焔罪のイフリート

筧千里
筧千里

纏身

公開日時: 2020年9月1日(火) 07:00
文字数:2,950

「さぁて、待つとするかね。できれば、こっちから進軍してぇもんだが」


 くくっ、と砂塵が舞う風に晒されながら、紅蓮は笑みを浮かべた。

 アシュリーは、アサド州侯の家に置いてきた。少なくともアサド州侯は信頼できる人物だと思ったし、アシュリーの安全は確保してくれるだろう。そしてアシュリーさえ安全な場所にいてくれるのならば、紅蓮は自由に動けるということだ。

 見えるのは、幾層にも並んだ真っ白の砂丘たち。目に見える半分は白い砂と砂岩、残りは暴力的に輝く太陽と雲一つない空である。照りつける陽光に、遥か遠くの景色は歪んで見えるほどだ。

 しかしそれでも、紅蓮の表情には何の苦もない。

 炎の召喚獣が、太陽の熱など苦にするものか。


 アスティーン州イズラード市を僅かに出た砂漠の原。そこが、紅蓮と二万の兵の決戦の場所である。

 兵は真っ直ぐ、このアスティーン州へ向かってくるだろう。そして、彼らがここにやってくるのが間違いないのならば、ここで待てばいいのだ。下手にこちらから近付けば、場所を見誤ってすれ違ってしまう可能性もあるのだから。まぁ、さすがに二万の兵を見逃すとは思えないが。

 しかし、理由はもう一つある。

 召喚者と召喚獣が、離れることのできる最大距離というのがあるのだ。


「半里を越えると、魔力の供給がなくなっちまうからな……」


 その距離は半里――二キロほどである。

 ゆえに、紅蓮はアシュリーからそれほど遠くに離れることができないのである。つまり今後、戦いを行うにあたってはアシュリーを常に連れていく必要があったりする。

 まぁそのときには、完全武装の一団にアシュリーを守らせる形にすればいいだろう。


「しかし、アシュリーも州侯も読みが甘ぇな……」


 アシュリーに「今から町の外で待ち構えとくわ」とだけ伝えたら、「早すぎませんか!?」と驚かれた。

 彼らがアシュリーたちと同じように夜だけ進軍しているのならば、恐らく三日後にはここに到着するだろう――アサド州侯とアシュリーは、そう踏んでいた。

 だが、紅蓮はそう読んでいない。

 今回の帝国の進軍――それは、基本的に奇襲だ。アリファーン側の準備が整わないうちに、電撃的に王都を討った。そして帝国の目的がアスティーン州なのであれば、その進軍もまた神がかった早さでやってくるだろう。

 つまり、強行軍。砂漠という過酷な環境の中でさえ、恐らく昼夜を問わずに進軍することを命じるはずだ。


 ゆえに、早ければ今日――それが、紅蓮の読みである。


「よいしょ、っと」


 紅蓮は、砂の上に座り込む。

 時折吹く風に、砂が揺れて舞い煌めく。その姿は、今までほとんど砂漠に縁のなかった紅蓮からすれば、割と新鮮なものだ。もっとも、三日も砂漠にばかりいたから、もう完全に慣れてしまったが。

