ダリアスと呼ばれた男が、不審な目で紅蓮を見ながらもアシュリーの前に跪く。
黒いコートの上に胸当てをつけた、長身痩躯の男だ。整った顔立ちに鳶色の瞳、長めの銀髪を揺らしている。先程の剣筋から察するに、かなりの使い手だと考えていいだろう。
だが、アシュリーが名を知っており、彼女に跪いているということは、味方だということだ。
関係性としては、恐らく王国に仕える騎士といったところか。
「姫様……ご無事、でしたか」
「ええ。グレンさまのおかげで、敵の凶刃にかかることなく逃げ延びることができました。ダリアス、あなたは何故ここに?」
「はっ……陛下より、こちらの逃げ道を確保しておくよう命じられた次第です」
「そう、ですか……」
騎士――ダリアスの言葉に、アシュリーが僅かに顔を伏せる。
確かアシュリーが言うには、彼女の目の前で国王である父は槍に貫かれたのだとか。ゆえに、ダリアスという男にそれを命じたのは、生前の彼だったのだろう。
恐らく国王もここで果てるつもりではなく、抜け道から逃げ出して再起を図るつもりだったのだ。
その願いは、叶わなかったが。
「それより、姫様……この男は、一体?」
「グレンさまは、わたくしたちを助けてくださった方です。どうか、粗相の無いように」
「ですが、こんなにも怪しげな格好をした男に……」
「俺からすりゃ、お前らの方が変な格好だよ。文化の違いだ」
ふん、とダリアスの言葉に返す紅蓮。
無駄にひらひらした腰巻きだったり、矢鱈と締め付ける幅広の帯だったり、その服装については違和感しかない。だが、過ごしてきた文化が違えばそれだけ、服装というのも違うものだ。
相変わらずダリアスは不審そうな目で紅蓮を見ていたが、しかしアシュリーの手前、声高には言ってこない。
「それよりダリアス、ここにいるのは、貴方だけですか?」
「あ、いえ……向こうに、もう一人近衛騎士がおります。周辺の敵は、ひとまず殲滅いたしました」
「そうですか……わたくしたちの退路を作ってくれたこと、感謝します」
「いえ……本当ならば、このように敵の侵攻を防ぐことこそ、我々の務め……不甲斐なくも、姫様を危険に晒してしまいました。今後は、御身の側でお守りすることを誓います」
「ええ、頼りにしていますよ」
アシュリーの言葉に、恭しく跪き頭を下げるダリアス。
だが、ここでじっとしているわけにもいくまい。周辺の敵は殲滅したらしいが、それでもまだ敵地の中なのだ。今すぐに、この場を離れて安全な場所に避難するべきである。
「アシュリー、話は終わったか?」
「貴様っ! 姫様に何という口の利き方を!」
「良いのです、ダリアス。グレンさまに、失礼な口の利き方をしないように」
「ですが……!」
「わたくしが、良いと言っています」
きっ、と鋭い眼光でダリアスを睨み付けるアシュリー。
そんなアシュリーの言葉に、ダリアスは小さく嘆息して。
「……承知いたしました。グレンといったな……私は、アリファーン王国に仕える近衛騎士団長、ダリアス・バルカだ」
「八十神紅蓮だ。まぁ、通りすがりの召喚獣だな」
「召喚獣……?」
「ま、アシュリーに従う便利な奴だとでも思ってくれ。お前が味方なら、焼かねぇよ」
説明が面倒になり、とりあえず言葉を濁す紅蓮。
本当なら、今頃召喚は終えて竜宮に帰っているはずだったのになぁ、とは思わないでもない。いちいち、出会う相手全てに説明するのも面倒だ。
だがそこで、恐らく入り口だろう場所からぬっ、と顔を覗かせた者がいた。
その姿を目で捉えて、思わず紅蓮は腰の刀に手を伸ばす。
「誰かいるのか?」
「ああ、味方だ。イブラヒム、少しこっちに来てくれ」
「……はい」
そこからやって来たのは、ダリアスと同じ鎧に身を包んだ浅黒い肌の男だった。
