【完結保証】 小物武将、木村吉清 豊臣の天下で成り上がる! (旧題)マイナー戦国武将に転生したのでのんびり生きようと思ったら、いきなり30万石の大名になってしまいました

知識チートにならない範囲の現代知識で、豊臣政権で内政無双する話
田島はる
田島はる

マニラ統治

公開日時: 2022年11月24日(木) 12:32
文字数:1,404

 時間稼ぎをしつつ湾の入口を閉鎖しガレオン船を封じ込め、その間に他の拠点を電撃的に攻略する作戦が功を奏し、マニラを陥落させた。


 そうしてイスパニアの拠点を攻め落とした木村軍は、しばらくの間マニラに駐屯した。


 マニラの治安維持と、降伏したばかりのイスパニア人が逆らわないよう、目を光らせておく必要があったからだ。


 ルソン支配の基盤を固める傍ら、垪和康忠を呼びつけた。


「お呼びでしょうか」


「康忠、そなたにこの地を任せたい」


「はっ、このルソンの地を……ですか?」


「うむ」


 垪和康忠は旧北条家臣で、外交に優れた人材である。


 北条時代では上杉や武田との外交を取り持っただけでなく、木村家臣となってからは寺社にあいさつ回りをしたり、葛西大崎の乱では蒲生氏郷へ使いをした。


 まさに木村家の外交官となっている康忠であれば、この異国の地をよく治めてくれると踏んだのだ。


「これより、そなたをマニラ奉行に任ずる」


 垪和康忠が頭を下げた。


「ははっ、マニラ奉行の任、しかと仰せつかりました」




 イスパニアの城塞を破壊すると、跡地に日本風の城造りに着手した。


 本格的な築城の経験こそないが、九戸政実の乱の後に城の補修を命じられた際、蒲生氏郷の築城技術を盗み見たおかげで、それなりのノウハウを手に入れることができた。


 加えて、大道寺直英の土木技術も役に立った。


 家臣に加えて以降、石巻、樺太、高山国において数々の港町建設を成し遂げてきたおかげで、今回の普請も主力となって指揮をとっていた。


 城の土台作りにもその経験が生きているらしく、現場でテキパキと指示を出している。


 土台作りだけでかつてない規模の工事に、マニラ市民の野次馬が集まり始めた。


 ──城、もとい天守は支配の象徴である。


 信長も新たに手に入れた領地で旧領主の城を破棄し、新たな城を築くことで支配者の交代を領民に示した。


 同じように、新たにマニラの地に築いた城が、この地の支配の交代を民衆に知らしめるのだ。


 高く積み上げられる石垣を眺めながら、設計図を広げると、亀井茲矩が覗き込んだ。


「五層天守ですか。これは立派なものになりましょう!」


「しかし殿、これだけの城を造るとなると、相当銭がかかりましょう」


 不安げな四釜隆秀に、吉清はニヤリと笑った。


「問題ない。南蛮人どもに銭を出させ、この地の民を雇っている。儂らは己の懐を痛めることなく、新たな城を築城できるというわけだ」


「さすがは殿! 見事なご采配です」


 感激する隆秀に、吉清はフィリピン総督より徴収した紙を渡した。


「土地の有力者とこれまでの税の一覧だ。これを元に、どこまで搾り取れるか調べておけ」


「はっ!」


 今は大人しくしているが、抑圧されたイスパニア人や現地人がいつ反旗を翻してもおかしくない。


 そうなる前に、周辺のイスラム教国家と国交を樹立しておこうと考えた。


 原田喜右衛門のつてで各地に商人を派遣し、交易が進められた。


 商人としての気質の強いムスリムとしても、日本との交易は魅力的だったようで、ルソンには沢山のムスリム商人がやってくるようになるようになるのだった。


 また、ルソンは交易の中継地としてだけでなく、現地で生産されるサトウキビが日本で高値で売れることがわかり、多数の日本船が来航するようになった。


 それに伴い、直英に港の増築を命じて、マニラの町はイスパニア統治時代より賑わうこととなった。


 こうしたルソンでの貿易は、年間100万石相当の利益を生み出すこととなるのだった。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート