朝の眠気がやっと飛んでいってくれて、お仕事に入ろうかなという状態。そういえば、と買っておいたイヤホンをアメリに見せる。
「なにそれー?」
「音無しの海中映像だけじゃ寂しいかなって思って。ちょっと着けてみよう」
猫耳に、とりあえずイヤーピースははまってくれた。ただ、これを前に垂らすといくらなんでも邪魔くさいので、後頭部を回るようにしてみる。
「どう? 邪魔くさくない?」
「んー? ちょっと変な感じだけど、だいじょーぶー!」
「じゃあ、少しずつ音大きくしてくから、ちょうどいいと思ったら教えてね」
リモコンの音量を一段階ずつ上げていく。
「おお~!」
「その反応はちょうどいいってことかな?」
「もう少し~」
また、ちょいちょいと目盛りを上げていく。
「あー! ここー!」
お、いい具合になったみたいね。最近色々あって筆が遅れてるからなあ。挽回しないと。
コーヒー牛乳を仕事机に置いて、液タブにペンを走らせる。アメリは「巨大ザメVSイカ」の遊びを楽しみながら海中映像を満喫中。ちなみに私自身は、曲の影響を受けやすいので仕事中にBGMはかけない派。
◆ ◆ ◆
「ん~……っ!」
一段落ついて伸びをしていると、机の上のスマホが振動する。担当さんかしら? と思って画面を見ると、「宇多野さん」の文字。そういえば、あれからなんだかんだで連絡取ってなかったな。
「はい。猫崎です」
「あ、猫崎さん。今よろしいでしょうか?」
「ええ、ちょうど仕事が一段落ついたところで」
肩を揉みながら答える。
「美味しいと評判のケーキが手に入ったので、ご一緒にいかがかと思いまして。伺ってもよろしいでしょうか?」
時計を見れば、二時半。随分集中してたみたいだ。
「私は一向に問題ないです。道、わかりますか?」
「ご住所さえ教えていただければ、スマホの地図で問題ないと思います」
「わかりました。うちは……」
宇多野さんに住所を伝える。
「ありがとうございます。三十分ぐらいで着くと思いますので」
こうして通話オフ。いやー、宇多野さんとクロちゃんをお迎えかー。緊張するなあ。
……って、私スウェット! アンドすっぴん! アメリもパジャマ! こんな姿じゃ、お迎えどころじゃない!
「アメリ! 急いで着替えましょ!」
「お、おおー……?」
超スピードでアメリを着替えさせる。うわー、寝室は諦めてリビングだけでもきれいにしないとだし、えらいこっちゃ!
◆ ◆ ◆
ま、間に合った……。なんとか三十分弱で最低限の体裁を整えることに成功! そこに、ちょうどチャイムが鳴る。セーフ!
「こんにちは。宇多野です」
「はい、今向かいますね」
何ごともなかったように爽やかな振る舞いでドアを開けると、白いワンピースと帽子が似合う、ケーキの箱を抱えた宇多野さんと、対のような黒いワンピースが似合う、いつぞや見た茶のキャスケットを被ったクロちゃんが、宇多野さんの背後に隠れるように門前で佇んでいる。
「どうぞ、お上がりください」
「お邪魔します」
「お邪魔します……」
靴を横向きに揃えて上がってくる。ああ、そういえば何かで見たな。靴って横向きに揃えるのが正しい作法なんだっけ。
「どうぞ。狭いところですが。お皿と飲み物をとってきますので、くつろいでいてください。アメリもご挨拶」
「こんにちはー!」
アメリの挨拶に宇多野さんは笑顔で「こんにちは」と応え、クロちゃんも「こんにちは……」とぼそりと呟く。
二人をリビングに案内し、台所に向かう。とりあえず、飲み物は紅茶でいいかな。
ティーポットと角砂糖にティーカップとスプーン。それと、お皿とフォークを載せたトレイを手にリビングに戻り、配膳する。
「ありがとうございます。これ、C駅前のケーキ屋さんの新作なんです。朝からちょっとあっちに行く用事があったので、せっかくだから猫崎さんにもと思って」
私たちの最寄り駅は東F駅。C駅とは五駅ほど離れている。
「ありがとうございます~! チョコケーキですか……」
「あ、猫耳人間はチョコレートも大丈夫ですよ。松戸先生のお墨付きなので安心してください」
チョコという単語だけで私の不安を察したらしい。チョコは猫にとって猛毒のひとつなのだ。
「すみません、疑ったわけではなくて……。アメリが猫だった頃の考えが抜けないもので、つい」
「いえいえ。わたしも最初、クロちゃんにネギとかチョコとか食べさせるとき不安でしたから。わかります」
恐縮する私に、屈託のない笑顔を向けてくる。優しい人だなあ。
茶葉も開いてきた頃合いなので、カップにお茶を注いでいく。
「ありがとうございます。いい香り。当ててみていいですか? ……ダージリンでしょうか?」
「すごい! 正解です!」
和やかにお茶会が進んでいく。
「アメリちゃん、本当に元気で可愛いですよね~」
「ありがとうございます。クロちゃんも、ほんとすごくおとなしくて可愛いです」
お互いに、よその子他慢。
「いただきます」
私の「いただきます」に続き、アメリも「いただきます!」と元気に言う。「お行儀がいいんですね」と褒められてしまった。宇多野さんとクロちゃんも、「いただきます」の後ケーキに手を付ける。
「本当に美味しいですね、このケーキ」
別にお勧めを疑ったわけではないけど、素直な感想を述べる。
「そう言っていただけてよかったです。アメリちゃんも美味しい?」
「うん!」
あーあ、アメリ口の周りにクリーム付いてるよ。対するクロちゃんは黙々とケーキを食んでいる。
「ところで宇多野さん」
「わたしのことは、まりあでいいですよ」
「そうですか? では、まりあさんと呼ばせていただきますね。私のことも神奈でお願いします」
「わかりました」
「で、話を戻させていただくと……不躾なんですけど、それペンだこですよね? 絵のお仕事をされてるんですか?」
「あ、わかります? 絵本作家なんです。ペンだこがわかるということは、神奈さんも?」
「はい、漫画家やってまして。『ねこきっく』という本に連載持ってるんです」
何だか照れくさい。
「まあ、今度拝見させていただきますね」
「ありがとうございます。よろしければ、今単行本持ってきましょうか?」
「いいんですか?」
「ええ、本棚はすぐ近くの寝室兼仕事場にありますので」
「でしたら、ぜひ」という言葉をいただいたので、一礼して寝室に行き、単行本一巻を持って戻ってくる。
「こんな感じのを描いてるんです」
本を手渡す。
「では、拝見いたしますね。あ、これが猫だった頃のアメリちゃんなんですね」
「はい。本当に遊び好きというか、落ち着きのない子で」
好意的な感想を述べながら、ページを繰るまりあさん。楽しんでいつつも、私が癖になっている観察でペンだこに気づいたように、彼女もまた職業病なのだろう。目が至って真剣だ。
「面白いです! 今度きちんと買わせていただきますね」
「ありがとうございます。私も、まりあさんの絵本を買いたいのですけど、どんなご本を出されているのでしょう?」
「色々ありますけど……代表作というと、『くろねこクロのたび』とかですね。ひらがなですけど本名のまま出しているので、児童書の作者名『う』のコーナーで見つかると思います」
「はい。では、探してみますね。アメリはまだ字が読めないんですけど、読み聞かせてあげようかなと」
「ありがとうございます。ご期待に添える内容だと良いのですけど」
こんな感じで、まりあさんとの会話は和気あいあいと弾んだ。
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