ひゅんっ、と刃が走る。
鞘から抜いたそれが、高速で疾走すると共に再び鞘の中へと戻る。恐らく敵の目からすれば、紅蓮が動いたことすら感じられなかっただろう。
神速の抜刀。
神速の納刀。
目にも留まらぬ刀の斬撃は、かちん、と鍔鳴りだけを残して消え去る。
ただその代わりに、首から上が失われた屍だけを残して。
「なっ――!」
「な、何者だっ!?」
先頭にいた男の首から血が噴き出し、そのままゆっくりと倒れる。
そして、その後ろで武器を構えている男たちは、僅かに身じろいだ。逃げ出した者を追い詰めて、逆に殺されるなどとは思いもしなかったのだろう。
だが同時に、それが彼らの激情に火をつける。
「くそっ! 殺れぇっ!」
「おいおい……」
血気盛んにそう言いながら、さらに一人が入り口から入ってくる。
紅蓮は低く構えた姿勢のままで、再び刃を疾走させた。暗闇の中にきらりと白刃の残滓だけが舞い、鍔鳴りの音が響く。そして、二人目の首が小部屋の中に落ちた。
一瞬。
ほんの一瞬で二人の首が飛び、二つの体が崩れ落ちる。
「く、くそっ……ま、魔術かっ!」
「残念だが、魔術なんかじゃねぇよ」
「なっ……!」
紅蓮は一歩前に出て、再び剣を振るう。
鍛え、卓越した技術は最早魔術と区別もつかないのだろう。紅蓮が一瞬で疾走させる刀の斬撃は、正確にその目の前にいる相手の首を刈る。ぶしゅっ、と飛び出す真紅の血が、扉から差し込む光の中に散った。
暴風の如く、紅蓮は前に出る。
後ろに控えていた男の胴を薙ぎ、さらに次の男の首を斬る。
「あ、あ……」
「そ、そんな……」
アシュリーとエイルールの、悲痛な絞り出したような声音が聞こえる。
それは目の前にいる紅蓮の暴虐に、まるで震えているかのような。
紅蓮はその声を後ろに、ゆっくりと小部屋から出て。
「やれやれ」
「な、何者だっ! てめぇ!」
「ああ、俺か?」
小部屋の前の、狭い廊下。
そこに、十数人の武装した男たちがいた。その装備はどれも黒で統一された軽鎧であり、それぞれに槍を構えている。恐らく傭兵などではなく、どこかの国の正規兵なのだろう。
そのあたりの事情はまだ分からないが、ひとまず言えることがある。
「敵さ」
紅蓮はアシュリーの味方だ。そして、この男たちはアシュリーの敵だ。
であるならば、紅蓮はこの男たちの首を刈る死神と化そう。
「はぁぁぁぁっ!!」
足を踏み出し、刀を振るう。
刃についた血を拭う暇もなく、一つ振るうたびに誰かの首が落ち、誰かの胴が割れる。雑兵如きで、この暴虐は止められない。
「ぎゃあああっ!!」
「ひぃぃぃっ!!」
響く悲鳴と断末魔の叫び。
人間を超えた圧倒的な武に、その場は蹂躙され。
最後の一人――その顎を蹴り飛ばし、首の骨が砕ける感覚が足に残る。
ようやくそこで、動く者は誰もいなくなった。
「……」
周囲を見回して、他に敵の姿がないかを確認する。
ひとまずアシュリーを追ってきたのはこの連中だけらしく、耳を澄ませても物音は聞こえなかった。
ようやく紅蓮は、ふぅ、と小さく息を吐く。
血煙と血臭に塗れた、戦場の匂いが鼻についた。
「出てきてもいいぞ」
「は、はい……」
小部屋から、恐る恐るといった様子で出てくるアシュリーとエイルール。
転がる敵兵の屍と、その返り血に濡れている紅蓮に、小さく「ひっ」と声を漏らした。
まぁ、そんな反応も致し方ないものだろう。恐らく、彼女らは戦場になど行ったことがないのだから。
これで、ひとまずの安全は確保できたと思っていいだろう。
「あ、あの……」
「ああ」
「ありがとう、ございます……本当に、あなたのおかげで、助かりました」
「なぁに、これも召喚獣のお仕事って奴だ。代わりに、お前さんからは魔力をいただいてる。ウィンウィンの関係ってことだな」
召喚獣の仕事というのは、つまるところ敵の掃討だ。
紅蓮は今回、アシュリーに喚ばれた。そして目の前の敵を掃討し、安全を確保した。これで、今回の仕事は終わりと考えていいだろう。
