吉清が高山国に遠征する中、京での留守居役を任された南条隆信は途方に暮れていた。
吉清から命じられた任務。それは、豊臣秀次の家臣の調略であった。
吉清からは、
『調略とか難しいこと考えなくても、仲良くなれればそれでいいよ』
と言われていたが、簡単に言ってくれるものである。
上方の武士とは違い、隆信には“つて”もなければ人脈もない。
生まれも育ちも東北である隆信にとって、京の都は完全なアウェーであった。
そんな土地で、いったいどうしろというのか。
どうすることもできず、隆信は酒を飲みに京の町へ繰り出すことにした。
京の町は、どこも新たな天下人を称える声や、秀吉の話が絶えることはない。
(さすがは関白よ……)
東北の田舎には人づてにしか届かなかったが、京の町へ来てみれば、改めて秀吉の絶大な威光を思い知った。
(伊達も佐竹も従うわけだ……)
早々に木村吉清に従ったのは間違いではなかったと安堵しつつ、飲み屋街に入った。
適当な店に入ったところで、怒号が聞こえてきた。
「さ、先ほど謝ったではありませぬか!」
「誠意が足りんのだ! 言っておくが、儂は小田原征伐では首級を10個も挙げたのだぞ!」
チンピラのような浪人が、見るからに弱そうな武士に絡んでいる。
見慣れた光景に、隆信は辟易した。あの手の手合は、どこにでもいるものである。
柄の悪い方を掴まえると、腕をひねった。
「これ以上騒ぐってんなら、俺が相手になるぜ」
旗色が悪くなったのか、柄の悪い男が逃げ出した。
やつの背中を見送りつつ、倒れた男を引き上げる。
「大丈夫かい? アンタも運が悪かったな」
「ありがとうございます。普段は仲間と屋敷で飲むのですが、今日に限っては誰も都合がつかず、こうして町へ繰り出したのです」
「それでガラの悪い男に絡まれてたってのか。……とことんツイてないねぇ」
じゃあな、と去ろうとしたところで、男に呼び止められた。
「……よろしければ、一緒に酒などいかがでしょう。助けて頂いたお礼に、今宵は私が奢りましょう」
「おお、それは助かる」
隆信は任務のことも忘れ、出会った男と酒を酌み交わすことにしたのだった。
男の足どりもおぼつかなくなる頃には、夜も更けていた。
男の肩を支えながら店を出る。
「いやぁ、久しぶりによい酒を飲みました」
「まったくよ。やっぱり誰かと飲む酒は一味違ぇわ」
隆信が赤い顔で笑う。任務のことなどすっかり頭から抜け落ちてしまった。
「……そうそう。そういえば、まだあなたの名前を聞いておりませなんだ」
「俺は木村家の家臣、南条隆信だ」
「私は関白様にお仕えする、前野忠康と申します」
「関白っていうと、秀吉様の直臣か」
「いいえ、関白の座は既にお譲りしてますから、今の関白は秀次様です」
──秀次。どこかで聞き覚えのある名前だ。
酒の回った頭で記憶をたどると、一つの答えに行きついた。
「あっ!」
吉清から申しつけられた任務。それこそ、秀次の家臣の調略だったではないか。
「どうかしましたか?」
怪訝そうな顔をする前野忠康に、隆信は首を振った。
「……なんでもねぇよ」
千鳥足の前野忠康を屋敷まで送りつつ、なるほど、吉清が自分にさせたかったのは、こういうことなのかと納得するのだった。
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