よし、あと一息!
明日使うプリントを、制作中! 授業が楽しみ!
アメリさんの専属教師になってから、はや一年。
彼女が学校に通うようになってから、私の授業は減ってしまったけど、これは逆に教材を用意する時間や、T総との打ち合わせ時間がふんだんに取れる、と考えることもできる。
アメリさんも、学校と私の授業の二足わらじで大変でしょうに、音を上げるどころか、とても楽しそうで。
本当に、学問に生きる子なのだな、と思い知らされる。
私も、向こうで天才児相手にいろんな授業をしてきたけど、みんなすごく手応えを感じさせる子ばかりだった。そして、アメリさんもその一人。
むしろ、マン・ツー・マンを徹底できている現状が、今までで一番深く、やりがいがありるかもしれない。
現在、彼女の学習範疇は古生物全般を履修し、今を生きる動植物たちにその領域を広げつつある。驚異的なスピードだ。
ほかにも彼女は、天文にも興味を示しつつある。
地球外生命体を探すのは天文の醍醐味の一つだけど、やはり生物道に生きるアメリさんにとって、地球以外の星に生きる生物も興味津々なのでしょう。
ならば私がすべきことは、その全力サポート!
天才児たちが、いい意味で凸凹に生きる事ができる道を示すのが、私の教育道。
ゼネラリストより、スペシャリストを。それが、私たち天才児教育に携わる者の目指す世界。
国語はさっぱりだけど、数学なら誰にも負けない。そんな子がいてもいい。
逆に数学はできないけど、素晴らしい美文を書ける子がいてもいい。
自由とは、教育とは、そういうことだと私は思う。
もちろん、すべてをそつなくこなす、ゼネラリストな子がいてもいい。でも、それは私たち天才児教育者でなくてもできるので。
要は、適材適教。それぞれ得意なことを伸ばすのが、私たちの役目。
今の私は、アメリさんに会うのが楽しみで仕方ない。とにかく、楽しそうに勉強してくれるのが、この上なく嬉しい! 教育者冥利に尽きるというもの。
鼻歌でジャズを歌いながら、資料作成をフィニッシュ!
……完成! 明日が楽しみですね!
時計を見ると、夜八時。向こうでは、朝七時か。ちょっと、両親と話そう。
LIZEでコール。LIZEなら、国際電話だろうと無料なのが素晴らしい。
「ハロー! 元気?」
そんな気軽な挨拶から、現状の報告、そして雑談へと進んでいく。
「あなた、ほんとにアメリちゃんっていう子に夢中なのねえ」
母が苦笑する。
「そうね。受け持った子はみんなそうだったけど、彼女もすごく勉強熱心で、教えがいの塊!」
スマホを持ってない右手で、サムズアップ! サムズアップは、褒めて伸ばすが信条の、私の癖。
私は、アメリカ生活のほうが長い。……というか、日本にはほとんどいなかった。
それがもう、一年住むようになり、こっちと向こう《アメリカ》それぞれの、いいところと悪いところが見えるようになってきている。
やはり、日本は水道水と治安の良さ、そして健康保険が素晴らしい。あと、屋内で靴を脱ぐのが、意外と快適。和食も美味しい。
逆に、家屋の狭さ。これは窮屈。あとは、障がい者や性的マイノリティに優しくないというか、みんなが当たり前に生きられない社会は、結構ショックだった。これはアメリカも、未だ抱えている問題だけれども。
たとえば教育でいうならば、障がい者の子は支援学級に押し込められてしまう。アメリカでは、発達障害の子も、車椅子の子も、みんな不自由なく通常のクラスで授業を受ける。
アメリさんたちも支援学級に通っているけれど、これはいびつだなと、向こうが長い私は思ってしまったりするのだ。
もちろん、アメリカがすべてにおいて、無欠で最先端だと思うほど、驕ってないつもりだけど、ここはやはり、日本の課題に感じた。
両親は日本も長かったから、どちらの良し悪しも、わかるわかると耳を傾けてくれる。
こんな私でも、慣れない日本で暮らしていると、ホームシックが時々出てしまうから、両親との電話は、癒やしの時間だ。
時計をふと見ると、十時手前。ずいぶん長話してしまった。両親も、そろそろ仕事に行く時刻。
「ありがとう。電話切るね。また話しましょ」
通話終了。すっかり、ぬるくなってしまったコーヒーを、ぐいっと飲み干す。
さあ、明日が楽しみだ! 待っててくださいね、アメリさん!
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