落ち窪んだ眼差しに細い面構えは、どこか幽鬼を思わせるような雰囲気を持っている、黒い瞳に、長い黒髪を後ろで束ねている男だ。その姿が、より不気味な様子を醸し出している。
その姿にアシュリーはごくりと唾を飲み、その後ろに控えるエイルールは「ひっ」と小さく声を上げた。
「姫様と面識はないと思いますが、こいつは近衛騎士団の新入りで、イブラヒムといいます」
「……イブラヒム・スワイダーです」
「イブラヒムですね。よく仕えてくれて、ありがとうございます。今後も、護衛を任せます」
「……ええ」
アシュリーの言葉に、短くそう答えるイブラヒム。
エイルールはそんなイブラヒムを不審そうな目で見ていたが、近衛騎士団長であるダリアスが直々に紹介したのだ。特にそれ以上、何も言わない。
しかし不思議なのは、ダリアスとイブラヒムは大して年に変わりもなさそうなのに、ダリアスの方が騎士団長だということだろうか。余程ダリアスは、剣の腕が立つのだろう。
事実、紅蓮に向けて斬りかかってきた剣筋は、見事なものだった。一瞬でも反応が遅れていれば、紅蓮にも躱すことはできなかっただろう。もっとも、人間程度の力で斬ることのできる紅蓮ではないが。
「姫様、ここで長話をしている場合でなく、アスティーン州侯の元に向かうのでは?」
「ああ、そうですね、エイルール。ダリアス、今からわたくしは、アスティーン州に向かいます。道中の護衛を任せます」
「承知いたしました……ですが、その……」
アシュリーの命令に、頷くダリアス。
しかし、どこか言いにくそうに目を逸らして、それから意を決したように。
「陛下は……」
「父上は、槍で胸を貫かれました。わたくしだけでも逃げろと、そう言い残して」
「そんな……」
アシュリーは表情を動かすことなく、淡々とそう答えた。
彼女にとって、父を失った――その事実を。
ぎりっ、という歯軋りが聞こえると共に、ダリアスは再び勢いよく跪く。
「……申し訳ありません。でしたら尚更、我が使命は姫様をお守りすること。必ずや、この身に代えても姫様をお守りいたします」
「ええ、頼りにしています」
「……」
そんなダリアスの言葉に倣うかのように、イブラヒムも頭を下げる。しかし、決して跪きはしなかった。
代わりに入り口から周囲を見回し、再びアシュリーに目を向ける。
「……敵影は、いません。逃げるなら、今かと」
「ええ、そうですね。ここからなら……」
「敵軍は北門の方から来た様子で、南門の方にはほとんど敵の姿はありませんでした。ただ……既に、市街は制圧されております。身を隠しながら参りましょう」
「ええ、ダリアスに任せます」
イブラヒムの言葉とダリアスの補足に、アシュリーは頷く。
ひとまず、ダリアスは味方であると判断しても良さそうだ。少なくとも、国に従う騎士としての誇りは持っているのだろう。
ちんっ、と紅蓮は敢えて、鍔鳴りの音を示した。
「アシュリー、行くぞ」
「あ、は、はい!」
「ダリアスといったな……足手まといにはなるな。そのときは焦がすぞ」
「それは、こちらの台詞だ」
紅蓮がダリアスに目を向けると、ダリアスの方もまた敵愾心溢れる眼差しで紅蓮を見た。
そして、右手に持つ剣――その切っ先を、紅蓮に示し。
「少しでも、姫様に危害を加えようとする素振りを見せてみろ。そのときは、私の手で切り捨てる。イブラヒム、お前もだ」
「……ええ」
「はっ、それもこっちの言葉だ。アシュリーに傷一つでもつけてみろ。そのときは、お前骨も残さず消し飛ぶと思え」
ダリアスは愚直なまでの真摯さで。
紅蓮は飄々と、どこ吹く風といった様子で。
イブラヒムはそんな中で、無表情を貫いたまま。
アシュリーを守る三人の戦士は、既に敵兵に制圧された市街へと躍り出た。
ダリアス・バルカ
イブラヒム・スワイダー
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