歌謡コンテストの翌日。そろそろプロットに本格的に取り掛かる必要があるので、執筆中……なんだけど、どうにも筆が進まない。
理由はもちろん、昨日から塞ぎっ込みっぱなしのアメリ。今も背後で、そめごろうの足を無気力に弄んでいる。
私にとってアメリは何よりも大切な存在で、そんなアメリが凹んでいたら、私も当然気持ちが沈む。
こういうのは時間が解決するのだろうかと考えもするけれど、それも何か違う気がする。
何か私にできることはないだろうかと考えたとき、私にもできそうなことを一つだけ思いついた。
「アメリ、ちょっとおいで」
椅子ごと振り返り、ぽんぽんと膝を叩く。いつもの元気さとはかけ離れたのっそりした動作で、気だるそうに腰掛けてくる。
「昔話、聞いてくれるかな?」
そっと抱きしめ問うと、無言でこくりと頷く。
「むかーし、昔。あるところに、漫画が大好きな女の子がいました。女の子は素敵で面白い漫画をたくさん読んで、『自分も、将来こんな楽しい漫画でたくさんの人を楽しませたい!』と思うようになりました」
アメリの耳が、ぴくりと動く。
「女の子は、一所懸命絵の練習をして、漫画を描いて、賞に応募しました。お父さんもお母さんも友だちも、みんなが面白いと言ってくれて、女の子本人も傑作だという自信がありました。でも、あっけなく賞に落ちてしまったのです」
「その女の子は……それからどうしたの?」
横向きに座り直して首をこちらに向け、真剣な表情で見つめてくるアメリ。
「女の子は、すごくショックを受けました。お父さんとお母さんと友だちは慰め、励ましてくれましたが、女の子の心は晴れません。でも、ある日大好きな漫画を読んでいると、登場人物が『諦めたらそこで試合終了ですよ』と言っているのを見たのです。女の子は、はっと目が覚めました。そうだ、諦めたら終わりなんだ。もしかしたら、次は成功するかもしれない。次がダメでも、その次は成功するかもしれない。そう思い、何本も何本も漫画を描いて送ったのです」
少し口が渇いたので、コーヒー牛乳で湿らせる。
「女の子は十二本目の作品でついに佳作賞を取り、担当さんがつきました。その担当さんには何度もダメ出しされたけれど、くじけずに描き続け、ついにデビュー作が本に載ったのです。その後も、何度かボツをもらったり載ったりを繰り返しながら、ついに連載を取ることができました。その子は大人になり、今もその作品を描き続けているのです。めでたしめでたし」
「その女の子って……」
「そ、私」
目を真ん丸に見開いて尋ねてくるアメリに、笑顔で答える。
「私もね、全然芽が出なくて苦労した時期があったんだ。デビューはほかの人より早かったけど、手がちょっとおかしくなるぐらい描きまくったっけ。アメリはそんな私をそばで、ずっと見守って励ましてくれてたんだよ」
瞳を閉じ、漫画を描きながらアメリと過ごした日々を思い起こす。
「もし、最初の落選で諦めてたら、私は間違いなくここにこうしていなかった。優輝さんもほかの読者さんも、私のファンになってなかっただろうね。今と、何もかもが違ってたと思う」
ぎゅっとアメリを抱き寄せ、ぬくもりを感じる。
「アメリが将来どうなりたいのか、私にはまだわからない。本当にアイドルを目指すかもしれないし、何か別の夢を見つけるかもしれないね。そして、何度も失敗して挫折を味わうと思う。でもね、そんなとき私は絶対、アメリを見守ってそばにいる。約束する」
「おねーちゃん、ありがとう……」
すすり泣くアメリに胸を貸し、とんとんと優しく背中を叩く。
彼女が落ち着くまで、ずっとそうしていた。
◆ ◆ ◆
どのぐらいそうしていただろう。インタホンの呼び出し音が、停止した時間を再び動かした。
「アメリ、ちょっとごめんね」
アメリを膝から降ろし、応対に出る。
「はい、どちら様でしょう?」
「あ、どうもあたしです。今、大丈夫でしょうか。ミケからアメリちゃんに伝えたいことがあるので、伺いました」
「はい、ちょっとお待ち下さい」
声の主は優輝さん。寝室に戻り、アメリに面会の意思を問う。
「アメリ。ミケちゃんと優輝さんが来たよ。お話があるって。どうする?」
「……行く」
先ほどよりは心持ち軽い動作で立ち上がり、一緒に門へ向かう。外に出ると、もう日が沈んでいた。
「こんばんは」
優輝さんが挨拶をすると、ミケちゃんも続いて「こんばんは」と挨拶する。
「こんばんは」
アメリと一緒に挨拶を返す。
「さ、ミケ。まだアメリちゃんに言ってないことがあるよね。ちゃんと、それ言おう」
「……アメリ! 一緒に練習してくれてありがとう! 歌ってくれてありがとう! 踊ってくれてありがとう!」
深々とお辞儀するミケちゃん。
「よし。よくちゃんと言えたね」
優輝さんが、キャスケット越しにミケちゃんの頭を撫でる。
「そちらは……アメリちゃんの調子はどうですか?」
「はい。さっきちょっと昔話をしました。私の昔話を。それで少し、心の整理がついたみたいです」
「なるほど。いつものミケとアメリちゃんに戻るのはもう少し時間がかかりそうですけど、大丈夫そうですね」
少しこわばっていた優輝さんの表情が、いつもの柔和な感じを取り戻す。
「あの、もしよろしければお茶でも飲んでいかれませんか?」
「あ、いえ。これから夕食なので、折角のお誘いですけどすみません。みんなに待ってもらってるんです」
「わかりました。では、また今度ということで」
「失礼します」と別れを告げ、二人が帰っていく。
「そういえば、私たちも晩ごはんにしないとね。買い物行こうか。今日は、何でもアメリの好きなもの食べさせてあげる!」
「……うん!」
こうして、いつものスーパーへ買い物へ行き、アメリが初めて食べた思い出の人間食である、グラタンを作って食べました。
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