翌お昼。今日もペンを走らせお仕事に励んでいると、スマホから電話の着信音が。
まりあさんか、はたまた「かくてる」の皆さんかと思い画面を見ると、松戸内科・小児科という意外な相手。
「はい、もしもし」
「こんにちは。松戸内科・小児科です。今お時間よろしいですか?」
「はい、大丈夫です。また検査でしょうか?」
声の主は松戸先生ではない。事務員さんかな。
「これは義務ではないのですが、アメリちゃんの予防接種をお勧めしようという、松戸博子先生からの提案がありまして。あ、もちろん無料です」
事務員さんが、わざわざフルネームで名前を出したのには理由がある。あの病院は母娘で経営していて、アメリを診てくれた先生は娘さん、博子先生のほう。
彼女がアメリの主治医なので、アメリに関する様々なことは博子先生の領分。
「ちなみに、予防接種はどういったものをするのでしょう?」
「ヒブ、小児用肺炎球菌、四種混合ワクチンの計三本ですね。それにロタウィルスの内服薬があります」
むーん、肺炎以外はなんじゃそりゃって名前のばっかりだな。てか、三本か……。
「それは、三本一度に打たなければダメなんですか?」
「私ではちょっと、わかりかねまして……。詳しいお話は、博子先生に伺ったほうがよろしいかと思います」
「わかりました。とりあえず、受診してお話を詳しく伺います」
さあ、説得タイムだ!
「アメリ、ちょっといいかな?」
くるりと椅子を反対に向けて、後ろでぬいぐるみ遊びをしていたアメリに話しかける。
「なーに?」
「アメリ、予防接種を受けよう。つまり、お注射」
すると、耳を伏せしっぽを丸め縮こまる。うん、まあ予想通りの反応。
「こないだ、約束したよね。私とクロちゃんとミケちゃんに」
「う……」
「アメリは強い子だよね?」
近づいて、目の前に正座する。
「ねえ、アメリ。予防接種受けないと、大変なことになっちゃうんだよ。こないだ風邪引いたでしょう。あれよりも、もーっともーっと大変な病気にかかっちゃうの。顔がパンパンに腫れたり、咳が止まらなくなったり。そういうのを防いでくれるのが、予防接種」
脅し文句が聞きすぎたのか、ぶるぶると震える彼女。
「最悪、もう一回死んじゃうよ?」
「そしたら、もう一回虹の橋から……」
「ダメ!」
自分でもびっくりするぐらい、真剣に怒鳴ってしまう。慌てて、声のトーンを落とす。
「いい、アメリ。あれはきっと奇跡なの。もう一回起きてくれないかもしれないんだよ? 私、またアメリがいなくなったら、本当に、本当に……」
涙が溢れてくる。そして、止まってくれない。もう、あんな悲しくて辛い後悔をしたくない。アメリを強く抱きしめる。
「アメリ、お願い。予防接種を受けて」
「……うん」
想いが伝わった。
「ありがとう、アメリ」
◆ ◆ ◆
「電話口で伺いましたが、注射を三本も同時に打たなければいけないんですか?」
松戸内科・小児科の診察室に通された私たちは、博子先生から説明を受ける。そこで、先ほどの電話の疑問をぶつけてみた。
「一応、別々に受けることも可能です。ただ、一度打った後は一ヶ月間。別の予防接種ができないんです。結局打つ回数は変わらないので、一度に済ませてしまったほうが接種待ち期間に病気にかかるリスクを減らせますし、時間や体力といった負担も減ると思いますよ」
「私は、今の説明で一度に済ませるほうがいいって思ったけど、アメリはどう?」
勇気を振り絞ってここまで来たものの、震えが止まらないアメリの背中をぽんぽんと優しく叩きながら問う。
「……いっぺんにやるほうが痛くない?」
「うーん、痛さは変わらないかな。でも、アメリちゃん。こないだ検査でお注射したと思うけど、我慢できないぐらい痛かった?」
松戸先生の問いかけに少し黙り込んだ後、「ううん」と答える。
「じゃあ、きっと大丈夫だよ。ちょっとちくっとするのが三回。それで最初の予防接種は終わり」
先生が優しく微笑む。
「アメリ、頑張れるよね?」
私の顔を、まじまじと見つめるアメリ。私の目は、さっきの涙できっとまだ赤い。互いの視線を結び合う。
「わかった! 全部いっぺんにやる! おねーちゃん悲しませたくない!」
堂々と宣言したアメリをぎゅーっと抱きしめ、頭をわしゃわしゃと撫でる。
「偉いよ! 偉いよ、アメリ!!」
先生も、「次の患者さんがいますので」などと無粋なことは言わず、数分ほどそのままにしてくれた。ありがとうございます!
◆ ◆ ◆
ワクチンもすぐに用意できるものではないので、一週間ほど待つことになった。
そして、日は過ぎて当日。博子先生の検診を受けた後、アメリは三本の注射と服薬を受けるべく、別室のベッドの上で横になって震えている。
私はそんな彼女を、あやすように「大丈夫、大丈夫」とさすり続けた。
「はい、じゃあちくっとするよー」
看護師さんの手でスカートがまくられ、顕になった外太ももをアルコール綿で拭いた後、手早く注射が行われる。再度アルコール綿で拭った後に、絆創膏で注射痕が塞がれる。
部位を変えながら、これを繰り返すこと三回。その間、アメリは固く目をつむり手を握りしめ、一度も声を上げなかった。
「じゃあ、起き上がってあとはこのお薬飲んでね。ちょっとベロを出してね。このお薬、とっても甘いんだよ~。ごっくんってしてね」
アメリを起こす。彼女が言われた通りに少し舌を出すと、香水瓶のような小さな容器から液が絞り出され、それを飲み込む。たしかに甘いものだったようで、若干生気を失っていたアメリの瞳に輝きが戻っている。
「はい、よくできました! では猫崎さん、待合室で三十分ほどお待ち下さい。またお呼びします。気持ち悪いとか、なにか異常があったらすぐに声をかけてくださいね」
アメリにキャスケットを被せ、手を繋いで待合室に戻った。ベンチに隣り合って座り、「偉かったよー」と言いながらぎゅーっと抱きしめると、いつもよりちょっと元気がないけど例の「うにゅう」という気の抜けた声。
待合室に置いてあった絵本を読み聞かせながら、時間が過ぎるのを待っていると、「猫崎さん、二番診察室へお入りください」とお呼びがかかった。
「アメリちゃん。苦しいとか気持ち悪いとか、そういったなんか変だなーって感じはないかな?」
先生の質問に、ふるふると首を横に振るアメリ。
「うん、大丈夫みたいだね。猫崎さん、アメリちゃんの予防接種は無事終わりました。今日は軽い入浴で。この後、少しでも異常が出たら、すぐに大きな病院へ連れて行ってください。状態が酷いようでしたら救急車を。抗体ができているか調べる必要があるので、三週間後にまたいらしてください。それでは、お疲れ様でした」
終了宣言を聞き、アメリと一緒にふぅーっと深いため息を吐く。
◆ ◆ ◆
「アメリ、今日はほんっとーに偉かったよ!」
帰りの車内で、アメリの健闘を褒め称える。
「うん。頑張った! だって、おねーちゃん泣いたら、アメリも悲しいもん!」
「そっか。うん、そうだね。ありがとう」
健気な心がけに、軽く微笑みが浮かぶ。夜も特に異常が出ることなく、無事に第一回目の予防接種は終わりました。
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