紅茶の載ったトレイを運びながら、親ガモ・子ガモ状態で寝室に向かい廊下を歩いていると、突然、ぎゅっと背後から抱きしめられました。
「ちょっ、危ないよアメリ! こぼれちゃう!」
私のすぐ後ろを歩いていたのはアメリ。注意するものの、何を言い返すでもなく、抱きしめたまま。
やっぱり、アメリの様子が変だ。これは、きちんと対応する必要がある。
「ごめん、ミケちゃん。これ持って先に行っててくれる?」
「あ、うん。わかったわ」
通路中央を塞ぐ私たちの脇を、何とかすり抜け前に回ってくれたので、トレイを手渡すと、寝室のドアの向こうへと消えていく。
「んー……どうしちゃったの、アメリちゃん?」
鼻で深く息を吐き、愛娘に問うてみる。
しかし、無言で微動だにしない。
子供がこういうアクションするときって、なんだろう?
過去の自分に重ね合わせつつ、考えを巡らせてみる。
まず、非常に無口になってしまったこと。これが意味するのはなんだろう?
アメリはこんな謎かけのようなことをしてくる子ではなかったはずだ。
……ん? 謎かけ? そうか、これは謎かけだ!
考えろ、猫崎神奈! 子供が、口も聞いてくれない。こういうときは……。
ずばり、スネているときだ!
私は何か、アメリの機嫌を損ねることをしたんだ。
では、それは私に非のあることか?
少なくとも、アメリ視点ではある。となると、スムーズなコミュニケーション再開に謝罪が必要だけど、何について謝るべきだろう。ただ謝るだけでは心がこもってないから、かえって機嫌を損ねることになる。
少なくとも、調理を始めるまではアメリの様子はおかしくなかった。アメリがなんか変になったのは、料理教室が始まってからだ。
私は何をした?
思い当たるフシがない。
こういうときは、発想を逆転! 何をしなかった?
しばし熟考。
アメリにしてあげなかったこと……。
……。
あっ!!
アメリのこと、全然構ってあげてなかった!!
これはいけない。アメリが調理慣れしてるからって、まだ十にもなってない子を差し置いて、よその子を構い倒してたら、ひいきに映るよね。寂しいよね。
もっと、アメリにも気を配ってあげるべきだったんだ。
ともかくも、自分の非に気がつくことができた。
「ごめんね。もっとアメリのことも、気にかけてあげるべきだったね」
どうやら正解だったようで、私を抱きしめていた腕の力が緩む。
くるりと反転して膝をつき、愛娘の頭を優しく撫でる。
「本当にごめんね。ただでさえ私お仕事に打ち込んでるから、寂しかったんだね」
アメリは、今にも外の雨空のように、涙の雨が降り出しそうな表情をしていた。
「落ち着くまで、とんとんしてあげるね」
抱きしめて、背中をとんとんする。
そんな私を、ぎゅっと抱きしめ返す愛しい我が子。
彼女が落ちつくまで、背中を優しく叩き続けるのでした。
◆ ◆ ◆
「ねー、いつまで待たせるの?」
ミケちゃんがドアを開けて話しかけてきたので、そっと振り向き無言で人差し指を口の前に立て、ウィンクでアイコンタクトを図る。
どうやらデリケートなシーンだと察してくれたようで、一度だけ頷くと、静かにドアを閉じて寝室に戻ってくれました。ありがとう、お姉ちゃん。
とんとん。とんとん。
アメリの気が済むまで、優しくとんとん。
すると、アメリの抱擁が緩みました。
「ごめん、おねーちゃん。アメリ、あのね……」
「アメリは謝らなくていいんだよ。悪いのは私」
ぎゅーっとハグする。
「もう大丈夫なのかな?」
問うと、こくりと頷く。
「元気に……とは言わないけど、向こうに行っても、悪いのは私だから、ミケちゃんにはきつく当たらないでね?」
再びこくり。
「よし、行こうか」
手をつないで、寝室に入る。
「おかえりなさい」
ミケちゃんはとくに深堀りするでもなく、一言だけに収めてくれました。
「遅くなってごめんなさいね。アメリ、私が良くないことしちゃったから、ちょっと元気ないの。元気になるまでもう少しかかると思うから、棚の上から三段め以上の本、それ私のだから、何か適当に読んでてくれる? イヤホンしてテレビでもいいけど」
「わかった。とりあえず、適当に何か読ませてもらうわ」
ファッションの本を手にする彼女。この子、気が利くときはきちんと利くから、伊達にお姉ちゃんしていない。
私はアメリを膝に乗せ、PCでお魚動画を一緒に眺めるのでした。
◆ ◆ ◆
「おお」
アメリが不意に声を上げる。画面に映っているのはメンダコだ。どうも、最近のマイブームはメンダコらしい。
ともかくも、テンションは徐々に上昇しつつあるようで良き哉良き哉。
「メンダコ、可愛いね」
「うん」
「でも、アメリのほうが、もーっと可愛いよー!」
さっきの反省から、過剰なぐらい頬ずりでスキンシップする。
するとアメリちゃん、嫌そうに離れようとする。ええーっ!? これまた今までになかったリアクション!
そのとき、「嫌がるようだったらやめなさい」というお母さんの教えが脳裏をよぎる。
素早く体を離すと、立ち上がってしまうアメリちゃん。
「ごめん、また良くないことした?」
「ううん。その、ちょっと恥ずかしかっただけ……」
照れくさそうに俯くアメリ。その向こう側では、ミケちゃんがなんともいえない表情でこちらを見ていました。
そうか、羞恥心が芽生え始めたのか。お友達の前でこういうことするの、恥ずかしいんだね。
「お姉ちゃん、少しやりすぎた。ごめんね」
「ミケと遊んでくる」
ぱたぱたと彼女のもとに歩み寄り、何について遊ぶか話し始める愛娘。
難しいお年頃に突入というわけかー。
デスクチェアに深く身を沈め、ふうと大きなため息を吐いてしまうのでした。
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