 この過酷な環境を、兵士が進軍してくる――それを思うと、同情もしてやりたくなるが。


 残念ながら、紅蓮にできることは。

 燃やすこと、だけなのだ。


「……」


 遥か遠くを見続けながら、紅蓮はただ待つ。

 中天に座していた陽が、次第に傾いて砂丘の影が長く伸びる。その間も、ひたすらに砂塵の舞う視界の果て――そこに、敵影が現れるのを待ちながら。

 時々自分の服――着物に付着した砂を払い、髪についた砂を払い、陽はその間も傾き続け、ついには真っ赤な夕暮れの砂漠と化した。

 やはりか。

 紅蓮はそこで、にやりと笑みを浮かべる。


 砂風――その向こうに。

 歩みを進める集団の姿が、見えたのだ。


「よし」


 まだ遠くに、影が見えた程度。

 しかし紅蓮は立ち上がり、己の体に魔力を纏った。

 この魔力は、アシュリーより譲り受けたもの。そして今もなお、魔力のパスによって供給され続けているもの。

 アシュリーと紅蓮――召喚者と召喚獣の間に交わされる魔力は、二種類。

 まず、紅蓮を『召喚する』行為の代替となるのが、『召喚魔力』。これは、紅蓮にもよく分かっていないハロワの謎パワーによって、そのまま『竜宮』が管理する魔力となる。

 そしてもう一つが、紅蓮をその世界に維持するための『顕現魔力』。これは、紅蓮がこの世界に存在する限りアシュリーから供給される魔力のことだ。

 つまり、紅蓮がこの世界で自由に使うことのできる魔力。

 紅蓮が戦うために必要な魔力は、アシュリーが全て供給してくれるというわけだ。


「……」


 砂塵の向こうに、はっきりとその集団の影が分かる。

 整然と並び、進軍する敵兵の群れ。その姿は、砂漠での行軍も問題のない革鎧だ。さすがに、昼夜を問わずに進軍するにあたって全身鎧は選ばなかったらしい。

 だがそれでも、兵士たちの顔にはどうしようもない憔悴が見える。

 当然だ。ただの人間が、この過酷な砂漠を通ってきたのだから。

 南方騎士団も東方騎士団も間に合わないように、ひたすら強行軍でやってきたのだから。


「さて、ご苦労さん。ここまで暑かっただろうよ」


 紅蓮はそう、労いの言葉をかける。

 だが当然、まだ距離がある相手にそんな言葉が届くはずもない。

 向こうの集団は、紅蓮のことを認識しているかどうかすら分からないのだ。人間よりも遥かに優れた視力である紅蓮であるから、兵士たちの表情ですら分かるけれど。

 だから、最初から返事など期待していない。

 どうせすぐに、返事などしない存在になってしまうのだから。


「さぁて、アシュリー。ちょいと借りるぜ。ぶっ倒れんじゃねぇぞ」


 紅蓮は己の魔力を、その右腕にだけ集中させた。

 膨大な魔力がそこに集まると共に、輝く炎を生じさせた。本来、砂漠には不釣り合いな炎と共に、紅蓮は鍵となる言葉を紡ぐ。


纏身てんしん火炎獣イフリート――」


 ところで、紅蓮の着物には両方とも、袖が存在しない。

 肩から先は剥き出しにしている、本来ありえない姿だ。だが、これが紅蓮にとっては当然の格好。

 本来の力の一部を、そこに解放するのだから。

 袖は、失われてしまう。


「――『焔腕えんわん』」


 ごうっ、と燃え上がる火柱。

 それと共に、紅蓮のその右肩から先が。

 異形のそれと、化していた。


 例えるならば、炎を纏った獣の前脚。

 鋭い鉤爪がついた、五つの指。炎をその全体に纏った、熱の暴虐。そして何より、その腕だけで紅蓮の体躯ほどにも巨大。

 これが、本来の紅蓮の姿。

 人間の体の中に隠し持つ、召喚獣としての姿。


「暑い中、進軍してきたところ悪いが……もうちょっと熱くなってくれや」


 巨大な腕を、紅蓮は弓を引くように後ろに引き。

 そんな紅蓮の異常な姿に、兵の誰かが声を上げた――その瞬間。

 紅蓮は掌を突き出すと共に、叫んだ。


「『爆炎掌ばくえんしょう』!」


 紅蓮の異形の右腕。

 そこから放たれるのは、特大の炎の弾丸。掌の形をしたそれが、腕を突いたその勢いと共に敵軍を襲う。

 炎でありながら、重く質量を持ったそれが、敵軍の真ん中に突き刺さり、その先頭にいた兵士を燃やし尽くす。その勢いのままに、炎が敵軍を裂くように蹂躙する。

 ざわざわと、遠くにいながらも聞こえる兵士たちの混乱。

 それも当然だろう。

 炎は、誰もが畏怖するべき存在。炎は、誰もが恐怖するべき存在。


「うらぁっ! 『爆炎掌』っ!!」


 それを、紅蓮は繰り返し。

 一撃放つごとに、途轍もない魔力が消費されるそれで、ひたすらに敵軍を焼き続ける。

 まさに、炎神の降臨。獰猛なる炎による暴虐。

 それが右腕の顕現――『焔腕』。


 その一方的な虐殺は、陽が落ち、暗くなり、紅蓮の炎に呑まれた敵兵たちが、誰一人動かなくなるまで続けられた。

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