「ババア……!」
紅蓮は首元と四肢を押さえつけられ、ろくに持ち上がらない顔で必死に、目の前の老婆を見る。
柔和な顔立ちをした、背の低い老婆だ。顔立ちに深く刻まれた皺の数々だが、腰は曲がっておらず直立している。白い髪を頭頂部で丸く纏めている髪型は、何度となく紅蓮の見てきた彼女の姿だ。着物から見える両腕は、枯れ木のように細い。
ともすれば弱々しくも見える姿でありながら、その持ち得る魔力は『九印御庭番長』を束ねるだけのもの。
そんな老婆――二条院が、柔らかな笑みをその口元に浮かべた。
「ほう。久しぶりに会うたのに、第一声がそれかい、紅蓮」
「一体、どうしててめぇが……いや、ここは……!」
「そうじゃよ。お前さんも何度か来たことがあろう。朝堂院じゃ」
「くっ……!」
本来、召喚獣はハロワから派遣されハロワに送還される。それが常識であり、決して覆らぬ事実のはずだ。
だというのに今、紅蓮がいるのはハロワではない。
そう、ここは。
『御庭』の中枢――大内裏の中央に存在する、朝堂院と呼ばれる場所。
即ち、『竜宮』の頂点に座する者だけしか、足を踏み入れることができない場所である。
そして何より、そこに並ぶ面々の壮観であること。
あまりの状況に、紅蓮は苦笑いと共に吐き捨てた。
「おいおい……『九印御庭番長』、勢揃いじゃねぇかよ」
ババア――二条院を中心にして、四人ずつ羽のように広がる男女たち。それぞれ、それぞれ色違いの着物に身を包んでいるのは、現在も戦いの最前線に身を置いている証だ。
子供のように見える小さな少年、艶っぽい若い女、白髭の老爺、飄々とした中年、顔立ちの整った青年、仮面をつけた背の高い淑女、崩した着物の美少女、凡そ人とは呼べないような姿――そこに並ぶ連中は、二柱を除いてかつて紅蓮の同僚だった者たち。
まさか全員が、この場に揃っているとは。
この『竜宮』における、最強の召喚獣たちが。
第一隊『日輪』――隊長『祭祀印』二条院露。
第二隊『神楽』――隊長『白眉印』瀬戸山翔太。
第三隊『桃源』――隊長『真砂印』辻蜜香。
第四隊『葬送』――隊長『大蛇印』加藤宗右衛門。
第五隊『玉響』――隊長『雷蹄印』三枝御駒。
第六隊『虎狼』――隊長『滄海印』不破雷牙。
第七隊『鬼哭』――隊長『堅牢印』六道小夜子。
第八隊『紅桜』――隊長『燐華印』夜桜ひばり。
第九隊『金剛』――隊長『神武印』御堂河内太郎丸。
九柱揃った、彼らこそが。
称して――『九印御庭番長』。
「そんで、紅蓮や」
「……何だよ、ババア」
「どうしてあんたが、ここに連れてこられたか分かるかい?」
「分かるわけねぇだろ」
二条院の質問に、乱暴に吐き捨てる紅蓮。
そもそも、紅蓮は身に覚えのない罪で『御庭』を追われた身だ。そんな紅蓮が『御庭』の、それも最高権力者しか入ることのできない場所にいるのか。
当然、紅蓮もかつて『九印御庭番長』――『朱炎印』としてその座にあったときには、何度となく朝議に参加したことのある場所だ。しかし、『朱炎印』の座も『御庭』にいる権利も失い追放された以上、二度と入ることなどないと、そう思っていたのだが。
だというのに、何故――。
「あんたは、『黄龍』陛下の暗殺を企てた。そして、それに気付いたかつての『藤龍印』荻風連次郎を殺害した……そうじゃろ?」
「違う」
「最後まであんたは、そう否定し続けたねぇ。そして、こっちにも確たる証拠がなかった。あんたを、処刑する証拠は、存在しなかったんだよ」
「やってねぇことに、証拠なんざあるわけねぇだろうが!」
二条院の言葉に、紅蓮は睨み付けながら叫ぶ。
彼女が告げた罪過に対して、紅蓮には何の心当たりもないのだ。ゆえに、以前このように査問会を開かれたときにも、紅蓮は「やっていない」の一点張りだった。
