過去編 黒炎side
俺には少し歳の離れた兄がいて、優しい両親もいて、いつも幸せな生活を送っていた。幸いお金に困ることはなかった。
「母さん、四葉のクローバー見つけたよ! コレ母さんにあげる!」
「黒炎、ありがとう。また見つけてきてくれたの?」
「うん! 母さんの病気が早く良くなりますようにってお願いしてるんだ」
母親は元々、病気がちだった。俺を無理して産んだせいで身体がさらに弱くなった。
だから俺は母の病気が治るようにと、いつも四葉のクローバーを見つけてはプレゼントしていた。そりゃあ服が汚れても気にしないくらい毎日必死に探した。
「黒炎、また服を汚してる」
「あ、お兄ちゃん!」
仕方ないなと言いながらも汚れてるところを拭いてくれる兄。俺はそんな優しい兄が大好きだった。父の跡を継ぐんだと言って、小さい俺には到底理解できないような本をいつも読んでいた。
「父さんに怒られないように早く着替えよう」
「ごめんなさい、お兄ちゃん」
「謝らないで。黒炎はお母さんのためにしたんだよね? それなら僕には怒る理由がないよ」
「ありがとう。お兄ちゃん大好き!」
こうやって毎日のように父に怒られる前に兄はなんとかしてくれた。俺はそんな兄が大好きで、尊敬もしていた。
兄は小さい頃から落ち着きがあり、大人びていた。きっと柊家の長男として自覚していたのかもしれない。
父も怒るとは言っても注意くらいで今のような性格ではなかった。誰よりも母の体調のことを気遣い、休日は俺たちと遊んでくれた。
出張で帰ってくるたびに、いつも美味しいお菓子やお土産をくれたりもした。
そんな父を見て、愛妻家で子供思いだと部下たちは慕っていた。
何の仕事をしているか聞いたことがあった。だけど、当時の俺にはよくわからなかった。まさか大企業の社長なんてな。
その頃、朱里と出会い初めて友達と呼べる人もできた。すごく毎日が幸せな日々……でも、そんな幸せは長くは続かなかった。
俺が小学校に上がる頃には母の体調は一気に進行して、小3の頃に亡くなった。母の病気は現代医学では治せない不治の病だと後々聞かされた。
そのときの俺は大好きな母が死んで毎日のように泣いていた。戻って来ないのはわからない。ワガママを言って兄を困らせていた。
「母さんが死んじゃった……うわぁぁぁん!!!」
「黒炎、僕が側にいる」
「兄さん……」
「大丈夫、なにがあっても黒炎を守るから」
その言葉に込められた本当の意味を知るのは、それから間もなくしてのことだった。
「どうして置いていったんだ……まだ若かったのに」
「お父さん、四葉のクローバーあげる。これにお父さんが早く元気になりますようにってお願いしたの」
「……それでも死んだ人間は生き返らない。黒炎、覚えておけ。どんなに願っても叶わない夢もあるんだ」
「そんなこと……ないもん」
父の言ってる意味はわからなかった。だけど、少しでも父が元気になるように俺は四葉のクローバーに小さな願いを込めていたんだ。母のことも大好きだったけど、父のことも大切に思っていた。
だけど、俺の思いとは裏腹に家庭は壊れていった。
「綺麗だよ……焔」
「ありがとうございます、父さん」
「違うだろ? 僕の名前を呼んでごらん」
「紅炎様」
「……」
異様な光景だった。ある日をさかえに兄は髪を伸ばすようになり、父も以前とは変わっていた。
どう変わっていたのかはあきらかだった。兄に自分の名前を呼ばせたり、兄に女の子用の服を着せたりしていたのだ。
「あぁ、黒炎。焔は心の病でね、今は不安定な時期なんだ。だから出来るだけ声をかけないでおくれ」
「心の病ってなに? それに兄さんは男の子で……」
「黒炎、いい加減にしろ!」
「ご、ごめんなさい……」
俺が聞こうと思っても父は理由を言わず、ただ怒鳴った。前はそんな人じゃなかったのに。母が死んでから父の精神は保つのがやっとだったのだろう。
「兄さん、心の病ってホントなの?」
「そうです。だから放っておいてください」
父の目を盗んで兄に話しかけたが、兄も父と同じだった。以前の兄とは別人のように変わっていくのを見て、俺はわからなくなった。
これが俺の知っている兄? 尊敬していた? そんな疑念を抱くようになっていった。日々、女性に近づいていく兄。俺はそんな姿を見るのが辛かった。
「兄貴、どうしてこうなったんだよ!」
小学5年になる少し前、俺はすでにグレていた。
「わかりませんか? 心の病です」
「そんな嘘、通用すると思ってんのか!? もう嫌だ……こんなの、耐えられない!!」
少し成長した俺はわかっていた。兄のいう言葉が嘘だということも。だけど、本当のことを言わないから、兄は心の病だと自分に言い聞かせるしかなかった。
「黒炎!」
俺はその日、家を飛び出した。毎日毎日、父が構うのは兄である焔。俺には構わなくなったし、目も合わせなくなった。兄だって、この有様だ。
柊グループの次男だと知って近づいてくる大人。友達だって、父が手をまわしていたことを知って、仲良くしていた友人も俺から避けるようになった。
嘘ばかりの世界。家庭は母の死をキッカケに立ち直るどころか壊れている。グチャグチャで汚い。誰も信用なんて出来ない。
もう……そんな世界は見たくないんだ。ここには俺の居場所はない。
そう思った俺はついに家出をすることを決意した。もちろん、何も持たずに、だ。あの家には二度と戻らない、そう誓った。
小学生のガキが何言ってんだって思うだろ? だけど、それ以上に当時の俺は限界だった。行くあてもなくさまよった。どのくらい歩いたかわからない。
「寒い……」
もうすぐ春になるとはいえ、まだ外は寒い。俺は、公園のベンチに一人でいた。声をかけてくれる人は誰もいなかった。
どうせ俺は柊家の次男としてしか存在価値がない。でも、そんなのは嫌なんだ。
「紅蓮、こんなところに貴方くらいの子供が……」
「姉さん、いい加減子供扱いはやめて。僕は中学生だって」
「んっ……」
いつの間にか眠ってしまっていた。歩き回ったから疲れたんだろう。近くで声がする。
「お前ら……誰だよ」
ガタッと起き上がり、俺はどこかに行こうとする。
「待って。君、夜に一人で危ないわ」
「家に帰れってのか?」
「姉さんにそんな口の聞き方は許さない」
「いひゃい(痛い)」
俺と同じ背丈の男の子に頬をつねられた。隣にいるのが姉さんと言っているし、その弟だろうか。
「家に帰りたくない理由があるのね。君、名前は?」
「……黒炎」
名字は言いたくなかった。俺のことを知ったら、きっとコイツらも……。
「そう、黒炎君。もし君が良かったらでいいんだけど、私たちの家に来ない?」
「美羽姉さん、犬や猫じゃあるまいし……」
「困っていたらお互い様よ。ねぇ、黒炎君どうかしら。私は如月美羽《みう》、こっちは弟の紅蓮よ」
「……」
どうせ何か裏があるに違いない。それに弟のほうは俺を家に入れるのは嫌がってるようだし。それに、なんのメリットも無しに、俺をかくまうっていうのか?
美羽さんに対する第一印象は、“お人好し”だった。紅蓮のような反応が普通だと思っていたから、中学生ながらに常識人なんだと思った。
今考えると、このときから会長は落ち着いていたな。
家出したあの日、優しく声をかけてくれたのが美羽さんと今の会長だった。
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