「さぁて、待つとするかね。できれば、こっちから進軍してぇもんだが」
くくっ、と砂塵が舞う風に晒されながら、紅蓮は笑みを浮かべた。
アシュリーは、アサド州侯の家に置いてきた。少なくともアサド州侯は信頼できる人物だと思ったし、アシュリーの安全は確保してくれるだろう。そしてアシュリーさえ安全な場所にいてくれるのならば、紅蓮は自由に動けるということだ。
見えるのは、幾層にも並んだ真っ白の砂丘たち。目に見える半分は白い砂と砂岩、残りは暴力的に輝く太陽と雲一つない空である。照りつける陽光に、遥か遠くの景色は歪んで見えるほどだ。
しかしそれでも、紅蓮の表情には何の苦もない。
炎の召喚獣が、太陽の熱など苦にするものか。
アスティーン州イズラード市を僅かに出た砂漠の原。そこが、紅蓮と二万の兵の決戦の場所である。
兵は真っ直ぐ、このアスティーン州へ向かってくるだろう。そして、彼らがここにやってくるのが間違いないのならば、ここで待てばいいのだ。下手にこちらから近付けば、場所を見誤ってすれ違ってしまう可能性もあるのだから。まぁ、さすがに二万の兵を見逃すとは思えないが。
しかし、理由はもう一つある。
召喚者と召喚獣が、離れることのできる最大距離というのがあるのだ。
「半里を越えると、魔力の供給がなくなっちまうからな……」
その距離は半里――二キロほどである。
ゆえに、紅蓮はアシュリーからそれほど遠くに離れることができないのである。つまり今後、戦いを行うにあたってはアシュリーを常に連れていく必要があったりする。
まぁそのときには、完全武装の一団にアシュリーを守らせる形にすればいいだろう。
「しかし、アシュリーも州侯も読みが甘ぇな……」
アシュリーに「今から町の外で待ち構えとくわ」とだけ伝えたら、「早すぎませんか!?」と驚かれた。
彼らがアシュリーたちと同じように夜だけ進軍しているのならば、恐らく三日後にはここに到着するだろう――アサド州侯とアシュリーは、そう踏んでいた。
だが、紅蓮はそう読んでいない。
今回の帝国の進軍――それは、基本的に奇襲だ。アリファーン側の準備が整わないうちに、電撃的に王都を討った。そして帝国の目的がアスティーン州なのであれば、その進軍もまた神がかった早さでやってくるだろう。
つまり、強行軍。砂漠という過酷な環境の中でさえ、恐らく昼夜を問わずに進軍することを命じるはずだ。
ゆえに、早ければ今日――それが、紅蓮の読みである。
「よいしょ、っと」
紅蓮は、砂の上に座り込む。
時折吹く風に、砂が揺れて舞い煌めく。その姿は、今までほとんど砂漠に縁のなかった紅蓮からすれば、割と新鮮なものだ。もっとも、三日も砂漠にばかりいたから、もう完全に慣れてしまったが。
この過酷な環境を、兵士が進軍してくる――それを思うと、同情もしてやりたくなるが。
残念ながら、紅蓮にできることは。
燃やすこと、だけなのだ。
「……」
遥か遠くを見続けながら、紅蓮はただ待つ。
中天に座していた陽が、次第に傾いて砂丘の影が長く伸びる。その間も、ひたすらに砂塵の舞う視界の果て――そこに、敵影が現れるのを待ちながら。
時々自分の服――着物に付着した砂を払い、髪についた砂を払い、陽はその間も傾き続け、ついには真っ赤な夕暮れの砂漠と化した。
やはりか。
紅蓮はそこで、にやりと笑みを浮かべる。
砂風――その向こうに。
歩みを進める集団の姿が、見えたのだ。
「よし」
まだ遠くに、影が見えた程度。
しかし紅蓮は立ち上がり、己の体に魔力を纏った。
この魔力は、アシュリーより譲り受けたもの。そして今もなお、魔力の絆によって供給され続けているもの。
アシュリーと紅蓮――召喚者と召喚獣の間に交わされる魔力は、二種類。
