毎日のようにやってくる秀次の誘いを断るべく、吉清は南条隆信と共に日々断り文句を考えていた。
先々週は祖父母を。先週は母方の祖父母が亡くなったことにしてやり過ごしたが、いかんせん残弾が心許なくなっていた。
「隆信、他に誰か殺せる者はおるか?」
「…………既に殿のご両親はもちろん、主立った親戚に、我ら家老衆の両親もみな亡くなったことにしました。これ以上、誰を殺せと言うんですか」
「誰でもいいから適当に殺しておけ!!!!」
焦りからか、つい声を荒げてしまう。
ふと我にかえると、隆信に頭を下げた。
「……すまん。気が立っておった」
「いえ……」
この1ヶ月、共犯関係として共に言い訳を考えてきた隆信とは、主従を越えた絆で結ばれていた。
隆信もこれくらいで吉清に失望することもなくなり、再び二人で頭をひねる。
と、そこへ清久が帰ってきた。
文禄の役後は石巻や高山国へ忙しく飛び回っていたが、ここ最近は京の屋敷へ戻ってきていたのだ。
「おお、清久! 丁度よいところに!」
吉清と隆信が嫌らしい笑みを浮かべる。
不穏な気配を察した清久が一歩引き下がった。
「な、何の話ですか!?」
「良いか、清久。今日のお主は病気じゃ。一日中寝ておれ」
「はぁ!? いったい何を言ってるのですか!」
「とにかく今日は屋敷から出るな! よいな!?」
秀次に関わると危険だから関わらないようにしているなどと説得できるはずもなく、吉清は半ば強引に清久を屋敷に押し込めた。
清久が病を患ったと理由をつければ、秀次からの誘いも断りやすくなる。
これで一週間は持つだろうと考えたのだった。
ある晩、木村屋敷の門が叩かれた。
「いったい誰じゃ、こんな時間に……」
食事もそこそこに門を開ける。そこに居た人物を見て、吉清は固まった。
「夜分遅くにすまぬな」
「か、かかか関白殿下!? なにゆえここに!?」
「ご嫡男の見舞いに参ったのだ。なんでも、病を患っていると聞いたのでな」
吉清から血の気が引いていった。
……なぜ見舞いに来る可能性を考慮しなかったのか。秀次の性格を考えれば、見舞いに来ることも十分考えられたはずなのに。
己のツメの甘さが恨めしい。
しかし、すでに来てしまったものはしょうがない。
なんとか理由をつけて、帰ってもらおう。
頭の中で言い訳を作るべく、それっぽい言葉を並べた。
「さ、されど、清久の病は重く、お会いになられて殿下のお身体まで悪くしてはコトにございます。ここはどうか、ご自愛ください」
「案ずるな。それしきの覚悟でここへ来てはおらぬ。……それに京の名医も呼んできてある」
秀次の後ろで、医者らしき男が頭を下げた。たしか、名は曲直瀬道三といったか。
ここまでお膳立てをされて、断れるはずもない。吉清は渋々屋敷へ通すのだった。
客間で適当に待たせると、話を合わせるべく清久の元へ向かうことにした。
廊下に出ると、当の清久にばったり出くわした。
「父上、丁度よいところへ……。いま、関白殿下のお声がした気がしたのですが、殿下がいらしたのですか? 私も挨拶せねば……」
客間の襖を開けようとする清久を、吉清は必死に止めた。
「ダメじゃ。下がっておれ」
「なにゆえ……」
「お主が病気ということになっておる。関白殿下はお主の見舞いに来たのじゃ」
思いもよらない言葉に、清久は目を白黒させた。
「なっ…………なにゆえそのようなことになっているのですか!!!!」
「こっちが聞きたいわ!!!!!」
ここで争っていてもしょうがない。一刻も早く、清久を布団に寝かせなくては。
清久の背中を押すと、吉清の背後で襖が開いた。
「声がすると思ったら、やはり清久殿か。身体はもうよいのか?」
「はっ、その……まあ……」
秀次の心配の言葉に、清久としても本当のことが言えずに濁してしまう。
清久が小声で吉清をつついた。
(父上、なんとかしてください。父上の蒔いた種なのですから!)
(くっ……薄情者め!)
清久が背中を押し、吉清は秀次の前に突き出された。
「あー、これはですな。その……」
頭が真っ白になったせいか、普段はよく回る口が、一向に言い訳を吐き出さない。
生まれて初めて、吉清は祈った。
──この際、神でも悪魔でもいい。誰でもいいから、この状況を打破してくれ。
似非キリシタンの吉清の祈りが神に届いたのか。はたまた悪魔に聞き届けられたのか、廊下の奥から吉清の妻である紡がやってきた。
吉清の側にいる秀次に気がつくと、頭を下げた。
「まあ! 関白殿下がいらしてたのですか! 何もお構いできませんで……」
「いや、よいのだ。病を患ったと聞いたもので、見舞いに来ただけゆえな」
「病……? いえ、ただのつわりにございますが……?」
さっぱり話の見えない紡が首を傾げる。
何の話だと秀次が困惑する中、どういうことかと清久が吉清に視線を送った。
まるで話が噛み合っていない。
誰一人理解が追いつかない中、ただ一人、吉清が何かに気づいた様子で手を叩いた。
「そ、そう! つわり! 紡がつわりを患っていたので、それがしは案じておったのです!」
「そ、そうなのか……?」
話の見えてこない秀次が、吉清に聞き返した。
「はっ、そもそも清久が病などというのがおかしな話。清久はこんなに元気にしているのですから! ……いやはや、変だなと思いましたぞ!」
「しかし、私はご嫡男が病気だと聞いたのだが……」
困惑する秀次に、吉清が笑った。
「人の噂とはそんなもの! 殿下のお耳に入るまでに、話に尾ひれがついたのでしょう!」
ここに至り、ようやく秀次も合点がいったようで「なるほど……」と頷いた。
「……どうやら私は早とちりをしてしまったらしい。奥方のつわりを、ご嫡男の病気と勘違いしてしまうとは……騒がせてすまなかったな」
こうして、秀次を言いくるめることに成功すると、一刻も早く秀次に帰ってもらうべく、見送りをするのだった。
木村屋敷の門を出て、ふと秀次が足を止めた。
「……しかし、奥方のつわりを心配して私からの酒宴の誘いを断るとは、実に家族思いなのだな。……木村殿を見習い、私も妻たちに土産を買って帰るとしよう」
そう言って、秀次は木村屋敷を後にしたのだった。
秀次を見送ると、すぐさま紡の元へ駆け寄った。
「でかしたぞ、紡! よくぞあの場で機転を利かせた!」
「さすがは母上! 見直しましたぞ!」
吉清と清久が褒めたてると、紡はまだ何が起きていたのかわかっていない様子で首を傾げた。
「機転……? 何の話ですか? それより、お医者様がいらしたのなら、一つ診てもらえば良かったですね」
「診るって何をだ?」
珍しく察しの悪い吉清に、紡が「まあ!」と呆れた様子でため息をついた。
「つわりが来ているのですから、お腹を診てもらうに決まっています」
一瞬、何を言ってるのかわからない様子で吉清と清久が顔を見合わせた。
やがて、紡の言葉の意味が理解できると、二人は満面の笑みを浮かべた。
「でかしたぞ、紡!!!!!」
「おめでとうございます母上!!!!」
破顔する吉清と清久が紡に抱きつく。
二人にもみくちゃにされ、紡は迷惑そうに、けれど嬉しそうに笑うのだった。
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