そして本来、仕事が終われば紅蓮は『竜宮』へと戻るのだが。
「……む?」
「えっ……ど、どうかしましたか?」
「いや……おかしいな。戻る気配がない?」
召喚獣は本来、長く滞在することができない。
それは、召喚獣が『世界に存在する』こと自体が魔力を消費するからだ。ゆえに召喚獣は与えられた魔力で敵を掃討し、残った魔力を『竜宮』に持ち帰ることが仕事なのである。
以前に別の魔術師と契約していたときには、それこそ呼ばれた直後に目の前の敵を殲滅すれば、そのまま戻ることができたのだが。
このあたりの『仕事の終わり』を、誰が判断しているのか紅蓮は知らない。
「……ま、そのうち戻るか。むしろ、まだ安全を確保したわけじゃないから、仕事は終わらせてくれないってことか?」
「あの、一体どういう……」
「ああ、こっちの話だ。気にするな。それより、まだ安全というわけじゃない」
「向こうに、王族が逃げるための隠し通路があります! 姫様と私を、そこに!」
エイルールが指差すのは、敵兵の屍の向こうだ。
壁に掛けられたランプの灯す火――その明かりから察するに、ここは地下なのだろう。そしてアシュリーとエイルールは、こんな地下にまで逃げなければならないほど追い詰められていたということだ。
であるならば、地上の様子は想像するに容易い。
「……ふむ」
敵兵が揃いの鎧を着ていたことから、恐らくどこかの国の正規軍であるとは察している。つまり、この国は今、別の国の軍に侵略されている最中なのだと考えていいだろう。
ならば、既に地上は制圧されている。そう考えて間違いない。
「アシュリー」
「は、はい」
「ひとまず、夜までここで待機する」
「え……よ、夜まで、ですか……?」
「ああ。恐らく今、地上には敵兵がいる。俺だけなら殲滅もできるが、アシュリーを守りながらというのは厳しい」
「し、しかし、姫様をこのような場所で……!」
紅蓮が地上に出て、敵兵を殲滅するのは難しいことではない。ただの人間を相手に後れを取るほど、召喚獣は弱くないのだ。
しかし、アシュリーを守りながら全方位に敵がいる場合、アシュリーの身が危険に晒されることになる。そうなれば紅蓮は契約者を失ってしまうのだ。
そんな紅蓮の言葉にアシュリーは俯き、エイルールが激昂した。
「あなただけが、上に出ればいいでしょう! そして敵を倒してください!」
「俺が単騎で地上に出て敵兵を燃やしている間に、また敵がこの地下に入ってきたらどうするんだ?」
「えっ……!」
「も、燃やし……?」
「メイド。お前に、アシュリーが守れるのか?」
「うっ……!」
紅蓮にしてみれば、アシュリーの安全こそが第一だ。
彼女の安全を確保し、その上で安全な場所まで連れていく。それが紅蓮の仕事である以上、最善を尽くさねばならない。
よいしょ、と紅蓮はその場に胡座をかいた。
「アシュリー、俺はこの世界に来たばかりなんだ」
「は、はい……?」
「この世界のことを何も知らない。せいぜい、お前が危険に晒されていることくらいしか、俺には分からん。だから」
「はい……」
「この世界のことを、俺に教えてくれ。どうせ夜まで長い」
「……分かりました」
ちょん、とアシュリーも座り込む。
そして紅蓮を見て、後ろで「こんな場所に姫様を!」と言い続けるエイルールを、手で制し。
「……あの、グレンさん」
「ああ?」
「グレンさんは……一体、何なんですか? 獣とか、一匹とか、ご自身で仰っていますけど……」
「あー、そうか。この姿じゃ、確かに分からないだろうな」
紅蓮の姿は、間違いなく人間のそれだ。
文化が違うため、服装には違和感を覚えるかもしれないが、アシュリーにしてみれば確かに疑問だろう。
何せ召喚『獣』だ。当然、紅蓮は人間ではない。
「俺は、イフリートだ」
それは、炎を司る幻獣の名前。
しかしアシュリーは、そんな名前に対して不思議そうに首を傾げた。
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