まず、紅蓮を『召喚する』行為の代替となるのが、『召喚魔力』。これは、紅蓮にもよく分かっていないハロワの謎パワーによって、そのまま『竜宮』が管理する魔力となる。
そしてもう一つが、紅蓮をその世界に維持するための『顕現魔力』。これは、紅蓮がこの世界に存在する限りアシュリーから供給される魔力のことだ。
つまり、紅蓮がこの世界で自由に使うことのできる魔力。
紅蓮が戦うために必要な魔力は、アシュリーが全て供給してくれるというわけだ。
「……」
砂塵の向こうに、はっきりとその集団の影が分かる。
整然と並び、進軍する敵兵の群れ。その姿は、砂漠での行軍も問題のない革鎧だ。さすがに、昼夜を問わずに進軍するにあたって全身鎧は選ばなかったらしい。
だがそれでも、兵士たちの顔にはどうしようもない憔悴が見える。
当然だ。ただの人間が、この過酷な砂漠を通ってきたのだから。
南方騎士団も東方騎士団も間に合わないように、ひたすら強行軍でやってきたのだから。
「さて、ご苦労さん。ここまで暑かっただろうよ」
紅蓮はそう、労いの言葉をかける。
だが当然、まだ距離がある相手にそんな言葉が届くはずもない。
向こうの集団は、紅蓮のことを認識しているかどうかすら分からないのだ。人間よりも遥かに優れた視力である紅蓮であるから、兵士たちの表情ですら分かるけれど。
だから、最初から返事など期待していない。
どうせすぐに、返事などしない存在になってしまうのだから。
「さぁて、アシュリー。ちょいと借りるぜ。ぶっ倒れんじゃねぇぞ」
紅蓮は己の魔力を、その右腕にだけ集中させた。
膨大な魔力がそこに集まると共に、輝く炎を生じさせた。本来、砂漠には不釣り合いな炎と共に、紅蓮は鍵となる言葉を紡ぐ。
「纏身・火炎獣――」
ところで、紅蓮の着物には両方とも、袖が存在しない。
肩から先は剥き出しにしている、本来ありえない姿だ。だが、これが紅蓮にとっては当然の格好。
本来の力の一部を、そこに解放するのだから。
袖は、失われてしまう。
「――『焔腕』」
ごうっ、と燃え上がる火柱。
それと共に、紅蓮のその右肩から先が。
異形のそれと、化していた。
例えるならば、炎を纏った獣の前脚。
鋭い鉤爪がついた、五つの指。炎をその全体に纏った、熱の暴虐。そして何より、その腕だけで紅蓮の体躯ほどにも巨大。
これが、本来の紅蓮の姿。
人間の体の中に隠し持つ、召喚獣としての姿。
「暑い中、進軍してきたところ悪いが……もうちょっと熱くなってくれや」
巨大な腕を、紅蓮は弓を引くように後ろに引き。
そんな紅蓮の異常な姿に、兵の誰かが声を上げた――その瞬間。
紅蓮は掌を突き出すと共に、叫んだ。
「『爆炎掌』!」
紅蓮の異形の右腕。
そこから放たれるのは、特大の炎の弾丸。掌の形をしたそれが、腕を突いたその勢いと共に敵軍を襲う。
炎でありながら、重く質量を持ったそれが、敵軍の真ん中に突き刺さり、その先頭にいた兵士を燃やし尽くす。その勢いのままに、炎が敵軍を裂くように蹂躙する。
ざわざわと、遠くにいながらも聞こえる兵士たちの混乱。
それも当然だろう。
炎は、誰もが畏怖するべき存在。炎は、誰もが恐怖するべき存在。
「うらぁっ! 『爆炎掌』っ!!」
それを、紅蓮は繰り返し。
一撃放つごとに、途轍もない魔力が消費されるそれで、ひたすらに敵軍を焼き続ける。
まさに、炎神の降臨。獰猛なる炎による暴虐。
それが右腕の顕現――『焔腕』。
その一方的な虐殺は、陽が落ち、暗くなり、紅蓮の炎に呑まれた敵兵たちが、誰一人動かなくなるまで続けられた。
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