「あ、お母さん。今時間ある?」
夜九時過ぎ。アメリも寝たので、休憩ついでにダイニングでお母さんに電話なう。テーブルの上では、愛用のマグカップの中でコーヒー牛乳が、薄茶色の水面を湛えている。
「あら。どうしたの? 忘れ物でもした? とりあえず、手は空いてるけど」
「ううん。ちょっと訊きたいことがあってさ。私の親離れってどんな感じだったのかなって」
「はー。また、妙なことを訊いてくるものね。何かあったの?」
「うん、あのね――」
アメリの自立心が旺盛なこと。そして、友人でありドクターでもある白部さんから、先ほどのような回答をいただいたことを話す。
「そんなわけでね、自分自身のことが参考にならないかなって」
右人差し指の腹で、カップの縁をつつと撫でる。行儀が悪いけど、精神的にちょっと不安になったときについやってしまう、私のささやかな悪癖の一つだ。
「そうねえ。猫耳人間としてのアメリちゃんとは、二週間程度しか関わったことがないけど、それでも神奈とアメリちゃんは結構個性が違うと感じるわ。その上で聞いてね?」
「うん」
コーヒー牛乳を一口飲む。
「神奈の親離れは……ほかのお子さんと比べて、ちょっと遅いかなって感じだったわ。ほら、一番最初にお風呂入りたいとか、部屋に入ってこないでとか、そういうこと言い出したの。思春期の芽生えっていうのかな。それが十二歳もかなり経ってからで」
ああ、たしかに。思い出せば、そんなだった。
「お母さんたちは、どんな気持ちになった?」
「私は、『ああ、ついにこのときが来たか』って感じだったわね。お父さんは子煩悩だし、神奈もお父さん子だったから、お父さん、かなりショックだったみたいよ」
「あはは……。なんだかメンボクない」
でも、当時お父さんが感じた感情は、ちょっとだけ今の私の心境に似てるかもしれない。
「なんか他人事みたいでアレだけど、お父さんと私の関係は傍から見て、その後どう感じた?」
「そうねえ。思春期の女の子にしては、父親との関係は穏便なほうだったと思うわよ? どちらかというと、口うるさい私のほうによく文句言ってた気がするわね」
「あー……。どうにも、申し訳ないデス」
やり場のないこっ恥ずかしさに、後頭部を撫でる。
「いいのいいの。そうやって、みんな大きくなっていくんだから。今では、こんなに立派に育ってくれたし。まあ、お寝坊さんとか無計画なところは子供の頃から変わってないけど」
思わず、「いや~……」と、後頭部を掻く。自分で尋ねておいてなんだけど、どうもこの、いちいち黒歴史が掘り返される感じがこそばゆい。
「まあ、そんな神奈だったけど、やっぱり親離れが始まったときは寂しかったわね。ああ、もう子供じゃないんだって」
「お母さんも、やっぱりそうだったの?」
「そりゃそうよ。ついこないだまでベタベタ甘えてた子が、『勝手に部屋の掃除しないで!』って、怒ってくるのよ? 寂しいやら、何やらで」
当時の自分を思い出す。たしかに、あの頃は今の親子関係しか知らない人から見たら、結構ツンケンしてた気がする。
「なんか……今思うと、ゴメンだね」
「気にしないの。そうやってみんな大きくなっていくもんだって言ったでしょ? 私もそうだったんだから。でね、アメリちゃんに話を移すけど」
ごくり、と唾を飲み込む。
「神奈とは、ちょっと出方が違うかな。思春期って自立を目指す過程なんだけど、たとえば、神奈のお風呂の順番とか、入室拒否とかは、その一環なわけね。で、アメリちゃんは『もう、何でも自分でできるよ』って示すことで、それを発露し始めてるんだと思う。だから、あの子が何か自分でしようとしたら、それを邪魔せず、過剰に手も貸さないほうがいいと思うわ」
「はー……そういうもん?」
「私はそう思うな。だから、神奈はアメリちゃんを見守る時期に入りつつあるんだと思うよ。とにかく、アメリちゃんにいっぱい挑戦と失敗をさせてあげて。で、それで本当にどうしようもなくなったら、ちゃんと気づいて手を差し伸べてあげなさい」
人生の大先輩の言葉が、胸に染み入る。
「私は、アメリを撫でてあげたり、抱っこしてあげたりしたいんだけど、そういうのももうやめたほうがいいのかな?」
「アメリちゃんが、嫌がらなければいいんじゃない? 逆に、ちょっとでも嫌がるようならやめるべきね。猫耳人間のことはよくわからないけど、まだ人間でいえば九歳にもなっていないんでしょう? 焦らなくていいのよ」
白部さんにも、そんな事言われたな。
「とにかく、焦らず、押し付けず、アメリちゃんの流れに付き合ってあげなさい。甘えたければ甘えてくるし、その逆なら避けてくるものだから。ほら、猫のアメリちゃんもそんな感じだったでしょ?」
たしかに。猫って、構ってムーブとほっといてムーブの差が激しい。
「私が言えるのはこんなところだけど、参考になったかしら?」
「うん、すごく。なんていうか、本当にありがとう。子育ては一人で悩まないことって、ほんとによく言ったもんだね」
「後はなにかある?」
「ううん。とりあえず、さっきの話を参考に今後にあたってみる。夜遅くにありがとね。じゃ、おやすみ。私はまだ、仕事があるから」
「無理だけはしないでね? 困ったら、いつでも頼りなさいね。じゃあ、またね」
通話を終了する。
私は良い親を持ったな。感謝しかない。
さあ、仕事をもうひと頑張りしますかー!
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