「ほらほら、そんなに緊張しないの」
そわそわ、きょろきょろとあたりを見回すアメリの頭をキャスケット越しに撫でる。
ここは、T総合医療センターの待合室。ただし、かなり奥まった所にあり、人気のない場所だ。ベンチには私とアメリ、そしてまりあさんとクロちゃんが座っている。
今から三日前のこと、いつぞやの松戸先生から連絡があり、「こちらで検査を受けてください」というお達しを受けた次第。
アメリの無料診療と引き換えに受けた話だから私に異存はないけれど、素直なアメリが珍しく「行きたくない」とごねてしまった。
あのときは、アメリもぐったりしていてごねるどころではなかったけど、そういえばもともと、お風呂以外にも動物病院も嫌いな子だったなあと思い出す。
松戸先生と交わした約束だからといっても、当のアメリは預かり知らない話なわけで、随分と説得に骨を折ったものだ。
結局決め手になったのは「本来なら治療にかかったお金で、新しいおもちゃが買えるんだよ~」という甘言。
そんなわけで、帰りがけに新しいおもちゃを買って帰る約束をしたのです。
「大丈夫。そんなに怖いことしないから……」
その道の先輩であるクロちゃんが、アメリを勇気づける。いつものおどおどした感じからは考えられない、とても落ち着いた様子。普段はアメリのほうがグイグイ行くのだから、ちょっとした攻守逆転だなあ。
ちなみに、なんでまりあさんたちと一緒かというと……。
松戸先生から話をいただいた後、おそらくまりあさんなら経験者だろうからということで話してみたら、やはり検査をここで今までに何度も受けていて、色々アドバイスを受けることができた。
聞くところによれば、日時も一緒なので病院でちょうど出くわすかな、なんて考えていたら、まりあさんは自家用車を持っておらず、遠出するときは主にバスと電車だという。
このT総合医療センターはF市の西北端にあり、同じ市内といっても私たちの住む東F地域からは結構遠い。バスだとたしか、二本乗り継いで片道一時間ぐらいかかるはず。
それじゃあ大変でしょうということで、私がついでに車で拾ってご一緒することにしたのです。
「助かりました、神奈さん。わたしは平気なんですけど、やっぱりバスだとクロちゃんがかなり疲れてしまいますから」
「いえいえ、お気になさらず。ところでまりあさん、踏み込んだ質問で恐縮なんですけど、どうして車を買わないんですか?」
実際踏み込みすぎな質問だけど、どうも気になると知りたくなるのが私の悪い癖。まりあさんは「くろねこクロのたび」以外にも色んな本を出しており、ガレージがないことを差し引いても我が家より間取りも広く、収入面では何も問題はないと思うのだ。駐車場なら、宇多野家の近くに月極のものがあるし。
「うーん、心配性すぎると思われてしまうかもしれませんけど、もし人や動物を轢いてしまったら……と考えてしまうんです。心配というか、とても申し訳ない気持ちになるというのが正確でしょうか」
なんともまりあさんらしいというか、心優しい理由だ。得心も行き、静かに雑談を交わしながら呼ばれるのを待つ。
「宇多野さん、お入りください」
「あ、では行ってきますね。行きましょう、クロちゃん」
一礼して、二人が室内に入っていく。アメリを落ち着けてくれていたクロちゃんがいなくなり、再び不安に襲われそわそわしだすアメリ。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。ほら、ぎゅってしてあげる」
アメリをぎゅーっと抱きしめると、少し落ち着きを取り戻してくれたようだ。そのまま頭も撫で、背中もとんとんしてあげて、とにかく落ち着かせることに専念する。
そうやってしばらく過ごしていると、「猫崎さん、お入りください」と呼ばれる。
しかし、いざ手を引いて部屋に入ろうとすると、アメリが尻込みしてしまう。
色々勇気づけたり、なだめたりしたが決め手になったのは「クロちゃんに、情けない子だなーって思われちゃうよ?」という一言。
それは普段、彼女に対して攻め攻めなアメリにとっては堪えるものがあったようで、観念しておずおずと手を引かれて中に入ってくれた。
中に入ると、そこには白いベッドと黒い台。看護師さんが、「それでは採血しますね」と言う。
アメリは耳を伏せるわしっぽを丸めるわで完全に怯えてしまったけど、なんとかなだめてベッドに座らせる。
「ここに腕を乗せて手を上に向けて、親指を中に入れてぎゅーって握ってね」
看護師さんが優しくアメリに指示する。私は彼女の頭を撫で、とにかく落ち着かせるべく「大丈夫、大丈夫」と声をかけ続けた。
管でアメリの二の腕を縛り、肘の内側を人差し指で探っていく看護師さん。静脈のアタリが付いたようで、何度かちょんちょんとつついた後、アルコール綿でそこを拭き「ちょっとちくっとするからねー」と、手際よく注射針を刺す。
一瞬「うっ」とうめいてアメリが顔をしかめるが、想像ほど痛くはなかったようで、恐る恐る採血中の自分の腕を見つめる。看護師さんが「手を開いて力を抜いてねー」というので、その小さな手を紅葉のように広げた。
なんと呼ぶ器具かは知らないけれど、試験管のようなもの三本に血を入れ終わり、「よく頑張ったねー。偉いよー」と声をかけながら看護師さんが針を抜く。
私に注射跡を綿で押さえてくれるよう頼むので言われるまま押さえると、二の腕の管も外され、絆創膏と私が押えていた綿を手際よく入れ替えた後、アメリの肘を包帯で縛る。
「このまま、次に呼ばれるまで座っていてください」
とのことで、半ば涙目のアメリの頭を「偉い、偉い」と撫でる。
とはいえ、本日一番の山場はここで、あとは身長体重を測るというオーソドックスなものから、血圧や心電図を計測したり、レントゲンやCTを撮ったり、あるいはランニングマシーンで歩いたり走ったり、握力を測ったりと種々様々な検査が続いたが、アメリの様子は大人しいものだった。そう言えば、猫アメリが動物病院で一番暴れたのも注射のときだけだったっけ……。
検査は都合三時間に及び、私もアメリも最後はすっかりクタクタ。本当にこれを、これから毎月やるのかと思うとうんざりするな。当のアメリなんかもっとだろう。いやはや、無料診療と引き換えだけのことはある。
先に検査を終えて待っていたまりあさん曰く「慣れますよ」とのことだけど、どうもこれは慣れる気がしないな。彼女らなどこれにバス通いがプラスするのだから、頭が下がる思いだ。なるだけ相乗りにお誘いしよう。
ともかくも、すべての検査が終わってやっとこ帰宅の用意。帰りにF駅へ寄り、アメリたっての希望でオムライスをまりあさんたちと一緒にいただき、新たなアメリファミリーとして、マンボウのぬいぐるみ(名前はまだ未定)が加わりました。
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