、纏身した。つまり、アシュリーはかなりの魔力を消費したと考えていいだろう。下手をすれば倒れているかもしれない。
そう思いながら、ようやくアサド州侯の家に到着する。
「よぉ、イブラヒム」
「……」
暗い中、入り口で座り込んでいるイブラヒム。
まだ、中に入れてもらえないのだろうか。むしろ今夜、こいつはどこで寝るんだろう。
そもそも夜中にぶっ通しで歩き、日中ここにずっといて大丈夫だったのだろうか。
「お前、どこで寝るんだ?」
「……さぁ」
「え、どういうことだ?」
「……姫様と団長が、中にいる。僕は、その命令に従う。まだ、命令がない」
「あー……なるほど」
つまり、騎士団の一員として上司の指示がないと、休むこともできないわけか。紅蓮はそう納得しながら、小さく溜息を吐いた。
今、州侯と話が盛り上がっているのだろうけれど、部下を休ませるのも上司の仕事である。そこは、紅蓮の方から注意をしてやろう。
「入るぜ」
「……ええ」
イブラヒムに一言伝えてから、扉を開く。
それと共に、奥からだだっ、と足音を立ててアシュリーが走ってきた。
「グレンさま!」
「よぉ、アシュリー」
「ご無事……です、よね?」
「ああ、傷一つねぇよ。あと、こっちに向かってきていた二万の兵士は皆殺しにした。これでもう安心だろ?」
「なんと……本当に、お一人で……!」
驚きに目を見開くアシュリーと、そんなアシュリーの後ろから出てくるアサド州侯とダリアス。
そしてこほん、とアサド州侯が咳払いをすると共に、紅蓮を見た。
「本当に……お一人で、敵兵を相手にされたのですか……」
「ああ、本当だ。嘘だと思うなら、誰か北の方に派遣してやれ。二万の焼死体が見れると思うぜ」
「いえ……信じましょう。姫様が、そのように信頼されているお方ですから」
アサド州侯は、そう大きな溜息を吐いて。
それから、頷いた。
「グレン殿」
「ん?」
「本当に、ありがとうございます。あなたのおかげで、イズラード市は救われました」
「礼を言う相手は俺じゃねぇよ。俺は、アシュリーの命令にだけ従う」
「いえ……それでも、言わせてください。ありがとうございます」
頑なに、そう紅蓮に向けて頭を下げるアサド州侯。
それだけで、彼の愚直な性格が見える気がする。そして、そういう男は信用できる――そう、紅蓮は思った。
何より、アシュリーが彼のことを心から信頼しているのだから。
「ああ、そうだ……ダリアス」
「む……どうかしたか?」
「イブラヒム、まだ外にいるぜ。そろそろ休ませてやれ」
「……あ、ああ、分かった。すまない」
一応、イブラヒムのことを伝えておく。
だがさっきのダリアスの反応、多分イブラヒムのこと忘れてたな。
「アサド州侯。まずは南方騎士団の到着を待ちましょう。二万の兵が戻ってこないことを、帝国側が勘ぐるかもしれません。そのときに、少しでも戦える兵を維持しておきたいですから」
「ええ。加えて、東方騎士団にも使いをやります。帝国は王都を攻め落としたあと、まっすぐにこのアスティーン州へ向かってきました。奴らの狙いは、どう考えても火石の産出源であるここです。守りを固めるのが最善ですな」
「ひとまず、それで安全は確保できるでしょう。その後は兵を集めながら、王都を取り戻すことができるように策を練りましょう。西方騎士団はまだ無傷のはずですから、連携することもできそうです」
「そのあたりの調整は、ダリアス殿に任せます。姫様は、ひとまずこちらに逗留していただきたい。我が身に変えても、お守りいたしましょう」
「ええ……州侯、信じます」
そう、アシュリーが言った瞬間に。
紅蓮の体に、懐かしい感覚が過った。
「お……」
「えっ……グレンさま!?」
「グレン殿!?」
「ああ、心配するな……ようやく、俺も戻れるらしい」
にっ、と紅蓮は笑みを浮かべた。
それは、紅蓮の体から沸き立つ金色の粒子。そして掌を見ると、僅かに透けている。つまり紅蓮の仕事が終わったと、ハロワが判断してくれたのだ。
アシュリーの安全を確保する――その役割は、どうやらこれで果たせたらしい。
「アシュリー」
「グレンさま、これは、一体……!」
「ああ、俺の仕事はこれで終わったってことだよ。だがアシュリー、最初も言ったが……俺はお前の召喚獣だ。お前が、『召』し『喚』ぶ『獣』だ。お前が呼んだときには、俺は駆けつける」
「ど、どういう……?」
「お前が再び俺の力を欲するとき、俺を喚べ。魔力のパスは、俺と繋がっている。そのときには、再びお前のために燃やしてやる」
次第に、透けていく紅蓮の体。
本来その世界に存在し得ない証である紅蓮の体から、魔力が粒子となって抜けていく。
アシュリーは紅蓮の言葉に、僅かに目元を潤ませながら、裾を握っていた。
「では……お別れというわけでは、ないのですね……?」
「ああ。だが、必要なときには喚べ。戦いのときには、俺の炎を求めろ。その願いを聞いた俺が、再びこの世界に来る」
「分かりました……では、グレンさま。また、よろしくお願いします」
「ああ」
紅蓮の視界が、溶けてゆく。
目の前のアシュリーが歪んでいき、その体を構成する魔力が失われ。
紅蓮がそこにいた証は、ただ宙を彷徨う金色の粒子――それが消えると共に、喪失した。
ああ、ようやく帰れる。
それが紅蓮の本音だった。ずっと砂漠で過ごしていたから、へばり付く砂の群れに辟易していたというのが本音である。
最初の召喚は、ハロワで行われる。そして最初の送還も、ハロワで行われる。その後は自分の家に簡易の魔法陣を設置して、召喚者の願いを聞き届けるたびにその魔法陣によって向かうというのが通例だ。
だから今回、紅蓮は最初の召喚である、
つまり、帰る場所はハロワ――である、はずなのだが。
「おい……こいつは一体、どういう了見だ?」
『竜宮』へと戻ってきた瞬間に、紅蓮の体は数人の男に倒され、首と手足を押さえられ、拘束されていた。
そんな紅蓮の目の前で、へらへらと笑う女。
「いやー、どうも、八十神さん。お帰りなさい」
「おい所長、質問に答えろ。どうして俺が拘束されなきゃなんねぇ。というか、ここは……!」
所長――『赤鷺紫苑』と書かれた名札をした、その女に問う。
それと共に、赤鷺はにっ、と笑って。
「それは、八十神さんの方がよく知っているんじゃありませんかい?」
「あん……?」
「赤鷺、ご苦労さん」
「――っ!」
そんな赤鷺の後ろから現れたのは、小さな老婆。
老婆を中心にして広がる、八柱の召喚獣――それを見ると共に、紅蓮の背筋に寒いものが走った。
「久しいの、八十神紅蓮」
その老婆こそ。
最強の『九印御庭番長』――その一柱、二条院露。
そして、広がる八柱の召喚獣こそ。
現『九印御庭番長』たち。
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