その日の夕食にて、母が私を褒めちぎる。
「あなた! カースちゃんがすごいのよ! もう本が読めるの! きっと天才だわ! 魔法も頑張りたいんですって!」
「ほう、それはすごいな。えらいぞカース。」
「えへへーがんばるよー」
「それにウリエンもえらいわ。カースちゃんに本を読んで字を教えてあげたのね。さすがお兄ちゃんね。」
「うんうん、ウリエンもえらいぞ。その調子で剣の稽古もつけてやれ。」
「まあ、あなたったら。それはまだ早いわ。それにあと半年もすればウリエンも卒業、次の進路を決める大事な時期だわ。自分のことに集中させないと。それなのにカースちゃんの面倒を見るなんて本当にえらいわ。」
もしかして親バカだと思っていたが、そういう教育方針なのだろうか?
事あるごとに褒めて、次のハードルを設定して子供の成長を促す。これは侮れないな。
小さい頃からこの調子で褒められる快感を知っているなら、そのためにどんな努力でもやってしまいそうだ。挫折を味わった時はどうフォローしているのか気になるな。
「領都の騎士学校に行くつもりだよ。やっぱり父上みたいな騎士になりたいしね。一応評定は足りてるし、あとは本試験次第だけど。」
「え! そんなあ兄上! 領都に行っちゃうの!? やだやだ!」
長女のエリザベス、八歳だ。兄上大好きっ娘である。いつも兄上べったりで兄上と結婚すると公言して憚らない。
「こらこらエリ、ウリエンを困らせるな。お前だってウリエンがカッコいい騎士になったところを見たいだろ? 鎧を着てビシッと決めて隊列を組んで行進するんだ。
それを見た街の娘達はキャーキャー言うだろう。あの一際カッコいい騎士はどこの誰だと。そこでエリ、お前が言うわけさ。
あれは私の兄上よ。兄上は私のことが大好きなんだから狙っても無駄なんだから! ってな。」
父は適当なことを言ってごまかそうとしている。しかし姉には効果覿面だったようで。
「そ、それならいいわ。兄上は王国一カッコいいものね。仕方ないわよね。ふへへへへ……」
何か妙な妄想が始まったらしい。スルーだな。
「ねえあなた、そうなるとウリエンには家庭教師でもつけましょうか? 評定は足りてると言っても本試験は結構難関よ。特に実技は。」
「うーむそうだな。夜に私が教えてもいいが、帰ってこれたりこれなかったりだからな。魔法はお前が教えればいいが、剣術はな〜。」
おお、やはり母は凄腕の魔法使いなのか?
そして父は騎士だけあって剣術がすごいのか?
ちなみに騎士学校の合格基準は、評定、筆記、実技の三つだ。
評定は普段の言動、成績などが評価される。
筆記は王国法や騎士の心得、戦術や戦略論、そして一般教養が問われる。
最後の実技だが、剣術と魔法の両方がある。
しかし両方とも基準をクリアする必要はなく、どちらかでクリアできていればいい。要は強ければいいらしい。
「よし! そうと決まればウリエンには剣術の家庭教師をつけるぞ! 明日ギルドに行って見繕ってくるとしよう。」
「まあ! それは楽しみね! どんな方がいらっしゃるのかしら。」
「下手に習うと下手がうつると言うしな。私より強い男がいいな。いるといいが。まあまずは依頼を出すだけ出しておくよ。」
おお、やはり依頼関係はギルドなのか。何ギルドとは言ってないが、ここはやはり冒険者ギルドなのか?