そして状況証拠は揃いながらも、確たる証拠はない――その結果、紅蓮は『九印御庭番長』としての称号を剥奪、『御庭』を追われることとなった。
だからこそ、不服ながらも紅蓮は受け入れ、ハロワに行ってアシュリーの世界に行き仕事をしていたのだが。
「確かに今も、確たる証拠があるわけじゃあない」
「だったらさっさと離しやがれ! クソババア!」
「悪いお口は、もうちょっと閉めときな。じゃがの……状況証拠と、目撃証言は揃ってんのさ。じゃから、沙汰を『黄龍』陛下が下した」
「まさかっ……!」
この『御庭』における、絶対的権力者にして王、『黄龍』。
王が下した沙汰は、決して覆ることなどない。それがどれほど理不尽であろうとも。それが『黄龍』の決定であるのならば。
一瞬だけ、二条院が悲しげに顔を伏せ。
それから、皺だらけの目元を細めて、紅蓮に告げた。
「八十神紅蓮。あんたを、極刑に処する」
「はぁっ!? ふざけんじゃねぇ! 頭膿んでんのか!」
「あたしは言ったよ。これは、『黄龍』陛下の沙汰じゃ。その言葉、陛下を貶めるものだってことが分かってんのかい?」
「やってもねぇことで、どうして首斬られなきゃなんねぇんだよ!」
あまりにも理不尽な沙汰に対して、叫ぶ紅蓮。
首と四肢を押さえつけられているこの状況で、しかも最強の召喚獣が九柱揃っている状態で、紅蓮にできる抵抗は叫ぶことくらいだ。朝堂院――その最奥に存在するとされる、紅蓮でさえ会ったこともない『黄龍』という王に聞こえるように。
「まぁ、そういうわけだよ紅蓮。諦めな」
「ふざっ……!」
「それ以上喋るならば、今ここで首を落とすぞ、八十神」
「っ……!」
ちゃきんっ、と刀を抜いて刃を示す老齢の男――加藤宗右衛門。
それと共に、他の『九印御庭番長』たちも腰元の刀に手をかける。
紅蓮が元『九印御庭番長』――最強の召喚獣の一柱だったとしても、ここには同格が九柱も存在している。とても、抵抗して逃げることのできない戦力だ。
「処刑は、三日後だ。松原にて執行される。それまでは、地下の監獄にいてもらうよ」
「くっ……!」
「連れていきな」
「立てっ!」
押さえられていた首根っこを、引っ張られる。
恐らく、この首を押さえているのは誰かの副官だろう。四肢を押さえていたのは、その力から察するに次官だと思われる。
だが、ここで暴れるわけにはいかない。紅蓮が敵対行動を見せたその瞬間に、『九印御庭番長』が一斉に襲いかかってくるだろう。
そして、いくら紅蓮であっても、たった一人で九柱を倒せると思うほど慢心はしていない。
だが、どうしても。
言いたい相手が、一人だけ、いた。
「おいっ……!」
「……」
その男は、かつて紅蓮と、死んだ荻風連次郎と、最も仲の良かった友人。
屍と化した連次郎を初めて見つけた紅蓮へと襲いかかってきた、そして奴曰く、『八十神紅蓮の凶行を止めた』として評価され、副官から新たに『九印御庭番長』の一人として抜擢された男。
短く揃えた金髪に、整った顔立ち――されど、その空色の瞳に冷たい視線を乗せて紅蓮を見る、その男へと。
紅蓮は、叫んだ。
「満足かよ! 雷牙!」
「……」
「友達を殺して、俺を蹴落として、『九印御庭番長』になれて、満足かよ!」
「……」
紅蓮の言葉に、その男――『滄海印』不破雷牙は、何も答えず。
ただ、紅蓮から目を逸らして、顔を伏せた。
「ふざけんじゃねぇぞ! 絶対に、てめぇだけは許さねぇ!」
「……」
「その首、洗って待ってやがれ! 俺が、絶対に燃やしてやるからなっ!!」
「……」
最後まで、雷牙は何も答えることなく。
紅蓮は五人がかりで引かれて歩かされ、地下にある独房へと収監されることとなった。
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