この日、木村家の重臣が京の屋敷を後にしようとしていた。
男の名前は成田氏長。小田原征伐では難攻不落の忍城を守ったことで知られ、北条の重臣として活躍していた。
その後は一族総出で吉清に仕えることとなり、北条時代の善政ぶりを発揮し、木村家でも重臣となって石巻奉行を任されるに至った。
東国一の美女として知られた娘の甲斐姫が秀吉の側室となり、秀吉の寵愛を受けたことで、下野国烏山2万石をもらい、晴れて大名となることとなったのだ。
見送りに来た吉清に頭を下げた。
「殿……いえ、木村様。今までお世話になり申した……」
「うむ、そなたの門出、嬉しく思うぞ」
成田氏長は文官として木村家の政務の多くに携わった。
また、新たに創設した石巻奉行を任せていたこともあり、人材不足の木村家からの離脱は手痛い。
だが、家臣の栄転とあれば、祝ってやるのが主の務めである。
吉清は懐に手を伸ばすと、袋を取り出した。
「これを持っていけ」
成田氏長が受け取ると、ずっしりと重い。
「これは……?」
「儂も領地を賜ってすぐは、銭がなくて苦労したからの。儂からのささやかな餞別よ」
吉清に促されるまま中を開けてみると、大判の金貨が入っていた。ざっと1000貫くらいだろうか。
「こんなに……!」
「銭はあるに越したことはない。もっていけ」
家臣の栄転を祝う銭なのだろうが、それにしても1000貫というのは破格だった。
これから辞める家臣に対しては手厚すぎる待遇に、成田氏長の目に涙が浮かんだ。
「ご厚意、かたじけない。……して、いつまでにお返ししましょうか?」
「返さずともよい。これは栄転する家臣へのはなむけよ。この銭で家臣を雇い、領内を栄えさせるとよい」
感極まった様子で成田氏長が頷いた。
「はっ、必ずや木村様のような立派な領地にしてみせまする」
「何か困ったことがあれば、いつでも儂を頼ってもいいからな」
「はっ、重ね重ねのご厚意、かたじけのうございます……!」
吉清の厚意に、成田氏長は深く頭を下げるのだった。
氏長の背中を見送り、吉清は息をついた。
文官として頭角を現しつつあった氏長の離脱は大きい。だが、見方を変えれば親木村派の大名を東国に増やせたことでもあり、それはそれで美味しいのかもしれない。
氏長の与えられた領地のある下野国といえば、家康の領地のすぐ隣である。
もしもこの先、家康と事を構えることになった際に、氏長の領地を抑えていれば、対家康に重要な役割を果たしてくれるだろう。
未来の天下人に逆らうつもりはないが、自分の行動で歴史が変わっているのは事実である。
そうなれば、どこかで歯車が狂い、正史とは違った流れになることも考えられる。
最悪の場合、家康と事を構える可能性もあるのだ。
家康の隣の大名につてがあれば、その時の保険となる可能性もある。
成田氏長の背中が見えなくなると、
「氏長……儂から受けた恩、一日たりとも忘れるでないぞ」
と恩着せがましくつぶやくのだった。
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