「できた!」
背後から元気な声が聞こえてくる。
「どれどれー?」
隣に正座して紙を見てみると、小文字とよみがながびっしり!
「おお~! がんばったねー! じゃあ、ちょっと裏っ返しにして小文字で『ねこざきアメリ』って書いてみようか。アメリはlのほうでもrのほうでも、どっちでもいーよ」
すると、すらすらと「nekozakiamelie」と書く。
「おお~! すごい! 大正解です、アメリちゃん!」
ぱちぱちと拍手すると、「えへへ~」と頭を掻いて照れる。可愛いなあ。
「よし! ここまでできたなら、次はローマ字だね」
さすがに五十音プラス濁音・半濁音の一覧をタイピイングするのは骨が折れるので、これはウェブ上にあった訓令式……小学校で習うタイプのローマ字一覧表をプリントアウトする。
「さて、ローマ字はちょっと変わっててね。まず、基本的に小文字しか使わないんだ。あと、lとかvなんかも使わないの。で、ここからが大事なんだけど、さっきの読みとちがって、aが『あ』、iが『い』……みたいになるんだ。詳しくはこの一覧に書いてあるけれど」
隣に再度正座してプリントを見せると、しげしげと眺めてくる。
「ねー。なんでkaで『か』なのー?」
「良い質問です、アメリちゃん! a、i、u、e、oは母音っていってね、これの前にkが付くとか行……かきくけこになりますよーっていう感じなの」
「おお~……」と、感心するアメリ。
「同じように、さ行、さしすせそならs。た行、たちつてとならtが付くんだね。こういうのを子音っていうんだ」
「ねーねー、なんで『ちゃ』がtとyとaなのー?」
「また良い質問です、アメリちゃん! 子音の次にyを入れてそのあと母音を書くと、ちゃ、ちゅ、ちょみたいにl小さいやゆよを意味するんだよ」
「おお~……」と再度感心する彼女。
「ここまでは大丈夫かな?」
「うん! 多分だいじょーぶ!」
おお~。心強いお言葉!
「じゃあ、進めるよ。『んあ』って書きたいときにnとaを続けたら『な』って読めちゃうよね? だから、『んあ』って書きたいときは、nの後ろにダッシュ……こう書くんだけど、これを付けるんだ」
紙にn'aと書くと、うんうんと頷くアメリ。
「ほかには、小さいつってあるよね? あれは、たとえばこうやってkkaって書くと、ちっちゃいつと、かを表すことができるの。たとえば『けっか』って書きたかったらこうね」
紙にkekkaと書くと、「おお~!」とさらなる感心の声を上げる。
「あと、文字を伸ばす時は、こうやって母音の上にこんなのを付けるの」
母音五種の上に^を乗せて書き表す。
「文章を区切りたい時は空白を開けてね。それと、さっき基本的には小文字しか使わないって言ったけど、文章と名前の最初の宇は大文字で書くんだ。で、最後には右下にピリオドっていう点を打つの。これ、読めるかな?」
Ameri tyan ha saikou ni kawaii.
「あめり、ちゃん、は、さいこう、に、かわいい……『アメリちゃんは最高に可愛い』だ!」
照れくさそうに笑顔を向けてくる。「よくできました!」と頭を撫でると、「うにゅう」という気の抜けた声を上げる。
「じゃあ、今度はアメリが自由に何か文章を書いてみようか」
鉛筆を渡すと、少し悩んだ後にうんしょうんしょと書き始める。
そして書き上がった文章は……。
Onetyan itumo suteki daisuki arigato.
「あら~! 嬉しこと言ってくれちゃって~!」
ぎゅ~っと抱きしめて頬ずりすると、「うにゅぅ~」という、いつもよりさらに気の抜けた声を上げる。eとoの上に^を忘れてるけど、尊い内容の前にはどうでもいいので良しとしましょう!
「それじゃあ名残惜しいけれど、またまた自習タイムですアメリちゃん! 私も頑張ってお仕事するからね!」
というわけで、漫画執筆を再開。
実のところ身も蓋もない話をしてしまうと、実生活でローマ字を使う機会なんて、クレジットカードで自分の名前を登録・記入するときとか、メールアドレスを作ったりとか……そんなときぐらいしかないし、「ちゃ」もtyaではなく、chaと書くし、^なんて使わない。正直、学校教育で子供をアルファベットに馴らす以上の意味はないものだと思う。
でも、今回の目的はアメリの知的好奇心を満たすこと。そこに実用性の有無は問題ではないのです。
アメリが嬉しいと私も嬉しい。私のテンションが上がれば筆のノリも加速する。アメリとの交流に時間を使うことは、最終的に効率のアップにほかならないのです!
いつも以上の好調ぶりで漫画を描き進めていると、インタホンの呼び鈴が。はて、どなたでしょう?
「はいー。どちら様でしょう?」
「白部です。お皿をお返しに上がりました。遅くなってすみません」
おお、そうだそうだ。アメリに夢中ですっかり思考の外に行っていたけれど、サンドイッチのお皿を返してもらわなきゃだった。
「はーい、今出まーす」
門に出ると、白部さんがきれいに洗ってある二枚のお皿を手に立っていた。空はもう茜色で、十月下旬の夕暮れの寒さが身にしみる。
「こんばんは……と言うには少し微妙な時刻ですけど、サンドイッチありがとうございました。とても美味しかったです」
「こんばんは。ありがとうございます。ノーラちゃん、あれからどんな感じですか?」
せっかくなので、様子を尋ねてみる。
「物陰でじーっとしてますね。トイレもまだ、箱の外でやってしまう感じで。心を開いててくれるのは、まだまだ時間がかかりそうです。宇多野さんは、根気が大事ですよと仰っていました」
「そうですね。アメリはペットショップでお迎えした子ですけど、やっぱりそれでも色々慣れてくれるのに結構かかりましたし。野良ならなおさら大変だと思います」
「はい。でも、ノーラちゃんは本気でちゃんと育てていきたいですし、迷い猫ではなくて私が正式に飼い主になれたら、本当に嬉しいです」
私たちの間を、爽やかな秋風が吹き抜けていく。
「では、私はまたノーラちゃんのそばに戻ります。失礼します」
ぺこりと頭を下げ別れの挨拶されたので、私も頭を下げ「はい、失礼します」と返事する。
自宅に彼女が戻ったのをなんとなく見届けると、「今日は晩ごはん何にしようかなあ」などと考えながら、私もまた、愛するアメリのもとに戻るのでした。
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