「ご主人様~。おはよ~」
「おはよーさん」
例によってもみもみから始まる、弛緩した朝の光景。今日は昨日の残り物があるので、それを朝食にする。
「あー。アメリー。今日担当さんが来るけど、その間寝室にいてねー。声も出しちゃダメー」
「はーい」
とまあ、寝ぼけた脳みそから出てきたこんな適当な取り決めが、後々あんなことになろうとは……。
◆ ◆ ◆
「こんにちは。真留です」
お昼を過ぎて、時刻は二時ぴったり。インタホンが鳴り、その主は果たして担当の真留さんでした。相変わらず時間に正確ですこと。
「じゃあアメリ、寝室にいてね」
「はーい」
アメリが引っ込んだのを確認して、門を開ける。
「こんにちはー。ささ、どうぞどうぞ」
「お邪魔します」
真留さんは、ボブの似合うメガネ女子。まだ二十五と聞くけど、ずいぶんとしっかり者。今日も、暑いのにスーツでビシッとキメててお疲れ様です。
まりあさんみたいに礼儀正しく靴を横向きに揃え、上がってくる。
「お茶淹れて来ますね」
リビングにお通しした後、麦茶を取ってくる。戻って配膳したあとは、リビングに置いてあったノートPCを起動。
こちらはサブマシンで、こうした打ち合わせのほか、家の外でのちょっとした作業やメインPCにトラブルがあったときに使うためのもの。今回はUSBメモリを差してあり、それでこないだメインのほうでまとめたプロットを見せるわけ。
「拝見します」
画面を自分側に向け、プロットをチェックしていく真留さん。う~、これはほんといつになっても慣れない。キンチョーするなあ。
「面白いです、が……」
「が?」
「なんか、アメリちゃんのキャラが妙に違う気がするんですよね」
ぎくり。実は、生前のアメリ要素は放出しきってしまっていて、今はもう、猫耳人間アメリを参考に描いてるのよね。
「例えば、お風呂入れるのも抵抗なさすぎません?」
ぎくぎくり。そうよね、最近の感覚に慣れすぎてお風呂嫌いっぷりを忘却しかかってます。スミマセン。
「そういえば、アメリちゃんといえば今日は見かけませんね?」
ぎぎぎくり。そうなのです。いつも打ち合わせのとき、真留さんにじゃれつくような子だったのです。実のところ、彼女にはまだ猫アメリの訃報は告げておらず……。今のアメリについてなんて、なおさら言えるわけないし。
すると真留さん、唐突に鳩が豆鉄砲食らったついでに狐につままれたような、驚愕の表情で私の後ろを凝視なう! まーさーかー……。
やっぱりィィィィッ! 猫耳&猫しっぽフルオープンな、ショートパンツ姿のアメリが背後に立ってるじゃない!
「あ、あれはえーと……姪! ちょっと姪を預かってまして! 作画の参考のために、猫耳着けてもらってるんです!」
雑な言い訳をしどろもどろにした後、アメリを「出てきちゃダメって言ったでしょー!」と小声で叱る。
「だって、漏れちゃう!」
アメリの悲痛な表情。アッハイ。そのいかにもな体勢、生理現象の限界が来そうなのね。お姉さん、失念してました。寝室からトイレへ行くには、どうしてもこのリビングを通らなければいけないことを。
「とにかく、行ってきて! あとはなんとか誤魔化すから!」
小声で彼女を送り出すと、小走りでトイレの方へと消えていく。
「ええと、アメリの入浴についてでしたよね!」
無理やり、話題を二つぐらい前に戻す。
「いえ、それも気になりますが、今の子は……」
「ですから姪です! 姪なんです!」
力強く言い聞かせる。
「なんか、しっぽ動いてませんでした?」
「ハイテクです! 科学の力ってすごいですよね!」
肩を掴み、我ながらすごい剣幕で言い聞かせる。ドン引き気味の真留さん。
「真留おねーさん、こんにちは-!」
そんな私の迫真の言い聞かせをよそに、トイレから戻ったアメリが朗らかにご挨拶。オワタ。
「あめりいいいいい……! なんで名前呼んじゃったのおおおおお……ッ!?」
「え……だって、挨拶はきちんとしなさいってご主人様が……」
小声で抗議。言ったけど! 挨拶はきちんとしようねって教えたけど! タイミングというものが! あああ……。
「あ、あの……ご主人様って今……」
ひい! 聞かれてた! 完全にオワタ。
「ああああ、ええとですね。これはですね。ちょっとプレイの一環というか、いやプレイじゃなくて、あのほれこりゃ」
ヒョオオオ! 誰かタスケテ!
「真留おねーさん、あのね! アメリ、虹のきれーな橋から帰ってきたの!」
ああああああああ! 言っちゃった! 言っちゃったよこの子は!
もうこうなったら、開き直るほかない。
「真留さんを信頼して、本当のことを全部お話しします……」
猫アメリの死から、今までの出来事をかいつまんで話す。目を白黒させて話を聞いていた彼女だけど、目の前にこうして文字通りの生き証人がいる以上、信じるほかないわけで。
「……なんというか、驚きました。不思議なこともあるものですね」
さすが真留さん。すぐに冷静さを取り戻し、麦茶を飲みながら頷き事態を理解。デキる女だ。
「アメリちゃんのキャラが微妙に変わった理由も、理解しました」
アメリにごろにゃんとまとわりつかれながら、プロットを再確認する真留さん。ほんと、絵面が巨大な間違い探しなことを除けば、猫アメリが生きてた頃の光景そのままだ。
「以前の感覚を取り戻すのは難しいですか」
「そうですね。やはり、どうしても今のアメリに引きずられてしまって……」
「ふむ」としばし熟考した後、「わかりました。猫だって性格が変わることもあるでしょうし、お話自体は面白いですからこれでいきましょう」とGOサインを下してくれる。
とりあえず、色んな意味で山場を乗り切ったようでホッと一息。
「あ、それと。今のアメリちゃんについては口外しませんので、ご安心ください」
「そうしていただけると助かります」
深々と頭を下げる。
「あの、最後に一つ」
「何でしょう?」
真留さんが、なんだか照れくさそうな表情で言葉をかけてくる。
「アメリちゃんの頭、撫でていいですか?」
「私は構いませんが……アメリはどう?」
「いーよ! 真留おねーさん好きだもん!」
アメリの快諾を受け、とろけそうな表情でアメリを撫でる彼女。「ねこきっく」は猫専門の漫画誌だけあって、編集部にも猫好きしかいないからね。
そんなこんなで打ち合わせも無事終わり、真留さんを見送る。
「アメリ。今後もこういう事ありそうだから、うちでも『ご主人様』じゃなくて、『お姉ちゃん』って呼ぶようにしようね……」
かくして、我が家に新たなルールが一つ増えましたとさ。
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