「儂は悔しくて悔しくてたまらんわ!」
開口一番、津軽為信からそのようなことを言われ、清久は顔が引きつった。
全国の大名が名護屋城に集結する中、朝鮮や高山国に渡らず留守居役となった大名は多くいる。
徳川家康や前田利家など、大身でありながら渡海しなかった大名も少なくなかった。
徳川や前田となれば同伴する武将も多く、名のある武士だけで数百といる。
それだけ多くの武将が長期間同じ場所に留まるのだから、揉め事や喧嘩、賭博も日常茶飯事で、大名たちの間では退屈しのぎにと度々茶会が催されていた。
そんな中、津軽為信も前田利家主催の茶会に呼ばれたのだが、その席で作法のなっていない田舎武士と笑われたのだ。
「何が茶会だ! 何が茶の湯だ! そんなもの、戦場ではこれっぽっちも役に立たぬわ!」
茶碗を地面に叩きつけ、怒りをあらわにする津軽為信を、清久がなだめた。
「それは災難でしたな」
「そこでだ。来週の茶会にも呼ばれたゆえ、清久殿には茶の湯のご指南いただきたい」
「また行かれるのですか!?」
「かように舐められたまま、黙って引き下がれと申すか!」
同じく陣所にやってきていた南部信直が笑った。
「舐められればよかろう。元を辿れば当家の家臣筋……。大した家名でもなかろうて」
「その家臣筋に足元を掬われた分際で抜かしよるわ!」
ケンカに発展しそうになったところで、同じく陣所を訪れていた松前慶広が割って入った。
「ご両人、落ち着きなされ。清久殿も困っておられる」
松前慶広の仲裁に冷静になったのか、口論はせずに互いを睨み合う。
「……とはいえ、津軽殿の言い分もわかるというもの。此度は津軽殿が生贄となりましたが、明日は我が身。次は我らが生贄となるやもしれませぬ」
大勢の前で笑われるところを想像したのか、南部信直が青ざめた。
一通り話を聞いていた小幡信貞が手を挙げた。
「舐められぬようにするのでしたら、一つ提案がございます」
信貞の話に、三人は「なるほど」と頷くのだった。
こうして、木村家の陣所で相撲大会が催されることとなるのだった。
前田や徳川を始め、各々の軍から力自慢を集めると、対戦のルールが決められた。
今回はトーナメント形式や総当り戦ではなく、抽選で戦う相手を決め、その相手と戦うことになっている。
こうしたルールの特性上、最強の男を決めることはできない。だが、その方が運営する側としても楽な上、飛び入り参加も可能なため、見世物として盛り上がるのだ。
そんな中、ある一戦が始まろうとしていた。
津軽家家臣、仁右衛門と、前田家家臣、長八郎の対戦である。
大柄な長八郎に対し、小柄な仁右衛門は、いかにも頼りなさそうに見えた。
「殿、あの者で大丈夫でしょうか……?」
不安げに尋ねる家臣──沼田祐光に、為信が酒をあおった。
「勝負に勝つコツはな、そこに至るまでにどれだけのことを積み重ねられるかにあるのだ。それが拮抗するというのなら、明暗を分けるは時の運よ」
為信は懐から有り金をすべて取りだすと、賭けを取り仕切る胴元のところへ置いた。
「儂は仁右衛門に全部賭けるぞ!」
豪胆な為信に、沼田祐光は唖然とした。
田舎武士と笑われようと、譲れないものがある。
日本中の武士が集まるこの場所で見せつけてやるのだ。
東北武士の──津軽の意地を。
両名が土俵入りすると、行司の合図と共に試合が始まった。
開始早々に、長八郎の張り手がさく裂した。仁右衛門の身体に赤い跡を残していく。
仁右衛門は苦悶の表情で耐えるも、次第に土俵際まで追い込まれてしまう。
びっしょりと玉の汗を流す仁右衛門に、トドメとばかりに張り手が繰り出された。
誰もが勝負は決したと思う中──長八郎の手が仁右衛門の身体を滑った。
汗で手が滑りバランスを崩した長八郎に、仁右衛門はカウンターとばかりにまわしを掴んで投げ飛ばした。
一瞬の静寂ののち、陣所が歓声に包まれた。
敗北した長八郎を侍らせ、前田利家が感心した様子で手を叩いた。
「実にあっぱれじゃ。あの者こそ、陸奥一の益荒男よ」
前田利家の賞賛を浴びて、仁右衛門が誇らしげに津軽為信の元へと戻った。
「よくやったぞ」
「はっ、拙者は殿の言いつけ通りにやったまでのこと」
どういうことかと困惑する沼田祐光に、為信は説明をした。
「此度の戦いに備え、仁右衛門には鍛錬を積ませていたのだ。生まれ持った体躯は鍛えられぬが、相撲で負けぬ立ち回りは後からでも身につけられるからな。
そして、試合中に汗で手が滑るよう、身体に粗塩を塗りこんでおいたのだ」
感心する沼田祐光に、為信はにやりと笑った。
「言ったであろう。勝負とは戦う前から決まっておると」
為信の周到な準備が功を奏し、津軽家の面目は保たれたのだった。
上機嫌な為信を眺め、清久は今回の功労者に向き直った。
「信貞、此度の働き、実に見事であったぞ。褒美に私の太刀を授けよう」
「ははっ、ありがたき幸せ」
小幡信貞に太刀を渡すと、ふと、大皿に貯められた銭が目についた。
「それは何だ?」
「此度は当家が賭博の元締めをしておりましたゆえ、これだけの儲けが出たのでしょう」
この辺りの抜け目なさは父上譲りだな、と清久は苦笑いを浮かべるのだった。
前田家の試合を観戦し終え、前田利家がパタパタと扇子を仰いだ。
「ふぅ、相撲を眺めていたら、喉が渇いてしまったわい。茶でも飲もうと思うが、津軽殿も一ついかがかな?」
「ご一緒しましょう」
為信と前田家臣は、前田軍の陣所まで訪れると、茶の湯の支度を始めた。
「どうぞ……」
利家の差し出した茶碗を手のとり、音もなく口をつける。
風林火山の林を体現したような静かさに、以前の粗雑さは見る影もない。落ち着いた、美しい所作だった。
「結構なお点前で」
為信の見事な作法に、思わず利家が「おおっ……!」と唸った。
「見事なお手並み……先日とは見違えましたぞ。……我らも精進せねば、あっという間に追い越されよう」
利家の言葉に、前田家家臣一同が頷いた。
こうして、為信の雪辱は晴らされたのだった。
後日、再び為信が木村家の陣所を訪れた。
「清久殿! 今度は連歌をご指南いただきたい!」
大方何があったか想像できるだけに、清久は顔を引きつらせるのだった。
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