「ついでにオディロンも鍛えてもらおう。あいつの軟弱ぶりは少し問題だからな。」
「それはいい考えね。オディロンちゃんは少し優しすぎるところがあるものね。オディロンちゃんも半年後には学校に行くのだし、少しはマリー離れしないとね。」
二男のオディロンは五歳、メイドのマリーが好きすぎて早々に親離れしたのはいいが、いつもマリーと一緒だ。夕食すら二日に一回はマリーと一緒というレベルだ。
それならマリーを家族の食卓に呼べばいいのだが、マリーとしてはメイドに有るまじき行為らしく固辞するのだ。
折衷案としてオディロンだけがマリーと夕食を共にすることで、一応は解決した。
さらにマリーの仕事を手伝いたがるため、あらゆる家事技能を身につけてしまった。
マリーも当初は困っており、母にご注進をしたのだが、母としてもどうしようもなく黙認、マリーの仕事が少しでも楽になるならいいという訳で現在に至る。
父からすると騎士の二男が家事にうつつを抜かすとは何事だ! と言いたいところだが、家事のレベルが高くマリーからの評価も高い本格派らしい。
どうやら父から見ても掃除洗濯洗い物、文句のつけようがないレベルらしい。
さすがに料理は厳しく止められているが。
その結果、これまた黙認されているようだ。
兄上が学校から帰ってくる午後から夕食まで、二男オディロンの剣術修行が決定した。
あくまでついでの扱いではあるが、どうなることやら。
明けて翌日、朝食を済ませた私と母は庭に出た。ついに魔法デビューが始まるのだ。
「さあカースちゃん、今日から魔法の練習よ。と言ってもしばらくカースちゃんがすることはないの。お母さんがやることに我慢して耐えるだけでいいのよ。」
「がまんするの?」
「そうそう。苦しいけどカースちゃんは天才だから大丈夫よ。魔法の入口ってね、大きく分けて二つあるの。
一つは自力で自分の魔力を感じること。もう一つは他人から魔力を感じさせてもらうこと。今日はお母さんが魔力を感じさせてあげるってわけなの。」
へー、それは手っ取り早くてよさそうだ。やっぱり母は凄腕なんだろうな。
「わかったー がんばるね」
「返事は押忍と言いなさい。この返事ができない男の子は強くならないわ。分かった?」
「はーい、いや押忍!」
「さすがカースちゃん!きっと男の中の男になるわ! じゃあさっそく行くわよ!
力を抜いてそこに立つの、苦しいけど倒れたり動いたらだめよ?」
そして母は後ろから私の首に右手を添えて何やら唱えている。じんわりと母の体温を感じる。
次の瞬間、首から段々と何かが体を這い回るように動いていく。
「ぬわっ! ぴょぎゃー!」
変な声が出る!
気持ち悪い、そして痛い!
例えるなら、血管の中を太い蛇が通るような気持ち悪さ。
こんなの無理だ、逃げよう。そう思ったが痛すぎて動けない、ならば倒れてしまおうとも思ったが、いつの間にか目の前にいたマリーに抱きしめられている。全然動けない!
耐えるしかないのか?
オディ兄は羨ましそうに見ている。
羨ましいなら代わってやるぞー!
全身を這い回る蛇が首から上にも回ってきた。口の中に臭い油でも流しこまれたかのように吐き気もする。
耳には蛇の這いずりと脈動を合わせたかのような音が聞こえる。
こんな状況なのに抱きしめてくれているマリーからはいい匂いがする! くっ、マリーめ!
それが余計に吐き気を催す!
目からは涙が溢れ何も見えない。
段々と蛇が太くなっていくように圧迫感が増し、這い回るスピードも上がっていくかのようだ。
私は身動きもとれず頭がイカれたかのような奇声と涎を垂れ流すだけだった。
もう何も考えられない、早く終わってくれ……
「カースちゃん起きて。」
「ううーん、ははうえー」
バシャッ!
突然水をかけられた。
「さあカースちゃん、目は覚めたわよね。途中で気を失ってたのよ。そんなことじゃあだめよ。ちゃんと意識を保って全身を流れる魔力を感じるのよ。カースちゃんは天才だから大丈夫よ。さあ、できるまでやりましょうね。」
何?
意識を保つだと?
