特に敵兵に遭遇することなく、紅蓮たちは王都の南門へと辿り着いた。
やはり敵兵は北門、そして宮廷の方に集まっているらしく、こちらの警備は手薄であるようだ。加えて、ダリアスが先にこの辺りの敵を倒してくれていたからだろう。
警戒は怠ることなく、しかしようやく王都を脱出することができた。
だが相変わらず、紅蓮は『竜宮』に戻る気配がない。
「……ったく。いつになれば戻れるのかねぇ」
「どういうことだ?」
「ああ、お前には関係ねぇよ。ダリアス」
「……そうか」
紅蓮の呟きに対してさえ、疑いの姿勢を崩さないダリアス。
そんな厳しい視線にも、紅蓮は飄々と受け流す。人間がいくら威圧的な視線を向けてきたところで、人ならぬ紅蓮は何も感じないのだから。
だが南門を出て、紅蓮は眉根を寄せる。
そこに広がっていたのは――砂漠、だった。
「ほー……なるほどなるほど」
「グレンさま、どうなさいましたか?」
「いや、砂の国か。それを知らなかったもんでな。少しばかり驚いている」
「何故、それを知らぬのだ……?」
紅蓮の呟きに、猜疑的な視線を向けるダリアス。
そして流れる風の冷たさに、ぶるっ、とアシュリーが体を震わせる。
砂漠というのは寒暖差が激しく、昼間はうだるように暑く夜は凍えるほど寒くなるのが特徴だ。夜に入ったばかりの今は、まさに気温が下がっている状況だということだろう。
「アシュリーの肌が白いから、もっと温和な気候だと思っていたよ」
「グレンさま、アリファーン王国の、国土の七割は砂漠と砂岩です。一部にはオアシスもありますが、国のほとんどはこんな景色ですよ」
「そうなのか」
「はい。ですので、夜のうちに歩めるだけ進まねばなりません」
アシュリーの言葉に、紅蓮は頷く。
当然ながら、砂漠の昼と夜のどちらが過ごしやすいか――それは、夜に決まっている。昼間にこの砂漠を横断しようと思えば、それこそ直射日光から身を守るための装備が必要になるだろう。
アシュリーの服装は、王族らしいドレス。そしてエイルールは使用人の服であり、とても砂漠を横断できるだけの装備とは言いがたい。
「アスティーン州までは、歩いて三日というところです」
「ほう」
「夜の内にできる限り進んで、朝になる前に日光から身を守ることができる場所に避難いたしましょう」
「ああ」
アシュリーの言葉に返事をしながらも、紅蓮は首を傾げる。
王族であるアシュリーが、まるで野営をすることが当然であるかのように振る舞っているのが不思議なのだ。もしかすると、この世界では乗り物関連の技術がそれほど発展していないのかもしれない。
町を見る限り、ラクダのような動物も見かけなかったし、この国では砂漠は、身一つで渡ることが当然なのだろうか。
まぁ、郷に入っては郷に従えである。
「姫様、向かいましょう」
「ええ」
エイルールと共に、歩みを進めるアシュリー。一歩一歩進むたびに、足元に砂が纏わりつくような感覚がした。
そんな二人のやや後ろを紅蓮も歩みつつ、イブラヒムとダリアスが後方を警戒してくれている。二人は軍人であるからまだ分かるが、姫とメイドという二人が砂漠に順応しているのが謎だ。
やはり、生まれてこの方砂漠だらけの国に生きてきたら、対応力も備わってくるのだろうか。
しかし、問題は。
「だがアシュリー、お前らは身一つで逃げてきただろう」
「あ、はい。どうかされましたか?」
「食料や水はどうするんだ? 俺は何も摂取しなくても平気だが、お前らはそういうわけにいかないだろう」
「食事については、我慢するしかありません。これもまた、ハシュト様の与えてくださった試練ですから。水については、各自『水石』を持っています」
「水石?」
思わぬアシュリーの言葉に、紅蓮はそう聞き返す。
そこで紅蓮の後方から、別の声が上がった。
「水石すら知らぬとは、貴様っ、本当に何者なのだっ!」
「ダリアス!」
