かりかり、こつこつと鉛筆が紙と机を打つ音と、かちゃかちゃというキーボードを叩く音が静寂の中に響く。そんな中、時折ノーラちゃんとアメリの質疑応答。私も、静かに筆を滑らせる。
気づけば空のマグカップを飲もうとしていた。随分集中していたみたいだ。
「あの、よろしければ飲み物のおかわり持ってきましょうか?」
背後の三人に問いかける。
白部先生がアメリを無言で見つめる。おそらく、休憩を入れるタイミングをアメリが掴めているか見極めたいのだろう。
「ノーラは疲れた?」
「おー……そういえば、さすがに疲れた気がするぞ」
「じゃあ、休憩にしよう! おねーちゃん、飲み物お願い」
アメリがちょこんと頭を下げる。うふふ、ミケちゃんじゃないけどしっかりお姉さんムーブしてるなあ。
「はーい。では、行ってきまーす」
グラスとカップ、それとお皿の載ったトレイを手に、キッチンへ向かう。
新たなコーラとコーヒー牛乳を注ぎ、再度寝室へ。
「お待たせしましたー」
「ありがとうございます」
白部さんがお礼を述べ、子供たちも続く。
それにしても、今日はひたすら「観る」ことに徹している白部さん。これはこれで疲れそうなお仕事ね。
休憩ということで、私も折りたたみ机の空いた面に座らせてもらう。
「白部さん、アメリはどんな感じですか?」
「それに関しては、後ほどまとめてお話させていただきますね。変に意識させてもいけないので」
なるほど。じゃあ、話題を変えてみよう。何がいいかな?
「ええと……白部さんの学生時代ってどんな感じでした?」
お医者様の学生時代とか、ちょっと興味ある
「学生時代ですか。小中高大と、ひたすら勉強に明け暮れていましたね。部活もサークルも全然入らなくて、恋愛ごとも無縁で。だから、青春らしい青春を送っていないのが心残りなんです」
あら、これは地雷を踏んでしまった感じ? と、ちょっと焦る。
「だから、この子にはきちんと青春を送らせてあげたいんです」
慈母のような、それでいて切なさのこもった表情でノーラちゃんの頭を撫でる彼女。当のノーラちゃんは、白部さんをきょとんと見上げている。
私は大学進学しなかったことを、まりあさんを元気づけるためとはいえ大げさに後悔として伝えたけど、あれが嘘かといえばまるで嘘というわけでもない。キャンパスライフへの憧れというのは、心の底で残り火のように小さくくすぶっているのだ。
一方、医大へ進み順当に医者になった白部さんは白部さんで、青春を犠牲にしたことへの後悔を抱えていた。
やはり人それぞれ、悩みや後悔というのはあるのだなあ。
「今、猫耳人間は存在を公にできない存在です。きっと、世間に混乱を生みますから。でもいつか、手を取り合って共存できる日が来る。そう信じています。私たちは、そんな日が一日も早く実現するように、公表の機会を窺っているんです」
「私にできることがあれば、何でも仰ってください! 私も、キャスケットを取って尻尾を出したアメリと、いつか大手を振って街を歩きたいですから!」
両拳を胸の前で構え、決意を表明する。何も悪いことをしていない、こんなにも可愛いアメリの正体を隠しながら生活するのは、大変誇りが傷つくことだ。人々に、アメリの可愛さを包み隠さず見てもらいたい。
「ありがとうございます。お互い、来たるべき日を目指してできることをやっていきましょう」
白部さんの表情に、笑顔が戻った。良き哉良き哉。
少ししんみりした空気になってしまったので、子供たちを交えて日常生活の話をする。
白部さんは公言した通り中古車を入手したようで、ノーラちゃんと一緒に色んな所へ出かけているらしい。今度、みんなでどこかへ一緒に行きましょうなんて話になりました。
ちなみにこの指導力テストは、ミケちゃんとクロちゃんにも日を改めて別々にお願いするそうで。白部さんも調べること尽くしで大変ねえ。まあ、楽な仕事なんてないけど。
そんなこんなで休憩も終わり。コーラが切れてしまったので、紅茶を淹れてくることにしました。
戻ってくると、アメリが「三十五匹のステゴサウルスの群れから十二匹がいなくなっちゃったら、どう数えたらいいと思う?」と引き算筆算の授業を始めていました。
「お茶、どうぞ」
三人に配膳すると、お礼を述べられる。私は私で、お仕事を再開。
ちらりと子供二人のほうを見ると、ステゴサウルスらしきものの絵を描いてノーラちゃんの興味を引きながらお勉強を教えていた。
私の仕事も、なんだかんだで順調かつ佳境。仕事も育児も手を抜かず、それでいてスムーズに。大変だけれど、とてもやりがいがある。
そういえば、いただいたマスペにまだ手を付けていなかったな。まあ、仕事中はコーヒー牛乳と決めているので、あとでいただきましょ。
こうして時間が進んでいき、「はい、じゃあここまで!」と、白部さんがパンと手を打つ。
「おお? もういいの?」
「うん。ノーラちゃん、紙に書いて足し算・引き算する方法大体わかったよね?」
「おー? そーいえばそーだな! 教えてくれてありがとな、アメリ!」
ノーラちゃんの屈託のない褒め言葉に、「えへへ」と照れる。あれほど勉強を嫌がっていたノーラちゃんがお礼を述べるとは、よほどアメリ先生の授業が上手かったのね。
「どうでしたか、アメリの指導力は?」
折りたたみ机に着席し、改めて白部さんに問う。
「大変教え上手だと思いました。とくに、やる気にさせる方法が実に見事で」
おお。アメリが褒められると、我がことのように嬉しいなー。
「明日は、角照さんに同様にお願いをしてみようかと思います。次は、掛け算になりますね」
もう掛け算突入かー。まあ、漢字だと書き取りをするだけだもんねー。
「猫崎さんも、アメリちゃんも。本日は本当にありがとうございました」
深くお辞儀する白部さん。
「いえいえ、お安い御用ですよ。ね、アメリ?」
「うん! 任せて!」
「はい。また新たな指示を受けましたら、こうしたお願いをすることもあるかと思います。そのときはよろしくお願いします。では、私たちはこれで失礼します」
「おー、もう帰るのかー。アメリ、カン姉、またなー!」
再度頭を下げ、帰り支度をする白部さん。例によって合意の上でアメリにハグなさった後、門までお送りして、無事お向かいに帰宅したのを見届けると、私も家に戻るのでした。
陽もだいぶ傾いてきたなー。よーし、晩ごはんの買い出し行きまっしょい!
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