政宗と共に台所に入ると、吉清が何かに躓いた。
「おっと!」
「おい、気をつけろよ」
政宗の言葉を無視して、足元に手を這わせる。
暗くて見えにくいが、これは脚だ。
この場に誰かが倒れているのだ。
脚から、太もも、胴と視線を辿る。その人物の顔を見て、吉清は思わず固まった。
精悍ながらも整った顔立ち。浅香庄次郎、名古屋山三郎と並ぶ美少年と名高いその顔には、見覚えがあった。
「不破万作……」
「殿下の料理を味見していたやつか!」
政宗が脈をとり、万作の顔に手をあてた。
「……息はしているな。じき、目も覚めよう」
こういう時、医術の心得のある政宗がいると心強い。
この時代の平均寿命は短く、長生きできるだけで大きなアドバンテージを得られる。
今度、吉清も軽く医学について師事を受けてみようと思った。
「しかし、時間稼ぎを最上殿一人に任せて良かったのか?」
「伯父上を心配するなど100年早いわ! なにせ、羽州の狐と呼ばれるお人。口八丁はお手の物よ!」
軽口を叩きつつ、慣れた様子で下ごしらえをする政宗に、吉清は所在無さげに立ち尽くしていた。
「それで、手伝いをするとは言ったが、儂は何をすれば良いかのぅ?」
「不破万作を看病してやれ。……それと、俺の作った鍋を毒味してもらおうか」
政宗の冗談に、吉清は顔をしかめた。
先ほど政宗の料理をなじったことを、まだ根に持っているのか。
吉清は万作を担ぐと、逃げるように台所を後にした。
不破万作を別室に運ぶと、廊下から義光と秀次の声が聞こえてきた。
「ほう! では、小田原では関白殿下自らが軍を率いられ、城を落としたのですか!?」
「うむ。城は落とせたのだが、家老の一柳直末が戦死してしまった……。まだまだ私を支えて欲しかったのだがな……」
「それは悲しいことですな……。幼き日より共に過ごした家臣を無くすというのは、家族を無くすに等しいことですから……!」
目尻に涙を浮かべ嗚咽の混じった声の義光に、秀次が感極まった様子で手をとった。
「わかるか……。この気持ちが……!」
思い出し泣きをし始めた秀次を、義光が優しく抱き締めた。
己の胸を貸し、存分に泣かせる。
義光は秀次の背中をさすりつつ、時間を気にするように辺りを見回した。
吉清は秀次の背後に回り込むと、義光にハンドサインを出した。
(あと四半刻(30分)ほど時間を稼いでくれ)
義光は「心得た」と言わんばかりに頷いた。
この場は義光に任せ、不破万作の看病を続けると、台所から政宗がやってきた。
「木村殿、一つ、使いを頼まれてくれ」
「何か必要なものでもあるのか?」
「曲直瀬道三から、薬を貰ってきてくれ」
政宗からの“おつかい”に、吉清が顔をしかめた。
「……入れるのか? 鍋に薬を……」
「関白殿下じゃあるまいし、そんなことをするか。俺は味を整えはするが、腹の面倒までは見れん。……万が一腹を下した時のための保険よ」
政宗の言葉に不穏なものを感じつつ、吉清は曲直瀬道三の元へ走った。
このまま逃げれば良かったと気がついたのは、使いを終え、秀次邸へ帰ってきてからのことだった。
薬を渡し、再び万作の看病を続けていると、廊下から義光の声が聞こえてきた。
「では、そろそろ政宗たちの元へ戻るとするか」
「あ、いや、殿下……まだよろしいのではないかと……」
「ん? あんまり待たせるのも悪かろう」
「し、しかし……」
様子のおかしな義光を、秀次が訝しんだ。
「怪しいな……。私に隠し事でもしているのか?」
このままではまずい。
義光が押し切られそうになっているのを見て、吉清が秀次の前に出た。
「殿下、少々お時間を頂きたく…。それがしからお話したきことがございます」
「そうか。だが、政宗を待たせるのも悪い……。向こうで話そう」
「いえ、今、二人で話しとうございます」
吉清に押し切られ、秀次は不承不承といった様子で頷いた。
「……わかった。そこまで言うからには、よほど大切な話なのだな」
中庭に移動しながら、吉清は考えた。
適当に大事な話がある風を装ったが、さて何を話そう。
元々、秀次と仲良くなる気などさらさらなかっただけに、秀次の好みもさっぱりわからない。