「ひ、姫様……しかし、この男、本当に何者なのですか……? 水石を知らない者が存在するだなんて……」
「グレンさまは、わたくしたちの味方です。それ以上のことを、知る必要はありません」
「ですが……」
腑に落ちないとばかりに、顔を伏せるダリアス。
イブラヒムの方は我関せずとばかりに、周囲の警戒を続けていた。今のところ、周囲に敵影はないらしくイブラヒムも落ち着いている様子である。
はぁ、と紅蓮は小さく溜息を吐き、それからダリアスに向き直った。
「俺が、少々常識知らずなところは大目に見てくれ。別に、怪しい者じゃねぇからよ」
「……だが、貴様」
「ダリアス」
「……申し訳ありません。ええと……あなたは一体、何者なのだ? 誰でも知っていることを知らなかったり、不思議な格好をしている。私には正直、まだ信用ができないのだが」
「別に、俺のことを語って納得してくれるなら、教えてやるよ」
アシュリーは無条件で紅蓮のことを信用してくれているが、それは紅蓮が彼女の窮地を救ったからだ。
ダリアスにとって、紅蓮はアシュリーの近くにいる怪しい男に過ぎない。それを一朝一夕に信用しろというのも、無理な話である。
それに加えて、この世界において。
紅蓮の存在というのは、怪しいことこの上ないのだ。
「俺は、『竜宮』から来た召喚獣だ」
「召喚獣……その、獣というのは一体どういうことだ? あなたは、どう見ても人間の姿をしているが」
「こいつは仮の体だよ。本性を隠して化けている姿だとでも思ってくれりゃいい」
「……?」
「ま、基本的にはこっちの姿だ。本気モードのときには変身できる、くらいに思ってくれ」
「はぁ……」
意味が分からない、とばかりに首を傾げるダリアス。
しかし、紅蓮にもこれ以上説明できないというのが本音だ。
「俺の仕事は、魔力の高い人間と契約をして、その力になることだ。俺を呼び出す代償として、魔力を少しばかり貰い受ける。その魔力が、俺たちの世界では通貨になるようなもんだと思ってくれ」
「魔力が通貨に……その意味は、正直よく分からないが」
「俺ら自身が、魔力によって存在しているようなものだからな。お前らで言うところの食事、飲水、そういったことを魔力で代替しているものだと思ってくれ」
自分で言いながら、要領を得ない説明だな、と自嘲する。
だが実際、世界の違いというのは説明するのが難しいのだ。種族も文化も、生き方すら異なる世界なのだから。
しかしダリアスは、「ふむ」と呟いて頷いた。
「なるほど……そのリューグーというのは、別の世界なのだな。この大陸ではない、別の世界か。そしてあなたにとって魔力は食事のようなものであり、存在し続けるためには人間の魔術師から貰い受けなければならない、と」
「そういうことだ。理解が早くて助かるよ」
「つまりあなたは……人間ではない存在、なのか?」
「ああ」
紅蓮の言葉に、ダリアスが考え込む。
やたらと紅蓮に向けて突っかかってくるが、こうして考え込む姿に限って言うならば、端正な顔立ちをした好青年である。
「いや、すまない……正直、怪しい人間だと疑ってしまっていた。私は魔術についてあまり詳しくないが、姫様とそのように契約を結んでいる相手であるのならば、決して敵にはなりえないだろう。怒鳴って、申し訳ない」
「ああ、もう構わんよ。俺のことは、紅蓮と呼んでくれ」
「承知した、グレン。私のことも、どうかダリアスと」
ダリアスと、握手を交わす。
ひとまず、信用してもらえたと思っていいだろう。アシュリーもそんな紅蓮とダリアスを見ながら、微笑んで頷いた。
エイルールがぼそっと「ダリアス様が、あんなに簡単に信用するなんて……」と呟いていたが、聞こえないふりをしておいた。
イブラヒムだけは、最後まで何も言うことなく。
冷たい風と共に、砂塵が舞った。
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