この日、秀吉と息子である拾に目通りするべく、豊臣恩顧の武将たちが参集していた。
拾に目通りするのはこれが初めてのことであり、武将たちは土産に何かを献上するように申し付けられていた。
まず、三成が部屋に入っていった。
「この度は太閤殿下、そして拾様にお目通りがかない、恐悦至極に存じます」
三成が挨拶すると、秀吉がゴキゲンそうに頷いた。
「うむ、よく来たな。苦しゅうないぞ」
「つきましては、拾様にはこちらを献上いたしたく」
三成が差し出したのは、書物であった。
「…………なんじゃこれは」
「朱子学の書にございます。これを読み、拾様にはよき君主となっていただきたく……」
わなわなと書物を掴むと、三成に投げつけた。
「たわけ! 赤子に学問の書など読ませてどうするのだ!」
「も、申し訳ございません」
普段の慇懃な態度はなりを潜め、三成はただひたすら頭を下げた。
その様子を、中庭から聞き耳を立てていた福島正則や細川忠興が、笑いを堪えていた。
次に、浅野長政が部屋に入っていった。
「拾様にはこちらを……」
長政が献上したのは、短刀だった。
当然、柄や鞘は最高級のものを用いてある。刀身に波打つ波紋が、この刀が並々ならぬ刀ではないことを教えてくれた。
三成が献上したのはただの書物だったが、武士たるもの刀を贈られて喜ばない者など居まい。
長政にはそんな思惑があった。
長政からの献上品を見つめた秀吉が、ジロリと睨んだ。
「……拾に腹を切れということか?」
「い、いえ、そのようなことは決して……」
「たわけ! 下がれ!」
「は、ははぁ!」
秀吉に怒鳴られ、浅野長政がすごすごと引き下がった。
一連の様子を盗み聞きしていた諸将が戦慄した。
──こいつは一筋縄にはいかないぞ、と。
豊臣配下の諸将が戦々恐々とする中、加藤清正が声をかけてきた。
「木村殿は拾様に何を献上するのだ?」
「儂は明で狩った虎の毛皮を献上しようかと」
もちろん、吉清は虎狩りなどはしていない。
安易に屏風に虎狩りの様子を描いてしまったため、吉清といえば虎狩りというイメージがついてしまったのだ。
そのため、この時のために商人から虎の毛皮を買ったのだ。
吉清の答えに、清正が申し訳なさそうに苦笑した。
「……それは悪いことをしたな。儂も虎の毛皮を献上するのだ」
愕然とする吉清に、清正がトドメをさした。
「……おっと、そろそろ儂の番のようじゃな。木村殿もご武運を!」
清正の背中を見送ると、吉清は急ぎ小姓の浅香庄次郎を呼びつけた。
「庄次郎! 庄次郎はおらぬか!」
「はっ、ここに」
「なんでもいい! 何か赤子の喜びそうな物を……拾様の喜びそうな物を買ってくるのじゃ!」
「はっ!」
庄次郎の背中を見送り、吉清は祈るような気持ちでその場に座り込んだのだった。
挨拶もそこそこに、加藤清正が献上品を差し出した。
「こちらが、明で狩りもうした虎の毛皮にございます」
「おお、虎の毛皮か!」
広げられた虎の毛皮を手に取り、秀吉がニコニコと拾に差し出した。
「どうじゃ拾、これが虎の毛皮じゃ。気に入ったか?」
拾が笑うと、秀吉も笑顔になった。
清正はほっと胸を撫で下ろした。これで秀吉の雷は回避できたようだ。
「せっかくなので、拾様に虎の毛皮を着せてみてはいかがでしょう。虎のように強くなることを願って」
「おお、そうじゃな!」
清正の提案を受け、秀吉は拾を虎の毛皮で包んだ。
その姿は、まるで小さな虎のようで、見ていて微笑ましい。
清正と目が合うと、拾がニヤリと笑った。
シャァァァァ。
清正の献上した虎の毛皮に包まれ、秀吉の腕に包まれていた拾が、盛大に小便を漏らした。
「おわ、こら、拾め~」
腕を濡らしながら秀吉が拾をあやしつつ、小姓を呼びつけ始末をさせる。
「すまんな。拾が粗相をしてしまったわ」
「い、いえ、お気になさらず……」
秀吉や拾に怒るわけにもいかず、清正は顔を引きつらせて部屋を出たのだった。
そうして、とうとう吉清の番が回ってきた。
「拾様にはこちらを献上したく……」
「……なんじゃ、それは?」
「お、おきあがりこぼしにございます」
差し出された人形──おきあがりこぼしを見て、秀吉の表情が消えた。
嵐の前兆のような、不気味な静けさ。
庄次郎に良さそうなものを買いに行かせたが、これは失敗だったかもしれない。
他の者が短刀や虎の毛皮など、貴重なものや高価なものを献上する中、町に売ってる子供のおもちゃでは、やはり弱かったか……。
しかし、既に献上してしまったからには、これで通すしかない。
「た、倒れても倒れても起き上がる様が面白く、また、子供の成長を祈願しており、縁起物とされています」
人形を指でつつくと、倒れては起き上がる。
「ほら、こうすると、人形が起き上がりましょう?」
見ていて痛々しくなるほど必死に実演する吉清を、秀吉はシラけた顔で眺めていた。
やがて、秀吉が大きく息を吸い込んだ刹那、腕の中で拾が笑った。
「キャッキャッ!」
拾が笑い出すと、一転して秀吉の機嫌が良くなった。
「拾~、そうか、これが気に入ったか! よーしよし。
吉清、そなたにはあとで褒美をとらすからな!」
「は、ははぁ!」
平伏しつつ、秀吉の雷が落ちなかったことに安堵するのだった。
諸将からの献上品を片付けさせつつ、秀吉はふとあることに気がついた。
「……三成、たしか、長政は秀次と懇意にしていたな」
「はっ。そのように聞いております」
「あの短刀、長政を介して秀次から拾へ贈られたものとは考えられぬか?」
「……考えすぎではないかと……」
秀吉は答えず、長政から献上された短刀をじっと見つめた。
……なんだろうか。この嫌な胸騒ぎは。
三成には、豊臣家凋落の歯車が回りだした気がしてならなかった。
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