そして魔力の流れを感じる?
あの這いずり回るクソ蛇は魔力なのか。魔力とはあんな風に全身を回るものなのか。
もしかして魔法を使う度にあんな気持ち悪いのに耐えないといけないのか?
「カースちゃん? お返事は?」
「お、押忍……」
「やっばりカースちゃんは天才ね! こんな状態なのにきちんとお返事できるなんて! お母さんは本当に嬉しいわ。さあどんどん行くわよー。」
それからは地獄だった。
気を失ってはいけないのだが、いつの間にか意識を失い、水をかけられては叩き起こされ、返事をしてはまた気を失い、何回も繰り返した。
おかしい……
世の中の二歳はこんな方法で魔法を習得するのか?
トラウマになったりしないのか?
もっと子供に優しい方法があるのではないか?
昼までわずか二、三時間だが何回これを繰り返したのだろう。昼食ということで休憩になったが、昼からも同じことをするのだろうか……
地獄の抱擁から解放された私はそのままマリーに抱えられて風呂に入っている。ずぶ濡れの私をその体で拘束していたのだからマリーもずぶ濡れだ。
マリーも湯船に浸かるのだろうか?
私の精神年齢的には三十歳前後のマリーはちょうどストライクゾーンだが、今そんな余裕はない。
ぐったりして動かない私をマリーは支えていてくれる。そうして三十分ぐらい経っただろうか。体が動くようになってきた。せめて胸ぐらい触りたいが……
マリーは私を離し湯船から上がっていってしまった。私に背中を向けたまま……くっ、頭がぼんやりして見えない……
と、思ったらすぐに戻ってきた。
今度は大きなタオルを巻いている。ちっ。
「さあカース坊ちゃん、これを飲んでください。」
そういって陶器でできた牛乳瓶のようなものを差し出した。形だけはそっくりだが、中身まは真っ白。これは牛乳なのか?
「一気に全て飲み干してください。」
「うん、のどがカラカラだから飲むよ」
腰に手を当てて一気に流し込む。
ぐぉっ! まずい!
熊胆のような苦味と薬草のような青臭さが一体となって襲いかかる。
思わず吐き出そうとしたら、マリーに口と鼻を手の平で押さえつけられた! 息ができない!
「全て飲み干してください、と申し上げました。」
飲まないと息ができない!
まずいとか言ってられない!
ギョルッヌッ!
また変な声が出てしまう。
「ぜんぶのんだよ……まずーい」
「お見事です。さすがカース坊ちゃん。奥様のおっしゃる通り天才なのですね。かっこいいですよ。」
「へへーそう?」
そんなわけないだろ!
なんでクソまずい汁を飲んだだけで天才なんだよ!
「これなにー?」
「魔力ポーションですよ。現在の坊ちゃんは午前の修行で魔力回路が広がっています。
そこを無理に回復させることで、今後もその回路を維持できるわけです。」
「ふーん、わかんないけどつよくなったの?」
「その通りです!やはり天才ですか。」
おかしいな。マリーはこんなことを言うタイプじゃないだろうに。そもそも私とはあんまり話したこともないが。せいぜいイベントの時ぐらいか。
『かしこまりました』
ぐらいしか聞いたことがなかったような。
まあいい、体のダルさもだいぶマシになってきた。上がって昼ご飯を食べよう。食欲はないけど。
「カースちゃん、上がったのね。さあお昼御飯にしましょうね。今日は特別メニューなのよ。たくさん食べてね。」
おお、見た目は豪華で美味しそうだ。しかしこれはヤバいパターンだな。きっと薬草とかイモリとかカエルとかゲテモノだらけに違いない。
「はーい、いただきまーす」
食前食後の挨拶は日本と同じだ。これが上級貴族や王族になると、お祈りレベルで長くなるらしい。下級貴族でよかった。
ちなみに平民は特に食前の挨拶などしないらしい。
さて、食べよう。
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