「それで、話とはなんだ?」
追い詰められた吉清は、切り札を出すことにした。
「ひ、拾様のことです」
吉清からひと通り話を聞くと、秀次がううむ、と唸った。
「……たしかに、拾様がお産まれになったことで、太閤殿下が私ではなく拾様に跡を継がせたくなるというのも、わからない話ではない。しかし……」
信じられないのか。いや、信じたくないのか。
秀次は逡巡するように考え込んだ。
「しかし、現に拾様にお会いできていないではありませんか。これこそ、太閤殿下が関白殿下を遠ざけている、何よりの証拠では……?」
吉清の話に、秀次としても思い当たる節があった。
理屈はわかるが、理解したくない。
しかし、理解しなくては、筋の通らない話ではある。
秀次は自分を納得させるように、力強く頷いた。
「木村殿のお話、よくわかった。……一度、太閤殿下とお会いし、改めて殿下と拾様に忠誠を誓う誓紙を書こう」
話が一段落ついてしまい、吉清は慌てて辺りを見回した。
秀次の背後に回り込んだ義光が、吉清にハンドサインを出した。
(まだ時間がかかる。ここからは儂が関白殿下を足止めする)
義光のサインに、吉清が頷いた。
「関白殿下、儂からも二人で話したきことがございます」
義光が入ってくると、この場は義光に任せ、吉清は政宗を手伝うべく台所へ戻った。
ひとまず、これでなんとか時間は稼げそうだ。
吉清が食器を並べていると、襖に影が差した。
まさか、もう来たというのか。まだ合図は出していないではないか。
吉清の頭に最悪の想像がよぎる。
覚悟を決める間もなく、一息に襖が開けられた。
入ってきたのは、やはりというべきか、秀次であった。
「すまんな。……待たせてしまった」
「あっ、いえ、そんな……。お気になさらず……」
ちらりと秀次の背後を見ると、義光がすまなそうに手を合わせていた。
「……………………私の鍋が見当たらないのだが……どうしたのだ?」
「あ、こ、これは……」
吉清と義光が言い訳を考えていると、間の悪いことに、政宗が戻ってきた。
「待たせた! ちょうど今出来上がった、ぞ…………」
鍋を持ってやってきた政宗が、秀次を見て固まった。
「…………なぜ政宗が、私の鍋を持っておるのだ?」
「そ、それは……」
政宗と義光の中で諦めに近いものが広がる。
もはや、これまでか……。
そんな中、政宗の鍋を見て吉清はしれっと答えた。
「殿下に冷めたものを出すわけには参りませぬゆえ、温め直していたのです」
吉清の助け舟に、政宗が全力で乗っかった。
「そ、そのとおり! せっかくの殿下お手製の料理なのですから、冷めてしまってはもったいない!」
政宗の配慮に気を良くしたのか、秀次が満足げに微笑んだ。
「そうであったか。気を使わせてしまったな」
「いえいえ、これくらい造作もないことですから!」
改めて、秀次を含める四人で席につく。
各々によそうべく、秀次が器を持つと、ほんのりと温かいことに気がついた。
秀次が驚くと、吉清が当たり前のように答えた。
「器が冷たいままでは、汁をよそっても冷めてしまいます。それゆえ温めてておけと、伊達殿に申し付けられておりました」
「おお、そうであったか。流石は政宗。実に気の利く男よ」
「……はっ」
吉清からの配慮に、素直に乗っかる。
政宗は、そんなことは命令していない。
となれば、吉清が勝手に気を効かせ、政宗に手柄を譲ったに他ならない。
政宗は思った。
木村吉清という男は、抜けているように見えて侮れない。なんと目端の効くことか!
(あれしきの反乱、すぐに鎮圧するわけよな……!)
と、吉清への評価を新たにした。
全員によそわれたのを確認すると、秀次が音頭をとった。
「では、食べるとするか」
「「「はっ!」」」
こうして、奥州に一時の平穏が訪れたのだった。
食べ終わると、秀次が満足そうに箸を置いた。
「どうやら、私には料理の才能があるのやもしれんな。……また、折を見て振る舞ってやろう」
秀次からの厚意に、三人は心の中で叫ぶのだった。
「「「もう勘弁してくれ!」」」
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