天正19年(1591年)、茶聖と名高い、千利休が切腹を命じられた。
茶人として多くの武将、大名に影響を与えた利休の死は、豊臣政権に暗い影を落とした。
利休七哲の筆頭であった蒲生氏郷は、遺品の整理として、茶器をいくつかもらうこととなった。
その中の一つを手に取り、じっくりと眺める。
渋い色合いを基調に、黒い模様がいい味を出している。名こそわからないが、見事な茶碗だ。
「……これは良い物だ。あとで木村殿にあげるとするか」
大事そうに桐の箱にしまうと、次の茶器を手に取った。
氏郷からもらった茶器を手の中で弄ぶと、吉清はため息を漏らした。
その隣で、亀井茲矩がじっと覗き込む。
「……茶碗、ですな」
「うむ。蒲生様より頂いたのだが、儂の趣味ではないというか、あまり好みではなくてな……」
この時代、武士の間では茶の湯が大流行していた。
気性の荒い武士たちを落ち着かせ、茶の湯を通して円滑にコミュニケーションが行えるのである。
あの織田信長も、戦の恩賞に茶器を渡したこともあり、一説によると、土地を恩賞として渡さなくて良いため、などと言われているが、それがまかり通ってしまうほど、茶器の価値は高まっていた。
ときには茶器が城一つ分の価格にもなったというのだから、当時の高騰ぶりもわかるというものだ。
一級品の茶器を持つことは、武士としてのステータスであり、それらを披露するため、茶会があちこちで開催された。
こういった、茶器を見せびらかすための茶会──いわゆる茶器マウントが横行することとなり、それが茶の湯の発展に一役買うこととなった。
また、茶器マウントを取られた際、茶器マウント返しができるよう、一級品の茶器を持つことが一流武将の条件のようになっており、それが上方の武士の嗜みであった。
かくいう、吉清もマイ茶道具を持っており、折を見ては茶会でコネ作りに勤しんでいる。
そんな吉清を見て、贈り物として茶器をくれる氏郷の厚意は嬉しいのだが……。
「いらんなぁ……」
既に茶道具一式は揃えており、新たに増やそうとも思わない。
必要ないというのもあるが、愛着ある茶道具に新たな家族を増やしてやろうという気にもなれないでいた。
ちらりと亀井茲矩に目を向けると、首を振った。
「私もいりませぬ」
「かといって、せっかくもらった物を捨てるというのも忍びない……。どうしたものか……」
思案にくれていると、亀井茲矩がぼそりとつぶやいた。
「それでは、誰か目についた人にあげればいいのでは?」
「そうだな。そうしよう」
部屋を出ると、ちょうど廊下の向こうに見知った顔が見えた。
「石田殿、大谷殿!」
「木村殿か」
石田三成、大谷吉継が会釈をした。
挨拶もそこそこに、懐から茶器を取り出した。
「……ときに、良い茶器があるのでよろしければ差し上げま──」
「いらん」
それだけ言い残し、立ち去ろうとする三成を、大谷吉継が捕まえた。
「治部、そんな言い方はないだろう。……すまない、木村殿。治部も悪気があったわけではないのだ。
自分は茶の湯の道具は既に持っているので、自分よりに他に必要としている者にあげてくれと……治部はそう言っているのだ」
「いや、本当にいらないから『いらん』と言ったのだが……」
「治部! そんなことでは、他の者から恨みを買うばかりだぞ。もう少し人当たりを良くしてだな……」
ヒートアップする吉継を、吉清が制した。
「お待ちください。あまり石田殿を責めないでくだされ。……実のところ、拙者もいらない茶器があったゆえ、押し付けようとしていただけのこと。……石田殿と大差ないのです」
しゅんとする吉清と、「自分は間違ったことは言っていない」と態度を改めようとしない三成。
面倒なことになってきた、と吉継は頭を押さえた。
「…………わかった。それでは、これは儂が頂こう。それでよいな?」
吉継の提案した折衷案に、吉清と三成が頷いた。
吉継は「はぁ」とため息をついた。
話の流れから茶器をもらってしまったが、自分に使う予定があるわけでもない。
木村吉清と同じように、欲しいと言いそうな者に譲ってしまおうか。
そんなことを考えていると、ちょうど良さそうな人物が歩いているのが見えた。
「おっ……」
あれは、数寄者の古田織部ではないか。
利休七哲と名高い彼なら、もらい手として申し分ない。
「古田殿」
吉継が話しかけると、古田織部が会釈をした。
「おや、その手に持たれているのは……」
「さすが、目ざといな。木村殿から茶器を頂いたのだ」
吉継の言葉に、古田織部が首を傾げた。
「……たしか、大谷殿は茶会を好まれてなかったはずでは……?」
吉継と三成が秀吉主催の茶会に参加した際、一杯のお茶を皆で回し飲みしていた。
この時、既に病に犯されていたこともあり、誰もが吉継が口をつけた茶碗から飲むのをためらっていた。
そんな中、三成が平然と飲み干したことで、その場は収まったのだ。
それ以来、三成との友情は揺るぎないものとなったのだが。
「あれから、どうにも茶会に出る気になれなくてな……。茶道具もすべて売り払ってしまったのだ」
茶器を物欲しそうに眺める古田織部に、吉継はあることを思いついた。
「……そうだ。それでは、これはお主がもらってはくれまいか?」
「よろしいんですか?」
「かまわん。儂には無用の長物じゃ」
「ありがとうございます!」
秀吉の前で、古田織部が平伏した。
「この度は、殿下に献上したき品がございます」
「これは……」
「これは天目茶碗なる名物にございます。さるお方より譲り受けましたが、天下の名物は天下の主にこそふさわしいかと……」
熱心に語る古田織部に押され、秀吉が辟易した様子で頷いた。
「……わかった。もらっておこう」
古田織部が下がるのを見届け、秀吉はため息をついた。
あの場では古田織部の顔を立てて受け取ってしまったが、取り立てて心には響くものはなかった。
秀吉の黄金趣味とは、あまりにもかけ離れている。
……何より、これを見ていると腹を切らせた利休の顔が浮かんでしまうのだ。
いっそ、誰かに褒美と称して押しつけてしまおうか。
そう思い立ち、記憶をたどる。
誰か、直近で手柄を立てた者がいただろうか。
……そういえば、九戸政実の乱鎮圧の際に、よい働きをした者がいたと報告を受けていた。
たしか、名前は……木村吉清とかいっただろうか。
再び亀井茲矩が吉清の部屋を訪れると、例の茶器が飾られていた。
「その茶碗、まだ持っておられたのですか。とっくに誰かに差し上げたのかと思いましたぞ」
「一度は手放したはずなのだが、どういうわけか殿下から頂いたのだ。
古田殿曰く、これは名のある茶器らしいぞ。そんな物が、巡り巡って儂の元へ流れつくとは……奇妙な縁を感じるのぉ」
「ほぅ……そういうことなら、あのとき私が頂いていれば良かったですな」
「もう遅いわ」
軽口を叩き、二人で笑う。
マイ茶道具に新たな家族が加わったことを歓迎しつつ、大切に保管するのだった。
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